2026年03月29日「エルサレム教会とパウロ」

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聖書の言葉

使徒言行録 21章17節~26節

メッセージ

2026年3月29日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録21章17節~26節「エルサレム教会とパウロ」

1、

 今朝、神さまがこの場所へと招き、共に礼拝を捧げているお一人お一人の上に、父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

3月18日の灰の水曜日から過ごしてきました6週間の受難節、レントも終わりに近づきました。今朝は受難節第六主日、別名棕櫚の日曜日を迎えています。この日、主イエス様は、地上における最後の一週間を過ごされるために都エルサレムに入られます。主イエス様はゼカリヤ書9章9節の預言通りにロバの子に乗ってエルサレム市内に入られ、迎える人々は棕櫚の枝を手にしてホサナホサナ、神よ救ってください、万歳万歳と歓喜して叫んだのでした。

このことから、受難節の最後の主の日、受難週に入る主の日を棕櫚の日曜日、パームサンデーと呼びます。欧米の教会では入り口でヤシの枝を配り人々はそれを持って教会に入るところも多いと聞きました。今週は受難週、そして次の日曜日は主イエス様の復活を祝うイースターを迎えます。

さて今朝のみ言葉は、先週に続いて使徒言行録21章17節から26節のみ言葉です。初代教会の伝道者、指導者である使徒パウロと異邦人教会の代表者たちの一行は無事にエルサレムに到着しました。そしてエルサレムのユダヤ人教会の指導者ヤコブや長老たちと会見して、これまでの異邦人伝道の恵みを報告します。このとき、エルサレム教会は主イエス様の兄弟であるヤコブが責任者となっていました。今朝の個所でペトロやヨハネといったほかの使徒たちが登場していないのは、おそらく彼らは地方伝道に遣わされていたのかも知れません。エルサレム教会の長老たち、は、地中海世界の中に住む沢山のユダヤ人や異邦人が主イエス様を信じるようになったことを聞いて神様を賛美しました。

しかし、このあとパウロたちは何となく冷ややかな雰囲気の中に置かれることになります。パウロたちは、自分たちについて誤解に基づく悪い評判がエルサレムの兄弟姉妹たちの間で広まっていると知らされました。それは信者になったユダヤ人たちに対して、パウロが、モーセの律法を守ることを禁じているというものです。生まれた子供に割礼を施すな、またユダヤ教の慣習に従うなと命じているというものです。パウロは、律法を守るという人間の側の努力や熱心が人を救うのではなく、主イエス・キリストの恵みが人を救うという「福音」を告げ知らせであってモーセの律法を禁じたのでは決してありません。しかしこのようなパウロに関する批判が広まっているというのです。ヤコブは、このままではパウロを巡って教会の中に分裂が生じかねないと心配しています。

ヤコブの提案は、使徒パウロがエルサレム教会の4人の兄弟たちと共にエルサレム神殿に行き、モーセの律法に定められている清めの儀式に与かることと、そのための費用をパウロが出すとことでした。パウロは直ちにこれを受け入れて、儀式を行うために4人の兄弟たちとエルサレム神殿に入っていったのです。「誓願を立てたものがいる」というのは、断定はできませんが律法に記されている「ナジル人の誓願」だと思われます。通常30日間、時には一生涯と言うことあるようですが、ぶどう酒を断ち、髪の毛をそらず、神に献身して過ごすのです。これが明けたときに子羊やヤギを神殿に捧げて礼拝します。エルサレム教会の会員の中の4人がこの誓願を立てているのですが、何か汚れに触れて清めの儀式を行う必要があったのです。またパウロも外国から帰ってきて汚れていると思われているので、7日間の清めの儀式を行い、その後で、4人の人々と神殿に行く、そしてその費用をパウロが出すことが求められたのです。

 これはパウロたちにとってはもともと計画していなかった予定外の行動でした。そもそもパウロは外国人と交われば汚れるということを信じていません。しかし、あえてこの提案を受け入れました。パウロは、これを不承不承、何か自分の信仰上の自由を束縛されるような思いで行ったのでしょうか。決してそうではなかったと思うのです。パウロは、ここで相手に立ち向かい、誤りを指摘し、それは誤解であると言って論争することもできたはずです。しかしそうではなく、むしろ相手が律法や穢れについて敏感な人々であることを知っていて、愛に基づく行いにより教会の一致を守ることを選んだのです。パウロは望んでこれを行ったのでした。ここで、わたしたちが問いかけられているのは、「キリスト者の自由の問題」に関わる問題であります。

2、

 かつてステファノという弟子がエルサレムでユダヤ人たちに殺されました。ステファノがモーセと神を冒涜していると訴えられたことがきっかけでした。ステファノが石打の刑にあっている時、ユダヤ人たちの上着の番をしていた青年がかつてのパウロでした。その時から20年ほどの歳月が流れました。今やパウロは回心し、主イエス様を信じる者、また主イエス様を宣べ伝えるものに変えられました。パウロはもはやユダヤ教徒ではなく、キリストのものとされたのではなかったのでしょうか。そのパウロが、今、エルサレム神殿の中でモーセ律法に基づく清めの儀式にあずかっています。パウロは首尾一貫していないのではないか、妥協しすぎではないか、こんな疑問がわいてこないでしょうか。

 しかしこのパウロの神殿詣では、わたしたち現代の日本人キリスト者が周囲の目を恐れるがゆえに、心に後ろめたいものを感じながら未信者の家族や友人と一緒に神社に初もうでに行くというようなこととは全く違います。それは当時のエルサレム教会とユダヤ教会との関係を知れば良くわかることです。エルサレム教会、つまり生まれたばかりの教会は、当時はユダヤ教の中の一つの分派と思われていたのです。パウロ自身も、モーセ律法に反対せず、モーセ律法の主イエスs真による解釈に従っていました。使徒言行録16章3節には弟子のテモテに対してユダヤ人を躓かせないために割礼を施すよウ段取りをしたことも記され、また18章18節にはパウロ自身が誓願を立てて髪の毛を切らない期間を過ごしたと記されています。パウロがエルサレム教会のユダヤ人と一緒にエルサレム神殿に入った時、問題が起きました。パウロは反対派のユダヤ教徒たちに神殿の中で捕らえられて殺されかけるのです。混乱を恐れたローマ軍に助けられて最高法院に送られ、さらにはローマ総督のフェリクスに尋問されます。そのとき、ユダヤ教の大祭司アナニヤはこう言っています。「この男は、世界中のユダヤ人の間に騒動を引きおこしているナザレ人の分派の首謀者であります」

 ユダヤ教の責任者である大祭司は、キリスト者たちはユダヤ教の中の「分派」だと言っています。パウロの方もこの言葉に対し、「確かに私は、彼らが分派と呼んでいるこの道に従っているものです」と答えています。さらに「わたしは先祖の神を礼拝し、律法と預言者とを信じています」と言ってローマ総督に自己紹介しております。自分たちは他の様々な流れのユダヤ教徒と共に、同じ神を礼拝していると告げているのです。

 エルサレム神殿でのパウロの逮捕は紀元57年頃です。このころのキリスト教会は、まだユダヤ教の中の一つの分派でありました。当時、ユダヤ教にはファリサイ派、サドカイ派、そしてエッセネ派という三つの分派があり、さらにユダヤ主義の過激派「熱心党」という人たちもいました。エルサレム教会に集っていたキリスト者たちは、アンティオケで初めてキリスト者と呼ばれた人の仲間です。しかし、エルサレムにおいては、間違いなくユダヤ教の新しい「分派」でありました。エルサレム教会の人々は、決して神殿から排除されることはなかったのです。

やがて、紀元70年ごろにエルサレムはローマ帝国によって攻撃され神殿は崩壊します。ユダヤ人たちは各地に離散し、町々でシナゴーグを中心に礼拝を続けました。キリスト者たちもまた他のユダヤ人たちと一緒にシナゴーグに集い、ある場合には追い出されますが、そうでない場合も多くありました。最終的に紀元90年ごろ、ユダヤ教の最高議会ヤムニア会議により、キリスト教はユダヤ教から異端の烙印を押されて正式にシナゴーグから追放されます。しかしキリスト教会は、一貫して自分たちこそ旧約聖書の本来の教えに従うものであり、旧約聖書の預言が主イエス様において成就したことを確信していました。

ところが、ユダヤ教ではなく初期のキリスト教会の中を見てみると、ユダヤ教の律法に対して微妙な立場の違いがあったことが分かります。異邦人キリスト者は、そもそも律法もユダヤ教の伝統も知りません。純粋にイエス・キリストの福音の立場から旧約聖書を読みます。彼らは異邦人ですから割礼を受けておらず、また食事についてのタブーもありません。一方ユダヤ人キリスト者たちは、生まれて八日目に割礼を受け、エルサレム神殿やシナゴーグでのユダヤ教の祭りを引き続き祝う人々です。食物規定を守ることは一つの文化になっていました。またそのユダヤ人キリスト者の中にも、生粋のユダヤ生まれのユダヤ人と、地中海各地に住むディスアポラ、離散のユダヤ人とがいました。前者はヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者であり、後者はギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者です。ギリシャ語を話す人々は異邦人キリスト者との交わりをすることが出来ました。異邦人との交わり、割礼や食べ物に関して言えば、保守派と進歩派と言ってよいのかも知れません。

エルサレム教会は、いわば保守派の牙城でした。しかし、指導者ヤコブや長老たちはパウロの働きをよく理解し心を通わせていました。しかし多くの事情を知らない人々は、パウロはモーセ律法を守ることを禁止しているという悪い噂を信じたのです。パウロは、モーセ律法を守ることは決して救いの条件ではないと教えました。主イエス・キリストだけが救いの源なのですけれどもユダヤ人キリスト者がモーセ律法によって生活することを禁止したのではありません。パウロは、このままでは誤解が誤解を生み、教会の中に癒しがたい分裂が生じ、後戻りできなくなることを恐れました。ヤコブの提案を受け入れ、予定になかった清めの儀式に与かりました。

4、

 今日のキリスト教会には、歴史の中で生まれて来た様々な教派があります。かつて、西方教会と東方教会は互いを破門し異端だと攻撃し合いました。カトリック教会は、ルターを異端と断定して追放しました。ルター自身は、死刑になることを何とか免れましたが、仲間たちの多くは捕らえられ、処刑された者も多かったのです。

さらにプロテスタント教会は、実に多くの教派に分かれ、中には互いを異端宣告し、信徒たちに決して交わってはならないとならない教える人もおります。確かに真理は明らかにされなければなりません。本当の異端は退けられなければなりません。そのためにも聖書を体系的に理解し、歴史の中で確立されてきた正統な教理を身に着ける必要があります。そして信仰の確信を大切にしなければなりません。

けれども、キリスト者同士が互いに裁き合い憎み合うことは決して神様の御心ではないと信じます。私自身も、あの人たちはどうも理解できないなどと心の内で蔑むような思いがないとは言えません。しかし地上の教会には、完全ということはありません。それぞれに弱さをもつ存在であり、互いに助け合うこと、また祈り合うことは大きな益になることではないでしょうか。

 パウロは、コリントの信徒への手紙1の9章19節以下で、「わたしはだれに対しても自由なものですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです」と書きました。

また、偶像に供えられた肉を食べるという問題では、偶像には何の力もなく、それに供えられた肉だからと言って宗教的な力を持つことはないと断言しつつ、もし誰かかが、これは特別なものだと勧めたなら、その人の良心のために食べないと言いました。これには二種類の違った解釈が可能です。一つは、相手がキリスト者ではなく偶像の力を信じている場合です。このときには、もしもパウロがその肉を特別なありがたいものだと認めているように思われたなら、その人にとって良くないから肉を食べないというのです。

もう一つは、相手がイエス・キリストを信じながらも、しかし偶像の力をまだ信じている場合です。彼は、偶像に捧げられた肉を食べると汚れてしまい、救われなくなるのではないと恐れています。パウロは、弱い人には弱い人のようになり、その人を躓かせないために肉を食べないというのです。この解釈の方がふさわしいと思います。

ユダヤ人たちは、ユダヤ教の伝統に従って処理されていない肉を食べるなら汚れてしまい、神の祝福を受けられなくなる、救われることもなくなるという「律法」に縛られていました。キリスト者のユダヤ人であっても律法の力にまだ縛られている人がいました。しかし、パウロは、そのような律法を超えていて、キリスト者には自由があると宣言しました。律法が人を救うのではなく、神の恵みによりイエス・キリストが人を救うのです。そしてこのように言います。

「『すべてのことが許されている。』しかしすべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかしすべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。誰でも自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」コリントの信徒への手紙1、9章23節24節。

「わたしたちを造り上げる」と言うことの意味は、パウロにとって「教会」を造り上げることにほかなりません。今、行おうとしていることが兄弟姉妹の益になることなのか、そして教会を造り上げるために益となるのか、それが第一の判断基準だというのです。自分にとっては利益があることだから行おうというのではなく、周りのことも考える。それが隣人に害を与えず、益となることかどうかを考えるのです。そして、一人一人がそのような語り、また行うことによって、イエス・キリストの教会が造り上げられてゆくというのです。

5、

 ヤコブの提案の目的は、エルサレムの人々が聞かされている悪い評判は間違いであってパウロもまたユダヤ人の伝統を重んじて生活していることを立証することでした。決して、すべてのキリスト者が同じようにしなければならないと言っているのではないことを示すためにヤコブは言葉を付け加えます。25節をお読みします。

「異邦人で信者になった人たちについては、私たちはすでに手紙を書き送りました。それは、偶像に捧げた肉と、血と、絞殺した動物の肉とを口にしないようにと言う決定です」

 使徒言行録では15章のエルサレム使徒会議の決定事項がパウロとバルナバによってアンティオキア教会や他の諸教会に知らされたことを言っています。これらの項目は、異邦人で信者になった人々は律法には縛られないけれども。与えられた自由をユダヤ人の信者のために制限する、それも愛を持って、積極的にこれを制限することでした。すなわち異邦人信者は、ユダヤ人信者と共に食事の交わりをするために、ユダヤ人の生活習慣に配慮するのです。これらの項目は、旧約の時代が終わりを告げて新約の時代に完全に入るまでは教会の中で守られなければなりませんでした。パウロはエルサレム教会に教会の一致のしるしとして献金を届けましたが、その献金のことについて聖書は全く記していません。そもそもこの後、紀元67年にユダヤ人の反乱であるユダヤ戦争が起き、紀元70年には神殿そのものが崩壊し、エルサレムは占領されます。ユダヤ人たちは各地に離散し、初代教会の本山、母教会であったエルサレム教会は消失してしまうのです。パウロが示した教会一致のために自由を用いる精神をわたしたちはいつまでも重んじるべきだと思います。同じ信仰者同士の違いを認め、愛しあうこと、キリストにある一致を大切にするのです。これは具体的なことです。例えば、禁酒禁煙を大切にしているキリスト者と一緒に食事をしたり生活したりするときに、その人たちが望むのであれば自分たちも同じように禁酒禁煙をするべきなのです。その人たちを悩ませ躓かせることがないためです。自由を何のために用いるのか、教会を造り上げるために、また人々の益のために、イエス・キリストの愛をもって、自由を用いようではありませんか。祈りを致します。

神様、わたしたちは生まれも育ちも違う中で、主イエス様を信じて神様の子ども、神の家族とされました。互いに相手を躓かせることなく、愛し合い配慮し合って、少しずつ信仰を強くし、成長してゆくことが出来ますよう守り導いて下さい。与えられている自由を教会の益のために、人々の益のために用いることが出来ますよう私たちを導いてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。