2025年06月01日「神に栄光を帰す」

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聖書の言葉

使徒言行録 12章20節~25節

メッセージ

2025年6月1日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録12章20節~25節「神に栄光を帰す」

1、

教会の頭でありわたしたちの主でもあられる、御子イエス・キリストの恵みと平和とが、今朝ここにお集まりのお一人お一人の上に、豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

ずいぶん前のことになりますけれども、説教の勉強会で、説教でよく使われる言葉の中で、実はあまり使わない方が良い言葉の一つとして「生きざま」という言葉があると教えられました。なぜかと言いますと、まず「ざま」という言葉が良い意味ではないことですね。そして、これは別の説もありますが、そもそも「生きざま」という言葉が「死にざま」という、これも人を貶める言葉から派生したものだからだそうです。「この生き様が、この死にざまを招いた」というように用いられたそうです。

先ほどご一緒に聞きました御言葉は、使徒言行録12章の最後の段落です。ユダヤの王であるヘロデ王が無残な死に方をしたという記事であります。この人は、エルサレムの教会の指導者である使徒ヤコブを殺害し、さらにペトロを殺そうしたのですが、最後には天使によって撃たれ、さらに蛆に食い荒らされて死んだというのです。ヘロデ王、ヘロデ・アグリッパ一世は、ローマ帝国に取り入って権力を得たヘロデ家の末裔です。12章1節に、彼がヤコブを殺害した理由が書かれています。当時、エルサレムで活動するキリスト教会に敵意を抱いていたユダヤ教の当局者、また彼らに追随するユダヤ人たちの好意を得るためであったと記されています。それは極めて政治的な動機でありました。

ヤコブを殺害し、さらにペトロをも殺そうとしましたが、ペトロの場合には、教会の熱心なお祈りと天使の助けによって間一髪救い出されました。同じ天使であったかどうかはわかりませんが、ヘロデ王は天使によって撃れて倒れたというのです。今朝の聖書の御言葉は、まさに「その生きざまが、この死にざまを招いた」と言いたくなるような出来事だと思います。

終わりのほうの24節にはこう書かれています。「神の言葉はますます栄え、広がっていった」

ユダヤ人に取り入って教会を迫害していた権力者の死と、主イエス様の福音がますます栄え、広がっていったことが結びつけられています。ここで注目したいのは、ヘロデ王の死によって教会が発展しはじめた、伝道が成功し人数が増えたと書かれていないことです。そうではなくて「神の言葉はますます栄え、広がっていった」とあります。

つまり教会の評価としては、集まっている人の数、数字が問題とされるのではなく、その働きが良くなされていくことが大切であることを表しています。教会の存在を通して福音が栄える、強められることが大切なのですね。数量的な成果に心奪われますと、やはり人間が栄光を受けることにつながるのではないでしょうか。がわたしたちは人ではなく、神様に栄光を帰さなければならないと思います。

このヘロデ王は、正式にはヘロデ・アグリッパ1世です。主イエス様をローマ総督ポンテオピラトに訴えて十字架に付けたヘロデ王の孫であります。この名前は、この12章だけで9回も登場していますけれども、聖書全体の中では、この使徒言行録12章にしか出てきません。彼がユダヤを治めた期間は三年ほどであったと公に記録されています。

ヘロデ・アグリッパ1世は、使徒ヤコブの首を撥ね、さらにペトロをも殺害しようと牢に入れ、教会を迫害しました。しかし、兄弟たちの祈りの中、その企ては失敗し、ペトロは主の天使によって救い出されました。ヘロデ王は、ペトロを見張っていた番兵たちを処刑します。そして自分を神として賞賛する民衆の声を聞きながら天使に撃たれ、蛆に食い荒らされて死ぬのです。聖書は、それは神に栄光を帰さなかったからだと記しています。

12章全体は、このヘロデ王の迫害と教会の闘いの物語と言ってよいでしょう。そのヘロデ王が死んだ直後に、神の言葉、福音がこれまで以上に前進したことが告げ知らされています。ヘロデ王のおごり高ぶりを神様が裁かれました。ヘロデ王は、ユダヤ教を信じる国、ユダヤの王でありながら神に栄光を帰さなかったのです。そして突然の死を迎えました。教会は、ひと時、苦難の道を通りましたが、神様はその力強い御手を伸ばしてくださり、苦難を取り除き、再び教会の働きとしての福音に力を与えてくださいました。

紀元一世紀に活躍したフラウィウス・ヨセフスと言う有名なユダヤ人の歴史家がいます。この人は、ファリサイ派で反ローマ帝国の大立者だったのですが、紀元70年のエルサレム陥落を前にしてローマ当局に投降しました。その後は、その能力と博識を認められてローマ帝国の要職を歴任しました。歴史家として、ユダヤ戦記、ユダヤ古代史などたくさんの著作を世に残しています。ユダヤ古代史第18巻には、有名な、キリスト証言があります。イエス・キリストが十字架に付けられたことや復活したこと、多くのユダヤ人やギリシャ人がイエスを信じたことが記されています。これは聖書外の貴重なキリスト証言として知られています。

19巻には、ヘロデ王の死が記録されています。今朝のみ言葉は、ヘロデの急死のことを記していますけれども、実は同じことをユダヤ古代史のほうも記録しています。聖書は、教会の立場からヘロデ王の死の有様を記し、ヨセフスはローマ帝国と良い関係を結んでいるユダヤ教の立場から同じ事件を記します。

ヘロデ王の急死の場面は、彼が何らかの怒りのために食料を途絶させたツロとシドンの人びととの和解の式典の場でありました。

長くなりますが、ユダヤ古代史の文章をそのまま引用致します。お聞きください。

「アグリッパスは、全ユダヤを王として支配するようになってから満三年のときが経過したとき、カイサレイアの町を訪問した。彼はそこでカイサルの安寧を祈願する祭りがとり行われるのを知って、カイサルの名誉のための見世物を送って祝った。さて、見世物の二日目のことである。アグリッパスは、銀の糸だけで織られた素晴らしい布地で裁った衣装を付けて暁の劇場に入場した。太陽の最初の光が銀に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめる人たちに畏怖の念を与えずにはおかなかった。すると突然、各方面から佞(へつらい)人どもが「ああ神なるお方よ」と言う呼びかけの声を上げ、そして言った。

『陛下がわたしたちにとって吉兆でありますように。たとえこれまでは陛下を人間としておそれてきたとしてもこれからは不死のお方であります。』

王はこれらの者たちを叱りもしなければ、神に対する冒涜として退けることもしなかった。ところがしばらくして王が視線を上方に転じると、頭上の綱の上に一羽のフクロウが止まっているのを見た。これはかつての日の喜びの前兆であり、これからの災いの前兆であった。それを悟った瞬間、彼は心臓に刺すような痛みを覚えた。しかもその激しい痛みは全身に広がり、ついで締め付けるような痛みがおそった。そこで彼は身もだえしながら言った。

『お前たちに不死とよばれた予は、今死の判決を受けている。世は神のご意思としてお受けせねばなるまい、思えば予の生涯は平凡どころか恵まれた素晴らしいものだった』。

こう語っている最中彼はさらに激しい痛みに襲われた。人々は急いで彼を宮殿に運び込んだ。彼が危篤状態であることは人々にたちまち伝わった。こうして五日間にわたって復部の痛みに消耗しきった王はついに54年間の生涯と7年間の治世を終えた。」

一方、聖書は、ヨセフスが記録している彼の心臓と腹痛の痛みを主の天使の働きと理解しています。その上にウジに食われて死ぬという、旧約聖書では神に打たれる悪人の死に方とされている悲惨な最後を描いています。ヨセフスが、フクロウがかつては喜びの前兆だったと言っていますのは、ユダヤ古代史18章の記事によるものです。

こういうことです。アグリッパがかつて皇帝に嫌われて投獄されていた時に、フクロウが現れというのです。あるゲルマン人の奴隷が、預言して、ふくろうが現われたのであなたは解放される、そして次にフクロウが現れたらあなたは死ぬと告げたのです。その不吉のしるしの二回目のフクロウがカイザリアの劇場に現れたというのです。

聖書は、主の天使がヘロデを打ち倒したのは、彼が神に栄光を帰さなかったためであると断言しています。「神に栄光を帰すこと」は、「人に栄光を帰すこと」の反対のことです。初代教会の指導者、使徒パウロは、すべてのことについて神に栄光を帰すことが、私たちが成すべきことであり神の御心であると言いました。神に帰すべき最終的な栄光を神に返さないで、人に帰すことは、神がないものとして人生を送ることです。神の代わりに人を神として崇めることにつながります。

使徒言行録14章に、パウロがアジアのリストラと言う町で伝道したときのことが記されています。パウロが足の不自由な男をいやしたので、リストラの人々は「神々が人間の姿を取ってお下りになったのだ」といい、ゼウスの神殿の祭司がパウロに花輪と、牛のいけにえを捧げようとする事件が起きました。このときパウロはすぐさま服を裂いて群衆の中に飛び込み、わたしたちはあなたがたと同じ人間ですと叫んだのです。

ヘロデ王には、このような神様に対する恐れの思いがあいません。そして自らを神格化することを良しとしたのでした。23節後半の「神に栄光を帰さなかった」と訳されている元のギリシャ語を直訳すると、「神に栄え、輝きを与えなかった」「神を賛美賞賛しなかった」となります。ヘロデは、自分自身を神のごとく輝かせて、自分を人々に讃美賞賛させました。

わたしたちは、それぞれの人生において、またこの世界の中で、神様を神様として、神に栄光を帰す生き方をすることが、大切なことです。それは難しいことでもないし、何か変わったことではないと思います。もっとも人間らしいこと、神の前に本当の意味で自分らしく生きることです。

わたしたちは人生において、何を中心とするのでしょうか。それによってわたしたちの人生には決定的な違いが生まれます。ユダヤ古代史の19章には、ヘロデの死を知ったカイサリアの人びとが手の平を返したように、ヘロデに対して侮辱の言葉を投げかけ、ヘロデが町に置かせていたヘロデの娘の像を没収して、こともあろうか町の売春宿の屋根に置いたと書かれています。ヘロデは自分を欺き、町の人々はヘロデを欺いていたのです。そこには真実はありません。

考えてみますと、自らを高ぶらせることと反対に他の人にこびへつらうことは同じ根を持っているのではないかと思います。ヘロデ王が使徒ヤコブを殺害しペトロを殺そうとしたのは、ユダヤ人を喜ばせるためでした。そうして自分が人々から褒められようとしたのです。周りの人々を傷つけたり、不安な思いをさせたりしないよう、相手の立場にたつことは大切なことです。それはこびへつらうことではありません。しかし自分が栄光を受けるために嘘をついたり、人をだましたりすることは神様が喜ばれる道ではありません。

そうではなく、信仰者の生き方は、神を愛し、人を愛する神中心の道です。第一コリントの10章31節のパウロのみ言葉をお読みします。「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしてもすべてを神の栄光を現わすためにしなさい」

ヘロデ王がこのような有様で死んだことは、嘘やごまかしを上手に使うような人間がいっとき目先の栄光を受けたとしても、神様の決定的な裁きを受けざるを得ないこと意味します。わたしたちは、人間の栄光、目先の損得に心を向けずに、神様が御栄光を受けること、神の名がほめたたえられることを、目指すのです。けれども、わたしどもの思いはいつも自分の名誉や損得に向いています。そうではないでしょうか。わたしたちには悔い改めが必要なのです。

「何をするにも神に栄光を帰す」という、さきほどのコリントの信徒への手紙1、10章31節のみ言葉ですけれが、これはウエストミンスター小教理問答書第一問の最初の証拠聖句となっています。16世紀、17世紀の宗教改革の集大成と言われますウエストンスター信仰基準、その小教理問答の第一問はこのようなものです。第一問、「人の主な目的は何ですか」。答「人の主な目的は神の栄光を現わし、神を喜ぶことである」。最近出ました改革派教会の大会公認訳では「人間の主要な目的は何ですか」「人間の主要な目的は、神の栄光を讃え、永遠に神を喜ぶことです」となっています。

小教理問答の第一問の答の、もとの英語は、人の主な目的、「チーフエンド」は、「エンジョイ、アンド、グロリファイ、トゥー、ゴッド」、である、と言う印象深い言葉です。エンジョイ、アンド、グロリファイ、トゥー、ゴッド。

神をエンジョイし、グロリファイする、今朝の御言葉の最後のところ、神の言葉がますます栄え、広がって行くことということは、このような神への喜び、賛美がなされること、広げられてゆくことだと思います。わたしたちの伝道の目的もここにあります。わたしたちが主イエス様によって救われ、人ではなく、神に栄光を帰すこと、どんなときも神を賛美し礼拝することが出来ること、これこそ福音です。教会が、改めて神様の前に恐れを覚え、心から神様に栄光を帰すこと、神の言葉がますます栄え、広がって行くために心を向けてゆきたいと思います。

祈りを致します。

祈り

天の父なる神さま、主イエス・キリストの父なる神さま。御名を讃美します。初代教会は、さまざまな苦難を経験しますが、彼らは決して屈することなく、絶えず祈り、また神様に栄光を帰して粘り強く伝道しました。わたしたちもまた同じように、主イエス様を信じて、世の終わりまで、あなたがよしとされる時まで、自分男ためでなく神様のために、尊い福音を宣べ伝えて行くことが出来ますよう助け導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。