2003年12月

【子供のように神の国を受け入れる人】ウイリアム・モーア

◆子供を祝福する、ルカによる福音書18:15~17 15:イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。 弟子たちは、これを見て叱った。 16:しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 17:はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」

2003年12月28日ウイリアム・モーア先生

弟子たちは叱った  

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ある日、多くの人々がイエスの教えを聞く為に町を出て郊外に集まって来ました。有名になったイエスのもとには、どこへ行っても大勢の人が集まって来ました。主の教えは全ての点で他の先生(ラビ)とは違いました。イエスは権威ある者のように教えられましたからです。神様の事を力強く人々に直接述べ伝え、素晴らしい奇跡的印(しるし)も行いました。また、病気を治す力がありましたので、病気の人々は次から次えとやって来て癒してくれるように切に願いました。ある病人はただイエスの着物に触れただけで元気になりました。
休む暇、食事を取る暇もない程、イエスは毎日大忙しでした。どうしても、神の御言葉を求める人や病気の人を断る事が出来ませんでした。毎日、毎日、人の悩みや質問を聞いて、分かりやすく答えられました。イエスのお話を聞くとそれは神からの御言葉だと皆が悟りました。

2003年12月28日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

クリスマス・メッセージ ウイリアム・モーア 待降節第4週

◆イエス・キリストの誕生 18:イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 19:夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 20:このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 21:マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 22:このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 23:「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 24:ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 25:男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

2003年12月21日ウイリアム・モーア先生

【私のクリスマス・プレゼントは何?】

私の子供の頃、クリスマスが近くになると、両親はいつも私達三人の兄弟に一つの素晴らしい質問を問い掛けました。普段には両親からの質問は「宿題が済んだの?歯を磨いた?帰りは何故遅くなったのか?」などのようなあんまり歓迎されるものではないけれども、クリスマスの頃の質問は私達兄弟三人が一年中楽しみに待っていたのです。

2003年12月21日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

【洗礼の意味】ウイリアム・モーア 待降節第3週

◆弟子たちを派遣する マタイによる福音書28章16~20節 16:さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 17:そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 18:イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 19:だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 20:あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 

洗礼の意味

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       合衆国長老教会宣教師ウイリアム・モーア


昔のアメリカでは多くの田舎の教会は洗礼式を川で行ないました。そして、ある日、一人の男の人はちょっと飲み過ぎて、散歩しながら、洗礼式を行なう教会の群れに巡り会いました。彼はあんまり深く考えないで、その式を近くで見る為に川の水に入って、牧師の側に立ちました。

2003年12月14日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書

【イエス・キリストによる神のみ言葉(預言)の実現】ウイリアム・モーア 待降節第2週

ウイリアム・モーア先生

ルカによる福音書4章16:イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
17:預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18:「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、
/捕らわれている人に解放を、
/目の見えない人に視力の回復を告げ、
/圧迫されている人を自由にし、
19:主の恵みの年を告げるためである。」
20:イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
21:そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。



(旧約聖書)イザヤ書61章1~3
◆貧しい者への福音
1:主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
2:主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め 3:シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。

2003年12月07日 | カテゴリー: イザヤ書 , ルカによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書