山上の説教 ウイリアム・モーア

◆山上の説教を始める(マタイによる福音書5章1-2)

1:イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2:そこで、イエスは口を開き、教えられた。

讃美歌501

【クリスチャン生活の中心と基盤】
当然な事ですけれども、主イエスの教えは我々キリスト者にとって生活の中心と基盤になります。毎日の生活にその教えを覚え、心から従う事によってこそ、私達は本当のキリスト者になります。ですから、私達は常にその教えを学んで、毎日具体的に実行する必要があります。そうしないと私達の信仰はただ形式的なものとなり、主イエスが約束した豊な命を経験出来ず、空しい状態になります。

この最も大事な事について主イエスはこのように語られました。「そこで、私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。私のこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(マタイ7:24~27)と主イエスが言われました。
神の御子イエス・キリストの御言葉、すなわち御自分の教えははっきりと聖書に残されています。ですから、それを学ぶ為、聖書を開く必要があります。しかし、聖書を何処から学べば良いのか分からなくなる時があります。聖書の中で色々なお話が載ってありますので、イエスの教えとなる良い出発点は何処なのでしょうか。

【山上の説教:キリスト教の憲法】

実は、主イエス・キリストの基本的な教えを覚えようとしたら、一つのところを勧めたいと思います。それはマタイによる福音書に於けるイエスの「山上の説教」と言われるお話です。マタイによる福音書5章、6章、7章にあるこの山上の説教は何処の個所よりも主イエスの一番大事なお話を纏めています。ですから、ある人は山上の説教を「キリスト教の憲法」と呼びました。このマタイによる福音書の5~7章だけをマスターしたら、主イエスの教えの一番重要な点を理解出来るようになります。そして、その教えに従って、毎日の生活に実行すると、主の約束通りに「岩の上に自分の家を建てる人」になります。どんな事が襲って来ても、しっかり立つ事が出来、神は豊に勝利と恵みを授けて下さいます。

毎週ではないんですが、これからの数カ月に渡って、少しづつ山上の説教を一緒に学びたいと思います。主イエスの基本的な教えを新たに覚え、その教えを生活に具体的に活用すると、私達の信仰がよりもっと元気なものになり、主から来る喜びと平安を豊に経験出来ます。しかも、私達はもっと忠実に主イエスに従う事によって、神の栄光をはっきりと現す事が出来ます。

【新しいシナイ山】
さて、山上の説教の背景を少し紹介します。主イエスは何処でこのお話をなさいましたか。今日の個所によりますと「山に登られ」て説教しました。だからこそ、山上の説教と言われるようになりました。しかし、実はその山の名前が聖書に記されていません。その時、イエスはガリラヤ地方で教えられましたので、ガリラヤ湖の周りにある一つの山だと思われます。この世を歩まれた間、主イエスは重要な事を教えた際、よく山に登りました。しかし、それはただ主が山歩きを特に好んでいた訳ではありません。ここではシンボルとして山は大事な意味がありました。つまり、山は神と一番近い所と思われました。旧約聖書のモーセと言う人物は十戒を父なる神から授けけられた際、何処へ行くように命じられましたか。それはシナイ山でした。全能の父なる神はその山の上に下りましたが、雲に包まれているので、誰もその姿を見る事が出来ませんでした。また、その時神の御臨在は雷鳴と稲妻と地震と伴いましたので、「民は皆、震えた」と記されています。(出エジプト記19:16)

【律法の完成者・イエス】
実は、主イエスはあのガリラヤ湖の側にある山に登ってお話をなさると、その山は新約時代の新しいシナイ山になりました。しかし、旧約のシナイ山と違って、新しいシナイ山の上に子なる神イエス・キリストを直接に見る事が出来ました。しかも、子なる神は人間になり、私達と共に暮して、深い愛を持って私達に福音を述べ伝えられました。ですから、私達はその新しいシナイ山から述べた神のお話に注目すべきです。「私が来たのは律法や預言者を廃止する為と思ってはならない。廃止する為ではなく、完成する為である」と主イエスは山上の説教で宣言されました。(5:17)これからの学びを通して、主イエスが私達の為にどのようにして旧約の律法を完成したかを発見したいと思います。

【イエスの権威】
今日の個所によりますと、主イエスが山に登ってから、「腰を下ろされると、弟子達が近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられ」ました。私達の現代の習慣と違って、イエスの時代、先生が教える時、いつも座りました。そして、会衆、つまり話を聞く方はずっと立って、先生のお話を聞きました。実は、先生が座る事によって自分の権威を示しました。ですから主イエスは座る事によって国王が王座から国を治めるように、判事が判事席から裁判するように権威があると言う印になりました。

イエスはいつも大事なお話があった時、わざわざ座りました。そして、主イエスの教えを聞いた人々はイエスの権威をすぐ認めました。主は人間を恐れず、神の真理を語って、また深い理解を持って人々の心を癒して下さいましたので、皆は主の権威がただちに分かりました。

実は、山上の説教について弟子マタイがこのように書き記しました。「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼等の律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」とマタイによる福音書7章28ー29節に記されています。やはり、神の独り子イエス・キリスは権威があります。何故なら、主イエスは初めに父なる神と共にありました。そして、万物は主によってなりました。しかも、主イエスは神の御言葉ロゴスとして私達に遣わされました。ですから、権威あるイエス・キリストが教えられる時、私達も良く聞いて従うべきです。


【山上の説教は誰に語られたか】
山上の説教の対象は誰でしたか。それはおもにイエスの弟子達向きと記されています。「弟子達が近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた」と書いてあります。弟子達はやがて福音を伝える責任を託せられるので、訓練と教育が必要でありました。しかし、大勢の一般の人々も山上の説教を聞きました。イエスは何処へ行っても群衆がどんどん出て来て、主の素晴らしいお話を聞いたり、病気の癒しを頂いたり、主に質問をしました。

そして、主は寂しい山に登っても群衆がイエスの後について来ました。イエスは権威ある預言者ですから、人々は喜んで主のいる所に集まりました。ですから、山上の説教の対象は弟子達に限られていませんでした。そこに集まって来た皆の人々でした。では集まって来た人々はどんな人でしたか。それはイエス・キリストの事が何も分からない人も、求道者も、信者になったばっかりの人も、またベテランの信徒もいて、山上の説教から恵みを沢山受けました。ですから、きっと、これからの学びは私達一人も残らず大きな実を結ぶ恵みとなる事を信じます。

【山上の説教の目的】
主イエスは何の目的を持って山上の説教をしましたか。説教の中に色々な教えがありますが、目的は一つです。それは、神の民として私達はどのように生きるべきかと言う事を教えます。つまり、山上の説教は神の豊な祝福を受ける道、また、私達が周りの皆から祝福される道を教えて下さいます。誰でもそのことが分かっていたら神の素晴らしい祝福を受けたいと思います。その祝福があると、人生の本当の意味と希望と喜びと生きる為の力が湧いてきます。そして、その祝福を受けると、誰でも、隣人でもその同じ祝福を受ける為に証人になりたいはずです。私達の山上の説教の学びを通して新に神の恵みの道を発見したいと思います。

【山上の説教から受ける恵み】
愛する皆さん、山上の説教の恵みを受ける為、大事な準備が必要です。初めに、主イエス・キリストの御言葉を聞く熱意がいります。主イエスのみが命の御言葉を教えます。その御言葉がないと、私達は飢えてしまいます。食べ物がなければ人は飢えるように、私達も主イエスの教えを欲しがるはずです。

【恵みを受ける準備】
第一の準備は自分の中にイエス・キリストの御言葉に対する熱意をもつ事です。
しかし、主イエスの教えを聞く熱意だけでは足りないです。山上の説教から恵みを受けるには、その御言葉に従う心も必要です。

御言葉がいくら素晴らしくでも、ただ聞くだけでは実を結ぶ事が出来ません。その教えを実行しなければなりません。ヤコブの手紙1章22にこの大事な事が記されています。「御言葉を行う人になりなさい。自分をあざむいて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」

もし主イエス・キリストの教えを聞く熱意があって、そして、またその教えに従う強い意志があれば、準備が整いました。どうかその準備が出来るように神の助けと導きがありますように。次の主の日に「霊的な革命」と言う題で私達の山上の説教の学びを始めたいと思います。ぜひ今週、その聖書の個所マタイによる福音書5章1ー12節を読んで、御言葉を通して神の大きな恵みを期待して下さい。そして、私たちの山上の説教の学びの上に神の導きがありますように祈って下さい。

2005年09月11日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 出エジプト記 , 新約聖書 , 旧約聖書

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