神と津波 ウイリアム・モーア宣教師

2004年12月19日ウイリアム・モーア宣教師 


詩編34編
2:どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
3:わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
4:わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
5:わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
6:主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。
7:この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。
8:主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。
9:味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
10:主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
11:若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。

【巨大津波】
一人残らず、私達はこの間の恐ろしい津波の事でぞっとさせられたと思います。このところ毎日、テレビを通してその生々しい現場が見られ、私達の想像を超えた津波の破壊的力に驚くばかりです。現場から遠く離れていても、被害統計を聞くと、津波がもたらした災害の範囲が分かってきます。死者は15万人以上、家族のメンバーを無くした者と怪我人は数十万人、住む家を失った人は5百万人、職場を無くした人は数百万人、そして飢えている人は2百万人程です。国連によりますと、今回の自然災害の被害の程度は60年ぶりだそうです。津波の為の精神的と肉体的の苦しみはきっと私達の想像を超えるものです。

【神は何故】
その災害がもたらしたひどい悪に対して、多くの人はこのような質問を聞いています。もしこの世と宇宙を創造された神が愛する全知全能の完璧な神であるなら、いったいどうして津波のような大きな災害を許すのでしょうか。本当に力があるなら、善い神は御自分の被造物をそのような非常な災いから守るべきではないでしょうか。
ある人は神を弁護するかのように、こう語ります。「神には力があるんですが、津波までは足りてないのです。神は実際に全ての悪をこの世から除去したいけれども、地震や津波のような自然災害の場合は神の手におえません。」
その反対に、ある人は神の全能を認めますが、神の善と愛を疑います。すなわち、「主は実際に天地万物を治める力がありますが、ただ巨大な宇宙の中にいる小さい私達までは忘れているのです。」あるいは、「神は私達を見るのですが、哀れみをあんまり感じてません。」

【聖書の答え】
このように私達は自分で考えられる範囲の中で色々な解釈をしています。いったい神は何故このような事が起こるままに放置されたのでしょうか。 しかし、私たちは聖書全体を通して人間に対する神の善と哀れみがよく分かります。例えば、今日の朗読、詩編第34編は神の善良にたする賛美です。9節を見ますとこの御言葉があります。

「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いな事か、御元に身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠ける事がない。若獅子(じし)は獲物(えもの)がなくて飢えても、主に求める人には良い物の欠ける事がない。」

そして、また119編には、「あなたは善なる方、全てを善とする方。あなたの掟を教えて下さい」があります。(68節)
更に、イエス・キリストはこのように言われました。「神おひとりのほかに、善い者は誰もいない。」

【神の愛】
実は、主イエスの十字架の贖い死を通して私達への神の愛がはっきりと分かって来ます。ローマの信徒への手紙に記された通りに、「私達がまだ罪人であった時、キリストが私達の為に死んで下さった事により、神は私達に対する愛を示されました。」(5:8) ですから、聖書の証によりますと、私達の為の神の愛と哀れみは無欠であり、失敗が全くありません。

【神の力】
神の力も同様です。主は天地万物を無からお造りになられる力を持ったお方です。この世だけではなく、宇宙の中、数え切れない程の星と惑星も御自分の言葉で創造されました。

イザヤ書では、「お前達は私を誰に似せ、誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方それぞれの名を呼ばれる方の力の強さ、激しい勢(いきお)いから逃れうるものはない。」(40章25~26) 

神がこのように万物を造る創造的能力があれば、御自分の力は決して限られていません。更に、私たち御自身の被造物は決して神に忘れられていません。イエス・キリスト御自身はこのように言われました。

「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちる事はない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、沢山の雀よりも遥かにまさっている。」(マタイ10:29~31) 

間違いなく、神は全ての事を御存じです。主イエスが言われた通り、神は本人よりもその人の事を良く知っておられます。

【見よ、それは極めて良かった】
それでは、力ある、愛と憐れみである神はいったいどうして御自分の被造物を津波のような大変な自然災害から守らないのでしょうか。出来る事なら、愛である神は憐れんで、人を救うはずではありませんか。この質問に答えるには天地創造の時に戻らなければなりません。創世記に記されていますが、神が天地万物を創造されてから、お造りになった全ての物を御覧になって、「見よ、それは極めて良かった」と宣言されました。ここでの「極めて良かった」と言う元々のヘブライ語の意味は「完全と完璧」になります。つまり、その当時は病気や死や自然災害などの悪が全然なかったのです。人間は完全な幸福の状態でエデンの園に住み、神との直接な交わりを楽しみました。

【人間の堕落、自然界の呪い】
しかし、その恵まれた状態は長く続きませんでした。悪魔に誘惑され、人間は神から下さった自由を悪く使ってしまいました。主の大事な命令に逆らって罪を犯しました。その結果は神との関係が壊され、悪がこの世に入ってしまったのです。そして、その悪はただ人間と神、また人間と人間の間を悪化させただけではなく、自然界にも悪い影響をもたらした訳です。アダムとエバが罪を犯してから、主はアダムにこのように言われました。

「お前は女の声に従い、取って食べるな、と命じた木から食べた。お前の故に、土は呪われる物となった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土はイバラとアザミを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返る時まで。お前がそこから取られた土に。チリにすぎないお前はチリに返る。」(創世記3:17~19) 

私達の先祖の罪の故に土は呪われる物になりました。つまり、以前には害のない自然界に地震や台風や津波などの恐ろしい現象が起こるようになりました。創造の時、そう言う現象は神の御旨ではありませんでしたが、人間が主の道を拒否したので、全ての造られた物がその悪の影響でアンバランスになって、今回の津波のような災害が起こります。

【イエス・キリストによる回復の道】
人間の罪の結果で悪がこの世に入り、その悪が私達だけではなく、自然界までに感染してしまったのです。皆さん、もしそれまでだったら、人類は本当に希望のない、救いのない、惨じめな状態ばっかりですね。しかし、私たち人間の罪とその悲劇的な結果は決してストーリの結論ではありません。憐れみ深い愛である力の神は私達の状態を見て、悪の結果を逆転させるようにすぐに努め始めました。全人類を祝福する為にイスラエルの民族に御自分の哀れみと掟を現し、預言者を通して御旨が伝えられました。そして、時が満ちると、神は御自分の御子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。そして、罪の全くないイエスは私たちと共に歩んで御自分の生涯を通し神の完全な愛を啓示されました。更に、その愛の最高の現れとして十字架で私達の罪を贖って下さいました。罪の許しを受けた私たちは神との良い関係が回復され、御神の子供になって、永遠に死後にも神と共に生きられます。ですから、信仰によってこの救いを受け入れる者は罪の結果の逆転を今、経験出来ます。そして、将来イエス・キリストが神の全ての栄光をもって再び来られると、私たちは悪と罪の完全な征服を見ます。その時、神の被造物は完璧に修復され、自然界も回復され、祝福だけがあります。

ヨハネの黙示録にその神によって回復された世の様子が述べられています。

「私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫の為に着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。その時、私は玉座(ぎょくざ)から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼等の目の涙をこどごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。』」(黙示録21章1~4、)


【神は悪を善に】
大きな希望を持って私たちはその素晴らしい日を待ち望む事が出来ます。間違いなく、神はいつか全ての悪をこの世から取り除いて下さいます。しかし、その日を待っている私たちですが、今私達は一つの大事な事を忘れてはいけません。それは神は今、悪から善をもたらしていると言う事です。例えば、人間が悪を行ってイエス・キリストを十字架で殺しましたが、私達の為に神はその悪を持って一番良い結果を生じて下さいました。
同じように神は今回の津波の悪から善をもたらしています。ニュースを見るとその犠牲者はお互いに慰め合い、助け合っています。貧しい人であっても、両親を無くした子供の世話をしている者がいます。以前には自分の知恵と力に頼って来た人が神に信じ頼るようになりました。そして、世の全ての人々は津波の犠牲者の救済の為に協力して、一つになりました。苦しんでいる者を憐れんで献金している人が大勢です。わたしの家族でも先週娘セーラは関西国際学校学生会と言う団体から三宮に行って募金をしました。また、色んな国は犠牲者の救済の為、軍を被災地に送っています。敵を殺すの代わりに軍隊は人の命を救う為に努めています。本当に神は悪を善に変えておられます。
家内の妹の主人は海兵隊の将校で沖縄に勤めています。去る金曜日にニヶ月間スリランカに津波の犠牲者の救済の為に派遣されました。武器の代わりに、薬と食べ物を持って行きました。日本の自衛隊も救済活動に積極的に参加しています。これはただ一つの例ですが、軍の力がこのように使われると、確かに、神は津波の悪を善に変えておられます。

2005年01月09日 | カテゴリー: イザヤ書 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

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