「死を覚え、よく生きる」淀川キリスト教病院伝道部長・田村英典牧師
聖書:詩編90編12:生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください」
今朝は「死を覚え、よく生きる」と題して、一時お話させて頂きます。
先程、お読みしました詩編90編12節に「生涯の日を正しく数える」とありますが、死で終る自分の人生の残りがどれ程かをしっかり心に留めるという事でしょう。作者はそのように自分を「教えて下さい」と神に祈るのです。ではそれは何の為でしょうか。
「知恵ある心を得る事が出来る」為だと言います。
「知恵ある心」とは、神の御前で自らの一生を真に意味あるもの、そして終には永遠の天の御国に入れる心と言えましょう。
特に人生最後の時、「辛い事も悲しい事も沢山あったが、生きてきて良かった。感謝です」と、神にも人にも自分にも言う事が出来、平安と感謝の内に天国に召して頂けるような心のあり方でしょう。
注目したいのは、自らの死を覚える事と、真に意義深い人生を送る知恵ある心を得る事が、密接不可分な関係にある事だということです。
2005年08月28日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇
「生きることの意味」神戸改革派神学校校長・牧田吉和先生(要約・文責近藤)
聖 書:創世記第5章1-32節
はじめに
今日は、初めて皆様の西谷聖書集会にお招きを受け、説教奉仕を許されて心から感謝します。
今自分が一番考えさせらていることとは何かといいますと、"人生"、"生きること"についてです。私は、年令的に還暦を少し過ぎました。私の年令は、昔で言えば一通りの人生を終えたことを意味する年令になると思います。さらに、個人的なことになりますが、母親の死んだ年令(59歳)をわずかに超え、母親の死とも重ねあわせ、自分の死についても考えさせられ、「人生とは、生きるとは何か」という問いを最近深く考えさせられています。
長寿は生命の賛歌?
この聖書の個所を読んで、恐らく誰が読んでも第一に目に入るのは、ここに出てくる人たちの年齢の長さでしょう。天文学的数字です。「5:5 アダムは全部で930年生きた。こうして彼は死んだ。」、「5:8 セツの一生は912年であった。こうして彼は死んだ。」、「5:14 ケナンの一生は910年であった。こうして彼は死んだ。」 何百何十年という人生の長さに、多くの方々がこのような天文学的数字をどう理解したらよいか疑問に思われることでしょう。聖書の学問的研究では色々の考え方があります。しかし、聖書の語ろうとすることを読み取る上では、素朴に個人の歴史が記されていると理解して読むときに、語ろうとすることを的確に読み取ることができます。