2025年05月11日「クリスチャンの名の由来」

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聖書の言葉

使徒言行録 11章19節~26節

メッセージ

2025年5月11日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録11章19節~26節「クリスチャンの名の由来」

1、序

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

先ほどご一緒にお聞きしましたみ言葉の最後の節、11章26節には、このように記されています。

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。

この26節から導かれまして今朝の説教題を「クリスチャンの名の由来」としました。ここで「キリスト者」と訳されている元のギリシャ語はクリスチアノスです。「キリスト」は新約聖書のギリシャ語では「クリストス」です。そのうしろに何々派、何々家、あるいは何々党を表す「アノス」を付けて、クリスチアノスです。つまりアンティオキア教会の弟子たちが、このときからキリスト派、キリストの人と呼ばれるようになったというのです。

昔の口語訳聖書では、ローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙のことを、ローマ人への手紙、コリント人への手紙と呼んでいました。これもローマ教会、コリント教会の人たちという意味で、教会があった町の名であるローマやコリントにアノスを付けているものです。ローマニオス、コリンチィオイス。ですからクリチチアノスを、「キリスト人」と訳すことも可能であります。

どうして、この名がアンテオキィア教会から生まれたのかを考えていました。ひとつのことが見えてきました。それは、主イエス様を信じる信仰が、ユダヤ人だけでなく、異邦人、つまり広く地中海地方に住む人々へと、ここから広がっていったことと関係があるのです。それまでは、教会の信徒たち、弟子たちは一部の特別な例を除いて、すべてユダヤ人でした。しかし、このアンテオキィアで、その境界線が破られました。あの人たちはユダヤ人だ、いやギリシャ人だということではなく、そのことを越えてキリスト人だと呼ばれるようになったのだと思います。この訳では、キリスト者としていますが、英語の聖書では、クリスチャンです。アンテオキィア教会からクリスチャンと言う呼び名が始まりました。人によっては、自分はクリスチャンと言う何か西洋風の呼び名ではなく、キリスト者と呼ばれたいと言う方もおられるかと思います。それは自由だと思います。

聖書には「と呼ばれるようになった」と書かれています。アンテオキィアの教会員たちが自分たちのことをそう呼ぶようにした、決めたと言うことではないのですね。町の人々が、自然にそう呼ぶようになったのです。必ずしもよい意味ではなく、あのキリストの輩ども、というようなさげすむ意味を持ったり、反対に、あのキリストの人たちは立派だ、というように尊敬をもって使われたり、使われる文脈によって色々であったと思います。いずれにせよ、街の人々から見ると、アンティオキア教会の人びとは、世の人々と明確に区別される何かがあったということだと思います。いずれにしても、アンテオキィア教会からキリスト者、クリスチャンと呼ばれるようになったのだと、聖書は、わたしたちに知らせていますが、少しも恥ずかしがるようなことではなく、このことを堂々と記しています。

 わたしたちも、世の人々からクリスチャン、キリスト者、キリスト教徒、と呼ばれることがあると思います。それは決して隠すべきことでも恥ずかしいことでもないのです。イエス・キリストにこそ、わたしたちに命と力を与えてくださるお方、今も生きて働いておられる方です。わたしたちはこの方に属しているのです。

さて最初の節の19節をもう一度お読みします。

「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされていった人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにもみ言葉を語らなかった」

アンテオキィアの町は、最盛期には人口が50万人にも達するような当時としては大きな町、大都会でした。ステファノの事件というのは、エルサレム教会の奉仕者、伝道者のステファノがユダヤ教の人々に法廷で語った弁明が、彼らを怒らせてしまい、ついに処刑されてしまうという事件です。エルサレムの教会には大迫害が起こり、12使徒など一部の人以外の信徒たちが各地に散らされていったのです。彼らが散らされていった先は、7章では、ユダヤとサマリヤと書かれています。もうこの頃になると、ユダヤ、サマリヤからは遠く離れたフェニキア、シリアというように北の方へ、地図では上へ上へと広がってゆきます。キプロスは、エジプトと小アジアの間に浮かぶ大きな島です。弟子たちは、北に進んでサマリヤからフェニキアへ、あるいは海を越えてキプロスと進み、ついに大都会のアンティオキアまで行ったのです。

各地に散らされたエルサレム教会の信者たちは、みなユダヤ人でした。その中には、旧約時代からの離散ユダヤ人としてその土地になじみ、ギリシャ語を話す人々も多くおりました。しかし、その伝道の相手は、やはり同じように各地に離散しているユダヤ人だけであったのです。

ところが、例外的なことが起きました。キプロス島やキレネ出身のユダヤ人の中に、ギリシャ人にも福音を語る人々が現れたというのです。ペトロの百人隊長コルネリウスへの伝道にも匹敵する事件です。

「キプロス島やキレネ出身のユダヤ人が」と書かれています。キレネはアンティオキアからは300キロ以上離れたエジプトの西のリビアにあります。その人たちは、キプロス島やキレネからユダヤに来てエルサレムに住んでいました。そこでイエス様を信じたために迫害を受け、散らされて行って、はるばるアンティオキアまで来たというわけです。彼らが、異邦人にギリシャ語で福音を語り、それによって主に立ちかえった人々が多く与えられたのです。

そこで福音を語った人たちは、名前が一切記されない弟子たちであります。いまで言えば、信徒伝道者です。しかし当時、信者は皆、伝道者でありました。そして、その伝道の進展は、まったく主の恵みによるものでした。21節に「主がこの人々を助けられたので」とあります。元の言葉は、「主の手が彼らと共にあったので」です。他の多くの聖書は、「主の手が彼らと共にあったので」とそのまま訳しています。主の手、主イエス様の御手とは、主イエス様の力のしるしであります。主イエス様が聖霊において働かれたのです。

わたしたち、熊本教会は伝道開始以来45年間、家庭集会から50年、伝道を続けてきました。決して急成長するということはなかったのですが、堅実に継続して礼拝を捧げ、福音を語ってきました。この間、多くの人が主イエス様を信じ、あるいは信仰を養い成長させることが出来ました。もちろん一歩進んで二歩下がるというような場面もありましたけれども、しかし、そのすべてに主の導きがあった、主の御手の助けがあり働きがあったことを覚えたいと思います。年報に記されている教会の歴史、そして今朝捧げられている礼拝を心に覚えますと、主の御手の働きに感謝の思いで胸がいっぱいになります。

3、

今朝の御言葉に先立って10章から11章には、使徒ペトロが、直接神様から、これまでの姿勢を悔い改めて、ユダヤ人以外に伝道するように促されるみ言葉があり、その結果、ローマの百人隊長とその家族、部下たちまでが主イエス様を信じて洗礼を受けると言う場面が記されています。その体験がエルサレム教会でも共有されたばかりでありました。そうでなければ、アンティオキアの群れへの支援は、これほどスムーズには行かなかったと思います。

世界的な大都市アンティオキアで主イエス様を信じる異邦人が続々と与えられている、この情報がエルサレムに届いたとき、使徒たちは少しもためらわずにこの恵みを恵みとして受け入れることが出来たのであります。

エルサレムの使徒たちは、このアンティオキアの群れを教会として整える必要を感じました。彼らを励まし、そして主イエスご自身に直接つながっている同じ群れとして認めて交わりを持たねばならないと思いました。22節の後半に「教会はバルナバをアンティオキアに派遣した」と記されています。言ってみれば、特命委員を派遣してアンティオキア教会の設立式を行った、こう言っても良いのではないかと思います。さらに一年間問長期にわたってバルナバはアンテオキィアで働きました。

バルナバは、使徒言行録4章36節で、エルサレム教会に捧げものをする人々の模範として名が出てきていました。こう書かれています。

「例えばレビ族の人で、使徒たちからバルナバ―慰めの子と言う意味、と呼ばれていたキプロスと生まれのヨセフも持っていた畑を売り、その代金を使徒たちの足元に置いた」

ペンテコステの聖霊降臨を受けた初代教会につながるユダヤ人の奉仕者であり、ギリシャ語が分かり、しかもアンティオキアで伝道していた人々と同じキプロス島生まれの弟子、それがバルナバでした。またコロサイ書4章10節によるとバルナバは、マルコによる福音書の著者とされるヨハネマルコのいとこでした。彼は使徒ではありませんが、このとき教会から全権をゆだねられてアンティオキアに向かいました。バルナバは、こののちアンティオキアに1年間とどまって教会を整え励まし、そして伝道します。そしてこの先、幾度も世界伝道のために旅をして、パウロと共に異邦人伝道の大切な働き手となります。

実は、このアンティオキア教会の誕生は、世界のキリスト教会の歴史、キリスト教史において決して欠くことのできない重要な出来事です。イエス・キリストの教会が、ユダヤ人だけでなく当時のギリシャ世界全体に広まって行く、その出発点となったのがアンティオキアの教会だったのです。このアンテオキィア教会は、初代教会の世界宣教の拠点となり、ここから、主イエス・キリストの福音が広く世界へと拡大していきました。主イエス様が天に昇って行かれる時に命じられた、すべての民に福音を伝えよという大宣教命令が素晴らしい勢いで実現してゆくのです。

4、

 さて、バルナバはアンティオキアに到着すると三つの大切なことをしています。第一に、彼はまず教会の様子をよく見ました。神の恵みが与えられている有様を見たのです。そして喜びました。わたしたちは自分たちの教会をどうみるでしょうか。ここに神の恵みが与えられていることを見る、そして喜ぶことからすべてのことを始めたいと思うのです。

 次に、励ましの言葉を語りました。堅い決心をもって主から離れることがないようにとみんなを励ましたのです。異邦人が神様の恵みを信じ、主イエス・キリストを救い主と受け入れた、しかも多くの人々が続々と神に立ち返るということは、決して普通のことではありません。神の恵みがそこに注がれている、神の御手がそこにある、この恵みにとどまるようにと勧めたのです。

バルナバの第三の働きは、サウロを捜しだしてアンティオキア教会の働き手としたことです。このことは、アンティオキア教会だけでなく、この後の教会の歩みにとって計り知れない意味を持つことになりました。

なぜなら、サウロは、このアンティオキア教会での働きから一躍、世界的伝道者として大活躍することになったからです。使徒言行録の前半はペトロとエルサレム教会、そして後半部はもっぱらパウロと呼ばれるようになるサウロの働きが中心になります。神様は、あのダマスコへ行く途上でサウロを異邦人のための伝道者として召しだした通りの働きを用意されていたのです。

バルナバとサウロの関係は、使徒言行録9章に記されているサウロの第一回エルサレム訪問のときに遡ります。ダマスコ途上でまばゆい光に倒れ、復活の主イエス様直々に使徒として召しだされたサウロは、ダマスコにいた弟子であるアナニアに手引きされて心身を回復し、洗礼を授けられます。そしてしばらくしてから、エルサレムに行き弟子たちと交わりをしようとしました。しかし、エルサレムの弟子たちは、昔のユダヤ教ファリサイ派であり教会迫害に熱心だったサウロの姿しか知らなかったので、彼を恐れて近づこうとしなかったのです。この時、バルナバが仲介して、サウロが主イエス様によって召されたことの次第を丁寧に説明し、エルサレムの使徒たち弟子たちを説得しました。

このときのサウロの印象がバルナバの心に深く焼き付けられていたのでしょう。旧約聖書の知識、ローマの市民権を持つほどのギリシャ文化とギリシャ語の知識、そして復活の主イエス様への堅い信仰は、はじめての異邦人教会となるアンティオキアの教会にうってつけの人材だと示されたのです。

バルナバと言う人は、文字通り11章24節にあるように、立派な人物であり、聖霊と信仰に満ちていた人、そして人と人を結びつけることのできる、心優しい慰めの人であったのです。サウロは、ユダヤ教の側から見ると、キリストの側に寝返った憎むべき敵であり、ダマスコをはじめ、いたるところにいるユダヤ人、ユダヤ教のお尋ね者となり、故郷のタルソスで伝道に励みながらときが来るのを待っている状態でありました。サウロはこの期間にもう一度旧約聖書をつぶさに読み、主イエス・キリストこそ神の約束されたメシアであるとの確信を深めていたことでしょう。それが、ローマの信徒への手紙をはじめとする優れた福音の解き明かしへとつながったのです。

サウロが故郷タルソスで人知れず暮らしていた期間は、いくつかの説がありますが、大方の一致しているところでは10年に及ぶと思われます。バルナバは、そのサウロを、タルソスまで捜しに行き、アンティオキア教会で一緒に働くようにと勧めたのでした。

アンティオキア教会は神様の素晴らしい祝福を受け、信じる人は増し加えられ、このさきのキリスト教会の世界伝道の拠点となりました。パウロはこのアンティオキア教会から三度世界伝道に派遣されています。バルナバがエルサレム教会から遣わされ、そのアンティオキアからパウロが遣わされてゆくのです。伝道者は、自分で勝手に伝道に行くのではなく、必ず特定の教会から遣わされて働きます。なぜなら、伝道は個人の業ではなく教会の業であるからです。

バルナバが、世界で最初にキリスト者と呼ばれるようになった人々に語った言葉が23節に記されています。

「堅い決心をもって、主から離れることがないように」。生ける神と主イエス・キリストを信じない異教世界の中で、世のならいに引きずられず、神でないものを神とすることなく、主イエス様の愛に倣い、そして主イエス様にとどまり続けよと勧めました。同じ異教世界に生きるわたしたちも、このバルナバの言葉を心に留め、キリスト者の名にふさわしく、主イエスにとどまり続けて歩んでゆこうではありませんか。祈りを致します。

天におられる父なる神、主イエス・キリストの父なる神。わたしたち一人一人、また教会の歩みが、今もかわらず主の恵みの御手の中に置かれていることを感謝します。どうかわたしたちが、キリスト者の名にふさわしく、「堅い決心をもって、主から離れることがないように」と導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。