聖書の言葉 使徒言行録 12章1節~19節 メッセージ 2025年5月25日(日)熊本伝道所礼拝説教 使徒言行録12章1節~19節「天使が脇腹を」 1、 御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。 今朝あたえられましたみ言葉は、使徒言行録12章1節から19節までです。いつもよりは長くとることになりました。実は、12章の全体は、今朝はまだ読読でいませんけれども、この後の20節から24節を含めて、一つのまとまった物語になっています。まず1節の「ヘロデ王による迫害が起こった」というみ言葉から始まり、そのヘロデ王が最終的には神様の裁きを受けて悲惨な仕方で命を絶たれるという23節、その後日談の24節で終わります。そこまで語りますとあまりに長くなりますので、今朝の説教では、19節までで区切りまして、最後のヘロデ王が死ぬ場面は次回にすることにいたしました。 この12章全体の結論になっているみ言葉は明らかであります。今朝読みました聖書個所には入っていませんが、12章24節です。「神の言葉はますます栄え、広がっていった」。結果としてそのような恵みが教会に与えらました。けれども、当初は誰もそのようなことを予想してはいなかったのです。使徒言行録を読んで行きますと、大きな恵みの出来事が起きますと、次にはそれを打ち消すような試練が待ち受けている、教会は再び悲しみと絶望に打ちひしがれてしまう、しかしそこから再び神の恵みが与えられる、この繰り返しになっていることが分かります。わたしたちの人生、あるいは教会の歩みと同じなのです。 12章の前の11章は、バルナバとパウロによる異邦人伝道のことが書かれていて、神様の祝福の中で、エルサレムとは別のもう一つの拠点教会、アンティオキア教会が設立されました。大きな恵みです。しかしその一方で、本家のエルサレム教会には大きな困難が訪れています。 エルサレムの教会、母なる教会はアンティオキアにバルナバを送り出したあと、打ち続く迫害によって消滅の危機を迎えています。そもそもアンティオキアの伝道が進んだのは、エルサレムから大勢の信者たちが散らされていったことがきっかけでした。ステファノは殉教し、残った人たちはかろうじて礼拝を続けていました。しかしついにはヨハネの兄弟ヤコブがヘロデ王によって殺されました。このヤコブは、主イエス様の兄弟であるヤコブとは別の使徒で、福音書にしばしば描かれていたペトロ・ヨハネ・ヤコブという三羽ガラスの一人のヤコブです。このころエルサレムには大飢饉が起こっていたこともあり、教会は急速に力を失ってゆきます。ヘロデ王は、ここぞとばかり益々居丈高になって指導者ペトロを捕らえます。もちろんヤコブと同様に殺害するつもりでありました。3節に除酵祭の時期と書かれており、また4節には過越し祭の後で民衆の前に引き出すつもりだったと書かれています。このヘロデ王、ヘロデ・アグリッパ1世は、あのヘロデ大王の叔父にあたります。叔父であるヘロデ大王が主イエス様を十字架にかけたことをここで再現しようとしていることは明らかです。ファリサイ派を始めユダヤ人たちの願い通りに、教会を滅ぼそうと考えています。そしてそれは十分にできると自信満々であったと思います。 そういう中で教会が何をしたかと言いますと、これはもう祈るしかありませんでした。別の見方をすれば祈ることが出来たということでもあります。わたしたちは、困難や試練を前にして、もう祈ることとしか出来ませんと、半ば嘆きを込めて、語ることがあると思います。しかし、祈ることが出来るということはとても大きなことではないでしょうか。どんな状況かでも、祈ることが出来る、それはキリスト者の特権でだと思うのです。そして神様は、そのようなわたしたちの祈り、また教会の祈りに必ず応えてくださいます。 2、 ヘロデ王は、指導者ヤコブをまず捕らえて剣で殺しました。剣で殺すと言いますのは、十字架や石打刑ではなく、首を切る、つまり洗礼者ヨハネと同様の仕方で死刑にしたことを示しています。 ヤコブを処刑し、次にはペトロを捕らえて同じように処刑しようとしています。除酵祭は、種入れぬパンの祭りとも言われます。昔イスラエルの民がエジプトを脱出したときに、時間がなかったので発酵させないパンを作りそれを持って逃げた、そのことを記念する祭りです。鴨居と柱に子羊の血を塗っていたイスラエルの民の家だけが、神様の裁きを免れ、神が過ぎ越して行かれたので別名「過ぎ越しの祭り」とも呼ばれます。ユダヤの暦では、ニサンの月の14日が過ぎ越し祭、それから六日間が除酵祭ですが、当時のユダヤではこの二つの祭りの名はほとんど区別することなく使われていたようです。 過ぎ越し祭、除酵祭には沢山の人がエルサレムに集まります。そのときに、ユダヤ教を脅かし、このごろは異邦人ともかかわりを持ち出したキリスト教会を迫害することは、キリストを信じない多くのユダヤ人の人気を得る方策でもありました。 その過ぎ越し祭、つまりヘロデ王がペトロを引き出して処刑しようとしていた日の前の夜に、主の助けがペトロに与えられました。教会では、明日はペトロが処刑されるというときであっても、そのことを知っていたのか知らなかったかわかりませんが、ペトロのための祈りが熱心にささげられていました。12節には、その祈りの場所はマルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家であったと書かれています。家の教会に集まり、ペトロ先生を助けてください、教会を守ってくださいと祈りを続けていたのです。ある人は、そこでの祈りは、すでにペトロの殉教を前提にした祈りであり、ペトロが主イエス様を否定することなく最後まで信仰を守ってくださいと神様に祈る祈りだったのではないかとい言っています。だから、主の天使によってペトロが救い出されたときに、初めはそれを認めることが出来なかったというのです。 わたしたちがその場にいたならば、どういう祈りをするのでしょうか。仮に、わたくしが迫害のために捕らえられて処刑されるかもしれないというときに熊本教会の兄弟姉妹方は、どういう祈りをしてくださるでしょうか。わたしは、命が助けられるように、獄から出ることが出来るように祈ってほしいと思います。もちろん、主イエス様が、十字架に架けられる前の夜に祈られたように、もしそれがかなえられないとしても、すべてのことを益としてくださる神様の御心がなりますようにという従順の祈りで閉じてくださることも構いません。しかし、まずは生きて帰れるように祈ってほしいと願うのです。 当時教会員たちは、ヘロデ王の手によって投獄されるなら簡単には帰れないこと、そして先にヤコブが処刑されていることからペトロもまた処刑される可能性が高いことを皆知っていたはずです。しかし、それでも神様にはできないことはないということを信じて祈っていたと、わたくしは思うのです。わたしたちも同じように祈ってほしいと思いますし、祈りたいと思うのです。 3、 さて牢獄では、四人一組の兵士四組、つまり合わせて16人の兵士が交代でペトロを見張っていました。使徒たちが牢に入れられたのは初めてではありません。ペンテコステの後で、爆発的に信仰者が与えられたとき、ユダヤ教の側、つまり大祭司とその仲間たちは妬みに燃えて使徒たちを捕らえました。使徒言行録5章19節から25節に記されていますように、そのときも使徒たちは、天使の導きによって、そこから脱出することが出来ました。そしてすぐに家に帰るのではなく捕らえられる前と同じように、エルサレム神殿の境内で福音を伝え始めました。彼らは再び捕らえられて裁判にかけられています。かつてそういう奇跡的な出来事が起こりましたから、ヘロデ王は、今度はいっそう厳重な監視体制をとっていたのです。 四人一組の兵士のうちの二人は、ペトロの両脇で共に鎖を繋ぎ、ほかの二名は周囲を見張っていたのでしょう。真夜中、ペトロは主の守りのうちに眠っていました。そのとき、主の天使が脇腹をつついたと言われます。脇腹は人間の体の中で骨のない柔らかい所、また敏感なところです。急いで起き上がりなさい、こうペトロに命ずると鎖は離れ落ち、二重三重の扉が次々と開いてペトロは廊の外に出ました。ペトロはこれが現実のこととは思わず幻と思いました。そう思うしかないほどの奇跡であります。 11節をお読みします。「ペトロは我に帰って言った。今初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わしてヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆる企みからわたしをすくい出してくださったのだ。」 ペトロがここで「本当のことが分かった」と言っていることは大切なことだと思います。つまり、ある出来事を通して、わたしたちが、こんなことがあるはずがないと思っていることが崩されてしまうのです。教会で、神様がおられると言われてもよくわからない、ピンとこないと言う事があるかも知れません。しかし、ペトロが「今初めて本当のことが分かった。」というように確かな事実、真実が分かる、そういうときが与えられるのです。あのとき、このとき、神様が確かに助けてくださったのだ、それこそが、本当のことだったのだと、霧が晴れるように見えてくるのです。 わたしたちが試練に会うとき、わたしたちは一体どうしてこんなことが起きるのかと不信仰な思いになってしまうことがあるかもしれません。けれども主はこの試練を必ず主への感謝へと変えてくださるお方です。そして試練から逃れることができたとき、わたしたちは自分の力や、能力によってではなく、主がこのことをしてくださったと悟るのです。「今初めて本当のことが分かった」。そして感謝の祈りをするのです。 ペトロ自身は、ようやく自分に起きていることの意味を悟ることが出来ました。しかし祈りを捧げていた当の兄弟姉妹たちは、すぐにそのことを悟ることが出来ません。 マルコと呼ばれるヨハネの母の家はペトロがいつも滞在していた家の教会の一つでしょう。獄から出たペトロはその家に向かい、門の扉をノックします。中から女中が出てきますが、ペトロの声を聞き、言葉を聞いて、ペトロが帰って来たことを知ります。しかし喜びのあまり、扉を開けずにすぐに家に立ち戻って仲間に報告しました。ところが、仲間たちはすぐに信じないで、あなたはおかしくなったとか、それはペトロ先生ではなく、ペトロの姿をした守護天使だろうと言うのです。 ペトロの方は我に帰っていて、事態が急を告げていることを知っています。兵士たちが目を覚まし、後を追ってくるかもしれないのです。急いで身を隠す必要がありました。ペトロは門をたたき続け、仲間たちはやっと門を開けて彼を迎えたのです。彼らは非常に驚いたと書かれています。 ペトロの救出を祈っていたけれども、こんなに早くそれが実現するとは思わなかったからかもしれません。あるいは自分たちの祈りが人間的には不可能であることを知りながら、それでも祈っていたので。それが実現してしまっても信じることが出来なかったのかもしれません。祈りは、わたしたちの心を神様の御心に添わせてゆく格闘でもあります。ペトロ先生のことを主におゆだねしますと祈り、獄から出ることよりも、獄中の守りと平安を祈っていたのかもしれません。しかし、主は、彼らの祈りを遥かに超えて、ことを進めて下さったのです。 わたしたちは祈りについて大きな誤解をしていることはないかと思うのです。それは、わたしたちの祈りが真実に心からの祈りであり、それが熱心であればあるだけ、神さまはそれに比例して願いを聞き届けてくださるという誤解です。祈りの時間が長ければ長いほどその効果が大きいと考えてしまうことです。 しかし、本当にペトロが姿を現わしたとき、祈っていながら信じることが出来なかった兄弟姉妹の祈りにも、神様は確かに答えてくださったのです。わたしたちは祈ります。祈らなければならないと思います。けれども、それによって、つまり自分たちの祈りの力によって神様を自分の思い通りに働かそうと言うのであれば、それは神様にではなく自分たちの力に頼ることになってしまいます。神様は、至らない、貧しいわたしたちに対する恵みによってわたしたちを救ってくださいます。 4、 さて、当時の定めは、囚人を監視する兵士がもしその囚人を逃がしてしまったときは、囚人が受けるべきであった刑罰をその兵士が受けねばならないというものでした。番兵たちは取調べられ、処刑されました。一方ペトロの方は、ヘロデ王がペトロの脱獄を知り、自分がお尋ね者となったことを知っていましたので、その家から出て、別のところに身を潜めなければなりませんでした。彼が、次に姿を現すのは、ヘロデ王が死んでしまってからであります。 教会の迫害、使徒たちの処刑に心燃やすヘロデ王のもとで、エルサレムの教会は痛めつけられ、狙われ続けられたことでしょう。しかし、ヘロデ王は神様の御配慮によって命を取られ、迫害は下火になってゆきます。 そして、これら一連のことによって、教会は神様の恵みと力がいかに大きいかと言うことを明確に知ることが出来ました。試練を乗り越えた教会はいよいよ力強く働き、神の言葉はますます栄え、広がっていったのです。 祈りを致します。 祈り 天におられる私たち父なる神、主イエス・キリストの父なる神、御名を崇めます。貧しく乏しい私たちの祈りをあなたは、聞いていて下さり、わたしたちの思いを越えてすべてのことを成し遂げてくださると信じて感謝を致します。試練の中でも、また成功と思えるような中でも、絶えず謙遜になり、あなたにこそ力があることを信じさせてください。主の名によって祈ります。アーメン。
2025年5月25日(日)熊本伝道所礼拝説教
使徒言行録12章1節~19節「天使が脇腹を」
1、
御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
今朝あたえられましたみ言葉は、使徒言行録12章1節から19節までです。いつもよりは長くとることになりました。実は、12章の全体は、今朝はまだ読読でいませんけれども、この後の20節から24節を含めて、一つのまとまった物語になっています。まず1節の「ヘロデ王による迫害が起こった」というみ言葉から始まり、そのヘロデ王が最終的には神様の裁きを受けて悲惨な仕方で命を絶たれるという23節、その後日談の24節で終わります。そこまで語りますとあまりに長くなりますので、今朝の説教では、19節までで区切りまして、最後のヘロデ王が死ぬ場面は次回にすることにいたしました。
この12章全体の結論になっているみ言葉は明らかであります。今朝読みました聖書個所には入っていませんが、12章24節です。「神の言葉はますます栄え、広がっていった」。結果としてそのような恵みが教会に与えらました。けれども、当初は誰もそのようなことを予想してはいなかったのです。使徒言行録を読んで行きますと、大きな恵みの出来事が起きますと、次にはそれを打ち消すような試練が待ち受けている、教会は再び悲しみと絶望に打ちひしがれてしまう、しかしそこから再び神の恵みが与えられる、この繰り返しになっていることが分かります。わたしたちの人生、あるいは教会の歩みと同じなのです。
12章の前の11章は、バルナバとパウロによる異邦人伝道のことが書かれていて、神様の祝福の中で、エルサレムとは別のもう一つの拠点教会、アンティオキア教会が設立されました。大きな恵みです。しかしその一方で、本家のエルサレム教会には大きな困難が訪れています。
エルサレムの教会、母なる教会はアンティオキアにバルナバを送り出したあと、打ち続く迫害によって消滅の危機を迎えています。そもそもアンティオキアの伝道が進んだのは、エルサレムから大勢の信者たちが散らされていったことがきっかけでした。ステファノは殉教し、残った人たちはかろうじて礼拝を続けていました。しかしついにはヨハネの兄弟ヤコブがヘロデ王によって殺されました。このヤコブは、主イエス様の兄弟であるヤコブとは別の使徒で、福音書にしばしば描かれていたペトロ・ヨハネ・ヤコブという三羽ガラスの一人のヤコブです。このころエルサレムには大飢饉が起こっていたこともあり、教会は急速に力を失ってゆきます。ヘロデ王は、ここぞとばかり益々居丈高になって指導者ペトロを捕らえます。もちろんヤコブと同様に殺害するつもりでありました。3節に除酵祭の時期と書かれており、また4節には過越し祭の後で民衆の前に引き出すつもりだったと書かれています。このヘロデ王、ヘロデ・アグリッパ1世は、あのヘロデ大王の叔父にあたります。叔父であるヘロデ大王が主イエス様を十字架にかけたことをここで再現しようとしていることは明らかです。ファリサイ派を始めユダヤ人たちの願い通りに、教会を滅ぼそうと考えています。そしてそれは十分にできると自信満々であったと思います。
そういう中で教会が何をしたかと言いますと、これはもう祈るしかありませんでした。別の見方をすれば祈ることが出来たということでもあります。わたしたちは、困難や試練を前にして、もう祈ることとしか出来ませんと、半ば嘆きを込めて、語ることがあると思います。しかし、祈ることが出来るということはとても大きなことではないでしょうか。どんな状況かでも、祈ることが出来る、それはキリスト者の特権でだと思うのです。そして神様は、そのようなわたしたちの祈り、また教会の祈りに必ず応えてくださいます。
2、
ヘロデ王は、指導者ヤコブをまず捕らえて剣で殺しました。剣で殺すと言いますのは、十字架や石打刑ではなく、首を切る、つまり洗礼者ヨハネと同様の仕方で死刑にしたことを示しています。
ヤコブを処刑し、次にはペトロを捕らえて同じように処刑しようとしています。除酵祭は、種入れぬパンの祭りとも言われます。昔イスラエルの民がエジプトを脱出したときに、時間がなかったので発酵させないパンを作りそれを持って逃げた、そのことを記念する祭りです。鴨居と柱に子羊の血を塗っていたイスラエルの民の家だけが、神様の裁きを免れ、神が過ぎ越して行かれたので別名「過ぎ越しの祭り」とも呼ばれます。ユダヤの暦では、ニサンの月の14日が過ぎ越し祭、それから六日間が除酵祭ですが、当時のユダヤではこの二つの祭りの名はほとんど区別することなく使われていたようです。
過ぎ越し祭、除酵祭には沢山の人がエルサレムに集まります。そのときに、ユダヤ教を脅かし、このごろは異邦人ともかかわりを持ち出したキリスト教会を迫害することは、キリストを信じない多くのユダヤ人の人気を得る方策でもありました。
その過ぎ越し祭、つまりヘロデ王がペトロを引き出して処刑しようとしていた日の前の夜に、主の助けがペトロに与えられました。教会では、明日はペトロが処刑されるというときであっても、そのことを知っていたのか知らなかったかわかりませんが、ペトロのための祈りが熱心にささげられていました。12節には、その祈りの場所はマルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家であったと書かれています。家の教会に集まり、ペトロ先生を助けてください、教会を守ってくださいと祈りを続けていたのです。ある人は、そこでの祈りは、すでにペトロの殉教を前提にした祈りであり、ペトロが主イエス様を否定することなく最後まで信仰を守ってくださいと神様に祈る祈りだったのではないかとい言っています。だから、主の天使によってペトロが救い出されたときに、初めはそれを認めることが出来なかったというのです。
わたしたちがその場にいたならば、どういう祈りをするのでしょうか。仮に、わたくしが迫害のために捕らえられて処刑されるかもしれないというときに熊本教会の兄弟姉妹方は、どういう祈りをしてくださるでしょうか。わたしは、命が助けられるように、獄から出ることが出来るように祈ってほしいと思います。もちろん、主イエス様が、十字架に架けられる前の夜に祈られたように、もしそれがかなえられないとしても、すべてのことを益としてくださる神様の御心がなりますようにという従順の祈りで閉じてくださることも構いません。しかし、まずは生きて帰れるように祈ってほしいと願うのです。
当時教会員たちは、ヘロデ王の手によって投獄されるなら簡単には帰れないこと、そして先にヤコブが処刑されていることからペトロもまた処刑される可能性が高いことを皆知っていたはずです。しかし、それでも神様にはできないことはないということを信じて祈っていたと、わたくしは思うのです。わたしたちも同じように祈ってほしいと思いますし、祈りたいと思うのです。
3、
さて牢獄では、四人一組の兵士四組、つまり合わせて16人の兵士が交代でペトロを見張っていました。使徒たちが牢に入れられたのは初めてではありません。ペンテコステの後で、爆発的に信仰者が与えられたとき、ユダヤ教の側、つまり大祭司とその仲間たちは妬みに燃えて使徒たちを捕らえました。使徒言行録5章19節から25節に記されていますように、そのときも使徒たちは、天使の導きによって、そこから脱出することが出来ました。そしてすぐに家に帰るのではなく捕らえられる前と同じように、エルサレム神殿の境内で福音を伝え始めました。彼らは再び捕らえられて裁判にかけられています。かつてそういう奇跡的な出来事が起こりましたから、ヘロデ王は、今度はいっそう厳重な監視体制をとっていたのです。
四人一組の兵士のうちの二人は、ペトロの両脇で共に鎖を繋ぎ、ほかの二名は周囲を見張っていたのでしょう。真夜中、ペトロは主の守りのうちに眠っていました。そのとき、主の天使が脇腹をつついたと言われます。脇腹は人間の体の中で骨のない柔らかい所、また敏感なところです。急いで起き上がりなさい、こうペトロに命ずると鎖は離れ落ち、二重三重の扉が次々と開いてペトロは廊の外に出ました。ペトロはこれが現実のこととは思わず幻と思いました。そう思うしかないほどの奇跡であります。
11節をお読みします。「ペトロは我に帰って言った。今初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わしてヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆる企みからわたしをすくい出してくださったのだ。」
ペトロがここで「本当のことが分かった」と言っていることは大切なことだと思います。つまり、ある出来事を通して、わたしたちが、こんなことがあるはずがないと思っていることが崩されてしまうのです。教会で、神様がおられると言われてもよくわからない、ピンとこないと言う事があるかも知れません。しかし、ペトロが「今初めて本当のことが分かった。」というように確かな事実、真実が分かる、そういうときが与えられるのです。あのとき、このとき、神様が確かに助けてくださったのだ、それこそが、本当のことだったのだと、霧が晴れるように見えてくるのです。
わたしたちが試練に会うとき、わたしたちは一体どうしてこんなことが起きるのかと不信仰な思いになってしまうことがあるかもしれません。けれども主はこの試練を必ず主への感謝へと変えてくださるお方です。そして試練から逃れることができたとき、わたしたちは自分の力や、能力によってではなく、主がこのことをしてくださったと悟るのです。「今初めて本当のことが分かった」。そして感謝の祈りをするのです。
ペトロ自身は、ようやく自分に起きていることの意味を悟ることが出来ました。しかし祈りを捧げていた当の兄弟姉妹たちは、すぐにそのことを悟ることが出来ません。
マルコと呼ばれるヨハネの母の家はペトロがいつも滞在していた家の教会の一つでしょう。獄から出たペトロはその家に向かい、門の扉をノックします。中から女中が出てきますが、ペトロの声を聞き、言葉を聞いて、ペトロが帰って来たことを知ります。しかし喜びのあまり、扉を開けずにすぐに家に立ち戻って仲間に報告しました。ところが、仲間たちはすぐに信じないで、あなたはおかしくなったとか、それはペトロ先生ではなく、ペトロの姿をした守護天使だろうと言うのです。
ペトロの方は我に帰っていて、事態が急を告げていることを知っています。兵士たちが目を覚まし、後を追ってくるかもしれないのです。急いで身を隠す必要がありました。ペトロは門をたたき続け、仲間たちはやっと門を開けて彼を迎えたのです。彼らは非常に驚いたと書かれています。
ペトロの救出を祈っていたけれども、こんなに早くそれが実現するとは思わなかったからかもしれません。あるいは自分たちの祈りが人間的には不可能であることを知りながら、それでも祈っていたので。それが実現してしまっても信じることが出来なかったのかもしれません。祈りは、わたしたちの心を神様の御心に添わせてゆく格闘でもあります。ペトロ先生のことを主におゆだねしますと祈り、獄から出ることよりも、獄中の守りと平安を祈っていたのかもしれません。しかし、主は、彼らの祈りを遥かに超えて、ことを進めて下さったのです。
わたしたちは祈りについて大きな誤解をしていることはないかと思うのです。それは、わたしたちの祈りが真実に心からの祈りであり、それが熱心であればあるだけ、神さまはそれに比例して願いを聞き届けてくださるという誤解です。祈りの時間が長ければ長いほどその効果が大きいと考えてしまうことです。
しかし、本当にペトロが姿を現わしたとき、祈っていながら信じることが出来なかった兄弟姉妹の祈りにも、神様は確かに答えてくださったのです。わたしたちは祈ります。祈らなければならないと思います。けれども、それによって、つまり自分たちの祈りの力によって神様を自分の思い通りに働かそうと言うのであれば、それは神様にではなく自分たちの力に頼ることになってしまいます。神様は、至らない、貧しいわたしたちに対する恵みによってわたしたちを救ってくださいます。
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さて、当時の定めは、囚人を監視する兵士がもしその囚人を逃がしてしまったときは、囚人が受けるべきであった刑罰をその兵士が受けねばならないというものでした。番兵たちは取調べられ、処刑されました。一方ペトロの方は、ヘロデ王がペトロの脱獄を知り、自分がお尋ね者となったことを知っていましたので、その家から出て、別のところに身を潜めなければなりませんでした。彼が、次に姿を現すのは、ヘロデ王が死んでしまってからであります。
教会の迫害、使徒たちの処刑に心燃やすヘロデ王のもとで、エルサレムの教会は痛めつけられ、狙われ続けられたことでしょう。しかし、ヘロデ王は神様の御配慮によって命を取られ、迫害は下火になってゆきます。
そして、これら一連のことによって、教会は神様の恵みと力がいかに大きいかと言うことを明確に知ることが出来ました。試練を乗り越えた教会はいよいよ力強く働き、神の言葉はますます栄え、広がっていったのです。
祈りを致します。
祈り
天におられる私たち父なる神、主イエス・キリストの父なる神、御名を崇めます。貧しく乏しい私たちの祈りをあなたは、聞いていて下さり、わたしたちの思いを越えてすべてのことを成し遂げてくださると信じて感謝を致します。試練の中でも、また成功と思えるような中でも、絶えず謙遜になり、あなたにこそ力があることを信じさせてください。主の名によって祈ります。アーメン。