2004年7月

神への愛・人への愛―キリストの十字架に見るその極致― 市川康則神戸改革派神学校教授

2004年7月11日市川康則神戸改革派神学校教授


ルカ福音書23章 
32:ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 33:「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 34:〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 35:民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 36:兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37:言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」 38:イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 39:十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 40:すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 41:我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 42:そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 43:するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。44:既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 45:太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。 46:イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 こう言って息を引き取られた。 47:百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」 と言って、神を賛美した。 48:見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。 49:イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

【はじめに―キリストの忍耐】
キリストの十字架物語は、復活物語と一つになって、新約聖書、否、全聖書の中心的な出来事とその教えを成しています(Ⅰコリント15:3‐4)。今朝はルカ福音書23:32‐49に記されるキリストの十字架の苦難の特徴に注目して、極限状態の中でのキリストの忍耐とそこに示される愛―真実、最高の愛―を見たいと願っています。
 人が忍耐することのできる条件、状況は二つです。一つは、そうすることが自分にとって利益があるとき、そうすることが得策であるときです。このときは、とにかく我慢します。しかし、もう益がないと思えば、さっさとあきらめたり、忍耐を捨てます。

もう一つは、相手を真に愛するときです。相手を喜ばせよう、喜ばれたいという思いから、どんな困難をも厭わない、忍耐が苦痛でなくなります。竹取物語で、かぐや姫の無理難題を引き受けようとした5人の貴公子の苦労は、その見本でしょう。このような愛ゆえの忍耐の極致が殉教です。殉教とは、人に対する愛であれ、思想に対する愛であれ、そのために命を犠牲にすることです。

2004年07月11日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書