2025年10月12日「マケドニア人の幻」

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聖書の言葉

使徒言行録 16章6節~10節

メッセージ

2025年10月12日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録16章6節∼10節「マケドニア人の幻」

1、

 主イエス・キリストの恵みと平和が、今日、このおられるお一人お一人の上に豊かにありますように、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 今朝与えられた御言葉の中で最も印象深いのは、6節と7節に書かれている「パウロのアジア州また、ビティニア州への伝道が、聖霊、と主イエスの霊によって禁じられた」という個所です。主イエス様は「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい」と弟子たちに命じてくださいました。あるいはマルコによる福音書には「全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」という主イエス様の命令も記録されています。これに従って弟子たちは、どんなに危険が伴っていても、苦労がはなはだしく多くても伝道しました。それが主イエス様の御心だと確信していたからです。しかし、今朝の個所では、パウロは聖霊によって伝道を禁じられたと言うのです。

実は、今朝の御言葉の次にある11節から15節では、パウロたちがマケドニア州の大都市でありますフィリピの町に入っていきます。11節に「さてわたしたちは、トロアスから船出して」とも書かれています。トロアスは、アジア州の西の端にある大きな港町です。最初のヨーロッパ伝道が始められたのです。パウロたちは、ここから現在のギリシャのマケドニア地方とその北にある北マケドニア共和国にまたがっているマケドニア地方に入って行きました。フィリピには、後にパウロの大切な支援教会となるフィリピ教会が立てられます。新約聖書の中で喜びの手紙と呼ばれているフィリピの信徒への手紙が送られた教会であります。ヨーロッパ大陸における最初の伝道地がフィリピでありました。その意味で、この使徒言行録16章は、キリスト教会が初めてヨーロッパへとして行く転換点となった、とても大切な個所なのです。神様が、そこに行ってはいけないと禁じたことが、逆にパウロたちが予想だにしていなかったヨーロッパ伝道への新しい扉を開くきっかけとなりました。

2、

さてもう一度、6節と7節を続けてお読みします。

「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ州地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行きビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。」

わたしたちがM神様のためによかれと思って計画したことを聖霊が、禁じるということをなさる、そのようなことがここでは起きております。これは一体どういうことなのでしょうか。あるいはまた、7節ですが、ここでは同じ聖霊の神様のことがイエスの霊と呼ばれていますけれども、イエスの霊が許さなかったと記されています。アジア州伝道と言うパウロの最初の願いが聖霊によって禁じられました。それではということで次に計画したビテニア州伝道もまた許可されないということが起こっています。わたしたちはこのようなことをどう解釈したらよいのでしょうか。

ここで聖霊が禁じたと表現されている現実の姿が具体的にどのようなことであったのか、ここには明確には書かれていません。神様によって特別な恵みを受け、復活の主イエス様ご自身が直接召しだされたパウロのことですから、何か超自然的な啓示、天の声と言ったものがあったのではないかとも考えられます。しかし、それならばその有様がもっと具体的に書かれているはずですが、そうは書かれていません。ほかのところでは、ペトロやパウロがまさに超自然的な啓示を受ける有様が具体的に書かれていいます。しかし、ここの書き方は少し違っています。従って、何か特別の啓示、聖霊の直接啓示と言うことではないのではないかと思います。

おそらくパウロがアジア州やビティニア州に行こうとしたとき、それが許されないような実際の出来事や事件があったのでしょう。パウロはそれを聖霊が禁じた、イエスの霊が許さなかったと思い、使徒言行録の著者ルカもまた、そう信じたという可能性が高いと思います。

そのような障害となる出来事が起こり、それに直面しているただ中では、聖霊の導きとは思えず、反対にサタンの妨害と思ったかもしれません。いずれにしても、パウロはその出来事に直面して苦しんだに違いないのであります。けれども、その後の神様のお取り扱いの中で、あのとき聖霊の神様が禁じて下さったのだと思いなおし、そのことを受け入れ、感謝している、そういう時に始めて記された言葉ではないかと思います。

わたくしの心の中に、とても響いてくる一つの讃美があります。それはいわゆるワーシップソングと呼ばれている部類の讃美歌でありますが、リビングプレイズ131番「感謝します」という賛美です。この歌詞の中に、「願う道が閉ざされた」、言い換えると神様が「願う道をとざした」という言葉が出てまいります。これまさしく、聖霊が禁じた、あるいはイエスの霊が許さなかったとパウロが書いた出来事と重なることを歌ったものではないかと思うのです。ご存じでない方もおられると思います。歌いませんけれども、1番は、このような歌詞です。

「感謝します。試みにあわせ 鍛えたもう主の導きを。感謝します。苦しみの中で 育てたもう主を主の みこころを。

しかし願う道が閉ざされた時は、目の前が暗くなりました。どんな時でもあなたのお約束を忘れない者としてください。」

人の願う道、もちろんそれは神様の導きと信じて願い、またそれに向かって努力して進んでゆくのですが、けれども、それが神様によって閉ざされるということがあるのです。しかし、この讃美は、それを感謝しますと歌っております。パウロ自身もあとになって、そのことについては感謝しつつ、確かに聖霊の導きだったのだと思っていたのだと思います。

それにしても、その前のリストラとイコニオンの伝道は非常に祝福されたものでありました。だからこそ、いっそう、ここでは事柄の急展開に驚かされます。新しく加わった前途有望の伝道者テモテがチームに入り、彼らは方々の町を巡って伝道しました。教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増え、また教会の数が増えていったのです。この恵みを喜び、励まされながら一行はアジア州に入りました。けれども、うまくゆかなかったのです。アジア州の大きな都はエフェソです。パウロはここを目指したのだと思います。しかし御言葉を語ることを禁じられたのです。たぶん、はじめはアジア州で御言葉は語られたのだと思います。しかし、何かはわかりませんけれども、問題が起きて、それ以上語ることが出来なくなった、そういうことだと思います。

エフェソ入りをあきらめて、それではということで、北に向かいフリギア・ガラテヤ地方を通って、ビティビア州に入ろうとしました。つまりエフェソから見ると、ちょうど反対の対角線上に当たる北西にある地方、ビティニアへ行こうとしたのです。ところがイエスの霊がそれを許さなかったと記されています。そおそらくここでもまた問題が起きて、伝道が出来なかったのでしょう。まさに四面楚歌に陥ってしまったのです。

そもそも、この第二次伝道旅行は、第一次伝道旅行で訪れた町々をもう一度訪ねようというフォーローアップのために計画されました。ところが早々にバルナバと意見が衝突して分かれ分かれになりました。そこでパウロたちは、キプロス島に向かったバルナバとは反対の方向であるシリヤ、キリキヤ、つまり前回の伝道旅行の経路を反対に辿ろうとしたのです。そのように旅を続ける中で、パウロは、少しずつ計画を変更し、前回行けなかったアジア州へ足を延ばそうとしたのだと思われます。おそらく、シラスとテモテを加えて、伝道が順調に進み、大いに励まされていたからだと思います。しかし、急転直下、計画はかなわずに次々と道が閉ざされてしまったのです。

教会の歩みにおいても、あるいはまたわたしたちの人生においても、このようなことは必ず起こることではないでしょうか。どうしても初めの計画通りに行かない、それどころか思わぬ試練に出会うのです。それは病気であったり、勤め先の異変であったり、自分ではどうすることもできないことが起こって来る、そういったことです。けれどもそれもまた神様のご計画の内にあることなのではないでしょうか。

わたくしは、2014年4月に、京都の男山教会で14年間仕えましたあとに、大屋伝道所と和田山伝道所の二つの群れに遣わされました。大屋というところは、本当に絵にかいたような田舎でありました。馴れないこともたくさんあったのですが、住めば都とはよく言ったもので沢山の喜び楽しみ、恵みを味わいながら牧師の生活をしました。その時64歳でしたので、「このまま定年まで働こう、働きたい」と願い、そして「老後はここに残るか、それとも子供たちの近くに行くのかなあ」などと漠然と考えていました。しかし、3年たった時に、具体的に言うことはできないのですが本当に突然にある出来事が起こりまして、そこを去ることになりました。その出来事から結果的にさらに一年働いて、4年の働きを終えて、次に北神戸に遣わされ、そこで70歳の定年を迎えました。実際には、後任の西堀先生がおいでなるまで8カ月間延長して70歳8か月で現役の牧師生活にくくりをつけたのです。更に神様は、実は、わたしにとって全く計画外のことだったのですが、熊本に行くようと言う召しをくださいました。神様は実にしばしば、計画外のことを通して、わたしを導いて下さるということを実感するのです。

4、

 さて四面楚歌、八方ふさがりに陥ったパウロに神様は伝道の扉を開いてくださいました。イエスの霊がビティニア州入りを許さなかったので、パウロとその一行は反対の方向である西に向かって進み、そのままトロアスの港町に着きました。これから一体どうしたらよいのか、かいもくわからなかっと思います。その夜のことです。神様が世界伝道へと続く扉を開いてくださいました。パウロは、ここで夜眠っている時に夢を見たとは書かれていません。そうではなく夜に幻を見たとあります。もとの言葉は、ここは幻、つまり見えるものと言う言葉ですが、それを見せられたと受け身で記されています。自分から進んでみたのではなく、見せられた、つまり一人のマケドニア人が幻の中に現れたのです。恐らくパウロは寝付けない夜を過ごしていたのだと思います。そのとき幻を見せられ、一人のマケドニア人が立っていて、パウロを呼んだのであります。

「マケドニア州にわたって来て、私たちを助けて下さい」

助けると訳されている言葉は、援助する、力を貸すという意味があります。しかし、このときマケドニア州には、まだ福音が届けられていません。カトリックのフランシスコ会訳聖書では、「私たちを救ってほしい」と訳しています。幻のマケドニア人は、わたしたちに福音を伝えてほしい、私たちを救ってほしいとパウロに願ったのです。

 パウロは、神が自分たちをあらたな使命に召されていると確信しました。すぐに、この神様の召しにお答えしてマケドニアに行かなければならないと決心したのです。

わたしたちが思いがけない出来事によって人生に挫折し、こころが折れるような体験をしますが、神様は必ず、新しい道を示してくださいます。うずくまっているものに手を差し伸べてもう一度立たせてくださいます。教会が行き悩み、牧師や会員たちが苦しみを経験することがあったとしても、それはその次に神様が用意されている祝福のための準備の時間なのではないでしょうか。

パウロとその一行は、すぐにマケドニアに向けて出港しました。「すぐに」と書かれています。神様が招いているのに、立ち止まっている必要はなかったのです。

神様は、今わたしたちを新しい人生へと招いていないでしょうか。さらに神様にお仕えする道が用意されているのではないでしょうか。

先ほど紹介しました、感謝しますと言うワーシップソングの二番と三番の歌詞は次のようなものです。

感謝します 悲しみの時に 共に泣きたもう 主の愛を

 感謝します こぼれる涙を ぬぐいたもう 主の憐れみを

しかし願う道が閉ざされた時は、目の前が暗くなりました。どんな時でもあなたのお約束を忘れない者としてください。

感謝します 試みに耐える 力をくださる み恵みを

 感謝します 全ての事を 最善となしたもう 御心を

しかし願う道が閉ざされた時は、目の前が暗くなりました。どんな時でもあなたのお約束を忘れない者としてください。

さて、聖書に帰ります。この次の節である11節では、パウロたちは小アジア半島の西の先の港であるトロアスから船出して、サモトラケ島に行きます。ギリシャのネアポリスの港まで約200キロを僅か二日で到着したと書かれています。使徒言行録20章6節には、パウロたちが逆のコースをたどって、フィリピからトロアスに向かう記事があります。その時には船で五日間かかっています。

この驚くべき順調さ、船の速さは、心燃やされてマケドニアに向かうパウロたちの思いと重なります。マケドニアに到着したあとの出来事は、これまでの伝道旅行の行き詰まりが夢のようででした。数日前には全く想像していなかった道を神様は用意してくださということが出来ます。アジア州でみ言葉を語らないようにされたのは聖霊の神でした。ビティニア州に入ることが出来ないようにされたのもまたイエスの霊、すなわち聖霊の神でした。そして同じ神様が、パウロたちに新たな使命を与えて、福音伝道の道を開いてくださいました。すべてに、神様の恵みのご計画があります。お祈りを致します。

天におられる主イエス・キリストの父なる神様、御名を崇めます。今朝の御言葉を感謝します。思い通りにならないことに囲まれているかのようなわたしたちです。しかし、そこに神様の深いご計画があることを信じさせてください。主の御によって祈ります。アーメン。