聖書の言葉 使徒言行録 17章10節~15節 メッセージ 2025年11月23日(日)熊本伝道所礼拝説教 使徒言行録17章10節~15節「毎日、聖書を!」 1、 篤い夏が続いて、ようやく秋が来たなと思ったとたん、急に寒くなって朝晩はすでに冬のようになりました。インフルエンザの流行の声も聞きますが、みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか。御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。 今朝の御言葉の前の個所、先週読みました使徒言行録17章3節に大切な言葉がありました。そこには初代教会の大伝道者、指導者、使徒パウロの伝道説教の核心部分が記されていました。ヨーロッパにわたりましたパウロたちが、フィリピでも、テサロニケでも、そして今朝の個所のぺレアの町で必ず語った福音宣教の言葉です。そこでパウロは、こう語りました。17章3節お読みします。「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた。」「このメシアは、わたしが伝えているイエスである」 メシアという言葉はヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。旧約聖書においては、神から遣わされた救い主のことを表します。メシアのギリシャ語訳がキリストです。ここには書かれていませんが、旧約聖書にあるメシア到来の約束とメシアの御業を、聖書にはこう書かれていると解き明かしたのだと思います。そして、このメシア、キリストは、わたしが宣べ伝えているイエス、あのナザレのイエスなのだとパウロは宣言したのです。 人々に向かって「この救い主を信じ、このお方に希望を置こう」と呼びかけたのです。これは、全世界のキリスト教会、世々の教会、そして現代日本の教会も、およそキリスト教会と名乗る限りは、必ず語らなければならないことです。今も後も、教会は、メシア、キリスト、神からの救い主は主イエス様以外にはない、イエス様こそキリスト、メシアであると宣べ伝えるのです。 教会は、次週の日曜日からアドベント、待降節に入ります。クリスマス、12月25日の前の4週間をこのように呼びます。アドベントの季節、わたしたちも主イエス・キリストの救いの恵みを覚え、そしてこのお方を世に証ししてゆきたいと思うのです。 2. ここまでのパウロの伝道を少し振り返ってみたいと思います。初代教会の大伝道者、使徒パウロを中心とする宣教団は、ヨーロッパに入る前は、アジア州での伝道に行きづまりを覚えていました。聖書の表現では「聖霊によってみ言葉を語ることを禁じられてしまう」、あるいは「イエスの霊が許さない」、そういう状況の中で、パウロは幻を見たのです。一人のマケドニア人が立ってパウロたちをマケドニア伝道へと招く、そのような幻です。パウロたちは、これを神の召しと確信して直ちにアジア州の西の端にある港町トロアスから船出しました。そして、ヨーロッパへと渡ってきたのでした。16章と17章の前半部はそのヨーロッパ伝道の始まりのマケドニア伝道の報告であります。この後パウロたちはアテネからコリントへと進んで行きます。一人のマケドニア人によるマケドニア伝道への招きは、実は、全ヨーロッパ、ローマやスペインにまで至る世界伝道へと続く招きであったのです。 さて今朝のみ言葉10節から15節は、マケドニア伝道の最後の場面となります。そして、またギリシャの首都アテネや大都市コリントを含むアカイア州伝道の始まりでもあります。 ここでマケドニア州と呼ばれているのは、現在のギリシャ北部のマケドニア地域と旧ユーゴスラビアから分離独立した一つの国となった北マケドニアの両方にまたがる地域です。そこからアテネやコリントのあるアカイア州が半島として地中海に向かって南に突き出している、そういう地域です。フィリピの町もテサロニケもエーゲ海に面した大きな港町ですが、ぺレアは、少し内陸に入ったところにあります。 フィリピでも、テサロニケでも、パウロたちの開拓伝道は、神様が備えて下さった素晴らしい出会いによって、思いがけない仕方で進展してゆきました。わたしたちの伝道も同じだと思います。わたしたちの予測や願いに反するような出会いが与えられ、わたしたちの願いを越えて進展してゆきます。フィリピ教会もテサロニケ教会も、この頃は、まだ生まれたばかりの小さい群れです。けれども、このあと神様の恵みによって成長し、この後のパウロの手紙によればパウロを支え援助する群れとしてしばしば登場してくるようになります。 しかし、その一方で、現地のユダヤ会堂、シナゴーグの指導者たちの激しい反発を招くようになります。フィリピでもテサロニケでも、そしてこのぺレアでも、彼らの反対と陰謀によって、パウロは町を立ち去ることになるのです。そればかりか彼らは異邦人である町の当局者たちによって捕らえられ、むち打ちや投獄と言った迫害を受けたのです。しかし神様の恵みによっていずれの場合も助け出されて、ついには町を追われるに至るのです。 主イエス様は、12弟子を伝道に遣わしました時に、一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げて行きなさいとおっしゃいました。パウロたちもまた、その町で受けた迫害に徹底的に立ち向かって殉教するのではなく、フィリピから逃げ、そしてまたテサロニケから逃げて、ペレアへとやってきたのです。主イエス様が、他の町へ逃げることを勧めてくだった同じ個所で、主イエス様は、決してあきらめたり絶望したりせずに、最後まで希望をもって耐え忍ぶことも同時に教えてくださいました。「最後まで耐え忍ぶものは救われる」マタイによる福音書10章22節のみ言葉です。 3、 テサロニケから逃げ出したパウロたちは、テサロニケの教会員たちに守られて、ぺレアに到着します。これまでパウロたちが進んできたのはエグナティア街道と呼ばれる通商と軍用のための大きな道路です。ぺレアは、そこからは少し外れたところにあります。おそらくテサロニケ教会の兄弟たちは、もうここまではユダヤ人たちも追ってこないだろうと思われる、いわば逃れの町として、地味な地方都市のぺレアを選んだのではないでしょうか。また、ぺレアには、ローマの信徒への手紙16章でパウロと同郷の人だと明かされているソシバトロと言う人がいました。このことも関係していたかもしれません。テサロニケ伝道でパウロを助けたヤソンは、パウロの伝道によって主イエス様を信じ、シナゴーグから追われたパウロを自分の家に迎え入れた人です。そのヤソンが、ぺレアに住む同じ同国人のソバトロにパウロのことを頼んだという可能性は大いにあります。 パウロとシラスは、このぺレアの町に着くや否や伝道を始めます。まず、テサロニケの時と同様に、ユダヤ教の安息日礼拝の日、土曜日にこの町のユダヤ人の会堂シナゴーグに入り福音を伝えました。 先のテサロニケでは、パウロたちは三回の安息日の礼拝で福音を語りました。信じた人たちもいたのですが、ユダヤ人よりも、むしろ神を畏れる異邦人と呼ばれるシナゴーグに通う異邦人や上流階級の婦人たちが多くパウロに従いました。そのことが、シナゴーグの指導者たちを妬みに走らせ、迫害へと至ったのです。しかし、ぺレアの町のユダヤ人たちは違っていました。 大都会テサロニケとは違い、この町のユダヤ人たちは素直にパウロの語る福音によく耳を傾け、そして毎日、聖書を開いて、本当かどうか調べたと書かれています。その結果、そのうちの、つまりユダヤ人たちの多くのものが主イエス様を信じるに至ったのです。聖書にこう約束されている、こう書かれていると解き明かしたパウロの言葉について、それが本当かどうか、熱心に調べたというのです。信じること、信仰と知的な理解との密接な関係をこの御言葉は示しています。 使徒言行録の著者ルカは、ここのユダヤ人はテサロニケのユダヤ人よりも素直であったからと記しています。知的な探求を支えている心の在り方のことです。町々によって、同じユダヤ人でも違いがあったのです。このぺレアのユダヤ人のように、新しく聴かされたイエス・キリストの福音を素直に受け入れて聞く人々とそうでない人がいたというのです。 国民と国民との間にも民族性や文化に違いがあります。ある研究者が韓国にキリスト教が広まった理由の一つとして韓国人の文化や民族性を上げています。韓国人にはその喜怒哀楽の表現を見ても何となくわかりますが、裏表というものがなく、率直に福音の喜びを外に出すことのよって、良く伝道が進むというのです。一方、日本人の性格はどのようなものでしょうか。島国根性だとか言われますが、島国の人と一口に言っても、いろいろなことが言えるように思います。何か新しいものに向き合う態度は、どうでしょうか。よく和魂洋才といいますが、クリスマスのような表面的なものは受け入れても、その魂は変わることがないように思われます。ある韓国人は、日本人は頭が良すぎるのでイエス様の福音を受けいれないと言いました。素直でない、あるいは単純でないという意味でしょうか。わたしにはよくわかりません。 11節で「素直」と訳されているのは、語源的には「生まれが良い」という言葉です。ほかの聖書を見ますと新改訳は「良い人たちで」と訳していました。新改訳の2017年版では、同じように「素直で」と訳し変えられました。カトリックのフランシス会訳は「心が広く」と訳しています。改革派の大先輩の榊原康夫先生は、文語訳の元訳「ひととなりよし」がぴったりくると書いておられます。 ぺレアのユダヤ人たちは、心が広く、人となりが良かったのでパウロの福音の言葉をしっかりと聞きました。それだけでなく、聖書に照らしてその通りかどうか毎日調べたとも書かれています。そして、多くの人々が主イエス様を信じ、信仰に入りました。 シナゴーグに集まるユダヤ人たちや神を信じる異邦人たちも、基本的に旧約聖書を神様の御言葉として信じる人々です。信仰の教えの基準、いわば物差しとして聖書を重んじました。その聖書のみ言葉に照らして、パウロたちが伝える主イエス・キリストの福音、私たちを救う十字架と復活の福音は、その通りだ、本当だと信じたのです。当時聖書は貴重なものですから、シナゴーグに大切に保管されていますが、彼らは毎日のようにシナゴーグに来て勉強していたのだと思います。 ユダヤ人だけでなく、沢山のギリシャ人の上流婦人や男たちも信じました。ここの書き方は、身分の高い人は婦人だけで、男たちはそうではない一般人とも読めますけれども、元の言葉は、入り組んだ言い回しで意味の取りにくいところです。フランシス会聖書のように「上流階級の男や女で信じたものは多かった」と訳すこともできます。この方がふさわしいかもしれません。実は、このあと書かれるパウロの手紙には、マケドニアの諸教会が、パウロのために、また貧しい教会のためによく献金して諸教会の模範になったと繰り返し書かれています。ですから、このような身分の高い金銭的に恵まれた信仰者たちが良く捧げたのではないかと思われます。 ぺレアの教会は、福音の説教をよく聞き、そして同時に自分自身でも聖書を良く読んでいたことがわかります。わたしたちは、特に彼らが毎日聖書を調べてということを覚えたいと思います。 3、 神様の恵みの中で順調に進んだぺレア伝道でしたが、思わぬ妨害が現れたことが、13節に記されています。 なんと、ぺレア伝道の様子を聞きつけたテサロニケのユダヤ人たちが、80キロは離れているテサロニケからぺレアにやってきて、またもや群衆を扇動して騒ぎを起こしたというのです。なんということでしょうか。テサロニケのユダヤ人たちは、各地でパウロたちの伝道が功を奏していることを聞き、自分たちが彼らを絶滅させなければならないという思いをもったのでしょう。しかし、その動機は自己保存と妬みによるものでした。 テサロニケでもパウロたちは、聖書にもとづいて、救い主イエス・キリストを宣べ伝えました。けれどもそこのユダヤ人たちの多くは、パウロの語る福音を受け入れることがありませんでした。それどころか、パウロたちを迫害し、遠くぺレアまで追いかけてきて、妨害するのです。 ぺレアのユダヤ人たちが迫害したのではないのです。むしろ、ぺレアのユダヤ人たちは心の広い人たちで少なくない人が信じたのです。そして彼らは、異邦人の信者と一緒になってテサロニケのユダヤ人たちが仕掛けた群衆による騒動から、パウロたちを守りました。パウロを海岸の地方に避難させました。シラスとテモテはぺレアに残り、遅れてアテネでパウロと合流します。とにかくパウロを守ること、それがぺレアの兄弟たちの思いでした。 アテネは、マケドニア州の南のアカイア州の都です。ぺレアからアテネまでは300キロ以上の距離があります。おそらく船で移動したものと思われます。ここまでくれば大丈夫、さすがのしつこいユダヤ人も追ってこないだろうと言う遠方の町です。そしてアテネこそ、当時のギリシャ文明の中心地です。様々な思想や哲学が渦巻いている町です。パウロは、ここで心をときめかせながら次の伝道地のことを考えていたのではないでしょうか。 4、 さてぺレアの人々は、パウロたちの告げる福音を聞いて聖書を開き、毎日調べていました。パウロ自身も旧約聖書に精通したファリサイ派ユダヤ人でした。しかし、当時のユダヤ教の聖書解釈からさらに進み、主イエス様と聖霊に導かれて、聖書本来の読み方に到達しました。それは聖書は救い主イエス・キリストを証しする書物であり、読む人々が本当に神様の愛を知り信じ、受け入れることを目的に書かれていると信じる読み方です。 同じ聖書を読んでいながら、エホバの証人の人たちは、主イエス様を神の御子、私たちの礼拝の対象である生きた神であると認めません。聖書を読むことは大切ですが、どのように読むかが問題です。主イエス様が遣わされた使徒たちの教えに従って読まなければなりません。使徒たちの教えを学ぶことは主イエス・キリストについて学ぶことです。学ぶだけでなく、イエス・キリストをわたしの救い主、また私たちの救い主として信じ受け入れることです。 わたしたちは、わたしたちの信仰は聖霊によって導かれると信じますけれども、聖霊は聖書のみ言葉から離れて働かれることはありません。聖書に証されているイエス・キリストを信じ受け入れるように導いてくださるのです。祈りは霊の働きと密接にかかわります。祈ること、聖書を読むこと、両方のことが必要です。祈りと言う行為、行いは、すべての宗教の共通事項です。しかし、祈りだけでは危うさが残ります。御言葉を読まなければなりません。主の日の礼拝における説教もまた神のみ言葉の解き明かしです。説教が神の言葉である聖書お時菓子であるとき、本来の意味で一人ひとりの信仰を立て上げ、また教会を建て上げる力を持ちます。 ぺレアの人々が、毎日聖書を開き、同時にパウロの語る使徒の教えに耳を傾けていたことは、素晴らしいことです。私たちにとって模範となることです。神様、どうか私たちの信仰を強めて下さいと祈りつつ聖書を開きましょう。祈りを致します。 祈り ご在天の父なる神、主イエス。キリストの父なる神、御名を崇めます。わたしたちに旧約聖書と新約聖書が与えられていることを感謝します。罪に堕ちて光を失ったこの世界とわたしたちの心を照らしてください。イエス・キリストの光で照らしてください。主の御名によって祈ります。アーメン
2025年11月23日(日)熊本伝道所礼拝説教
使徒言行録17章10節~15節「毎日、聖書を!」
1、
篤い夏が続いて、ようやく秋が来たなと思ったとたん、急に寒くなって朝晩はすでに冬のようになりました。インフルエンザの流行の声も聞きますが、みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか。御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
今朝の御言葉の前の個所、先週読みました使徒言行録17章3節に大切な言葉がありました。そこには初代教会の大伝道者、指導者、使徒パウロの伝道説教の核心部分が記されていました。ヨーロッパにわたりましたパウロたちが、フィリピでも、テサロニケでも、そして今朝の個所のぺレアの町で必ず語った福音宣教の言葉です。そこでパウロは、こう語りました。17章3節お読みします。「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた。」「このメシアは、わたしが伝えているイエスである」
メシアという言葉はヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。旧約聖書においては、神から遣わされた救い主のことを表します。メシアのギリシャ語訳がキリストです。ここには書かれていませんが、旧約聖書にあるメシア到来の約束とメシアの御業を、聖書にはこう書かれていると解き明かしたのだと思います。そして、このメシア、キリストは、わたしが宣べ伝えているイエス、あのナザレのイエスなのだとパウロは宣言したのです。
人々に向かって「この救い主を信じ、このお方に希望を置こう」と呼びかけたのです。これは、全世界のキリスト教会、世々の教会、そして現代日本の教会も、およそキリスト教会と名乗る限りは、必ず語らなければならないことです。今も後も、教会は、メシア、キリスト、神からの救い主は主イエス様以外にはない、イエス様こそキリスト、メシアであると宣べ伝えるのです。
教会は、次週の日曜日からアドベント、待降節に入ります。クリスマス、12月25日の前の4週間をこのように呼びます。アドベントの季節、わたしたちも主イエス・キリストの救いの恵みを覚え、そしてこのお方を世に証ししてゆきたいと思うのです。
2.
ここまでのパウロの伝道を少し振り返ってみたいと思います。初代教会の大伝道者、使徒パウロを中心とする宣教団は、ヨーロッパに入る前は、アジア州での伝道に行きづまりを覚えていました。聖書の表現では「聖霊によってみ言葉を語ることを禁じられてしまう」、あるいは「イエスの霊が許さない」、そういう状況の中で、パウロは幻を見たのです。一人のマケドニア人が立ってパウロたちをマケドニア伝道へと招く、そのような幻です。パウロたちは、これを神の召しと確信して直ちにアジア州の西の端にある港町トロアスから船出しました。そして、ヨーロッパへと渡ってきたのでした。16章と17章の前半部はそのヨーロッパ伝道の始まりのマケドニア伝道の報告であります。この後パウロたちはアテネからコリントへと進んで行きます。一人のマケドニア人によるマケドニア伝道への招きは、実は、全ヨーロッパ、ローマやスペインにまで至る世界伝道へと続く招きであったのです。
さて今朝のみ言葉10節から15節は、マケドニア伝道の最後の場面となります。そして、またギリシャの首都アテネや大都市コリントを含むアカイア州伝道の始まりでもあります。
ここでマケドニア州と呼ばれているのは、現在のギリシャ北部のマケドニア地域と旧ユーゴスラビアから分離独立した一つの国となった北マケドニアの両方にまたがる地域です。そこからアテネやコリントのあるアカイア州が半島として地中海に向かって南に突き出している、そういう地域です。フィリピの町もテサロニケもエーゲ海に面した大きな港町ですが、ぺレアは、少し内陸に入ったところにあります。
フィリピでも、テサロニケでも、パウロたちの開拓伝道は、神様が備えて下さった素晴らしい出会いによって、思いがけない仕方で進展してゆきました。わたしたちの伝道も同じだと思います。わたしたちの予測や願いに反するような出会いが与えられ、わたしたちの願いを越えて進展してゆきます。フィリピ教会もテサロニケ教会も、この頃は、まだ生まれたばかりの小さい群れです。けれども、このあと神様の恵みによって成長し、この後のパウロの手紙によればパウロを支え援助する群れとしてしばしば登場してくるようになります。
しかし、その一方で、現地のユダヤ会堂、シナゴーグの指導者たちの激しい反発を招くようになります。フィリピでもテサロニケでも、そしてこのぺレアでも、彼らの反対と陰謀によって、パウロは町を立ち去ることになるのです。そればかりか彼らは異邦人である町の当局者たちによって捕らえられ、むち打ちや投獄と言った迫害を受けたのです。しかし神様の恵みによっていずれの場合も助け出されて、ついには町を追われるに至るのです。
主イエス様は、12弟子を伝道に遣わしました時に、一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げて行きなさいとおっしゃいました。パウロたちもまた、その町で受けた迫害に徹底的に立ち向かって殉教するのではなく、フィリピから逃げ、そしてまたテサロニケから逃げて、ペレアへとやってきたのです。主イエス様が、他の町へ逃げることを勧めてくだった同じ個所で、主イエス様は、決してあきらめたり絶望したりせずに、最後まで希望をもって耐え忍ぶことも同時に教えてくださいました。「最後まで耐え忍ぶものは救われる」マタイによる福音書10章22節のみ言葉です。
3、
テサロニケから逃げ出したパウロたちは、テサロニケの教会員たちに守られて、ぺレアに到着します。これまでパウロたちが進んできたのはエグナティア街道と呼ばれる通商と軍用のための大きな道路です。ぺレアは、そこからは少し外れたところにあります。おそらくテサロニケ教会の兄弟たちは、もうここまではユダヤ人たちも追ってこないだろうと思われる、いわば逃れの町として、地味な地方都市のぺレアを選んだのではないでしょうか。また、ぺレアには、ローマの信徒への手紙16章でパウロと同郷の人だと明かされているソシバトロと言う人がいました。このことも関係していたかもしれません。テサロニケ伝道でパウロを助けたヤソンは、パウロの伝道によって主イエス様を信じ、シナゴーグから追われたパウロを自分の家に迎え入れた人です。そのヤソンが、ぺレアに住む同じ同国人のソバトロにパウロのことを頼んだという可能性は大いにあります。
パウロとシラスは、このぺレアの町に着くや否や伝道を始めます。まず、テサロニケの時と同様に、ユダヤ教の安息日礼拝の日、土曜日にこの町のユダヤ人の会堂シナゴーグに入り福音を伝えました。
先のテサロニケでは、パウロたちは三回の安息日の礼拝で福音を語りました。信じた人たちもいたのですが、ユダヤ人よりも、むしろ神を畏れる異邦人と呼ばれるシナゴーグに通う異邦人や上流階級の婦人たちが多くパウロに従いました。そのことが、シナゴーグの指導者たちを妬みに走らせ、迫害へと至ったのです。しかし、ぺレアの町のユダヤ人たちは違っていました。
大都会テサロニケとは違い、この町のユダヤ人たちは素直にパウロの語る福音によく耳を傾け、そして毎日、聖書を開いて、本当かどうか調べたと書かれています。その結果、そのうちの、つまりユダヤ人たちの多くのものが主イエス様を信じるに至ったのです。聖書にこう約束されている、こう書かれていると解き明かしたパウロの言葉について、それが本当かどうか、熱心に調べたというのです。信じること、信仰と知的な理解との密接な関係をこの御言葉は示しています。
使徒言行録の著者ルカは、ここのユダヤ人はテサロニケのユダヤ人よりも素直であったからと記しています。知的な探求を支えている心の在り方のことです。町々によって、同じユダヤ人でも違いがあったのです。このぺレアのユダヤ人のように、新しく聴かされたイエス・キリストの福音を素直に受け入れて聞く人々とそうでない人がいたというのです。
国民と国民との間にも民族性や文化に違いがあります。ある研究者が韓国にキリスト教が広まった理由の一つとして韓国人の文化や民族性を上げています。韓国人にはその喜怒哀楽の表現を見ても何となくわかりますが、裏表というものがなく、率直に福音の喜びを外に出すことのよって、良く伝道が進むというのです。一方、日本人の性格はどのようなものでしょうか。島国根性だとか言われますが、島国の人と一口に言っても、いろいろなことが言えるように思います。何か新しいものに向き合う態度は、どうでしょうか。よく和魂洋才といいますが、クリスマスのような表面的なものは受け入れても、その魂は変わることがないように思われます。ある韓国人は、日本人は頭が良すぎるのでイエス様の福音を受けいれないと言いました。素直でない、あるいは単純でないという意味でしょうか。わたしにはよくわかりません。
11節で「素直」と訳されているのは、語源的には「生まれが良い」という言葉です。ほかの聖書を見ますと新改訳は「良い人たちで」と訳していました。新改訳の2017年版では、同じように「素直で」と訳し変えられました。カトリックのフランシス会訳は「心が広く」と訳しています。改革派の大先輩の榊原康夫先生は、文語訳の元訳「ひととなりよし」がぴったりくると書いておられます。
ぺレアのユダヤ人たちは、心が広く、人となりが良かったのでパウロの福音の言葉をしっかりと聞きました。それだけでなく、聖書に照らしてその通りかどうか毎日調べたとも書かれています。そして、多くの人々が主イエス様を信じ、信仰に入りました。
シナゴーグに集まるユダヤ人たちや神を信じる異邦人たちも、基本的に旧約聖書を神様の御言葉として信じる人々です。信仰の教えの基準、いわば物差しとして聖書を重んじました。その聖書のみ言葉に照らして、パウロたちが伝える主イエス・キリストの福音、私たちを救う十字架と復活の福音は、その通りだ、本当だと信じたのです。当時聖書は貴重なものですから、シナゴーグに大切に保管されていますが、彼らは毎日のようにシナゴーグに来て勉強していたのだと思います。
ユダヤ人だけでなく、沢山のギリシャ人の上流婦人や男たちも信じました。ここの書き方は、身分の高い人は婦人だけで、男たちはそうではない一般人とも読めますけれども、元の言葉は、入り組んだ言い回しで意味の取りにくいところです。フランシス会聖書のように「上流階級の男や女で信じたものは多かった」と訳すこともできます。この方がふさわしいかもしれません。実は、このあと書かれるパウロの手紙には、マケドニアの諸教会が、パウロのために、また貧しい教会のためによく献金して諸教会の模範になったと繰り返し書かれています。ですから、このような身分の高い金銭的に恵まれた信仰者たちが良く捧げたのではないかと思われます。
ぺレアの教会は、福音の説教をよく聞き、そして同時に自分自身でも聖書を良く読んでいたことがわかります。わたしたちは、特に彼らが毎日聖書を調べてということを覚えたいと思います。
3、
神様の恵みの中で順調に進んだぺレア伝道でしたが、思わぬ妨害が現れたことが、13節に記されています。
なんと、ぺレア伝道の様子を聞きつけたテサロニケのユダヤ人たちが、80キロは離れているテサロニケからぺレアにやってきて、またもや群衆を扇動して騒ぎを起こしたというのです。なんということでしょうか。テサロニケのユダヤ人たちは、各地でパウロたちの伝道が功を奏していることを聞き、自分たちが彼らを絶滅させなければならないという思いをもったのでしょう。しかし、その動機は自己保存と妬みによるものでした。
テサロニケでもパウロたちは、聖書にもとづいて、救い主イエス・キリストを宣べ伝えました。けれどもそこのユダヤ人たちの多くは、パウロの語る福音を受け入れることがありませんでした。それどころか、パウロたちを迫害し、遠くぺレアまで追いかけてきて、妨害するのです。
ぺレアのユダヤ人たちが迫害したのではないのです。むしろ、ぺレアのユダヤ人たちは心の広い人たちで少なくない人が信じたのです。そして彼らは、異邦人の信者と一緒になってテサロニケのユダヤ人たちが仕掛けた群衆による騒動から、パウロたちを守りました。パウロを海岸の地方に避難させました。シラスとテモテはぺレアに残り、遅れてアテネでパウロと合流します。とにかくパウロを守ること、それがぺレアの兄弟たちの思いでした。
アテネは、マケドニア州の南のアカイア州の都です。ぺレアからアテネまでは300キロ以上の距離があります。おそらく船で移動したものと思われます。ここまでくれば大丈夫、さすがのしつこいユダヤ人も追ってこないだろうと言う遠方の町です。そしてアテネこそ、当時のギリシャ文明の中心地です。様々な思想や哲学が渦巻いている町です。パウロは、ここで心をときめかせながら次の伝道地のことを考えていたのではないでしょうか。
4、
さてぺレアの人々は、パウロたちの告げる福音を聞いて聖書を開き、毎日調べていました。パウロ自身も旧約聖書に精通したファリサイ派ユダヤ人でした。しかし、当時のユダヤ教の聖書解釈からさらに進み、主イエス様と聖霊に導かれて、聖書本来の読み方に到達しました。それは聖書は救い主イエス・キリストを証しする書物であり、読む人々が本当に神様の愛を知り信じ、受け入れることを目的に書かれていると信じる読み方です。
同じ聖書を読んでいながら、エホバの証人の人たちは、主イエス様を神の御子、私たちの礼拝の対象である生きた神であると認めません。聖書を読むことは大切ですが、どのように読むかが問題です。主イエス様が遣わされた使徒たちの教えに従って読まなければなりません。使徒たちの教えを学ぶことは主イエス・キリストについて学ぶことです。学ぶだけでなく、イエス・キリストをわたしの救い主、また私たちの救い主として信じ受け入れることです。
わたしたちは、わたしたちの信仰は聖霊によって導かれると信じますけれども、聖霊は聖書のみ言葉から離れて働かれることはありません。聖書に証されているイエス・キリストを信じ受け入れるように導いてくださるのです。祈りは霊の働きと密接にかかわります。祈ること、聖書を読むこと、両方のことが必要です。祈りと言う行為、行いは、すべての宗教の共通事項です。しかし、祈りだけでは危うさが残ります。御言葉を読まなければなりません。主の日の礼拝における説教もまた神のみ言葉の解き明かしです。説教が神の言葉である聖書お時菓子であるとき、本来の意味で一人ひとりの信仰を立て上げ、また教会を建て上げる力を持ちます。
ぺレアの人々が、毎日聖書を開き、同時にパウロの語る使徒の教えに耳を傾けていたことは、素晴らしいことです。私たちにとって模範となることです。神様、どうか私たちの信仰を強めて下さいと祈りつつ聖書を開きましょう。祈りを致します。
祈り
ご在天の父なる神、主イエス。キリストの父なる神、御名を崇めます。わたしたちに旧約聖書と新約聖書が与えられていることを感謝します。罪に堕ちて光を失ったこの世界とわたしたちの心を照らしてください。イエス・キリストの光で照らしてください。主の御名によって祈ります。アーメン