2026年02月22日「巡り歩いて励ます」

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聖書の言葉

使徒言行録 20章1節~6節

メッセージ

2020年3月22日(日)熊本教会 朝拝説教

使徒言行録20章1節~6節「巡り歩いて、慰める」

1、

 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

教会は、先週の水曜日、灰の水曜日からレント、受難節に入りました。イースター前の40日間を受難節、レントと名付けて特別な思いで過ごすことは、すでに、紀元4世紀には為されていたとそうです。つまり、レントはクリスマスと並ぶような古さを持つキリスト教会の伝統的な行事です。今のように教会がいくつもの教派に分かれる前から行われていたエキュメニカル、全世界の教会共通の教会暦であるということです。

レントの期間は、主イエス様がわたしたちを愛して下さって、父なる神の御心に従って十字架に架かってくださったことを覚えて過ごします。罪の赦しと永遠の命という、わたしたちの救いが決して安価なものではないことを心に刻むながら過ごす、その上でイースターを迎え、主イエス様の復活の恵みにあずかるのです。4月5日のイースターまで、このことを心に覚えながら過ごしたいと思います。

今朝のみ言葉は、初代教会の大伝道者、指導者であった使徒パウロが、マケドニア、ギリシャ地方をもう一度訪れる、第三次宣教旅行について記しています。マケドニアは、19章でパウロが滞在していたアジア州のエフェソから300キロから400キロくらい離れたところにあります。エフォソやその北にあるヨーロッパへの玄関口のトロアスが、小アジア半島の西の端であるのに対して、マケドニアはヨーロッパの東の端、東端の地域です。そのマケドニア州には、パウロが第二次伝道旅行で開拓したフィリピ、テサロニケ、べレアといった教会がありました。またここで「ギリシャ」と呼ばれているアカイア州はマケドニアのすぐ南にある地方で、そこにはパウロが二年間伝道して設立したコリント教会があります。

今朝のみ言葉の最初20章1節に、「パウロは、エフェソからマケドニア州へ出発した」と書かれています。おそらくエフェソから陸路を通ってトロアスの港に行き、そこから、マケドニアに渡ったと思われます。トロアスは、パウロの第二次伝道旅行のときに、一人のマケドニア人が早く助けに来てほしいと立ち上がってパウロを招いた、そのような幻によってヨーロッパ伝道の端緒が開かれた港町です。

トロアスはアジア州の西の端にある町です。パウロはそこからもう一度船出したのでしょう。そして、今朝のみ言葉の終わりである6節には、パウロとその同行者たちは、もうすでにトロアスに帰って来ていて、そこに七日間滞在したと書かれています。つまり、ここではパウロたちは、すでにマケドニア、アカイア地域の伝道を終えてアジア州に帰ってきたということです。

ということは、パウロの第3次宣教旅行の後半である、マケドニア、アカイアの伝道は、ここでは、たった6節のみ言葉によって記されていると言うことになります。つまりここでのみ言葉は、時がギュッと圧縮されているのですね。実は、このヨーロッパ伝道の期間は少なくとも1年以上、おそらくは2年はあったと推定されています。どうしてかと言いますと、この使徒言行録のあとに収められているローマの信徒への手紙とコリントの信徒への手紙1,2にこの時のマケドニア、アカイアの伝道の様子が詳しく記されているからです。

コリントの信徒への手紙1は、パウロがまだエフェソにいる間に書かれました。パウロは、エフェソで長く働き、エフェソ伝道の手ごたえを覚えながら、そのかたわらコリント教会の世話をして、コリントをいつか再び訪ねたいと願い、第三次伝旅行の後半として、フィリピとテサロニケをも訪問し、最後にはエルサレムへ行く計画を立てたのでした。

コリントの信徒への手紙1、16章5節「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、多分あなた方のところに滞在し、場合によっては冬を越すことになるかもしれません。」16章8節にはこうも書かれています。「しかし、五旬節まではエフェソに滞在します」

五旬節、ペンテコステは過ぎ越し祭りから50日後の祭りですから、現代の暦では5月から6月に行われます。コリントで冬を越すかも知れないと書かれていて、実際、パウロはコリントに三か月滞在してさらに長く滞在して冬を越したものと思われます。そして、再びトロアスに帰るために除酵祭、種入れぬパンの祭りが終わるころマケドニアの港フィリピを出ました。除酵祭は、過ぎ越し祭の後、15日間つづく、イースト菌なしのパンを食べる祭りで現代の暦では3月から4月に行われます。除酵祭のあと、フィリピを出てトロアスに着き、そこで仲間たちと落ち合い、そしてミレトスの港からエルサレムに向かうのです。使徒言行録20章18節には、五旬節、ペンテコステの前にはエルサレムに到着したいので、パウロはあえてエフェソには寄らずに旅を急いだ、と記されています。つまり、五旬節から五旬節まで、短くとれば1年、もしかするとそれ以上に及ぶ伝道であったかも知れません。

使徒言行録の著者ルカは、一年を超えるパウロたちのマケドニア、アカイア伝道をたった1節、あるいは2節のみ言葉にまとめています。そのみ言葉の2節と3節をお読みします。

「そしてこの地方を巡り歩き、言葉を尽くして、人々を励ましながら、ギリシャに来て、そこで三か月過ごした。パウロはシリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。」

第二次伝道旅行のときには、パウロたちはまずユダヤ教の会堂に入って主イエスの救いを伝え、そこから次第に伝道の場所を広げています。それとは違って、この第三次伝道旅行では、この地方にすでに立てられている教会を訪ねて歩き、そこで働いている伝道者や教会員たちを励ますことが中心であったことがわかります。フィリピでも、テサロニケでも、あるいはデルべでも、すでに教会が日常的に地域伝道の働きをしているので、パウロたちの仕事は、新しい伝道をするのではなく、もっぱら、既にある教会の役員や会員たちを励ますことに集中していたと考えられます。

「この地方を巡り歩き」と書かれています。「巡り歩く」と訳されている言葉は、新約聖書全体で36回も使われるありふれた言葉です。「通り抜ける」と訳すこともできます。マタイによる福音書12章24節「金持ちが天の国に入るよりもラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」。この「穴を通る」と訳されている言葉が同じ言葉です。あるいは穢れた霊、悪霊について語られるところでは「うろつく」とも訳されています。今朝の御言葉では、悪霊がうろつくのとは正反対に聖霊に導かれてパウロたち福音宣教者がマケドニアとギリシャを巡り歩くのです。

パウロとその一行は、マケドニア地方全体を通り抜けるようにして各教会を巡回して励ましながら進み、アカイア州、ギリシャのコリントに到着しました。そしてコリントでは三か月間滞在して教会を指導しました。「人々を励ました」と書かれています。

「言葉を尽くして」と訳されている言葉は、直訳すると「沢山の言葉で」励ました、です。人々を励ますことは教会の働きにおいて大切なことです。パウロはエフェソを出発するときにも教会の兄弟姉妹を励ましました。「励ます」と訳されている元の言葉は、パラカレオー、傍らに呼ぶと言う言葉です。横に一緒にいるようにして語るのです。慰める、勧めをする、と訳すことも出来ます。この世の誘惑や迫害といった内外の障害を乗り越えて信仰の道を歩むようにと励ましたのです。荒れ野を通っているような教会を慰め、励まし、主イエス・キリストの道を歩み続けるようにと勧めたのです。そこで語られた使徒たちの言葉は主イエス様から与えられた言葉です、そして、その主イエス様からの言葉は、今御言葉を聞いていますわたしたちにも同じように語られている慰め、そして励ましの言葉であります。

ルカによる福音書9章6節に、主イエス様から遣わされた12人の弟子たちが、「出かけて行って村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせた」と書かれています。それは主イエス様ご自身がガリラウアとユダヤでしておられたことでもありました。

マタイによる福音書4章23節「イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる母雪や患いをいやされた」。そして使徒言行録では、弟子たちが、このことを実践しています。使徒言行録4章4節「さて散っていった人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」、9章32節「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なるもの達のところへ下って行った」、18章23節「パウロは、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」

ひとつのところにとどまって継続して人々を導く教会の働きがあり、一方で、それらの教会や人々のところを次々と訪ねて働く伝道者がいます。パウロの伝道は、この両方を兼ね備えた働きでした。教会の働きというのは、この二つの面を兼ね備えているのだと思います。多くの群れがパウロの心に留められています。しかし一方で一つの群れ、一つの場所で辛抱つよく主にお仕えするのです。

4、

 さて。今朝のみ言葉の後半部分には、マケドニアからギリシャを通ってエルサレムに向かう沢山の伝道者の名前が記されています。これまでのパウロの伝道旅行では、普通は主イエス様の弟子たちへの命令通りに二人一組、つまりパウロとバルナバ、あるいはパウロとテモテといった具合です。二人一組。ところが、マケドニアとギリシャの伝道を終えてエルサレムに向かうパウロには、ここに名前が記されているだけでも7名が同行しています。また、6節に「わたしたちは」とあるように、使徒言行録の著者ルカも一緒にいます。そしてそれぞれ、ベレア、テサロニケ、デルべ、アジア州、つまりエフェソの各教会からまんべんなく選ばれていることがわかります。コリント教会とフィリピ教会の代表はパウロ自身であったかもしれません。

 このようにパウロたちがかかわった異邦人伝道の実りである諸教会から伝道者たちが同行する理由はなんでしょうか。その理由は二つあります。

 第一に、エルサレム教会でパウロ自身の具体的な異邦人伝道の報告をするためであります。もちろんこのことを通して、各地の異邦人教会とエルサレム教会の霊的な交わりをすることができるでしょう。神様が、パウロを通して素晴らしい恵みを与えて下さった、そのことの証しとして各教会から弟子たちが同行したのです。

 第二に、こちらの方が実際的には必要なことだったと思われます。それは異邦人教会からエルサレムの使徒たちや教会への献金に関わることです。この後の使徒言行録第24章17節で、パウロは、ユダヤに派遣されているローマ総督のフェリクスの前で、自分自身の無実を弁明するのですが、その中でエルサレムにやってきた目的をこのように述べています。「さて、わたしは同胞に救援金を渡すため、また供え物を捧げるために、何年かぶりに戻ってきました」

 ファリサイ派出身のユダヤ人であるパウロは、エルサレムのユダヤ人を躓かせないために、律法に規定されている供え物をエルサレム神殿に捧げています。これはエルサレム帰還の直接の目的ではありません。大切なのは、教会に救援金を届けることでした。コリントの信徒への手紙16章3節4節には、こう記されています。「聖なるものたちへの募金については、わたしたちがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。わたしたちがそちらについてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、いくらかずつでも手元に取っておきなさい。そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせましょう。その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。わたしも行く方が良ければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。」

 そもそも、使徒言行録15章エルサレム使徒会議において、パウロが異邦人伝道を担う決議がされました時に、エルサレムのユダヤ人教会と今後形作られる異邦人教会とは同じキリストの教会として一つであることが明らかにされていました。そのために、ユダヤ人たちを躓かせないために異邦人の信者たちは、律法に禁じられている仕方で処理していない肉を食べることや、旧約律法が定めるみだらな行いを避けることが求められました。その際に、これは使徒言行録には書かれておらず、エルサレム使徒会議の決議を示すガラテヤの信徒への手紙1章のほうにかかれていることですが、「異邦人教会は、貧しい人たちのことを忘れないように」ということも合意されていたのです。

 これに従って、パウロはこれまで幾度となく、エルサレム教会に献金を届けています。今回は、特に大規模であり、異邦人教会がそれぞれ代表をパウロに同行させ、直接、エルサレムに届けようといたしました。実は、このころ、パウロの論敵たちは、パウロが正規の使徒であることを否定するためにパウロが自給伝道していることを指摘し、パウロは献金を盗み取っているとさえ批判しました。そのため、パウロは、捧げられた献金を公明正大に扱い、すべてがエルサレムに届けられたことを証しすることのためにこのような大げさともいえる使節団を編成して、エルサレムに向かったのです。もちろん、彼らは単なる監視役ではありません。捧げもの、救援金とともに、異邦人教会とその信徒たちが、エルサレムのユダヤ人教会と名実共に一体であることを証しし、金銭だけでなく霊的な贈り物を共に捧げるためでもありました。

 パウロは、三度の伝道旅行においてアジア、ガラテヤ、マケドニア、アカイアと旅をして、教会を立て上げ、同労者たちを育てました。それは決してパウロの教会を立てるためではなく、あくまでもエルサレムから始められたイエス・キリストの教会を立て上げるためです。

 わたしたち熊本伝道所のこの小さな群れもまた、それ自身が単独で存在しているのではなく、改革派教会の一つの枝であります。その中の西部中会、そして九伝協に属する群れです。伝道者が遣わされ、兄弟姉妹は互いに祈り合い、交わりを共にするのです。

パウロは、トロアスに七日間滞在し、それからエルサレムに向かいます。エルサレムにはエルサレム教会の12使徒たちが待っていました。同時に、エルサレム神殿を中心とするユダヤ人たちがパウロの命を狙って待ち受けていました。それにも関わらず、使徒パウロは、エルサレムにゆき、初代教会の人々と主イエス・キリストにある一致を確かめたいと願いました。それからローマ、さらに地の果てのスペインまで伝道する計画を持っていました。

 教会が、神の御心の内に保たれ、続けられていくこと、そして教会が霊的なものであり、イエス・キリストにある一致の上に立てられていることを改めて覚えたいと思います。