2005年10月

お金の使い方 ウイリアム・モーア

マタイ福音書6章19-34

長年の謎

1997年、長年の謎がやっと解けました。それは誰が、全部で数十億ドルを寄付したかという事です。その寄付を受けた福祉施設や学校や救済団体などは寄付者が全く分りませんでしたので、お礼の手紙さえも送る事が出来ませんでした。寄付金はいつも銀行口座宛小切手の形で送られましたから、寄付者は不明でありました。そして、小切手と一緒に来たメモには、送り主は無名で寄付したいと書いてありました。

マスコミは誰かが莫大な金額を無名で寄付している事を聞いて、その送り主の身元を調べました。そして、調査は10年程かかりましたけれども、やっと寄付者の名前が明かになりました。それは66歳のチャールズ・フィーニー社長でした。彼は大きな免税店チェーンストアのオーナーで、アメリカで400人のお金持ちの中の一人と思われました。しかし、詳しく調べたらフィーニー社長は実際にそれ程の金持ちではありませんでした。財産の99%をもうすでに寄付していましたからです。自分の会社の株を少しずつ売って、全部で40億ドル、すなわち、4600億円を密かに寄付していました。フィーニー社長は古い衣服を着て、5ドルの腕時計を使って、家も、車さえも持っていません。彼は本当に質素に暮しています。

2005年10月30日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

心からの敬虔 ウイリアム・モーア

聖書:マタイ6章1-18

施しと祈りと断食

主イエス・キリストの当時、敬虔なユダヤ人だと言う人は誰でも信仰生活で、必ず三つの事を行いました。それは施しと祈りと断食です。敬虔な信者は少なくともその三つの宗教的行為を実行しました。ユダヤ人はこの三つを大変重んじましたので、主イエスも山上の説教でこれを扱いました。施しと祈りと断食と言う行為を通して、イエスは神が望んでおられる「心からの敬虔」を教えられました。

さて、今日の個所の始めのところ、マタイによる福音書6章1ー4を見て下さい。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いを頂けない事になる。だから、あなたは施しをする時には、偽善者達が人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼等は既に報いを受けている。施しをする時は、右の手のする事を左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせない為である。そうすれば、隠れた事を見ておられる父が、あなたに報いて下さる」

とイエスは言われました。

善行の動機

イエスも善行と施し、その行動を大事にしました。しかし、善行その行為よりも、善行の裏にある私達の態度と動機をもっと大切にしました。実は、動機が誤まったら、善行の霊的な意味がなくなるからです。主イエスによりますと、もし人の褒め言葉と賞賛を得る為と言う動機ならば、神はその善行を高く評価しません。更に、自分が他の人よりも偉いと言う気持ちで良い行いをすると、神はその善行をも受け入れません。

2005年10月23日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ルカによる福音書 , 新約聖書

心からの義II ウイリアム・モーア

マタイ5章27-48

【律法を完成する者】

先週、主イエス・キリストが教えて下さった「心からの義」を一緒に学びました。今日も引き続き「心からの義II」を学びたいと思います。さて、覚えておられると思いますが、主は山上の説教でこのような意味深い宣言をしました。「私が来たのは律法や預言者を廃止する為だと思ってはならない。廃止する為ではなく、完成する為である。」つまり、主イエスによりますと、神の掟をただ表面的に守るのは不十分であり、神を喜ばせる事が出来ません。なぜなら、神と隣人に対して、愛のない、また心が曲がった人でも表面的に十分律法に従えます。実は、主は私達に心からの義を求めておられます。すなわち、神は掟の本当の目的とスピリットを守ろうとする精神を私達の中に見たいのです。主は私達の表面だけを見るのではなく、私達一人一人の心の奥そこまで見られます。何故なら、私達の態度と動機は神には大事であるからです。

【神の恵みを頂くのに相応しい態度】

しかし、神はどうしてそんなに私達の態度と動機に対して関心を持たれるのでしょうか。表面的でも、人間が御自身の掟を守るだけで十分ではありませんか。私達の思いまでも監督するのはちょっと求め過ぎだと思われる人がいるかも知れません。実は、神は私達一人一人を愛して下さいますので、正しい態度と動機を望んでおられるのです。つまり、主の豊な祝福を受けるように、特に霊的な祝福を受ける為に、相応しい態度と動機が必要であります。神が授けて下さった掟は神御自身の益の為ではありません。却って、それは私達個人と、社会全体の幸福の為に定められました。そして、それを喜んで心から守ると、主の祝福を豊に経験出来ます。その反面、心からではなく、ただ掟の表面的な要求だけに従うと、その祝福は余り分らなくなります。

2005年10月16日 | カテゴリー: エレミヤ書 , マタイによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書

心からの義 ウイリアム・モーア

マタイによる福音書5章17-26

◆律法について

17:「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。

18:はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

19:だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。

20:言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

◆腹を立ててはならない

21:「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。

22:しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

23:だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 24:その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。

25:あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。

26:はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

腰痛とスポーツクラブ

私はずっと前から腰が弱いので、腰の手入れにかなり気を付けています。そうしないと腰がすぐ痛くなり、ある時はベッドから全然起き上がられない程ひどくなります。

数年前、特に苦しかった時、病院へ行って、腰痛の対策を教えて貰いました。それはおもに腰と腹の筋肉を強くさせる運動と足のストレチング・エクササイズでした。その運動をちゃんとすれば、腰が良くなると言われた私は頑張りました。しかし忙しい時は、忘れてしまいました。そうすると、やはり腰がまた痛くなります。

ですから、運動がもっとちゃんと出来るように近くにあるスポーツ・クラブに通い始めました。実際よく続けて運動しました。そうして腰は良くなりました。

2005年10月09日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙二 , マタイによる福音書 , 新約聖書

塩と光 ウイリアム・モーア

◆地の塩、世の光(マタイによる福音書5章)

13:「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その 塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、 外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

14:あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

15:また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。

16:そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、 あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

チャーリーとペパーミント

ある日、ピーナッツと言う漫画の主人公チャーリー・ブラウンは自分の友人ペパーミント・パテイーにこのように言われました。「チャーリー、今日は新学年の始めの日なのに、あなたの為に私は校長先生の世話になってしまった。」びっくりしたチャーリー・ブラウンは、「私の為?学校が違うからそんなことはないはずよ。どうして全てが私の為といつも言うの」と言い返しました。すると、ペパーミントは返事しました。「チャーリー、私たちは昔からの友人でしょう。友人だったら、あなたは私にもっと良い影響を与えるべきだったのよ。」

また、ある牧師が家の庭で犬小屋を建てる最中に近所の坊やがやって来てその作業をじっと見つめていました。長い間何も言わずに坊やはただ牧師の姿と犬小屋を面白そうに見学していました。自分の月曜大工(日本では日曜大工)としての腕前が良いと思った牧師は坊やが興味深いのは賛嘆と受け取り、このように話しかけました。「犬小屋の建て方を教えようか。君も自分の犬の為にきっと建てられるよ。」そうすると、坊やは言いました。「家には犬がいないから、犬小屋を作る必要はないよ。実は、牧師先生が親指をハンマーで打つと、どんな言葉が出て来るかと思って待っているだけなの。」

2005年10月02日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書