2026年07月05日「パウロ 皇帝に上訴する」

日本キリスト改革派 熊本教会のホームページへ戻る

聖書の言葉

使徒言行録 25章1節~12節

メッセージ

2026年7月5日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録25章1節~12節「パウロ、ローマ皇帝に上訴する」

1.

 お集まりの方々お一人お一人の上に、主イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主の名によって祈ります。アーメン。

初代教会の目覚ましい成長にはいろいろな要因がありますが、その一つにローマ帝国という広域国家の存在があります。

 発達した道路網とコイネーギリシャ語という共通の言語によって、人々はローマ帝国の中では、自由に行き来することが出来ました。初代教会の指導者であり、大伝道者の使徒パウロが三度の伝道旅行によって各地に教会を建設することが出来たのも、このような外的な条件、そして当時のローマ帝国の平和と安定によるところが大きかったのです。ローマ帝国はキリスト教会を激しく迫害したときもありましたが、しかしその存在によって教会が助けられたという点もあったのです。

すべての道はローマに通ずると言う言葉があります。ローマ帝国の中心は都ローマです。そこには皇帝が住んでおり政治的にも経済的にも繁栄を極めていました。今朝の、御言葉の最後のところになりますが、ユダヤに駐在するローマ総督フェストゥスが、使徒パウロにこう命じています。12節の後半です。「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」。

「出頭するように」と訳されている言葉は、実は「行く」という言葉の二人称の未来形です。新改訳聖書は、「お前はカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる」と訳しています。「行くことになる」。しかしここでは、身分の高いローマ総督が、ある人間に、二人称未来形で語っていますので、実質的には命令形です。カトリックのフランシスコ会訳では、こう訳します。「お前は皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに行け」つまりパウロに対してローマへ行けと言っております。この瞬間、使徒パウロが願っていたローマ伝道への道が、パウロ自身も予想していなかった仕方で、しかも決定的なかたちで開かれたのです。

2、

使徒パウロのローマ伝道のビジョンが初めて出てくるのは、使徒言行録19章です。このときパウロが第三次伝道旅行の途中、アジア州の都エフェソに滞在して伝道していました。パウロは、このときエルサレム行きを決心するのですが、同時にローマ行きのビジョンも与えられています。使徒言行録19章21節に、こう書かれています。パウロの言葉です。「わたしはエルサレムに行ったあと、ローマも見なくてはならない」。

このあとパウロは、エフェソからギリシャに渡って、コリントに三か月滞在しました。そのころに、ローマの信徒への手紙を執筆したと考えられます。そしてこの時書かれたと思われるローマの信徒への手紙1章にはパウロのローマ訪問への熱い思いが記されています。

ローマの信徒への手紙1章9節後半から10節をお読みします。「わたしは祈る時には、いつもあなた方のことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなた方のところに行ける機会があるように願っています」

ローマ帝国第一の都市、都であるローマにすでに教会が立てられています。パウロは、異邦人の使徒として主イエス様から召し出されて、これまで地中海各地を巡回してきたのですが、一度はローマに行きたい、行かなければならないと思っていたのです。しかし、その前にしなければならないことがあったのです。アジア州、アカイア州、マケドニア州の諸教会からの献金をエルサレムに届けることです。こうしてパウロはエルサレムを訪れ、エルサレム教会との交わりを果たした後に、ユダヤ人たちに捕らえられたのです。この時、パウロを保護したのがローマ軍の千人隊長クラウディウス・リシアでした。彼はローマ市民権を持つパウロを親切に扱い、怒り狂うユダヤ人たちから守りました。ローマ軍の兵営で過ごしているパウロの傍らに、その夜、復活の主イエス様が立たれました。そしてこう語って下さたのです。「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」

こうして、当初はパウロの人間的な願いと思われたローマ訪問は、実は主イエス様のご計画、御心であったことがはっきりしたのでした。けれども、この時のパウロにとって、ローマへ行くと言うことは、まことに困難なことでした。パウロは囚人であり、エルサレムのユダヤ人たちから憎まれており命を狙われています。そんな状況で一体どうやって、ローマまで伝道旅行をすることができるでしょうか。しかしパウロが心に留めていたのは、カイザリアに護送される前夜に主イエス様が告げた言葉です。23章1節「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたようにローマでも証しをしなければならない。」

3、

 今朝のみ言葉は、使徒言行録25章の初めの部分ですが、その前の24章の最後の個所からは2年の歳月が経っています。総督フェリクスは、パウロを二年間監禁したままの状態で本国に召還されました。そして後任の総督としてポルキウス・フェストゥスが赴任してきました。

 ローマの属州ユダヤにローマ総督として着任した新任総督は、まず、総督官邸のあるカイザリアに入ります。フェストゥスは、迅速に行動します。着任三日目にユダヤの都エルサレムにのぼってユダヤの最高法院のメンバーと会談します。互いに自己紹介し、ユダヤ総督として国民の要望を聞き、急ぎの課題について話し合いました。その中で、エルサレム最高法院の側からパウロのことが持ち出されました。

あの事件からすでに二年もたっていたのですが、ユダヤ人たちのパウロに対する憎しみは依然として消えていません。それどころか、かつては最高法院とは別に結成された暗殺団がパウロ殺害を企てていたのですが、今は、最高法院自体がパウロ暗殺計画を持っているようです。祭司長やユダヤ人の議員たちは、パウロをエルサレムに送り返してほしいとフェストゥスに頼みました。エルサレムへの移送中に殺害してしまおうというのです。

 フェストゥスは、前任のフェリクスから暗殺計画のことについて引継ぎをうけていたのかどうかはっきりしません。しかしフェストゥスこれを拒絶して、今、パウロはカイザリアにいるので、そこでもう一度裁判を再開すればよい。そしてフェストゥス自身がカイザリアに帰って行く時に、最高法院の主だった人たちも一緒に同行してはどうかと提案しました。

 フェストゥスは八日間ないし十日間、エルサレムに滞在してカイザリアに帰りました。おそらく、フェストゥスが提案した通りに、最高法院の代表も一緒に行き、直ちにパウロの裁判が開かれたのでしょう。

 二年前の裁判のときに、ユダヤ人たちはパウロの犯罪を、証拠立てることが出来なかったのですが、当然ながら今回も同様でありました。

 8節にパウロの弁明の内容がまとめられています。パウロは、3つの点で無実を主張しています。自分はユダヤ人の律法に違反していない、神殿を汚してもいない、そして、ローマ総督にとってはこのことがもっとも大事なことですが、ローマ皇帝に対する罪も何ら犯していないと主張しています。

 実は、16世紀の有名な宗教改革者であるカルヴァンが指摘していることですが、この時パウロは重大な危険にさらされていたのです。

 そもそもローマからユダヤに派遣される総督の務めは、ユダヤの治安の確保、そして税金の取り立て、そしてユダヤ人から良い評判を得ることでありました。そのためには、ユダヤの指導者である最高法院との関係をうまく維持することが大切なことでした。たとえローマの法律的に照らしては間違ったことであっても、ここで大祭司たちの求めるとおりにパウロを引き渡せば、ユダヤ人の好意を獲得することが出来るのです。

 しかし、フェストゥスは、そうはしませんでした。そういっても、直ちに拒否するのではなくワンクッションおいて結論を出すことにしました。つまり、パウロ自身にそのことを問うたのです。

総督はパウロに問います。「お前はエルサレムに上って、そこでこれらのことについて裁判を受けたいと思うか」。この時のフェストゥスの気持ちを表現して、9節に「ユダヤ人に気に入られようとして」と記されています。ほかの翻訳では「ユダヤ人の機嫌を取ろうとして」とも訳されています。もとの言葉は、直訳すれば「ユダヤ人に恵みを施そうとして」と言う言葉です。ユダヤの国を司る総督、政治家として最高法院の顔を立てながら、パウロを引き渡さない結論を出そうとしているのです。

 もちろんパウロの答えは決まっています。「わたしは無罪なので、誰も私をユダヤ人に引き渡すことはできません」。言い換えれば、たとえローマ総督であるあなたでも、それはできないことです、こう言っています。

 今朝のみ言葉の中で、総督フェストゥスが、パウロに質問をする動機として、「ユダヤ人に気に入られようとして」と書かれているので、人に気に入られようとする総督と、あくまで神に従おうとするパウロとの対比が表現されているようにみえます。そのような説教も聞いたことがあります。しかし、実際のところ、総督フェストゥスは、すでに心を決めており、パウロにエルサレム行きを問うたのは、ユダヤ人たちに自分から答えたくなかった政治的な知恵であったと思います。最終的にフェストゥスはユダヤ人の要望を明確に拒否しており、パウロにローマ行きを命じているのですから、それは当たらないのではないかと思われます。

 むしろここであらわにされていることは、前任の総督フェリクスに比べて、新しい総督はとても有能であるということです。二年間もたなざらしになっていたパウロの問題を解決するために彼は努力しました。それもなんとかユダヤ人たちの反感を少なくしながら、ローマ市民であるパウロの権利を守るという政治的なセンスも感じられるのです。前任者とは違って、パウロからわいろを取ろうなどと言う企みも全くありません。

 けれども、ここでもやはりパウロの立ち居振る舞いは際立っています。

「自分は、ここでローマ市民としての権利によってローマ皇帝を最終責任者とする法廷に立っている」とはっきりと主張します。エルサレムで行われるユダヤ人の裁判を受ける必要はないのです。もしも、ユダヤ人の法に背くことをしているならば出廷しなければならないし、死刑がふさわしいなら死刑も受ける、しかし、すべてについてそのようなことはない。ここで決着がつかないなら、わたしは皇帝に上訴します。こう言っております。

 私たちキリスト者は、この世の国を越えた神の御国に生きています。しかし、だからと言って、この世の国の法律や秩序を無視してよいというわけではなりません。悪いことをしたのならば、この世の法廷で裁きを受けることが求められるのです。

パウロは、ローマの信徒への手紙13章で神に由来しない権威はなく、人は上に立つ権威に従うべきであると書いています。「今ある権威は、すべて神によって立てられたものだからです」ローマの信徒への手紙13章1節のみ言葉です。また次のようにも書かれています。「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕えるものなのです」ローマの信徒へ手紙13章4節のみ言葉です。

4、

 さて、パウロはこのカイザリアで決着のつかなかった、ユダヤ人からの訴えをローマまで持ってゆき、ローマ皇帝の前での裁判を受けることを心から望んでいたのでしょうか。この時のローマ皇帝はネロと言う評判の悪い皇帝でしたので、それこそ、ユダヤ人の機嫌を取るために、パウロを有罪にする可能性も大いにありました。あるいは、ローマの側から見るとユダヤ人の訴えは、ローマの法廷に適さない問題として却下されることも考えられました。総督フェストスや、ユダヤの王アグリッパ二世が次の26章32節で発言しているように、パウロは、ここで釈放されるべきであったのです。

 しかし、パウロが皇帝への上訴権を行使したのは、かねてからの願いであったローマに行くため、それも無事にローマにたどり着くためであったとしか考えられません。現在のパウロの立場は、刑罰の定まっていない裁判中の者、未決囚です。しかし今や、パウロはユダヤ人たちのお尋ね者です。その中で、ローマ皇帝の裁判に臨むためにローマに護送されて行くという形であれば、パウロの身の安全は保障されるのです。

 パウロが、エルサレムに入る前に計画していたローマ行きは、第四次伝道旅行と呼ばれるはずの旅でありました。しかし、エルサレムに入ってみると、ユダヤ人たちの反感は予想以上のものでした。一度は捕らえら、殺害されそうになったパウロを千人隊長が助けました。千人隊長はパウロをカイザリアの総督に引き渡しました。しかし総督はユダヤ人を恐れて二年間もたなざらしにしておきました。新しい総督が赴任し、最高法院は再びパウロを訴えました。新しい総督フェストゥスの胸先三寸次第でパウロの命は危険にさらされることになりました。しかし、新しい総督は、パウロをエルサレムの最高法院に引き渡すことはせず、パウロのローマ行きを承諾したのです。

 私たちは、主イエス様がパウロに語った、そのご計画が、ローマ帝国の官僚であり、異邦人のユダヤ総督のフェストゥスによって成し遂げられてゆく有様を見ることが出来ました。この後、パウロはローマに護送されてゆきます。それは、今のパウロにとっては最も安全な道でありました。神様が、パウロを導いてくださっているのです。主イエス様はわたしたちに使命を与えて下さり、そしてその使命をその人自身の計画を越える形で実現してくださいます。神様の導きは、私たちの想いを越えている事、しかし、最も信頼できる道であることを覚えたいと思います。祈ります。

祈り

神様、あなたはわたしたちの想いを越えて、ご自身のご計画を必ず成し遂げて下さることであることを信じて感謝を致します。すべてのことの本当の主である方、をいつも信じさせてください。尊き主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。