聖書の言葉 使徒言行録 23章23節~24章10節 メッセージ 2026年6月7日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録23章23節~24章10節「パウロ、総督官邸に護送される」 1. お集まりの方々お一人お一人の上に、主イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主の名によって祈ります。アーメン。 ただいま使徒言行録23章の途中から24章の初めの四分の一位まで、今朝は御言葉を少し長くとってお読みしました。章をまたぐ形になりました。また説教題を先週の予告から変更しました。 今朝の御言葉では、初代教会の大伝道者、指導者である使徒パウロが、エルサレムからカイザリアに護送され、そこで裁判にかけられようとしています。実は、その直前にユダヤ人たちのパウロ殺害の陰謀が起きていました。この計画がローマの千人隊長に知らされましたので、千人隊長は直ちにパウロをエルサレムから遠ざけ、カイザリアに送ったのです。エルサレムの律法評議会による裁判はまだ途上でしたが、その結論を待たずに、ユダヤの州を支配しているローマ総督のもとで裁判を行うためでした。この千人隊長の計らいによってパウロは命を助けられたということが出来ます。 わたしたちは、自分自身が裁判にかけられるという経験をすることは多くはないと思います。当時のユダヤにおいても同じでした。しかし、主イエス様はユダヤの律法評議会サンヘドリンや総督ポンテオ・ピラトのもとで裁かれ十字架に架けられましたし、キリスト者たちは度々投獄され裁判にかけられています。迫害は、欧米のクリスチャンたちよりも日本のクリスチャンの方が、より身近に感じることではないかと思います。その理由は戦国時代にカトリックの宣教師たちが日本で伝道してくださったからです。当時のスペインやフランスの宣教師の布教によって各地にキリシタン大名が生まれ、伝道は大きく進展しましました。しかし、徳川家康の時代からキリシタンは一転して禁教となりました。檀家制度が整えられ、宗門改めや踏み絵が行われました。私たちの先輩は捕らえられ、改宗を迫られ、信仰を守りとおした人たちは迫害され、殺されました。このキリシタン迫害の歴史は日本史の授業で習うだけではなく、文学作品や映画に繰り返し描かれて来ました。 わたくしは25歳で洗礼を受けるまで、家に仏壇があるような普通の仏教の家庭に育ちました。実は、洗礼を受ける時に、これから先、国の支配者が代わってしまい時代が変わるなら、これまで迫害に出会ったキリシタンたちのように、自分も踏み絵を踏まされたらどうしようという不安が少しありました。しかし、それを乗り越えて洗礼を受けました。 2、 さて、このたびパウロが捕らえられましたのはローマ帝国の迫害によるのではありません。そうではなくてローマ帝国の側が、ユダヤ教の暗殺者からパウロを守るためにパウロは捕らえられています。パウロは逮捕されたのではなく、千人隊長によって保護されていたのです。 21章に記されていましたように、使徒パウロは、三度にわたる世界伝道旅行をすべて終え、各地の教会からの献金を携え、エルサレムに帰ってきました。エルサレム神殿で礼拝しているところをエフェソから来たユダヤ人たちに捕らえれて暴行を受け、パウロの殺害さえ計画されました。パウロは多くの信仰深いユダヤ教徒たちから命を狙われていたのです。 初代のキリスト教会は、主イエス様の12弟子たちによるエルサレム伝道から始まりました。ペトロをはじめとして、使徒たちは主イエス様の大伝道命令に従い、エルサレムを飛び出して各地で伝道しました。しかし異邦人たちへの伝道において最も用いられたのは、後から弟子になったパウロでありました。パウロは、もともと熱心なファリサイハユダヤ教徒でキリスト教徒迫害の急先鋒、テロリストのような働きをしていた人物でした。そこから急転直下、復活の主イエス様から直々の召しを受けて回心したのです。パウロはエルサレムのユダヤ教徒の中では悪い意味での有名人でした。エルサレムだけでなく、各地に離散してシナゴーグに集う保守的ユダヤ人に取っても決して許すことが出来ない裏切り者だったのです。エルサレムで殺されそうになったパウロは神殿を警備していたローマ軍に助けられました。 まず最高法院が招集され、パウロは裁判を受けました。この裁判は、死人の復活を巡って混乱し収拾が着かなくなりました。次の日、パウロに対する暗殺計画が企てられ、これを知った千人隊長は、ローマ市民権を持つパウロを助けるために、カイザリアに駐在しているローマ総督フェリクスのもとにパウロを護送したのです。当時、ローマ帝国においてはローマ市民権を持っていることは絶大な力がありました。ローマ帝国からの保護を受けることが出来ました。ユダヤの最高法院だけではパウロを裁くことが出来ず、ローマの総督を経由してローマ皇帝にまで上訴することが可能でした。 先ほどお読みしたみ言葉の最初のところですが、23章23節をもう一度お読みしましよう。「千人隊長は百人隊長二人を呼び、「今夜9時カイサリアへ出発できるように歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ。」と言った。」 大げさとも思える重装備でパウロは暗殺者から守られながらカイサリアに向かいます。カイサリアには、ローマ総督のフェリクスがいました。 聖書地図を見ていただきますとカイサリアと言う町は、二か所あることがわかります。ガリラヤ湖の北にあるフィリポ・カイサリアと、それとは別のエルサレムから北東70~80キロの地中海に面した港町カイサリアです。今朝の舞台は、港町カイサリアの方です。この港町のカイサリアは使徒言行録に十五回名前が出ています。この町は主イエス様がお生まれになった頃にユダヤを統治していたヘロデ大王が、イエス様がお生まれになるかなり前、紀元前25年ごろに建設しました。それまでイスラエルには良い港がなかったのですが、ヘロデ王は、もともと小さな砦があったこの町に港を作り劇場や競技場、水道や道路を整備しました。そしてローマ皇帝、カエサルにちなんでカイサリアと名づけて皇帝に献上したのです。それ以来、カイサリアは、地中海各地とイスラエルを結ぶ海の玄関として用いられました。 ヘロデ大王は、カイサリアに離宮をつくり、やがて代々のローマ総督はこの離宮を総督官邸として用いました。そういうわけで、カイサリアは、エルサレムと並んでユダヤ、ガリラヤ、イスラエルの大都市であります。 カイサリアには、総督の官邸があり、その地下には牢獄があったと言われます。当時、囚人はとてもひどい扱いを受けていたと言います。カイサリアには円形劇場がありましたが、時々そこで市民の娯楽として人間と野獣の決闘が行われていたそうです。その時、野獣と戦うのは、たいていは囚人たちと言うことになっていました。後に、ローマ帝国によって迫害されたクリスチャンたちが、野獣とたたかわされたことは良く知られています。 しかし、パウロは囚人ではなく、未決囚でありました。また千人隊長からの丁寧な手紙によって、ローマ帝国の市民として、言ってみれば客人のような待遇を受けていました。24章24節には、友人と会うことやその世話を受けることが許されたと書かれています。 3、 23章26節から30節まで、千人隊長が百人隊長に託した総督宛ての手紙が紹介されています。関係者しか知らない手紙の文面がこのように聖書に記されているのはなぜかと言う議論があります。この使徒言行録の著者であるルカもまた、このときパウロに同行していた可能性があります。二年の監禁生活の後、パウロがカイサリアからローマに向かって船出するときに、「私たちはアイタリアに向かって船出した」と記されていて、私たちと言う言葉が使われていることが一つの証拠です。また、当時は文章を黙って読む、黙読と言う習慣がなかったと言われています。百人隊長は、このラテン語の手紙を読み上げ、それをルカが聴いたのだと思います。 まず、はじめに差出人の名前、次に宛先、そして挨拶、これは聖書にある数々の手紙と同じで、当時の手紙の形式に従うものです。内容を見ますと、千人隊長のとって都合の悪いこと、つまり千人隊長がパウロを救い出す前の混乱の状況や千人隊長の部下のローマ兵がパウロを鎖で縛り、鞭で打とうとしたことは都合よく省略されています。一方で、パウロはローマの市民権を持つ者であり、自分が調べる限り死刑や投獄の理由はないと思われると断定しています。そして告発人であるユダヤの最高法院が間もなく代表者を送ってくることが記されています。 当時、総督の任命は、皇帝が直接任命する場合と、元老院によるものとに分かれますが、ユダヤ州の総督は重要な役職として皇帝が任命しました。総督はその州に駐在する軍隊の最高責任者であり、かつ司法・行政・律法すべての最終権限を持ちました。いわばローマ皇帝の代理です。何よりも徴税人を雇って税金を取り立てる権限が重要でした。大抵は規定よりも多く徴収して差額を自らの懐に入れたのです。総督は一年任期ですが、大体三年ほど勤めて中央の上級官僚に戻ります。一年目に手に入れた税金差額は、総督に任命してもらうために使った賄賂のための借金返済、二年目になってようやく蓄財ができて、三年後には莫大な財産を携えてローマに帰ったと言われます。 そのローマ総督フェリクスのもとに、パウロが送られて来ましたが、フェリクスにとっては、また一つ厄介な問題が起こったとしか考えられませんでした。というのは、当時、各地の州に派遣さえた皇帝の代官であるローマ総督は、30人から40人いたと思われますが。その中でもユダヤの総督ほど難しい務めはなかったからです。ユダヤ人は、他のどの民族よりも独立心とプライドが高く、またいつの時代も民族運動、独立運動が絶えなかったからです。 26節から30節まで、千人隊長クラウディウス・リシアの総督宛ての手紙が記されています。事務的な行政文書なのですが、既に述べたようなローマ総督の地位や権限を知った上で読む必要があります。最後の30節の後半が重要です。 この件は、エルサレムの最高法院の手には負えない、ローマ総督フェリクス閣下に直接訴えるように、そのようにユダヤ人に命じておいたのでよろしくご処置願いたいと言うことです。パウロは、ローマ帝国の市民権を持っていますが、ユダヤ人たちから憎まれていることは間違いありません。パウロを許したなら、フェリクスは、彼らの反感を買うことは明らかです。ユダヤの祭司長たちは、総督の不手際や誤りを本国に訴えることも出来ました。そうなるなら、彼は更迭されてしまい、彼の経歴にマイナス点がつくことになります。結局、フェリクスが取った策は、判決を下すことなく、次の総督に代わるまで、パウロを監禁しておくことでした。 この後の14節に、パウロは皇帝フェリクスに向かってこう言います。「私は、彼らが分派と呼んでいる「この道」に従って神を礼拝し預言者を信じています」。「この道」とは、パウロの救い主イエス・キリストの道です。それは千人隊長や総督、あるいはローマ皇帝、またパウロ殺害の道をゆくユダヤ人たちが生きている道とは全く違う道です。目の前の利害によって右往左往する道ではなく、主イエス・キリストの眼差しをいつも感じている恵みの道なのです。ここに記されているローマ帝国やユダヤの出来事は、今のわたしたちと地理的にも歴史的に離れていますが、わたしたちを取り巻く世界もまた依然として複雑であり、目先の利害に左右されているように思えます。しかし、当時のユダヤにおいてパウロが歩んでいる道は、日本という国にあるキリストの教会に生きているわたしたちの道でもあります。わたしたちもパウロと同じ、イエス・キリストに従う道を歩んでいるのです。 4、 24章の1節に、5日後に最高法院の代表者、大祭司アナニアと長老数名がカイサリアに到着し、彼らは弁護士テルティロを伴っていたと書かれています。弁護士と訳されている言葉は、雄弁家、弁士とも訳せる言葉で、裁判など公的な場でお金を取って弁舌をふるってくれる人です。ローマ総督の裁判で語るのですから、テルティロは、おそらく、ヘブライ語とギリシャ語、またラテン語にも通じ、ユダヤとローマの法律知識のある人物であったと思われます。かなりの報酬が必要なので、何としてもパウロを有罪にしたいという最高法院の熱心を表していると書いている注解書もあります。 記録されているこの弁士の訴えの半分は、総督フェリクスへの讃美の言葉であることに気が付きます。総督フェリクスはユダヤの国を統治するにあたり、自分に取り入ってくるものには利益を与え、批判するものには厳しく当たったと言われます。間断なく起こってくるユダヤ人の小さな反乱や事件には、これまでのどの総督よりも過酷に対処したと言われています。「閣下のお陰で私どもは十分に平和を享受しています」という賛辞は、「自分たちは、閣下の仲間です」という意味が込められています。 パウロは、ここで「疫病のような人間」と呼ばれています。それは世界のだれにとっても受け入れたくない人をあらわしています。さらに、「世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者」とも言われます。ユダヤを統治する総督にとっては、まさにとんでもない問題児と言うことになります。三つ目の罪状は、「神殿さえも汚そうとした」、これはユダヤ教の教えを重んじるユダヤ人にとって受け入れがたい罪であります。 この弁士は、パウロの問題点を、普遍的な罪から、神殿を汚すという個別的な罪へと具体化しながら非難していることがわかります。また、この弁士の言葉を記す御言葉には、7節が抜けています。これは今回の翻訳から除外された節で、272頁に移されて記されています。聖書学的には原文への加筆の可能性が高いとされていますが、伝統的に教会がこれを含めて読んできたものでもあります。7節をお読みします。「そして、私どもの律法によって裁こうとしたところ、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下のところに来るようにと命じました」。この7節には、千人隊長が、我らの意に反してパウロを保護してここに連れてきたことはけしからぬことだと書かれています。しかし、パウロにとってはこの千人隊長の計らいがあったからこそ命を助けられたと言うことが出来ます。 前回、ローマの信徒への手紙の8章28節のみ言葉をご紹介しました。「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるよう共に働くことをわたしたちは知っています」 主イエス様は、パウロが、カイサリアに護送される前の夜に、パウロのもとに来てくださり、勇気を出しなさい。あなたは必ずローマで私のことを証しすることになると約束されました。二年後に、フェリクスの次の総督として赴任したフェストゥスは、パウロのローマ行きを認める人物でした。主イエス様の導きの中で、様々なことが働いて、パウロは命を守られ、二年間の困難な時を経てからとは言え、ローマに向かうことが出来ました。カイサリアへの移送、そして裁判、またローマ行きには天使のしるしや奇跡的な出来ごとは一切記されません。けれども、神様は見えないところで確かに働いて下さり、すべてを益としてくださったのでした。祈りを致します。 神様、あなたは不思議なしるしや天使の力を用いられなくても、いつも、すべての場面で私たちを導いて、またすべてのことを導いて、最も良い方向へと事柄を進めて下さること信じて感謝を致します。どうかわたしたちが希望を持って、この道、イエス・キリストの道を歩むことが出来ますよう、お導き下さい。主の名によって祈ります。アーメン。
2026年6月7日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録23章23節~24章10節「パウロ、総督官邸に護送される」
1.
お集まりの方々お一人お一人の上に、主イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主の名によって祈ります。アーメン。
ただいま使徒言行録23章の途中から24章の初めの四分の一位まで、今朝は御言葉を少し長くとってお読みしました。章をまたぐ形になりました。また説教題を先週の予告から変更しました。
今朝の御言葉では、初代教会の大伝道者、指導者である使徒パウロが、エルサレムからカイザリアに護送され、そこで裁判にかけられようとしています。実は、その直前にユダヤ人たちのパウロ殺害の陰謀が起きていました。この計画がローマの千人隊長に知らされましたので、千人隊長は直ちにパウロをエルサレムから遠ざけ、カイザリアに送ったのです。エルサレムの律法評議会による裁判はまだ途上でしたが、その結論を待たずに、ユダヤの州を支配しているローマ総督のもとで裁判を行うためでした。この千人隊長の計らいによってパウロは命を助けられたということが出来ます。
わたしたちは、自分自身が裁判にかけられるという経験をすることは多くはないと思います。当時のユダヤにおいても同じでした。しかし、主イエス様はユダヤの律法評議会サンヘドリンや総督ポンテオ・ピラトのもとで裁かれ十字架に架けられましたし、キリスト者たちは度々投獄され裁判にかけられています。迫害は、欧米のクリスチャンたちよりも日本のクリスチャンの方が、より身近に感じることではないかと思います。その理由は戦国時代にカトリックの宣教師たちが日本で伝道してくださったからです。当時のスペインやフランスの宣教師の布教によって各地にキリシタン大名が生まれ、伝道は大きく進展しましました。しかし、徳川家康の時代からキリシタンは一転して禁教となりました。檀家制度が整えられ、宗門改めや踏み絵が行われました。私たちの先輩は捕らえられ、改宗を迫られ、信仰を守りとおした人たちは迫害され、殺されました。このキリシタン迫害の歴史は日本史の授業で習うだけではなく、文学作品や映画に繰り返し描かれて来ました。
わたくしは25歳で洗礼を受けるまで、家に仏壇があるような普通の仏教の家庭に育ちました。実は、洗礼を受ける時に、これから先、国の支配者が代わってしまい時代が変わるなら、これまで迫害に出会ったキリシタンたちのように、自分も踏み絵を踏まされたらどうしようという不安が少しありました。しかし、それを乗り越えて洗礼を受けました。
2、
さて、このたびパウロが捕らえられましたのはローマ帝国の迫害によるのではありません。そうではなくてローマ帝国の側が、ユダヤ教の暗殺者からパウロを守るためにパウロは捕らえられています。パウロは逮捕されたのではなく、千人隊長によって保護されていたのです。
21章に記されていましたように、使徒パウロは、三度にわたる世界伝道旅行をすべて終え、各地の教会からの献金を携え、エルサレムに帰ってきました。エルサレム神殿で礼拝しているところをエフェソから来たユダヤ人たちに捕らえれて暴行を受け、パウロの殺害さえ計画されました。パウロは多くの信仰深いユダヤ教徒たちから命を狙われていたのです。
初代のキリスト教会は、主イエス様の12弟子たちによるエルサレム伝道から始まりました。ペトロをはじめとして、使徒たちは主イエス様の大伝道命令に従い、エルサレムを飛び出して各地で伝道しました。しかし異邦人たちへの伝道において最も用いられたのは、後から弟子になったパウロでありました。パウロは、もともと熱心なファリサイハユダヤ教徒でキリスト教徒迫害の急先鋒、テロリストのような働きをしていた人物でした。そこから急転直下、復活の主イエス様から直々の召しを受けて回心したのです。パウロはエルサレムのユダヤ教徒の中では悪い意味での有名人でした。エルサレムだけでなく、各地に離散してシナゴーグに集う保守的ユダヤ人に取っても決して許すことが出来ない裏切り者だったのです。エルサレムで殺されそうになったパウロは神殿を警備していたローマ軍に助けられました。
まず最高法院が招集され、パウロは裁判を受けました。この裁判は、死人の復活を巡って混乱し収拾が着かなくなりました。次の日、パウロに対する暗殺計画が企てられ、これを知った千人隊長は、ローマ市民権を持つパウロを助けるために、カイザリアに駐在しているローマ総督フェリクスのもとにパウロを護送したのです。当時、ローマ帝国においてはローマ市民権を持っていることは絶大な力がありました。ローマ帝国からの保護を受けることが出来ました。ユダヤの最高法院だけではパウロを裁くことが出来ず、ローマの総督を経由してローマ皇帝にまで上訴することが可能でした。
先ほどお読みしたみ言葉の最初のところですが、23章23節をもう一度お読みしましよう。「千人隊長は百人隊長二人を呼び、「今夜9時カイサリアへ出発できるように歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ。」と言った。」
大げさとも思える重装備でパウロは暗殺者から守られながらカイサリアに向かいます。カイサリアには、ローマ総督のフェリクスがいました。
聖書地図を見ていただきますとカイサリアと言う町は、二か所あることがわかります。ガリラヤ湖の北にあるフィリポ・カイサリアと、それとは別のエルサレムから北東70~80キロの地中海に面した港町カイサリアです。今朝の舞台は、港町カイサリアの方です。この港町のカイサリアは使徒言行録に十五回名前が出ています。この町は主イエス様がお生まれになった頃にユダヤを統治していたヘロデ大王が、イエス様がお生まれになるかなり前、紀元前25年ごろに建設しました。それまでイスラエルには良い港がなかったのですが、ヘロデ王は、もともと小さな砦があったこの町に港を作り劇場や競技場、水道や道路を整備しました。そしてローマ皇帝、カエサルにちなんでカイサリアと名づけて皇帝に献上したのです。それ以来、カイサリアは、地中海各地とイスラエルを結ぶ海の玄関として用いられました。
ヘロデ大王は、カイサリアに離宮をつくり、やがて代々のローマ総督はこの離宮を総督官邸として用いました。そういうわけで、カイサリアは、エルサレムと並んでユダヤ、ガリラヤ、イスラエルの大都市であります。
カイサリアには、総督の官邸があり、その地下には牢獄があったと言われます。当時、囚人はとてもひどい扱いを受けていたと言います。カイサリアには円形劇場がありましたが、時々そこで市民の娯楽として人間と野獣の決闘が行われていたそうです。その時、野獣と戦うのは、たいていは囚人たちと言うことになっていました。後に、ローマ帝国によって迫害されたクリスチャンたちが、野獣とたたかわされたことは良く知られています。
しかし、パウロは囚人ではなく、未決囚でありました。また千人隊長からの丁寧な手紙によって、ローマ帝国の市民として、言ってみれば客人のような待遇を受けていました。24章24節には、友人と会うことやその世話を受けることが許されたと書かれています。
3、
23章26節から30節まで、千人隊長が百人隊長に託した総督宛ての手紙が紹介されています。関係者しか知らない手紙の文面がこのように聖書に記されているのはなぜかと言う議論があります。この使徒言行録の著者であるルカもまた、このときパウロに同行していた可能性があります。二年の監禁生活の後、パウロがカイサリアからローマに向かって船出するときに、「私たちはアイタリアに向かって船出した」と記されていて、私たちと言う言葉が使われていることが一つの証拠です。また、当時は文章を黙って読む、黙読と言う習慣がなかったと言われています。百人隊長は、このラテン語の手紙を読み上げ、それをルカが聴いたのだと思います。
まず、はじめに差出人の名前、次に宛先、そして挨拶、これは聖書にある数々の手紙と同じで、当時の手紙の形式に従うものです。内容を見ますと、千人隊長のとって都合の悪いこと、つまり千人隊長がパウロを救い出す前の混乱の状況や千人隊長の部下のローマ兵がパウロを鎖で縛り、鞭で打とうとしたことは都合よく省略されています。一方で、パウロはローマの市民権を持つ者であり、自分が調べる限り死刑や投獄の理由はないと思われると断定しています。そして告発人であるユダヤの最高法院が間もなく代表者を送ってくることが記されています。
当時、総督の任命は、皇帝が直接任命する場合と、元老院によるものとに分かれますが、ユダヤ州の総督は重要な役職として皇帝が任命しました。総督はその州に駐在する軍隊の最高責任者であり、かつ司法・行政・律法すべての最終権限を持ちました。いわばローマ皇帝の代理です。何よりも徴税人を雇って税金を取り立てる権限が重要でした。大抵は規定よりも多く徴収して差額を自らの懐に入れたのです。総督は一年任期ですが、大体三年ほど勤めて中央の上級官僚に戻ります。一年目に手に入れた税金差額は、総督に任命してもらうために使った賄賂のための借金返済、二年目になってようやく蓄財ができて、三年後には莫大な財産を携えてローマに帰ったと言われます。
そのローマ総督フェリクスのもとに、パウロが送られて来ましたが、フェリクスにとっては、また一つ厄介な問題が起こったとしか考えられませんでした。というのは、当時、各地の州に派遣さえた皇帝の代官であるローマ総督は、30人から40人いたと思われますが。その中でもユダヤの総督ほど難しい務めはなかったからです。ユダヤ人は、他のどの民族よりも独立心とプライドが高く、またいつの時代も民族運動、独立運動が絶えなかったからです。
26節から30節まで、千人隊長クラウディウス・リシアの総督宛ての手紙が記されています。事務的な行政文書なのですが、既に述べたようなローマ総督の地位や権限を知った上で読む必要があります。最後の30節の後半が重要です。
この件は、エルサレムの最高法院の手には負えない、ローマ総督フェリクス閣下に直接訴えるように、そのようにユダヤ人に命じておいたのでよろしくご処置願いたいと言うことです。パウロは、ローマ帝国の市民権を持っていますが、ユダヤ人たちから憎まれていることは間違いありません。パウロを許したなら、フェリクスは、彼らの反感を買うことは明らかです。ユダヤの祭司長たちは、総督の不手際や誤りを本国に訴えることも出来ました。そうなるなら、彼は更迭されてしまい、彼の経歴にマイナス点がつくことになります。結局、フェリクスが取った策は、判決を下すことなく、次の総督に代わるまで、パウロを監禁しておくことでした。
この後の14節に、パウロは皇帝フェリクスに向かってこう言います。「私は、彼らが分派と呼んでいる「この道」に従って神を礼拝し預言者を信じています」。「この道」とは、パウロの救い主イエス・キリストの道です。それは千人隊長や総督、あるいはローマ皇帝、またパウロ殺害の道をゆくユダヤ人たちが生きている道とは全く違う道です。目の前の利害によって右往左往する道ではなく、主イエス・キリストの眼差しをいつも感じている恵みの道なのです。ここに記されているローマ帝国やユダヤの出来事は、今のわたしたちと地理的にも歴史的に離れていますが、わたしたちを取り巻く世界もまた依然として複雑であり、目先の利害に左右されているように思えます。しかし、当時のユダヤにおいてパウロが歩んでいる道は、日本という国にあるキリストの教会に生きているわたしたちの道でもあります。わたしたちもパウロと同じ、イエス・キリストに従う道を歩んでいるのです。
4、
24章の1節に、5日後に最高法院の代表者、大祭司アナニアと長老数名がカイサリアに到着し、彼らは弁護士テルティロを伴っていたと書かれています。弁護士と訳されている言葉は、雄弁家、弁士とも訳せる言葉で、裁判など公的な場でお金を取って弁舌をふるってくれる人です。ローマ総督の裁判で語るのですから、テルティロは、おそらく、ヘブライ語とギリシャ語、またラテン語にも通じ、ユダヤとローマの法律知識のある人物であったと思われます。かなりの報酬が必要なので、何としてもパウロを有罪にしたいという最高法院の熱心を表していると書いている注解書もあります。
記録されているこの弁士の訴えの半分は、総督フェリクスへの讃美の言葉であることに気が付きます。総督フェリクスはユダヤの国を統治するにあたり、自分に取り入ってくるものには利益を与え、批判するものには厳しく当たったと言われます。間断なく起こってくるユダヤ人の小さな反乱や事件には、これまでのどの総督よりも過酷に対処したと言われています。「閣下のお陰で私どもは十分に平和を享受しています」という賛辞は、「自分たちは、閣下の仲間です」という意味が込められています。
パウロは、ここで「疫病のような人間」と呼ばれています。それは世界のだれにとっても受け入れたくない人をあらわしています。さらに、「世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者」とも言われます。ユダヤを統治する総督にとっては、まさにとんでもない問題児と言うことになります。三つ目の罪状は、「神殿さえも汚そうとした」、これはユダヤ教の教えを重んじるユダヤ人にとって受け入れがたい罪であります。
この弁士は、パウロの問題点を、普遍的な罪から、神殿を汚すという個別的な罪へと具体化しながら非難していることがわかります。また、この弁士の言葉を記す御言葉には、7節が抜けています。これは今回の翻訳から除外された節で、272頁に移されて記されています。聖書学的には原文への加筆の可能性が高いとされていますが、伝統的に教会がこれを含めて読んできたものでもあります。7節をお読みします。「そして、私どもの律法によって裁こうとしたところ、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下のところに来るようにと命じました」。この7節には、千人隊長が、我らの意に反してパウロを保護してここに連れてきたことはけしからぬことだと書かれています。しかし、パウロにとってはこの千人隊長の計らいがあったからこそ命を助けられたと言うことが出来ます。
前回、ローマの信徒への手紙の8章28節のみ言葉をご紹介しました。「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるよう共に働くことをわたしたちは知っています」
主イエス様は、パウロが、カイサリアに護送される前の夜に、パウロのもとに来てくださり、勇気を出しなさい。あなたは必ずローマで私のことを証しすることになると約束されました。二年後に、フェリクスの次の総督として赴任したフェストゥスは、パウロのローマ行きを認める人物でした。主イエス様の導きの中で、様々なことが働いて、パウロは命を守られ、二年間の困難な時を経てからとは言え、ローマに向かうことが出来ました。カイサリアへの移送、そして裁判、またローマ行きには天使のしるしや奇跡的な出来ごとは一切記されません。けれども、神様は見えないところで確かに働いて下さり、すべてを益としてくださったのでした。祈りを致します。
神様、あなたは不思議なしるしや天使の力を用いられなくても、いつも、すべての場面で私たちを導いて、またすべてのことを導いて、最も良い方向へと事柄を進めて下さること信じて感謝を致します。どうかわたしたちが希望を持って、この道、イエス・キリストの道を歩むことが出来ますよう、お導き下さい。主の名によって祈ります。アーメン。