「死を覚え、よく生きる」淀川キリスト教病院伝道部長・田村英典牧師
聖書:詩編90編12:生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください」
今朝は「死を覚え、よく生きる」と題して、一時お話させて頂きます。
先程、お読みしました詩編90編12節に「生涯の日を正しく数える」とありますが、死で終る自分の人生の残りがどれ程かをしっかり心に留めるという事でしょう。作者はそのように自分を「教えて下さい」と神に祈るのです。ではそれは何の為でしょうか。
「知恵ある心を得る事が出来る」為だと言います。
「知恵ある心」とは、神の御前で自らの一生を真に意味あるもの、そして終には永遠の天の御国に入れる心と言えましょう。
特に人生最後の時、「辛い事も悲しい事も沢山あったが、生きてきて良かった。感謝です」と、神にも人にも自分にも言う事が出来、平安と感謝の内に天国に召して頂けるような心のあり方でしょう。
注目したいのは、自らの死を覚える事と、真に意義深い人生を送る知恵ある心を得る事が、密接不可分な関係にある事だということです。
死は良いものか
死を良いものとする考えも世の中にはあります。ギリシア哲学のような霊肉二元論では、死は肉体の牢獄から魂が解放される事で、良いものとされます。
しかし聖書のローマ人への手紙6章23節は「罪が支払う報酬は死」だと言い、死は神への人間の罪と不従順の結果臨んだ刑罰であると教えます。
死に対するイエス・キリストの福音
ウエストミンスター小教理問答19問によれば、死は人類が神に背いて堕落した結果、人類にもたらされた悲惨の中の最も際立ったものの一つだと言います。死はそれ自体、決して良いものなどではないが、聖書はこれで終ってはいません。ここに福音があります。
福音とは罪の全くない神の御子イエス・キリストの十字架の死と復活による贖いの御業の故に、死にも光が及んだこと、神を仰ぎ、イエス・キリストを救い主として心から信じ受け入れ寄り頼む者には、死はもはや永遠の滅びへの入口ではないのです。死もやがて滅ぼされる事が明白になったのです。信仰者は、御子イエス・キリストが再臨される世の終りには、御子に似た者に清められ、御子イエスと共に永遠の御国を受け継ぎ、死の力から全く解放され、新しい栄光の体に変えられ、復活の恵みに与るのです。
万事が益となる
それだけではありません。ローマ人への手紙8章28節は「神を愛する者達、つまり、ご計画に従って召された者達には、万事が益となるように共に働く」と言うのです。
主イエスを心から信じるだけで与えられる永遠の命を感謝して神を愛する者には、死さえも益となります。と言うことは死は私たちをもはや決して罪を犯す事のない世界へ移し、死は私たちを限りなく愛して下さっている主と顔と顔とを合わせてまみえる事を可能とするのです。
使徒パウロは言います。フィリピの信徒への手紙1章21節「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬ事は益なのです。」
しかもキリストの贖いの恵みの豊かさは、クリスチャンでない人にも、無論即救いに結びつく特別恩恵ではありませんが、決して価値の低くない一般恩恵が提供されているのです。
たとえば普段は随分いい加減な人であっても、親しい人の葬儀に出た時などは神妙で真面目になります。人の死を前にして、その人の真実な部分が呼び覚まされるのです。主の十字架の恵みは死にも及んでいるのです。
死を覚えることは、良く生きること
日本では死はタブー視されてきました。しかし上智大学で死の哲学や死生学を教え、一昨年ドイツへ帰られたA.デーケン教授は言います。「死をタブー化して意識から締め出そうとした事は、死と表裏一体である生への意欲まで減退させる結果を引き起しました。死のタブー化は、私達の人生に対する自由な考え方を束縛します。死について率直に話す事が出来ないと、真に人間的なコミュニケーションを深める事は出来ません。」そうだと思います。病院でわたしが感じることは、医学的には治療は無理という段階なのに、家族も患者も死について触れたり死の事に話が及ぶ事から逃げているような場合、回りの人と患者との間には、奇妙な空気が生じます。逆に互いに死を覚えられる時、会話はより真実なものとなります。この点、中世のヨーロッパの修道院で修道士たちが廊下などですれ違う時、互いにmemento(メメント) mori(モリ)(=死を覚えよ)と挨拶してきた事は興味深いことです。自分の死を覚える事で、逆にどう生きるかを良く考えさせる積極的な意味が生れます。中世のヨーロッパにはars moriendi(=死の芸術)という考えもありました。死とは生涯をかけて学ぶ芸術の一つという事だというのです。死から目を背けず直視し、自分の人生を創造的に歩もうとした人々がいたのです。
しかし時代の変遷と共に生活の便利さなどだけが追求され、死は日常の意識から追い出され、その結果、現代人の多くは却って刹那的に生き、生きる意味も目的も分らなくなってしまいました。
そういう中で近年、死の持つ意義が認識され出した事は、良い事だと思います。欧米では小学校から死の為の準備教育のされている所もあります。英国で実際に使われている子供向けの教材『Grandpa and Me(お爺ちゃんとわたし)』の一部を紹介します。
「親愛なる神様、お爺ちゃんの事で感謝します。どうぞ、お爺ちゃんをお世話して下さい。私たちが余り悲しまないように、あなたが天国を造って下さり、嬉しいです。神様は、神様を信じる全ての人の為に住いを持っておられる、とお婆ちゃんは言っています。親愛なる神様、あなたを信じます。」
デーケン教授の授業
自分の死を覚える事は本当にそれ程大切なのか。デーケン教授は授業で二つの演習をしました。一つは「あと半年の命しかなかったら、残された時間をどう過ごすか」というテーマで、授業中に小論文を書かせました。癌などの不治の病に冒され、医者からあと半年の命だと告げられた場合を想定し、落ち着いて良く考えてから書くように学生達に説明し、無記名で書いてもらいました。試験ではなく、生と死について深く考える為の演習です。
第二の演習は「別れの手紙」でした。自分が不治の病で間もなく死ななければならないという想定の下に、残される人に別れの手紙を書くというものです。宛先は誰でも構わないということで、第一の演習「あと半年の命しかなかったら」で学生はどんな事を書いたでしょうか。人生の最期の時間を使って、自分の生の意義を確認したいとの願望が殆ど皆に見られました。
ある女学生の文を一部紹介する。
「私の命があと半年しかないとしたら、一体その期間をどのように生きるだろうか。それはとても難しい問題である。しかし、この問題を考えるという事は、即私の人生全体の生き方を考える事にも繋がってくると思う。私は最後の力を振り絞って、この限られた半年という期間を人の為に捧げたいと考える。・・・(中略)・・・私にとって一番身近に実行出来る事は、人に喜びを与えるという事だろうと思う。・・・(中略)・・・人に喜びを与えて、その人が幸せを感じたと私が知った時、私はその人以上に幸福になる事が出来るだろう。」
デーケン氏は言われます。「ここには生と死を一体として捉え、どのような生き方に意味があるかを確実に見出している成熟した姿勢が感じられます。逆説的になりますが、生の意味は、自分の為だけに生きる事を止める時に発見できるようです。死を直視する歩みは、そのまま真に生きる道へと繋がっていくと考えられます。」
第二の演習「別れの手紙」ではどうでしょうか。第一の演習では、どちらかというと書き手の価値観が論理的に述べられるのですが、「別れの手紙」ではより感情的で心のこもったものが多かったそうです。面と向っては言いにくい事も、手紙だと書けますね。
ある女性のものはこうでした。「死にゆく私と話すなんて、多分ものすごく怖いでしょう。でも決して恐れずに、私の側に来て話して下さい。怖いのはあなたではなく、私なのだから。」
ある男性のものはこうです。「常に私の側にいて下さい。それは心の中の事です。いつも私の事を心の片隅に置いて下さい。」とても率直になっていますね。
また人への気遣いや感謝まで見られる手紙もあります。
恋人に宛てたある女性の手紙はこうです。「私に、こんなにも人を愛せる事を教えてくれたあなた。人間は決して独りではないという事を、身をもって私に教えてくれたあなた。・・・(中略)・・・どうか悲しまないで。私は最後まで、私らしく生きるつもりだから。今まで、本当にありがとう。」
デーケン氏は言います。「死を目前にした状況に自分を置いてみて、初めて今生きている生の貴さを本当に理解し、その深い意味を改めて考えさせるのではないでしょうか。それは現実に死が迫ってくる時の為の予行演習でありながら、そのまま現時点における生の再発見というべきものです。」
御巣鷹山の出来事
実際に死を前にした人はどうでしょうか。1985年8月12日、午後6時56分、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機123便が群馬県の御巣鷹山山頂付近に墜落し520名が亡くなられました。犠牲者の一人河口博次さんは、妻と3人の子供に宛ててあの極限状態で手紙を残していました。「マリコ、つよし、知代子、どうか仲良く頑張って下さい。ママを助けて下さい」という父親また夫としての言葉に始まる7頁の手紙です。事故の様子を記した後、「本当に今迄幸せな人生だったと感謝している」という妻に宛てた感謝と労わりの言葉で終っています。悲しい文面ですが、何と心打たれるものでしょう。
改革派教会全国青年会修養会で:デーケン教授にならって
去年の改革派教会全国青年会修養会の一つの分団で私は、「自分が不治の病で間もなく死ななければならない」という想定の下に、残される人に別れの手紙を書いてもらいました。
誰宛でも良いからと、良く考えさせ、無記名で書いてもらいました。私の分団に参加した19名の内、約半数が家族、特に親への手紙でした。ある女性のものを一部紹介しましょう。
「お父さん、お母さんへ。今日この日まで育ててくれて有難う。・・・(中略)・・・私の生きた年数を周りの人はどう言うかは知りませんが、人生は生きた長さじゃなくて、どう生きたかだと思っています。今迄お父さん、お母さんの子供として生きてきて幸せだった...。私の事で悲しまないで下さい。・・・(中略)・・・どうか二人ともいつまでも仲良く、労り合って生きて下さい。」
ある男性の手紙の一部はこうです。「精一杯生きてきたとは言い切れないけど、物足りないといつも感じてきたけど、でも実は充分に与えられていたのだと今思う。・・・(中略)・・・傷つけてしまった全ての人に謝りたい。御免なさい。本当は優しくも出来たはずやのにね。」
ある女性の手紙の一部はこうでした。
「私は今とても静かな平安な気持でいます。これは元気な時には想像出来なかった事です。どうぞ、私が辛いだろうと思う事に胸を痛めないで下さい。私は十分あなたに愛されました。感謝しています。もっと愛せば良かった、あぁもしたかった、こうもしたかったと悲しまないで下さい。私はあなたと過ごした日々に感謝しています。心からありがとう。あなたが神様と共に生き、天国で会える事を信じています。」
演習とはいえ、青年たちをどんなに真実な者にしている事かと実感します。私たちもこの大事な事を改めて深く心に刻み、大切な人生を、神の目にも、私達を愛してくれる人の目にも、また自分自身にとっても、真に意味のある生涯を生きる者でありたいと思います。最後にもう一度詩編90編12節をお読みして、今朝の説教を終らせていただきます。(おわり)文責・近藤春樹
2005年08月28日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇
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