2025年09月07日「エルサレム使徒会議1」

日本キリスト改革派 熊本教会のホームページへ戻る

聖書の言葉

使徒言行録 15章1節~11節

メッセージ

2025年9月7日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録15章1節~11節「エルサレム使徒会議1」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

8月は夏期伝道の牧野神学生が説教奉仕を4回してくださいましたので、今朝は、久しぶりに講壇に立っています。さて昨年6月からすでに1年3カ月をかけて、継続して使徒言行録のみ言葉を聞き続けています。今朝は第15章の前半部の1節から21節の御言葉をご一緒に聞いております。先週の予告では11節までとしていましたが、結果的に22節までを一回の説教で語ることにいたしました。15章は、キリスト教会の歴史の中で大切な意味をもっている会議、エルサレム使徒会議と呼ばれていますが、その会議について記されたみ言葉です。

15章のほぼ全体を使って、会議が開かれたいきさつ、会議の様子、そして最終的な結論が記されています。そして会議の結論だけではなく、その会議で一致したことを正しく保存して、さらに諸教会に広く周知伝達するために文書が書かれ、この文書を携えた教会派遣の特使がアンティオキア教会に送られたというところまで記されています。最後まで行き届いた記録となっています。ああ、この会議があってよかったなあと思います。そうでなければ、ひょっとすると教会で洗礼を受けると同時に男性は皆、割礼を受けさせられたかも知れないからです。

実は、わたくしが、約50年前に洗礼を受けた頃ですが、この個所を読んでいてある戸惑いを覚えたことを思い出します。それは、会議の結論となった20節の3つの禁止事項のことです。つまり偶像に供えた肉と、みだらな行い、そして、絞め殺した動物の肉と血を避けることについてですが、これが、現代のわたしたちキリスト者もまたしてはならいのかどうか、とても気になったのでした。通っていた教会では、救われるための条件として、神さまを信じ、救い主イエス・キリスト信じる以外に、こんな教えを日常的に受けたこともなかったからです。また、この3つの守るべき事柄が決められた理由が、神に立ち帰る異邦人を悩ませないためと書かれていることも良くわからなかったのです。それは、この会議の発端が、異邦人も割礼を受けなければ救われないのかどうかということから始まったのですが、それが救われるために守らなければならない何か別の戒めに変化したように思えたからでした。

しかし、聖書を読み続け、教会で御言葉を聞いてゆく中で、そのような心配はしなくても良いことが分かって来ました。ここでの急所は、第一に救われるための割礼は必要でないと言うことであり、そして第二に、どのような時代であっても、また文化の違いがあったとしても、教会の兄弟姉妹の間で互いに重荷を背負わせないということ、互いに相手を思いやる必要があると言うことだったからです。

例えばニンニクやキムチが嫌いな会員がいる時に、教会の愛餐会でキムチ炒めを出すかどうかとか、あるいは会員同士が食事をするときに、ビールを飲むかどうかということとつながっていることなのです。

2,

使徒言行録を続けて読みますと、この会議のあと、異邦人伝道がますます進展していったことが分かります。直面している問題について教会が一致するための会議が開かれ、そして手間暇かけて一致がもたらされたことが、福音伝道の進展と深く結びついていることが良くわかります。

この会議は初代教会の歴史の中で最も重大な出来事の一つですけれども、現代に生きているわたしたちにとっても大きな影響を及ぼした会議であったと思います。それは、わたくしたち今、信じているイエス・キリストの救い、すなわち福音と、これまでユダヤ人たちが大切にしてきた割礼やモーセ律法、もっと言えば旧約時代の律法全体との関係がここではっきりと議論されているからです。

割礼は、今日でも信仰深いユダヤ人が大切にしている儀式です。男の子が生まれて八日目に男性の性器の先の皮を切り取るのであります。旧約聖書の創世記17章の神様とアブラハムとの契約の中で定められ、さらにモーセの時代になって、レビ記12章の中であらためてイスラエルの民全体に命じられました。

もしこの会議で、わたしたちの救いのためには割礼を受けることは必要ないということが全会一致で決まらなかったとすれば、どうなったでしょうか。これは大変なことでありました。教会はその後も割礼や律法を巡って論争が続き、ひょっとすると、教会の会員になるためには洗礼だけでは不十分であって、男性は洗礼に加えて割礼も受けなさいと言われるようになったかもしれません。

また割礼だけではなく今日のユダヤ教の人々が大切にしている旧約聖書のさまざまな食物規定や安息日の規定なども守るべしとされていたかもしれないのであります。食物規定と言います  のは、旧約聖書のモーセの律法が定めたもので、食べていけないものと良いものについての掟です。例えば牛肉は良いが豚肉はいけないとか、太刀魚は良いけれども、形は似ていても、うろこのない魚であるウナギは禁止といったことが今もって教会の中でまかり通っていたかもしれないのです。

エルサレム使徒会議は、旧約聖書で神様が命じた律法・儀式、また生活における様々な規定が新約時代においても依然として効力を持つのか否かと言う問題について激しく議論をしました。その結果、イエス様が教えて下さった福音、救いはただただ神様の恵みによるという一本の筋が決して曲げられることなく貫かれました。割礼をはじめとする旧約の儀式律法や社会律法は救いのために必要ではないというまっとうな結論が得られたのであります。

2.

このエルサレム使徒会議が開かれるようになったいきさつが、今朝のみ言葉の最初の部分1節と2節とに記されています。

アジア州の大都市アンテオィキアに立てられたアンティオキア教会は、パウロとバルナバの働きもあって大きく成長しました。ユダヤ人以外の異邦人たちが続々と加えられるようになりました。さらにこの教会は世界伝道の拠点となり、指導的な地位にあったパウロとバルナバを第一次伝道旅行に派遣しました。その結果、イエス・キリストを信じる人々が異邦人の中に爆発的にふえてゆきました。

それまでは、あのペンテコステの奇跡によって生まれたエルサレム教会が伝道の中心でした。信者たちの大半は割礼を受けた男性とそれを当然とする女性たちです。モーセ律法に定められた食物規定を生まれたときから何の抵抗もなく守ってきた人々でした。一方、当時のギリシャ世界の人々の大半はユダヤ人ではありません。割礼も受けていません。また、旧約聖書の食物規定も守りませんし知りません。ユダヤ人たちはその人たちを異邦人と呼び、信仰深い人々なら決して彼らと関わり持とうとしませんでした。異邦人は汚れたものを日常的に食べ、その生活は律法にかなわないので神様の目から見て汚れていると信じていたためでした。

そういう異邦人たちが主イエス様を信じて罪の赦しと神様の愛を知った時、ユダヤ人同様に旧約聖書に定められているモーセの律法に従わなければならないのかどうか、また信仰を持った異邦人たちがモーセ律法に従わないままであるとき、律法を守るユダヤ人クリスチャンと交際できるのかどうか、これが問題でした。

パウロとバルナバがアンティオキア教会や第一伝道旅行で導いた異邦人信者たちは、信じたしるしとして洗礼を受けるように求められました、けれども、割礼やモーセ律法という旧約の規定を守ることは求められませんでした。しかし一方で、エルサレムを中心とするユダヤ地方の教会の中には、洗礼に加えて、割礼を受け、モーセの律法を守るユダヤ人のような生活をしなければならないと教える者たちが存在していたのです。それは、今朝のみ言葉の5節によりますと、ユダヤ人の中でも特に律法を守ることに厳格であったファリサイ派から信者になった人々だということです。

エルサレム教会の中心である12使徒たち、その柱となっているペトロは、神様から直接、神が清めたものを汚れていると言ってはならないと教えられました。そして、割礼を受けていない異邦人である百人隊長コルネリスの救いにも関わっています。エルサレム教会の全員が、割礼派であったのではなく、一部に強硬な人々がいたということです。そのような強硬派は、各地で異邦人たちが救いを受けていると聞いて、彼らにも割礼を受けさせねばならないという使命感を持ち、あちらこちらに出かけて行って割礼とモーセ律法を守ることを勧めていたのであります。

そういう人たちが、パウロとバルナバが指導するアンティオキア教会にもやってきました。そして、あなたがたもモーセの律法の慣習に従って割礼を受けなければ救われない、文字通りに訳すと「救われることは決してできない」、と教えたのです。「教えていた」と訳されている言葉は、繰り返し教えた、教え続けたというように訳せる言葉です。

当然、パウロとバルナバは黙っていません。その結果、意見の対立、論争が生じました。ここは意見の対立といったなま易しい響きの言葉ではなく、騒動、暴動とも訳せる激しい言葉が使われています。割礼を受けなければ救われない、モーセの律法に従わねばならないと、自分たちがあたかもエルサレムの本山から来た権威ある正式の使者のような顔で教え、パウロやバルナバと対立しました、そこで、せっかく成長してきたアンティオキア教会は一種の混乱状態に陥った、こういっても良いと思います。

海外からやってきた宣教師が正統的な福音を教えてくれるなら、これは良いことです。しかし、その宣教師の個人的な意見や偏った教え、あるいは母国の文化的なことを、これが正統的キリスト教だと伝えてしまうような宣教師がいるならば、これは大きな問題です。実際、他の教団教派から移ってこられた方からそういった例を聞いたことがあります。あるアメリカ人の宣教師は、信者は必ず信者と結婚しなければならない、未信者と結婚するなら救われないと教えたそうです。また別の宣教師は、禁酒禁煙はもちろん、信者は、洗礼を受けたならば、この世的な番組であふれているようなテレビを見てはならないと厳しく教えました。これこそが純粋正統的なキリスト教の伝統であると言ったそうです。さらに何を着るか何を食べるか、どういう本を読むか、事細かに指導したそうです。困ったことだと思うのです。

あるいは、宣教師でなくとも日本人の牧師が交代したときに、これまでの牧師と違う教えが突然始まったり、これまでとは違った神学に基づく説教が始まったりすることがあります。それによって教会が混乱し、立ち行かなくなってしまうことも起こります。そのようなことから教会が守られるためには、どうすればよいでしょう。牧師たちの間に正しい教理が共有されていなければならないと思います。宣教師や新しい牧師を受け入れる時に、その人がどういう信仰の背景をもっているかが問われねばなりません。

多くの教団では宣教師を受け入れるときには同じ教会の伝統、流れに立つ人を受け入れるために、教団同士で宣教協力関係を結んで信仰の一致のもとで伝道の協力をします。単に、わたしはこの神学校で学びました、その神学校を卒業しましたと言うだけではなく、試験をする、正統的な信仰への誓約を求めると言ったことがされるのです。信仰告白と教会政治を一つにすること、それに基づく善き生活において一致していることが、教会が教会としてきちんと立ってゆくためには必要なのです。「みんなちがってみんないい」と言う言葉がありますが、こと教会の基本的な教えについてはそうであってはならないと思います。

アンティオキア教会は、この混乱を解決し、正しい福音に立ってこれからも伝道してゆくために、パウロとバルナバ、さらに数名のもの、おそらく長老たちを加えた使節をエルサレムに派遣しました。生まれたばかりの初代教会は、今まさにそのような大切な課程を経て、神様の求める教会らしい教会へと成長してゆこうとしているのです。

3、

 3節は、パウロとバルナバの一行がエルサレム教会に向かう途中に、フェニキアとサマリア地方に立てられている教会を訪ねたときの様子です。「さて一行は、教会の人々から送り出されて、フェニキアトサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。」

 フェニキアは、ステファノの殉教の時から各地に散らされていったユダヤ人たちが伝道した町の一つです。使徒言行録11章19節によれば、そのフェニキア伝道では、彼らはもっぱらユダ人に伝道したのです。サマリアも同じなのですが、信者たちは皆割礼を受けたユダヤ人であり、これまで通りにモーセ律法に従う生活をしていたと思います。けれども彼らは、パウロとバルナバの異邦人宣教の成果を喜び、割礼を異邦人に受けさせたかどうかを気にする様子はありません。同じユダヤ人信者でも、わざわざアンティオキアまでやってきた割礼派のユダヤ人とはだいぶ様子が違います。彼らは、何よりも福音が広まったことを喜んでおります。

 そしてパウロとバルナバは、エルサレムに到着しました。ここでも兄弟たちに喜びをもって迎えられました。教会では、歓迎集会、そして彼らの伝道報告会が開かれたのであります。4節には「彼らは、教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され」とあります。そしてパウロとバルナバは、神が自分たちと共にいて行われたことをことごとく報告しました。パウロとバルナバたちの伝道は決して彼らの個人的な働きではなく、神様が共にいて下さったからこその働きであり、そのすべてを、神様を賛美しながら報告しました。

 しかし、この報告会は喜びと讃美一色では終わりませんでした。ファリサイ派から信者になった人数名が、パウロとバルナバに注文を付けました。「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」あなたがたがそれをしていないのはいけない、問題だと異議を唱えたのです。

 報告集会は、そこで終わりましたが、そののちに使徒たちと長老たち、つまり教会役員だけの会議がおこなわれ、パウロとバルナバもこれに参加しました。これが教会の歴史に名を遺すエルサレム使徒会議です。基本的な方針を定め教会を治めるために神様によって立てられた役員たちが集まり、この問題を協議したのです。

7節には「議論を重ねたのち」とあります。どのような議論がされたかはここには記されていません。議論を重ねたということは、異邦人も割礼を受けるかどうかについて、何らかの統一見解が、それまではまだ出来ていなかったことを示しています。そして、この会議には割礼派の人々も出席して意見を述べていたことが7節以降のペトロの言葉と13節からのヤコブの言葉からわかります。会議が終盤に差し掛かったところで、エルサレム教会の指導者の一人であるペトロが、異邦人伝道の恵みを語り、神は聖霊によって割礼を受けていない異邦人を清めてくださったので、そのままで救われると主張しました。救いは主イエス様の恵みによるのであり、割礼は関係ないと言ったのです。そして異邦人信者に割礼を求めることは、彼らに取って負いきれないくびきであり、神を試すようなことだと割礼派ユダヤ人を説得しています。

続けて、バルナバとパウロが異邦人伝道の恵みを語り、それらはすべて神様が自分たちを通してなされたことだと証ししました。そして最後に議論をまとめたのはヤコブでありました。このヤコブは、12章で最初の殉教者となった使徒ヤコブ、また小ヤコブと呼ばれるとはアルファイの子である使徒ヤコブとも別のヤコブです。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙1章15節で、彼が回心後に最初にエルサレムに上った時に、ケファ、つまりペトロと15日間過ごし、それからエルサレム教会を指導するようになっていた主イエス様の兄弟であるヤコブにだけ会ったとしるしています。このヤコブが語ります。

今シメオン、つまりペトロが話したように神が異邦人を救われたことは、旧約聖書アモス書9章11節12節の異邦人の救いの成就であり、彼らを悩ませてはならないと結論付けました。

そして、律法を重んじるユダヤ人キリスト者と、そうではない異邦人キリスト者が平和に共存し交わりをするために三つのことを提案します。これが、今朝の御言葉につづくエルサレム使徒会議の結論になりました。

なるほど20節には、まるで割礼に代わる新しい律法が救われるために必要になったと読めるような言葉が記されています。けれども、わたしたちはヤコブが「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」と言っているのを心に留めるべきなのです。ユダヤ人からすると、異邦人もまた割礼やユダヤ人の食物規定を守って欲しい、そうすれば何の抵抗感もなく、一緒に食事ができるし交わりが出来るのですが、そこまでは求めない、求めてはならないと言うのです。

4、

 エルサレム使徒会議が開かれたのは教会の信仰的一致のためでありました。それは福音が広められ、伝道が進んでゆくために必要なことでした。わたしたち熊本伝道所が属している日本キリスト改革派教会は毎年10月に大会を開催します。大会の議員は、長老と各教会から選ばれた長老たちです。今年は10月28日から30日まで、神戸市の神港教会で全国から150名以上の牧師と長老が出席して開催されます。大会の主に扱われることは、教会を代表する議長と常任書記長、常任書記などの選挙、また、わたしたちの教会の信仰基準と教会規則について、および、国内、海外の他の教会との協力について、そして伝道、教育、執事的活動のために設けられている様々委員会の働きについての協議です。

それは教会の伝道と教育、またすべての働きが、全教会の信仰の一致の中でなされるためであります。福音の伝道が平和と恵みの中で進むためには、教会には信仰的、教理的な一致がなければなりません。イエス・キリストの福音とは何かということについて教会において基本的な一致があることを神様は喜んでくださいます。祈りを致します。