2025年10月05日「パウロの第二次宣教旅行」

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聖書の言葉

使徒言行録 16章1節~5節

メッセージ

2025年10月5日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録16章1節~5節「テモテの割礼」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

今朝の説教題ですが、先週予告していました「パウロの第二伝道旅行1」から変えまして「テモテの割礼」といたしました。確かにパウロの第二次伝道旅行が、この16章から始まりのですけれども、これはずっと続いて行きまして、18章22節で再びアンテオキアに帰って来たところで終わります。それまで、ずっとパウロの第二次伝道旅行1,2,3,4とう説教題にするわけにはいかないと思いました。それでその週に与えられた聖書の御言葉ごとにふさわしい説教題をつけることにしました。今朝の説教題は「テモテの割礼」であります。

テモテと言う伝道者の名前は、わたしにとって忘れがたい思い出と結びついています。神戸改革派神学校の玄関にレリーフがあるのですが、そこに神学校に代々伝わる一つの聖句が刻まれています。それがテモテへの手紙2の2章15節です。「あなたは適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」テモテへの手紙2、2章15節と刻まれています。

卒業までの3年3か月、いやそれからも神学校に行くたびに校舎の玄関で繰り返し見て来た言葉です。テモテに向かって書かれた使徒パウロの言葉ですけれども、まさに自分に向けられた言葉としてこの命令形の御言葉を今も思い出すのです。つまり自分がテモテになったような思いなのです。

このテモテの名前が聖書の中で初めでてくるところが今朝の御言葉のはじめ16章1節です。またテモテつながりで、この時点から10年以上後になって書かれたと考えられますテモテへの手紙1の4章11節の有名なみ言葉のことも思い出します。このみ言葉は、卒業してゆく神学生に向かってよく語られるみ言葉です。第一テモテの4章11節をお読みします。「あなたは年が若いということで誰からも軽んじられてはなりません。むしろ言葉、公同、愛、信仰、純潔の点で信じる人々の模範となりなさい」

初代教会の伝道、とくに使徒パウロの働きを語る時に、このテモテという伝道者の存在を欠かすことが出来ません。この16章から本格的に始まるパウロの第二次伝道旅行、また18章の終わりから20章までに書かれているパウロの第三次伝道旅行、このどちらにもテモテは、使徒パウロに同行して一緒に働きます。時にはパウロが他の町に去って行ったあと、開拓した群れを守るためにその町にとどまってしばらく働いたり、またある時には、パウロの代理として旅先から別の群れに遣わされたりして、重要な働きをしています。

パウロはそれらの伝道地からあちらこちらの教会に手紙を書きました。その中で6つの手紙の共同差出人としてテモテの名が記されています。同じ伝道旅行の同行者であるシラス、別名シルワノの名については、テサロニケの信徒への手紙の第一と第二の二つだけで共同差出人となっているのとは大きく違います。

手紙を受け取った各地の教会の信徒たちは、手紙を読みながらあのパウロ先生とテモテ若先生から手紙が届いたといって二人の伝道者の顔や声を思い浮かべたと思います。こんな人物はほかにはいないのです。もちろんペトロやヨハネといった12使徒とは全く違って、あくまでパウロの助け手、協力者としての存在です。しかし初代教会でのテモテの存在と働きが大変大きいものであったことはまちがいありません。さて今朝与えられましたのは、このテモテとパウロの最初の出会い、そしてパウロの配慮によってテモテが割礼を受けたというみ言葉です。

パウロが、この若き伝道者テモテに初めて出会ったのは、今朝のみ言葉の小アジアの町、リストラでありました。このときテモテは20代の前半、パウロは40代の後半であったと推定されます。ちょうど親子のような年齢です。

そしてこのテモテと言う人は、ここでは弟子と呼ばれております。使徒言行録では弟子は全ての信者の別名です。わたしたちと同じ主イエス様の弟子です。2節には、テモテはリストラとイコニオンの兄弟たちの間で評判が良かったと書かれています。リストラとイコニオンという二つの町は同じガラテヤ州にありますが約30キロ離れています。評判が良いと訳されている言葉は、「良い証しがされている」という言葉です。使徒言行録6章に師たちとともに働く7人の奉仕者の選出の条件が記されています。そこには霊と知恵に満ちた評判の良い人を選びなさいと書かれています。ここも同じ「評判の良い」、直訳すると、「良い証しがされている」という言葉が使われています。また10章で百人隊長コルネリウスの人となりを示す言葉としても使われています。リストラ、あるいはイコニオンのある地域の信者たちの間で霊と知恵に満ちた指導者の資質がある若者として名が知られるようになった人だと言うのです。素晴らしい教会の働き手として名前が知られていた、そういう人でありました。そのテモテにパウロは注目して、彼を伝道旅行の助手として見出したのであります。テモテはパウロの期待通りの働きをしました。後にはエフェソの教会の伝道と牧会を任せられていて、当時の呼び方で言いますと監督になっています。

さて16章1節にテモテを紹介する記事があります。信者のユダヤ婦人の子と言われています。後にパウロがしたためましたテモテに対する手紙、テモテへの手紙2,1章5節にこう書かれています。「あなたの純真な信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っているとわたしは確信しています」。三代目の信者なのです。

パウロの第一次伝道旅行の最後の町がイコニオンとリストラでした。おそらくその時に、テモテの祖母ロイスと母エウニケが、主イエス様を信じたのだと思います。その後の教会生活の中でテモテも信仰を得て洗礼を受けました。そして、テモテは次第に教会の働き手として伝道に邁進するようになったのだと思います。

主イエス様の12弟子たちは、初代のクリスチャンです。初代と言う点ではパウロも同じです。そういう中でクリスチャンの家庭から教会の働き手、伝道者が現れるようになりました。テモテはその代表のような人物です。1節に、父は、ギリシャ人であったとあり、さらに3節に、町の人々皆がテモテの父はギリシャ人であったことを知っていたとあります。細かい釈義はここでは語りませんが、この書きぶりは、その父はすでに町にはいない、おそらく亡くなっていることを示しています。母と祖母によって見守られながら、テモテは、信仰を持ち、そして主イエス様の弟子として教会の中で活躍していたのです。

15章の終わりで、パウロは、第一次伝道旅行の町々を再び巡回する、いわばフォローアップの旅に行こうとバルナバを誘いました。しかし、以前、伝道の旅の途中でエルサレムに帰ってしまったやはり若者のマルコをもう一度、助手として連れて行くかどうかで、バルナバと衝突して別行動をとりました。バルナバはマルコを連れて南のキプロス島にゆき、パウロはシラスと一緒に西へと進みます。シラスは、預言者とも呼ばれている説教に秀でたエルサレム出身の弟子であり、いわばバルナバの代わりの同伴者です。そしてもう一人マルコのような助手が必要だったのです。パウロは、バルナバと別れて行ったその先でテモテを見出し、彼をこれから先の伝道旅行に一緒に連れてゆきたいと思うようになりました。

3、

 3節の御言葉をもう一度、お読みします。「パウロは、このテモテを一緒に連れてゆきたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシャ人であったことを皆が知っていたからである」

 パウロは、テモテを連れ出すに際し、割礼を受けさせたと書いてあります。パウロの第一次伝道旅行と第二次伝道旅行の間に挟まれている重大事件が、割礼を巡るエルサレム使徒会議でありました。

 主イエス様を信じたならば、割礼を受けなければならない、そうでなければ救われることはできないとする割礼派ユダヤ人クリスチャンに対してパウロとバルナバは反対しました。救いはただ主イエス様の十字架と復活による、主イエス様を信じることによって救われるのだから割礼は必要ないと主張しました。エルサレム使徒会議では、ペトロもまた同じように主張して異邦人が救われる恵みを証ししています。会議の結論は、当時、柱とみなされていた主イエス様の兄弟である使徒ヤコブによってまとめられました。

 割礼は必要ない、けれどもユダヤ人クリスチャンが躓かないように、また共に食卓の交わりに与かるために、異邦人クリスチャンは偶像に捧げられた肉を食べない、また絞め殺した肉、血を含んだままの肉を食べないようにしよう、また、みだらな行いをしない、こういった三つの項目を守るというのが会議の結論でした。

エルサレム使徒会議では、断固割礼に反対したパウロです。反割礼、アンチ割礼の張本人であるパウロがここではテモテに割礼を受けさせたというのです。このことを聞いて、おかしい、一体どうなっているのか、パウロは、人の目を気にして大切な信仰義認の教理を放棄したのかと疑問に思う方もおられるかもしれません。しかしそうではないのです。

 このときのパウロの行動そして割礼を受け入れたテモテの側の考えや目的をよく考察しなければなりません。

 まず、ハラカーと言うユダヤ教の規定によると、両親がユダヤ人であるとき、また母親がユダヤ人であり、父親のほうが異邦人であるとき、その子はユダヤ人とされます。父親がユダヤ人であっても、異邦人の母親から生まれた人はユダヤ人とはみなされません。父親が確かにユダヤ人であるという証拠がないからです。つまり確かにユダヤ人から生まれた人がユダヤ人であるという考え方です。さらに男子は生まれて八日目に割礼を受けなくてはなりません。

テモテの両親は、何らかの理由で生まれて八日目のテモテに割礼を授けなかったのでしょう。父親の方針と言うこともあったかもしれません。そうなりますと、テモテは、血統的にはユダヤ人であっても、ユダヤ教徒とはみなされずユダヤ人の共同体からは離れて生活してきたことになります。

パウロは、テモテを伴ってこれから伝道旅行に出かけます。そのとき、まずはユダヤ教の会堂、シナゴーグに入り、旧約聖書を解き明かしながら主イエス・キリストを宣べ伝えることになります。しかし、このままではテモテは正規のユダヤ人とは認められず、シナゴーグに入ることも、そして、そこでみ言葉を語ることもできません。

エルサレム使徒会議の議題は、救われるために旧約聖書の律法の規定を守ることが必要かどうかと言うことでした。その結論は、必要ない、異邦人に負いきれない重荷を負わせてはならないということでした。

今回、テモテが割礼を受けたのは、決してテモテ自身の救いのためではありません。割礼の有無は関係なく、主イエス様を信じることだけで人は救われます。罪の赦しをいただき、聖霊によって新しく生まれます。主イエス様が十字架におかかりになって死んでくださったからです。そして三日目に神の命を得て蘇られたからです。誰もが無条件に救いをいただくのです。

テモテが割礼を授けられた理由は、3節によれば、その地方に住むユダヤ人の手前と言うことでした。手前と訳されている、もとの言葉は、新改訳聖書がそう訳しているように「ユダヤ人たちのために」と言う言葉です。これから伝道に赴く地に住むユダヤ人たちが、ユダヤ人でありながら割礼を受けていないテモテによって躓きを覚えないためです。そしてテモテがユダヤ教の会堂、シナゴーグで自由に語ることのため、つまり伝道のためです。

パウロはコリント信徒への手紙9章19節から20節に次のように記しています。「わたしは誰に対しても自由なものですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました、ユダヤ人を得るためです。」さらに22節にはこうも記しています。「弱い人に対して弱い人になりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして、何人かでも救うためです。福音のためなら。わたしはどんなことでもします。それはわたしが福音に共に与るためです。」

4、

 パウロとシラス、そしてテモテは、第一次伝道旅行のときに福音を伝えた町々を巡って伝道しました。第二次伝道旅行が本格的に始まったのです。第一回目と違っている点は、エルサレム使徒会議で、救いのために割礼は必要ないことが明確になり、そして、使徒教令と呼ばれますが、偶像に捧げられた肉、絞殺した肉、つまりユダヤ人が嫌う仕方で屠殺した肉と血を食べないこと、そしてみだらな行いを避けることと言う三つを信じた人々に伝えるためでした。

このことによってユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの間の交わりいっそう密になり、教会は力を取り戻したことでしょう。その結果、5節に記されているように、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていったのです。

テモテと言う働き手を伝道旅行に送り出したリストラの教会もまた例外ではありません。むしろテモテの献身が、人々に一層の信仰の励みとなったに違いありません。テモテの伝道者としての献身は、パウロがリストラの教会に二回目に訪問したことがきっかけとなりました。そのとき、パウロは、バルナバが推薦したマルコに代わる伝道の助け手を求めていました。ここには神様のご計画があったことは間違いありません。テモテの伝道者への召しは、彼自身が思ってもいなかったときに与えられました。しかし、神様は、その母エウニケ、また祖母のロイスが信仰を得たときから、そのことをご計画しておられたのです。

神様は、様々な働きに働き手を召してくださいます。そこには神様の御心がありご計画があります。そして今朝の御言葉は、パウロがいかに自由な人物であったかを語っています。主イエス様の十字架によって、わたしたちは行いによる救いという窮屈な信仰から解き放たれました。自由を頂きました。そして今度は、この自由を如何に用いるかということがわたしたちの課題となりました。それは救いの条件ではなく、主イエス様に喜んでいただくにはどうすればよいかという救われたものの生活、信仰の問題です。パウロは伝道のために喜んでこの自由を用いました。わたしたちもまた同じ自由を与えられています。

祈りを致します。

わたしたちの愛する主、主イエス・キリストの父である神、御名を崇めます。パウロは、あれほど戦いの焦点となっていた、割礼をテモテに受けさせました。それはユダヤ人への伝道のためでした。そして異邦人もまた、この自由について大いに学びを与えられたと思います。どうかわたしたちも自由に生活し、また同時にこの自由を福音のために用いることが出来ますよう、御言葉と聖霊の導きをどうかお願いいたします。主の御によって祈ります。アーメ