11月22日説教原稿

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11月22日説教原稿

家庭礼拝のための説教原稿です。今回は子ども向け説教です

律法学者
今日の聖書では、イエス様が、たくさんの人たちと、これはどう思うのか、あれはどうなのか、と議論をしているのを見ていた人が、出てきます。律法学者だと書いてあります。この人は、聖書全体について、この時代の聖書は今の旧約聖書ですけれども、その研究をしていた人です。そしてこの律法学者は、ただ、ぼんやりとイエス様の話を聞いていたのではありません。この先生はひょっとしてとても素晴らしい人なのでは、と思いながら聞いていたようです。聖書には「イエスが立派にお答えになるのを見て」とあります。これは、とってもよい答えだ、納得できる、というようにして、食い入るように話を聞いて、ああ、よい先生だな、この人と自分も話してみたい、自分が考えていることを聞いて確かめてみたい、そう思って質問をした、というところから始まっています。

掟とは?
その質問は、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」でした。この場合の「掟」は、聖書に書かれた律法と、恐らくはユダヤ教の言い伝えも含んでいるようです。ある本によると、600以上の決まりごとがあったようです。その中で何が一番大切なのか、という質問です。そして、この律法学者は、答えを知っていたのです。イエス様が、律法の言葉を使って、神様を愛すること、そして、隣人を自分自身のように愛することだ、とこの後の所で答えています。それを聞いた律法学者は、「先生、おっしゃる通りです」と言って、自分でも、イエス様の言葉をちょっと変えた言い方で、同じような答えを続けています。今日の聖書では32節の所ですね。ただ、そこで、一つだけイエス様も言わなかったことについて触れています。それは、33節の後半です。「隣人を自分自身のように愛するということは、どんな焼き尽くすささげものや、いけにえよりも優れています」と書いてあります。実は、焼き尽くすささげものというのは、出エジプト記やレビ記と言ったところの礼拝について書いてある箇所にたくさん出てきます。神様に感謝を表したり、神様にごめんなさい、と謝ったりするときに、動物などをささげる、という事をするようにという決まりです。でも、それよりも大切なことがあるというのです。

使い方次第
そこで、律法について少し考えてみます。律法そのものは、神様と仲良く生きていくための決まりですから、それ自体は悪いものではありません。ただ、律法、掟にはちょっと困ったところがあります。聖書の律法にしても、国の法律にしても、学校の決まりごとである校則というものも、基本的には、みんなが安心して生きてけるように、という事を目指して作られています。でも、どのような決まりも、それを使う人次第では、安心よりも、人を悲しくするような使われ方になってしまう事があります。これはもう古い古い話ですけれども、先生が小学校一年生のころのことです。そのころ、掃除の時間は、言葉を話さないで、一所懸命掃除をしましょう、という事になっていました。それ自体は、特に悪い決まりではないと思います。ところが、クラスの中に、ちょっと意地悪な子がいて、まじめに掃除をしている人をからかうのですね。そうすると、からかわれた子は、ムッとして思わず何か言ってしまいます。すると、意地悪な子は、「あー、しゃべった、先生に言いつけてやる」といって、もっとからかう、というようなことがあったことを覚えています。このように、あまりよくない心で、ルールを使うと、どんなにいいルールでも、悪いルールになってしまいます。律法も同じです。聖書の律法も、悪い思いでつかうと悪いものになってしまいます。

中心は愛-三つの大切なもの
そうすると、問題は、どんな心でルールを使うか、という事になります。そこで、今日の聖書では、イエス様も、律法学者も、同じことを言っていると先ほど確かめましたけれども、一番大切なものは、「愛だ」と言っています。それは、神様と人への愛です。でもそれだけではありません。ここでは、その前に一つとても大切なことが言われていました。それは、神様が唯一だ、という言葉です。日本には、いろいろな神様がありますね。それから、僕たち、私たちが、いいなーと思うものも、世の中にたくさんあるかもしれません。でも、生きていくうえで、一番気にしているべきなのは、神様なんだ、というのです。この所では、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と書いてあります。なぜでしょうか。実は、これは神様がどのような方なのかということから出ている言葉です。

愛とは憐れみ
旧約聖書の出エジプト記にこんな言葉があります。「22:25 もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。22:26 なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである」。これはこういう時にはこうしなさい、という教えの言葉です。お金に困った人がいて、この服を差し出すから、少しお金を貸してくれないか、と頼まれた場合のことです。お金を貸した人は、そのような人に意地悪をしてはいけない、という決まりです。でも、今日一緒に考えたいのは、その理由です。神様が、ご自身のことを「私は憐れみ深い」と言われています。この憐れみ深い、という言葉は、「いつも気にしている」、「負い目を持っている」、「責任を感じている」という意味です。神様は、一人ひとりについていつも気にしている、心配している、大丈夫かなと思っている、というのです。実はこれが愛です。神様は、私たちを愛する方だ、というのはその意味です。そして、神様がそのような方だから、同じように私たちも神様を、いつも気にしていよう、ということが「神様を愛する」ということです。それが、唯一の神様を全力で愛する、という意味です。それから、もう一つ大切なことがあります。神様は、憐れみ深く、人を見守っているのでした。

三つの大切
そして、神様が見守っているのは、ここにいるみんなです。その場合には、当然、この私、自分自身も同じことですね。そのように、神様が大切にしているお互いを、そして自分自身を大切にするというのが、隣人を自分自身のように愛するということです。まとめると僕たち、私たちが生きていくうえで、大切なことは、神様と、側にいる人たちと、自分自身を愛する、という事です。それは、もっと具体的に言うと、神様と、側にいる人たちと、自分が、何を考えているのか、何を言っているのか、いつも気にするようにする、という事です。神様のことは聖書に書いてあります。説教を聞いてもわかります。側にいる人の気持ちはよく話を聞くことで分かります。そして、自分の気持ちは、自分でよく考えることで分かります。そのようにして、神様と隣人と、自分を一番大切にしていくことが、最も神様が喜ぶことで、自分も幸せになる生き方です。

祈り
神様、あなたはいつでも私たちを憐れみ、愛してくださっていますから感謝します。あなたがわたしたちを愛してくださったように、私たちも、あなたを愛し、ご栄光をほめたたえ、また、お互いを愛するものとならせてください。私たちがそれぞれに、あなたから違った賜物を与えられておりますことも感謝します。私たちが、お互いの言葉を丁寧に聞いて、よく分かり合う事ができるようにしてください。そのようにしてわたしたちの教会がますますあなたの体らしい教会となれますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

毎週日曜は礼拝の日

新座式志木教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週火曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
午前10時30分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕拝
午前16時30分~17時30分
日曜の午後に開かれます。こちら必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会祷会
毎週火曜日 19時00分から20時00分
毎週火曜日の夜に開かれるお祈りのため集会です。聖書を学び、皆と共に祈りを捧げます。お仕事などの都合で日曜日に教会に来られない方は是非どうぞ。

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