2004年3月

【あなたはイエス様が見えますか】伊丹教会長老城下忠司

2004年3月14日 伊丹教会長老城下忠司

【聖書】ヨハネによる福音書9章1~12,35~41
◆生まれつきの盲人をいやす
1:さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけ
られた。
2:弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見え
ないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
3:イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
4:わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。
5:わたしは、世にいる間、世の光である。」
6:こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
7:そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
8:近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。
9:「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。
10:そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と
言うと、
11:彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
12:人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」 と言った。
◆ファリサイ派の人々の罪
35:イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
36:彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」
37:イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」
38:彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、
39:イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。 こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
40:イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。
41:イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」



【あなたはイエス様が見えますか】
 皆さんおはようございます.伊丹教会の城下と申します。
今日は初めて、皆さんの前でお話させていただきます.初めてのお方もいらっしゃいますが、よろしくお願いいたします.
 読んでいただいたこの物語は、一言で申しますと、イエス様に目を見えるようにして頂いた盲人がイエスさまを信じるようになったというお話です。

2004年03月14日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

【新しい教会へのメッセージ】グラハム・スミス 

2004年3月7日グラハム・スミス氏

【聖書】1テサロニケ1:1ー10
◆挨拶
1:パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
◆主に倣う者
2:わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
3:あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐しているこ とを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
4:神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。
5:わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけに よらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
6:そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
7:マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
8:主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
9:彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
10:更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。

【話しかけてくださる神様】(聖書の大切さ)
西谷集会に招かれていることを心から感謝を申し上げます。ひさしぶりという感じがしています。ここで、このように、毎週、礼拝のために集まることはすばらしい事です。今日、この交わりの喜びに預かることを感謝しています。今日の聖書箇所を見る前に、一つの問いをかけたいのです。どうして、礼拝の中心は聖書の話しですか。不思議と思いませんか。今日学ぶ箇所は2000年ほど前のギリシャの町の話しです。歴史の研究会なら納得できますが、どうしてクリスチャンたちは古い本からメッセージを聴くでしょうか。答えには二つのことが言えます。まず、その聖書は神様、すべてをお造りになった、すべてを支配しておられる、いのちを与える、生きる道を示す神様からのメッセージだからです。そして、もう一つの答えは、すべての聖書箇所には現代にあてはまるところがあるからです。特に、今日の箇所はテサロニケの教会への手紙ですが、ちょっと調べると、その教会とここに集まっている西谷集会の事情が良く似ているということが分かります。あとで説明しますが、共通点が多いです。このことを考えると、この手紙は古くて、別な地域の話しにも関わらず、今日の私たちに神様からのメッセージとして、受け取る事が出来ます。必要とされているのは、このメッセージを聴こうとする姿勢です。もう一度、神様が語って下さるメッセージを聴くことができるように祈りましょう。

2004年03月07日 | カテゴリー: テサロニケの信徒への手紙一 , 新約聖書