聖書の言葉 使徒言行録 17章16節~21節 メッセージ 2025年11月30日(日)熊本伝道所礼拝説教 使徒言行録17章16節~26節「アテネの町のパウロ」 1、序 御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。 クリスマスが近づいてきました。教会は今朝の日曜日からアドベント、待降節に入りました。アドべントは、ラテン語の「尊い方の到来」という意味の言葉です。尊い方、教会ではもちろん、主イエス様のことで、到来のその日はクリスマスです。教会暦のアドベントは、その到来の日、クリスマスを待つ期間であると同時に主イエス様の二回目の到来、再臨を待つことも意味しています。 西方教会では、伝統的にクリスマスは12月25日ですからアドベントの日付も決まった日になってもよさそうですけれども、そうはなりません。なぜならクリスマスは、その日が何曜日であっても12月25日なのですが、アドベントはその4週間前の日曜日なので、毎年少しずつ日付が変わることになります。ちなみに昨年のアドベントは12月1日でした。 喜びの日を待つ期間といいますのは、喜びの日の当日以上に心躍るものです。今朝の日曜日、その期待の思いの中で礼拝を捧げたいと思います。 今朝の説教題は「アテネの町のパウロ」といたしました。アテネは、エーゲ海に面した古代都市です。今日では世界的な観光地で、多くの古代遺跡は人々を魅了し、どこまでも青い海と白い砂浜を巡るエーゲ海クルーズとセットで人気を集めています。またアテネと言う町はオリンピック発祥の地として有名です。 しかし、それ以上にアテネは世界の歴史の中で大切な役割を果たしました。世界文明発祥の地は四つで、インドのガンジス川、エジプトのナイル川、中東のチグリス・ユーフラテス川、そして中国の黄河の流域とされます。けれども、現代世界の文化をリードしてきたヨーロッパ文明という見方で見ると、アテネに代表される古代ギリシャこそが、その源流になります。しかし今日の西洋文明との違いは、古代ギリシャ、その中心アテネは、当時、未だキリスト教に出会っていない言う点です。今朝の聖書の個所は、その西洋文明の黎明の町、古代都市アテネに、イエス・キリストの福音を携えた使徒パウロが入って行ったという物語です。使徒言行録第17章の後半部は使徒パウロのアテネ伝道の記録であります。 アテネの町自体は7000年の歴史があると言われます。紀元前500年代から400年代がその最盛期でした。現代の民主主義の源である、いわゆるアテナイの直接民主主義政治が確立され、ソクラテスやその弟子であるプラトンといった哲学者、医学のヒポクラテス、ギリシャ悲劇や多くの詩人も現れました。その後もアリストテレスやツゥキジデスによって、文化的な中心地としての名声を維持してきました。 2 今朝のみ言葉の最初になりますが、16節のみ言葉をもう一度お読みいたします。 「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」 初代教会の大伝道者のパウロは、小アジアの港町トロアスで一人のマケドニア人の幻によってマケドニア伝道へと招かれました。パウロはケドニアに渡り、そしてフィリピ、テサロニケ、べレアと進んできました。神様の恵みによって行く先々で主イエス様を信じる人々が与えられました。そして、フィリピとテサロニケと言う二つの町では、のちに初代教会で大きな役割を担うようになるキリスト者の群れが形作られたことが他の聖書の御言葉から分かっています。しかし同時にシナゴーグ、ユダヤ教会からの攻撃も大変激しく、パウロとその一行は、むち打ちや監禁といた迫害に会いながら、最後には教会の兄弟たちの手によってそれらの町々を逃げ出してゆかなければなりませんでした。いわば伝道の戦いと苦難と逃亡のマケドニア伝道でした。 特にテサロニケのユダヤ人たちは、パウロを憎み、べレアにまで追跡して来てパウロを捕らえようとしました。べレアの兄弟たちは、とりあえずパウロだけをべレアから逃がし、300キロ以上離れたアカイア州のアテネまで連れて行ったのであります。パウロは、やがて到着するシラスとテモテを待ちながらアテネの町のあちらこちらを見て回っています。 パウロは、ギリシャ語を話すユダヤ人として小アジアのタルソスで生まれました。都アテネは当時の文化の中心地でした。パウロは、このアテネでは、いわばお上りさんのような気持ちであちらこちら町を散策していたのではないかと思います。 しかし、初めは感心していたかもしれませんが、至るところに偶像があるのを見て、次第に心の内に怒りを覚えるようになりました。いたるところに偶像があると訳されている言葉は、「アイドルだらけである」という意味の一つの単語です。アイドルと言う英語は、ギリシャ語のエイドーロンから生まれていて、偶像あるいは敬愛される人、いわゆるアイドルという両方の意味があります。もとのギリシャ語のエイドーロンは、像、イメージ、礼拝される像、つまり偶像を指します。当時のアテネには、ギリシャ神話の神々の像だけでなく、王や英雄や古典の主人公の像などであふれていたようです。 パウロの心は、それを見て憤慨した、怒り出したのです。目で見ることのできない天地創造の神、旧約聖書の神を信じ、ユダヤ人としてあらゆる異教や偶像への礼拝に嫌悪の念を抱いていたパウロです。彼にとって、それらの像のすべてが、人々が礼拝し崇めるための偶像にみえたのでしょう。実際当時のギリシャは、ギリシャ神話の神々を祭る偶像で溢れていたのです。 旧約聖書を読みますと、神の選びの民であったイスラエルが、南ユダと北イスラエルに分裂し、さらのその両方共が北からアッシリアやバビロンに滅ぼされたのは、ひとえにイスラエルの民が生ける神様だけを拝まず、様々な異教の神や偶像を拝んだからでした。 真の神を知らない人々は人の手で何らかの像を作って、これを崇めます。人の心は何か自分を超えたものに頼らなければならないからです。欧米の人々やイスラム圏から日本にやってくる偶像礼拝をしない信仰深い人々が、奈良や鎌倉の巨大な仏の像、大仏の前で手を合わせる人々を見るとき、驚きと同時に何か見てはいけないもの、異様なものを見たという思いになるといいます。また北朝鮮のピョンヤンには広場に巨大な指導者の像があり、国民たちがいわば神であるかのように拝礼している姿をテレビで見ることがあります。もしパウロが現代の世界にやってきて、巨大な政治指導者の像、あるいは奈良の大仏を目の前にしたら、どれ程憤慨するでしょうか。 本来パウロの伝道計画には入っていなかったアテネですけれども、パウロの心はここで伝道の熱心に燃やされることになりました。 3 17節と18節は、単身アテネに入ったパウロの伝道の有様を記しています。パウロは、安息日にはユダヤ教の会堂に行って、これまでと同様に旧約聖書をもとに、イエス・キリストについて語りました。またそれと同時に、パウロは毎日町の広場に出かけてゆきました。そこに居合わせた人々を捕まえては、イエス・キリストについて、特にその復活のことについて語ったのです。いわば路傍伝道です。けれども、メガホンで不特定多数に語るのではなくて、一対一のかたちで福音を語りました。これが伝道の基本だと思います。 車で町の通りを走り大音量で讃美歌を流したり、主イエス様を信じるなら救われますと連呼したりしても、成果はあまり期待できないと思います。伝道は、やはり個人対個人の人格的な信頼や関係の中でなされるときにもっとも成果が得られるとわたくしは確信しています。交差点で演説したり辻説法するなら、出会いのきっかけと言う点で意味があるでしょう。出会いが与えられ、聞く耳のある人に語る、これが伝道の基本だと思います。そういう意味では、教会に求道者がおいでになり、そこでイエス・キリストの福音が語られるというのはまさに伝道の最前線だと思います。 しかしまた伝道の第一歩は、まずは、世の人々に教会の存在を知らせること、ここに教会があります、教会が生きて働いていますと伝えることだと思います。クリスマスの諸行事もそのような意味で大切な意味があると言わなければならないでしょう。 さて、パウロは町の広場で毎日論じあう中で、当時、哲学者と呼ばれていた人々とも出会いました。エピクロス派とストア派の名が挙げられています。ともするとエペキュリアン、快楽主義とストイシズム、禁欲主義というように単純化してとらえられてしまうかもしれませんが、しかし、それほど単純ではないようです。どちらも神の存在を前提にしている哲学であり、幸福は心の平安にあると言う意味で共通点がある哲学です。 エピクロス派は、神様は人間世界には関心はなく、超越然としているので、人間の方は人間自身の考え方や修練を積んで心の平安を保つ必要があると考えました。快楽を重んじますが、快楽そのものが目的ではなく、あくまで心の平安のためにそれを薦めるのです。おいしいものを食べ、好きなことをして生活することを勧めたと言われます。一方ストア派は、それとは対照的にすべてのものには神が宿っていて、人間に関係している。その神様の心を探し求め、それと一体となることによって、心の平安を得ようとしました。そのためには、理性によって人間の側の欲望をコントロール、抑制すべきであると教えたと言います。 パウロは、彼らに何を伝えたのかと言いますと、17節にありますように「イエスと復活について福音を告げ知らせた」のであります。エピクロス派に対しても、ストア派に対しても主イエスと復活の福音を伝える、同じようにしたというのです。 パウロの伝道を受け止めた哲学の徒の反応は二通りに分かれました。ある人たちは何を言いたいか分からないと言いました。このおしゃべりと言う言葉の語源は、「種をついばむ鳥」という言葉で、これが転じて、話に内容がなくあちらこちらから取り入れられたものを寄せ集めている、聞きかじりと言う意味になりました。つまり真剣に聞くべきものではないという評価です。 もう一方の評価は、彼は外国の神々の宣伝をしているようだというものでした。神々と複数形で言われているのは、イエスと言う神と復活と言う神がいると捕らえられたためだと思われます。復活、アナタスタシスが女性名詞であったので、女神の名前と取り、二人の神を伝えていると言ったのです。しかし、いずれにしてもパウロの言っていることについて、全員ではなかったのですが、ピクロス派の人もストア派の人も、興味を示したことは確かです。 19節には、パウロはアレオパゴスに連れていかれたと書かれています。アレオパゴスとはアレスの丘と言う言葉で、そこに政治家や哲学者が集まって、何か新しい知識や考えを披露する場でありました。同時にそこでは裁判も行われたということです。このアレオパゴスにパウロが連れて行かれたというのは、これまでの町と同様に迫害され、裁判にかけられたのではないかという説もあります。しかし、聖書に書かれていることを良く読むなら、決してそうではなく、この時、パウロは公開演説会に招かれて、福音を語ることを求められたということがわかります。 パウロの教えは、何か新しい教えらしいということ、そしてパウロの話には、何か聞くべき言葉があるという高い評価によるものであります。 4 さて、わたしたちキリスト教会の発するメッセージもまた、今の世のこの国の人々にとって聞いてみたい言葉、興味深い言葉になっているでしょうか。それは、いわゆるジャーナリストたちのようにあえて人々の興味を引くような受けの良い物語を語るということではありません。わたしたちが、伝えるべきメッセージは聖書の指し示す福音そのものであるべきです。そうであるならば、それは決して世の人々に無関係なものとはなりません。むしろ反対に、世の人々が大いに真剣に聞くべき言葉が聖書には記されています。神様による天地創造と恵み深い摂理、そして何よりも人間の罪と悲惨の現実、そしてそこからの根本的救済としての主イエス・キリストの贖い、そして復活と新しい命のメッセージです。救いの言葉がわたしたちが語るべきメッセージです。 パウロは、これまで14章のリストラでの説教を別にして、ユダヤ教のシナゴーグに集まる神を畏れる人々に語ってきました。しかし、ここアテネの広場では、そうではない偶像に心惹かれる異邦人や、この世の哲学者に向けて語っています。そういう意味では聖書の中でも非常に貴重なパウロの伝道です。特に、ここでのパウロの説教は、わたしたち日本人のような、神様を知らない文明の中にいる人々に福音を伝えるという意味で重要な意味があると思います。 4、 パウロはアレオパゴスに集まった人々の真ん中に立って、語りだしました。パウロの説教は22節から31節までにわたって記されています。もちろん、これはパウロの語った説教の文字通りの書き起こしではありません。この使徒言行録の著者のルカ自身も、このときはアテネにいなかったことは確実です。パウロが異邦人に向けてあちらこちらで語ったこと、あるいはパウロ自身の記録から、もう一度、ルカが書き下ろしたものと言ってよいと思います。しかし、神様の霊の導きによって、私たちの救いのために誤りなく、神の言葉として、この場所に書き残されたものです。 全体は四部構成で、22節と23節は序文といいますか導入部分です。それに続く第二部は神様の天地創造と摂理の教えです。24節から26節まで続きます。そして第三部が、27節から30節、神は決して偶像にはなりえないのであり、人はそのことを悔い改めるべきであると勧めます。そして最後の結論が31節で、審判をなさる神としてのイエス・キリストを認め受け入れるようにと招くものです。 わたしたち日本人も決して神様を認めないというわけではないと思います。実際に、わたしたちは誰も神様と無関係に生きることはできません。アテネの人々や哲学者たちも同じです。しかし、その神様が一体どのようなお方であるのか、それを知るということが大切なことです。パウロは、まずアテネの人々が、あらゆる点において信仰深いとをわたしは認めると言って説教を始めます。実にいろいろなものを拝んでいるからだというのです。 そして「知られざる神に」と刻まれている祭壇を見つけました、あなた方がそれが何か全く分からないのに拝んでいる神さえいる、今、その本当の姿をお知らせしましょうといって、導入部としています。 わたしたちは伝道しようとする相手に敬意を払う必要があります。友人の牧師と一緒にどこであったかはわすれましたが、神社に行きました。拝殿の前で熱心に祈っている婦人を見て、その牧師は、突然、お母さん、イエス様を信じましょうと呼びかけました。これを聞いた婦人は血相変えて怒りだし、あなた失礼でしょうといって、すぐにどこかに入ってしまいました。パウロは、そうではなく、相手の心理をよく理解してから語り始めます。 今日、古代の文献調査や発掘により、古代のアテネに「知られざる神々へ」と刻まれた祭壇があったことはわかっています。パウロはこれを単数形の神に変えている可能性があります。そして、神様は天地万物の創造者であり、今に至るまでこの世界に働いて、世界を保っておられる方であるということから教えます。 古代ギリシャ神話は数えきれない神に満ちていますけれども、本当の神様はただお一人の天地創造の神であり、神殿や祭壇に閉じ込められていないのです。天の父なる神様は、特定の場所にだけおられるお方ではなく、どこででも礼拝できるお方です。それが霊である神様の在り方です。 さらに人の手によって仕えられる必要もないのです。仕えられるという言葉は、世話をされる、あるいは看護してもらうという言葉です。神殿やお宮に祭られ、そこで何らかの人の手による儀式を行って礼拝されるお方ではないのです。キリスト教会の礼拝には本来的に人々がそれを見て安心するような儀式は必要ありません。 礼拝とは神様との交わりですから、御言葉を読んで祈る、これだけでも交わりは成立します。もちろん神様は無秩序混乱の神様ではありませんから、一定の礼拝プログラムはありますが、絶対になくてはならないものではないことを覚えたいものです。 神様は、今世界を保つと言う仕方で、ご自身の存在と働きをすべての人に知らせています。しかし、生まれながらの人間は、その中で生きていながら、その背後に神様の恵みと力があることを認めないのです。その上に、神でない偶像を木や石で作って、これを拝んでいます。 パウロは、ローマの信徒への手紙1章20節でこう書いています。 「世界が造られた時から目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れておりこれを通して神を知ることが出来ます。」 それにもかかわらず、罪によって人間の側の目が曇らされているので、これを認めることが出来ないのです。ここに人間の神様に対する罪があります。 パウロの伝道は、コリントの信徒への手紙1の2章で明らかなように、最終的に十字架に付けられたイエスキリストの福音に集中するものです。しかし同時に語る相手によって語り方を変えていることを忘れてはならいと思います。パウロは、このアレオパゴスでは、主イエス様の救いと復活を語りだすまでの、これだけの前置きをしてから話しています。 アテネ伝道では、マケドニア州の町々とは違い、教会は生まれなかったようです。それをもってパウロのアテネ伝道は失敗だった。人間的な知恵で語ったからではないかと問う解釈があります。しかし、パウロのアテネ伝道は決して成果のないものではありませんでした。17章のおわりに、アレオパゴスの議員ディオニシオとダマリスと言う婦人、そしてほかに二人以上の人が信仰に入ったと報告されます。もちろん、フィリピやテサロニケと同様に、その家族もまた主イエス様を信じたことでしょう。 わたしたちにとってなじみ深い使徒パウロが、古代の世界史に名を残しているアテネの町の広場やアレオパゴスで、今日まで古典として世界の哲学者が学ばなければならないエピクロス派やストア派の論客たちと堂々と渡り合った記録がここにあります。なんと痛快なことではないでしょうか。わたしたちもまた、このパウロの後を進む者となりたいと思います。 祈りを致します。 祈り 愛する主イエス・キリストの父なる神、御名を崇めます。古代の都市アテネのよう、文化文明の進んだ土地、しかし、まだイエス・キリストと出会っていないこの現代日本という地でわたしあっちはイエス・キリストの福音を伝えています。どうかこの国の人々の中であなたを信じる人々が一人でも多く与えられますようお願いいたします。アドベントの朝、主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
2025年11月30日(日)熊本伝道所礼拝説教
使徒言行録17章16節~26節「アテネの町のパウロ」
1、序
御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
クリスマスが近づいてきました。教会は今朝の日曜日からアドベント、待降節に入りました。アドべントは、ラテン語の「尊い方の到来」という意味の言葉です。尊い方、教会ではもちろん、主イエス様のことで、到来のその日はクリスマスです。教会暦のアドベントは、その到来の日、クリスマスを待つ期間であると同時に主イエス様の二回目の到来、再臨を待つことも意味しています。
西方教会では、伝統的にクリスマスは12月25日ですからアドベントの日付も決まった日になってもよさそうですけれども、そうはなりません。なぜならクリスマスは、その日が何曜日であっても12月25日なのですが、アドベントはその4週間前の日曜日なので、毎年少しずつ日付が変わることになります。ちなみに昨年のアドベントは12月1日でした。
喜びの日を待つ期間といいますのは、喜びの日の当日以上に心躍るものです。今朝の日曜日、その期待の思いの中で礼拝を捧げたいと思います。
今朝の説教題は「アテネの町のパウロ」といたしました。アテネは、エーゲ海に面した古代都市です。今日では世界的な観光地で、多くの古代遺跡は人々を魅了し、どこまでも青い海と白い砂浜を巡るエーゲ海クルーズとセットで人気を集めています。またアテネと言う町はオリンピック発祥の地として有名です。
しかし、それ以上にアテネは世界の歴史の中で大切な役割を果たしました。世界文明発祥の地は四つで、インドのガンジス川、エジプトのナイル川、中東のチグリス・ユーフラテス川、そして中国の黄河の流域とされます。けれども、現代世界の文化をリードしてきたヨーロッパ文明という見方で見ると、アテネに代表される古代ギリシャこそが、その源流になります。しかし今日の西洋文明との違いは、古代ギリシャ、その中心アテネは、当時、未だキリスト教に出会っていない言う点です。今朝の聖書の個所は、その西洋文明の黎明の町、古代都市アテネに、イエス・キリストの福音を携えた使徒パウロが入って行ったという物語です。使徒言行録第17章の後半部は使徒パウロのアテネ伝道の記録であります。
アテネの町自体は7000年の歴史があると言われます。紀元前500年代から400年代がその最盛期でした。現代の民主主義の源である、いわゆるアテナイの直接民主主義政治が確立され、ソクラテスやその弟子であるプラトンといった哲学者、医学のヒポクラテス、ギリシャ悲劇や多くの詩人も現れました。その後もアリストテレスやツゥキジデスによって、文化的な中心地としての名声を維持してきました。
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今朝のみ言葉の最初になりますが、16節のみ言葉をもう一度お読みいたします。
「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」
初代教会の大伝道者のパウロは、小アジアの港町トロアスで一人のマケドニア人の幻によってマケドニア伝道へと招かれました。パウロはケドニアに渡り、そしてフィリピ、テサロニケ、べレアと進んできました。神様の恵みによって行く先々で主イエス様を信じる人々が与えられました。そして、フィリピとテサロニケと言う二つの町では、のちに初代教会で大きな役割を担うようになるキリスト者の群れが形作られたことが他の聖書の御言葉から分かっています。しかし同時にシナゴーグ、ユダヤ教会からの攻撃も大変激しく、パウロとその一行は、むち打ちや監禁といた迫害に会いながら、最後には教会の兄弟たちの手によってそれらの町々を逃げ出してゆかなければなりませんでした。いわば伝道の戦いと苦難と逃亡のマケドニア伝道でした。
特にテサロニケのユダヤ人たちは、パウロを憎み、べレアにまで追跡して来てパウロを捕らえようとしました。べレアの兄弟たちは、とりあえずパウロだけをべレアから逃がし、300キロ以上離れたアカイア州のアテネまで連れて行ったのであります。パウロは、やがて到着するシラスとテモテを待ちながらアテネの町のあちらこちらを見て回っています。
パウロは、ギリシャ語を話すユダヤ人として小アジアのタルソスで生まれました。都アテネは当時の文化の中心地でした。パウロは、このアテネでは、いわばお上りさんのような気持ちであちらこちら町を散策していたのではないかと思います。
しかし、初めは感心していたかもしれませんが、至るところに偶像があるのを見て、次第に心の内に怒りを覚えるようになりました。いたるところに偶像があると訳されている言葉は、「アイドルだらけである」という意味の一つの単語です。アイドルと言う英語は、ギリシャ語のエイドーロンから生まれていて、偶像あるいは敬愛される人、いわゆるアイドルという両方の意味があります。もとのギリシャ語のエイドーロンは、像、イメージ、礼拝される像、つまり偶像を指します。当時のアテネには、ギリシャ神話の神々の像だけでなく、王や英雄や古典の主人公の像などであふれていたようです。
パウロの心は、それを見て憤慨した、怒り出したのです。目で見ることのできない天地創造の神、旧約聖書の神を信じ、ユダヤ人としてあらゆる異教や偶像への礼拝に嫌悪の念を抱いていたパウロです。彼にとって、それらの像のすべてが、人々が礼拝し崇めるための偶像にみえたのでしょう。実際当時のギリシャは、ギリシャ神話の神々を祭る偶像で溢れていたのです。
旧約聖書を読みますと、神の選びの民であったイスラエルが、南ユダと北イスラエルに分裂し、さらのその両方共が北からアッシリアやバビロンに滅ぼされたのは、ひとえにイスラエルの民が生ける神様だけを拝まず、様々な異教の神や偶像を拝んだからでした。
真の神を知らない人々は人の手で何らかの像を作って、これを崇めます。人の心は何か自分を超えたものに頼らなければならないからです。欧米の人々やイスラム圏から日本にやってくる偶像礼拝をしない信仰深い人々が、奈良や鎌倉の巨大な仏の像、大仏の前で手を合わせる人々を見るとき、驚きと同時に何か見てはいけないもの、異様なものを見たという思いになるといいます。また北朝鮮のピョンヤンには広場に巨大な指導者の像があり、国民たちがいわば神であるかのように拝礼している姿をテレビで見ることがあります。もしパウロが現代の世界にやってきて、巨大な政治指導者の像、あるいは奈良の大仏を目の前にしたら、どれ程憤慨するでしょうか。
本来パウロの伝道計画には入っていなかったアテネですけれども、パウロの心はここで伝道の熱心に燃やされることになりました。
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17節と18節は、単身アテネに入ったパウロの伝道の有様を記しています。パウロは、安息日にはユダヤ教の会堂に行って、これまでと同様に旧約聖書をもとに、イエス・キリストについて語りました。またそれと同時に、パウロは毎日町の広場に出かけてゆきました。そこに居合わせた人々を捕まえては、イエス・キリストについて、特にその復活のことについて語ったのです。いわば路傍伝道です。けれども、メガホンで不特定多数に語るのではなくて、一対一のかたちで福音を語りました。これが伝道の基本だと思います。
車で町の通りを走り大音量で讃美歌を流したり、主イエス様を信じるなら救われますと連呼したりしても、成果はあまり期待できないと思います。伝道は、やはり個人対個人の人格的な信頼や関係の中でなされるときにもっとも成果が得られるとわたくしは確信しています。交差点で演説したり辻説法するなら、出会いのきっかけと言う点で意味があるでしょう。出会いが与えられ、聞く耳のある人に語る、これが伝道の基本だと思います。そういう意味では、教会に求道者がおいでになり、そこでイエス・キリストの福音が語られるというのはまさに伝道の最前線だと思います。
しかしまた伝道の第一歩は、まずは、世の人々に教会の存在を知らせること、ここに教会があります、教会が生きて働いていますと伝えることだと思います。クリスマスの諸行事もそのような意味で大切な意味があると言わなければならないでしょう。
さて、パウロは町の広場で毎日論じあう中で、当時、哲学者と呼ばれていた人々とも出会いました。エピクロス派とストア派の名が挙げられています。ともするとエペキュリアン、快楽主義とストイシズム、禁欲主義というように単純化してとらえられてしまうかもしれませんが、しかし、それほど単純ではないようです。どちらも神の存在を前提にしている哲学であり、幸福は心の平安にあると言う意味で共通点がある哲学です。
エピクロス派は、神様は人間世界には関心はなく、超越然としているので、人間の方は人間自身の考え方や修練を積んで心の平安を保つ必要があると考えました。快楽を重んじますが、快楽そのものが目的ではなく、あくまで心の平安のためにそれを薦めるのです。おいしいものを食べ、好きなことをして生活することを勧めたと言われます。一方ストア派は、それとは対照的にすべてのものには神が宿っていて、人間に関係している。その神様の心を探し求め、それと一体となることによって、心の平安を得ようとしました。そのためには、理性によって人間の側の欲望をコントロール、抑制すべきであると教えたと言います。
パウロは、彼らに何を伝えたのかと言いますと、17節にありますように「イエスと復活について福音を告げ知らせた」のであります。エピクロス派に対しても、ストア派に対しても主イエスと復活の福音を伝える、同じようにしたというのです。
パウロの伝道を受け止めた哲学の徒の反応は二通りに分かれました。ある人たちは何を言いたいか分からないと言いました。このおしゃべりと言う言葉の語源は、「種をついばむ鳥」という言葉で、これが転じて、話に内容がなくあちらこちらから取り入れられたものを寄せ集めている、聞きかじりと言う意味になりました。つまり真剣に聞くべきものではないという評価です。
もう一方の評価は、彼は外国の神々の宣伝をしているようだというものでした。神々と複数形で言われているのは、イエスと言う神と復活と言う神がいると捕らえられたためだと思われます。復活、アナタスタシスが女性名詞であったので、女神の名前と取り、二人の神を伝えていると言ったのです。しかし、いずれにしてもパウロの言っていることについて、全員ではなかったのですが、ピクロス派の人もストア派の人も、興味を示したことは確かです。
19節には、パウロはアレオパゴスに連れていかれたと書かれています。アレオパゴスとはアレスの丘と言う言葉で、そこに政治家や哲学者が集まって、何か新しい知識や考えを披露する場でありました。同時にそこでは裁判も行われたということです。このアレオパゴスにパウロが連れて行かれたというのは、これまでの町と同様に迫害され、裁判にかけられたのではないかという説もあります。しかし、聖書に書かれていることを良く読むなら、決してそうではなく、この時、パウロは公開演説会に招かれて、福音を語ることを求められたということがわかります。
パウロの教えは、何か新しい教えらしいということ、そしてパウロの話には、何か聞くべき言葉があるという高い評価によるものであります。
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さて、わたしたちキリスト教会の発するメッセージもまた、今の世のこの国の人々にとって聞いてみたい言葉、興味深い言葉になっているでしょうか。それは、いわゆるジャーナリストたちのようにあえて人々の興味を引くような受けの良い物語を語るということではありません。わたしたちが、伝えるべきメッセージは聖書の指し示す福音そのものであるべきです。そうであるならば、それは決して世の人々に無関係なものとはなりません。むしろ反対に、世の人々が大いに真剣に聞くべき言葉が聖書には記されています。神様による天地創造と恵み深い摂理、そして何よりも人間の罪と悲惨の現実、そしてそこからの根本的救済としての主イエス・キリストの贖い、そして復活と新しい命のメッセージです。救いの言葉がわたしたちが語るべきメッセージです。
パウロは、これまで14章のリストラでの説教を別にして、ユダヤ教のシナゴーグに集まる神を畏れる人々に語ってきました。しかし、ここアテネの広場では、そうではない偶像に心惹かれる異邦人や、この世の哲学者に向けて語っています。そういう意味では聖書の中でも非常に貴重なパウロの伝道です。特に、ここでのパウロの説教は、わたしたち日本人のような、神様を知らない文明の中にいる人々に福音を伝えるという意味で重要な意味があると思います。
4、
パウロはアレオパゴスに集まった人々の真ん中に立って、語りだしました。パウロの説教は22節から31節までにわたって記されています。もちろん、これはパウロの語った説教の文字通りの書き起こしではありません。この使徒言行録の著者のルカ自身も、このときはアテネにいなかったことは確実です。パウロが異邦人に向けてあちらこちらで語ったこと、あるいはパウロ自身の記録から、もう一度、ルカが書き下ろしたものと言ってよいと思います。しかし、神様の霊の導きによって、私たちの救いのために誤りなく、神の言葉として、この場所に書き残されたものです。
全体は四部構成で、22節と23節は序文といいますか導入部分です。それに続く第二部は神様の天地創造と摂理の教えです。24節から26節まで続きます。そして第三部が、27節から30節、神は決して偶像にはなりえないのであり、人はそのことを悔い改めるべきであると勧めます。そして最後の結論が31節で、審判をなさる神としてのイエス・キリストを認め受け入れるようにと招くものです。
わたしたち日本人も決して神様を認めないというわけではないと思います。実際に、わたしたちは誰も神様と無関係に生きることはできません。アテネの人々や哲学者たちも同じです。しかし、その神様が一体どのようなお方であるのか、それを知るということが大切なことです。パウロは、まずアテネの人々が、あらゆる点において信仰深いとをわたしは認めると言って説教を始めます。実にいろいろなものを拝んでいるからだというのです。
そして「知られざる神に」と刻まれている祭壇を見つけました、あなた方がそれが何か全く分からないのに拝んでいる神さえいる、今、その本当の姿をお知らせしましょうといって、導入部としています。
わたしたちは伝道しようとする相手に敬意を払う必要があります。友人の牧師と一緒にどこであったかはわすれましたが、神社に行きました。拝殿の前で熱心に祈っている婦人を見て、その牧師は、突然、お母さん、イエス様を信じましょうと呼びかけました。これを聞いた婦人は血相変えて怒りだし、あなた失礼でしょうといって、すぐにどこかに入ってしまいました。パウロは、そうではなく、相手の心理をよく理解してから語り始めます。
今日、古代の文献調査や発掘により、古代のアテネに「知られざる神々へ」と刻まれた祭壇があったことはわかっています。パウロはこれを単数形の神に変えている可能性があります。そして、神様は天地万物の創造者であり、今に至るまでこの世界に働いて、世界を保っておられる方であるということから教えます。
古代ギリシャ神話は数えきれない神に満ちていますけれども、本当の神様はただお一人の天地創造の神であり、神殿や祭壇に閉じ込められていないのです。天の父なる神様は、特定の場所にだけおられるお方ではなく、どこででも礼拝できるお方です。それが霊である神様の在り方です。
さらに人の手によって仕えられる必要もないのです。仕えられるという言葉は、世話をされる、あるいは看護してもらうという言葉です。神殿やお宮に祭られ、そこで何らかの人の手による儀式を行って礼拝されるお方ではないのです。キリスト教会の礼拝には本来的に人々がそれを見て安心するような儀式は必要ありません。
礼拝とは神様との交わりですから、御言葉を読んで祈る、これだけでも交わりは成立します。もちろん神様は無秩序混乱の神様ではありませんから、一定の礼拝プログラムはありますが、絶対になくてはならないものではないことを覚えたいものです。
神様は、今世界を保つと言う仕方で、ご自身の存在と働きをすべての人に知らせています。しかし、生まれながらの人間は、その中で生きていながら、その背後に神様の恵みと力があることを認めないのです。その上に、神でない偶像を木や石で作って、これを拝んでいます。
パウロは、ローマの信徒への手紙1章20節でこう書いています。
「世界が造られた時から目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れておりこれを通して神を知ることが出来ます。」
それにもかかわらず、罪によって人間の側の目が曇らされているので、これを認めることが出来ないのです。ここに人間の神様に対する罪があります。
パウロの伝道は、コリントの信徒への手紙1の2章で明らかなように、最終的に十字架に付けられたイエスキリストの福音に集中するものです。しかし同時に語る相手によって語り方を変えていることを忘れてはならいと思います。パウロは、このアレオパゴスでは、主イエス様の救いと復活を語りだすまでの、これだけの前置きをしてから話しています。
アテネ伝道では、マケドニア州の町々とは違い、教会は生まれなかったようです。それをもってパウロのアテネ伝道は失敗だった。人間的な知恵で語ったからではないかと問う解釈があります。しかし、パウロのアテネ伝道は決して成果のないものではありませんでした。17章のおわりに、アレオパゴスの議員ディオニシオとダマリスと言う婦人、そしてほかに二人以上の人が信仰に入ったと報告されます。もちろん、フィリピやテサロニケと同様に、その家族もまた主イエス様を信じたことでしょう。
わたしたちにとってなじみ深い使徒パウロが、古代の世界史に名を残しているアテネの町の広場やアレオパゴスで、今日まで古典として世界の哲学者が学ばなければならないエピクロス派やストア派の論客たちと堂々と渡り合った記録がここにあります。なんと痛快なことではないでしょうか。わたしたちもまた、このパウロの後を進む者となりたいと思います。
祈りを致します。
祈り
愛する主イエス・キリストの父なる神、御名を崇めます。古代の都市アテネのよう、文化文明の進んだ土地、しかし、まだイエス・キリストと出会っていないこの現代日本という地でわたしあっちはイエス・キリストの福音を伝えています。どうかこの国の人々の中であなたを信じる人々が一人でも多く与えられますようお願いいたします。アドベントの朝、主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。