2025年03月30日「使徒ペトロの回心」

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聖書の言葉

使徒言行録 10章9節~23節

メッセージ

2025年3月30日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録10章9節~23節「使徒ペトロの回心」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

今朝、与えられましたみ言葉は、使徒言行録第10章の二回目、ローマの百人隊長コルネリウスの回心の物語のみ言葉です。今、コルネリウスの回心と申し上げましたが、今朝の説教題を改めてご覧くださると、コルネリウスの回心ではなく、使徒ペトロの回心、とあります。これは決して間違いではなくて、敢えてそのような説教題に致しました。

もちろん、ペトロと並んで、この物語の主人公であるコルネリウスは、最終的に聖霊の導きを頂いて、主イエス様を救い主と信じて洗礼を受けますから、コルネリウスがその心の回転させ、イエス・キリストを信じる新しい生き方へと生まれ変わったこと、回心したことは確かなことです。しかし、良くみ言葉を読んでみますと、この時、使徒ペトロもまた新しい生き方への心の回転、悔い改めを体験しているのです。9章18節に、サウロ、またの名はパウロですが、サウロが主イエス様を受けいれる劇的な回心をしたとき、サウロの目からうろこのようなものが落ちたと書かれています。この10章のコルネリスの出来事を通して、使徒ペトロもまた目からうろこの体験をしたのだと思います。

事柄は伝道に関することです。わたしたち熊本教会も含めて、日本の教会は伝道地の教会と呼ばれています。日本伝道の壁と言う言葉があります。福音を阻む壁が日本にはあると言うのです。その困難な伝道の歴史を経て、教会自身もまた、その心に世の中との壁を作ってしまっているのではないかと思うときがあります。

主イエス様は、復活して弟子たちと40日間を過ごして下さり、天に上げられました。その昇天のときに、弟子たちに対して、あなた方は全世界に福音を伝えなさいと命じられました。マタイによる福音書の最終章28章19節は、その時の主イエス様の言葉をこう伝えております。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている、だからあなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたすべてを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」これは、主イエス様の大宣教命令と呼ばれていますけれども、現代の教会を生きています、わたしたちにとっても大切な命令です。

弟子たちは皆、この主イエス様の世界伝道の御言葉を確かに聞いたのであります。けれども、実際の弟子たちの伝道は、すぐに全世界に出ていったわけではありませんでした。彼らはまずは、エルサレム神殿で、そしてエルサレムの家々で、伝道しました。そしてユダヤの国へ、サマリヤへと、段階的に伝道を進めて行きます。初代教会は、初めの頃は異邦人への伝道と言うことは、考えていません。次の11章には、ペトロが異邦人の百人隊長の家に行き、福音を伝え、洗礼を授けたことがエルサレムの教会、つまり教団本部に伝わりまして大問題になったと書かれています。ペトロは、事の次第を丁寧に説明して、異邦人に福音を伝えることはスイエス様の御心に適うことであることを、ほかの使徒たちや教会員に説明しなければなりませんでした。

百人隊長コルネリウスこそ、初代教会が本格的な異邦人伝道へと進んで行くしるしとなる人物でした。しかし、エルサレムの教会も使徒たちの筆頭であるペトロも、このときまで異邦人への伝道などは全く考えていなかった、それどころかそんなことをしてはならない、と考えていた節さえあるのです。

10章の34節に、ペトロがコルネリウスの家を訪ねるようにと、やって来た使いの者たちに語った返事の言葉が記録されています。

「神は、人を分け隔てしないことが、よくわかりました」。それまでは、神はユダヤ人だけを特別な民として祝福して、主イエス様をメシア救い主とされたと考えていた、それが間違いだった、「神は、人を分け隔てしないことが、よくわかりました」こう言っているのです。そして彼は、使いの者たちと一緒にカイザリアに赴き、コルネリスの家を訪ねるのです。

ローマ軍には、レギオンと呼ばれる大軍団の中に7つか6つの千人隊があり、さらにその下に百人隊があります。百人隊長はその百人隊の隊長で、ローマ軍の最前線部隊の指揮官です。そしてコルネリウスが務めていたカイザリアの百人隊長は、特別に選ばれた精鋭の軍人集団であるということが出来ると思います。なぜなら、この町の名が皇帝カエザルちなんでいることからわかりますように、ここにはローマ帝国から派遣されているローマ総督が、ユダヤ・サマリヤ、そしてガリラヤを支配するために居を定めた町だったからです。

そのカイザリアの百人隊長、生え抜きのローマの軍人が主イエス様を信じて洗礼を受けました。そして、このことをきっかけにして教会が異邦人伝道に本格的に向かっていったことは、このあとの長いキリスト教会の歴史の中でもまさしく画期的な、記念すべき出来事でした。

当時のユダヤ人は、異邦人とは交際しませんでした。その中で例外的に異邦人と関わる仕事の代表は徴税人です。彼らは、お金はもうかりますけれども、人々からは軽蔑される存在でした。

ユダヤの律法、具体的には旧約聖書のレビ記ほかに書かれているのですが、食べてよいもの、触れてよいものと、その反対に食べてはいけないもの、触れてはいけないものが厳しく定められていました。これは現代のユダヤ教も同様です。現代のイスラエルには、宗教的に厳しい人とそうでない人がいるそうですが、基本的に、豚肉や、イカ、タコ、エビといった、うろこのない海の産物、蛇などの地を這うもの、昆虫は、汚れであり禁止食物です。また、乳製品と肉を一緒に調理したものも禁止されます。

当時、異邦人は、割礼を受けていないもの、いわゆる無割礼のものであると言うだけで、汚れているとされました。また異邦人たちは、律法で汚れたものとして禁止されているものを日常的に口にしているので、その人間自体が汚れているとみなされました。ユダヤ人たちは、異邦人とは交際せず、話をしたり、家を訪ねたりすることもしなかったのです、2000年前の初代教会の時代のユダヤ人たちにとっては、このようなユダヤ教の戒律を守ることは生きるか死ぬかの切実な、問題でした。

こういうわけで、ペトロをはじめとする12弟子たちは、すべての民に福音を伝えよという第宣教命令が主イエス様の御心であると知ってはいるのですが、しかし、これまでのユダヤ人としての生活が身についていますから、汚れたものとされる異邦人への伝道はなかなかできない、それが現実であったのです。だからこそ、神様は、用意周到に愛をもって使徒たちを導き、またコルネリウスのような選ばれた異邦人と使徒たちを出会わせるために働いてくださったのです。この使徒言行録10章を境に、異邦人への伝道は大きく進んで行きました。

3、

 10章9節をお読みします。翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るために屋上へ上った。」

翌日と言いますのは、コルネリウスが天使からペトロを家に招くようにと天使から示された品翌日ということです。天使はコルネリウスにこう告げました。ヤッファの町にペトロと呼ばれる教会の指導者ペトロが宿をとっているので彼を招いて教えを受けるように。

コルネリウスは驚くと同時に、直ちに、これに従おうと決心し、二人のしもべと一人の兵士をヤッファに送り出したのです。

 ペトロを招くためにヤッファに向かった三人が、ペトロの泊っている皮なめし職人シモンの家に近づいたころ、ペトロにもまた特別な仕方で、神様の御心が告げられるのです。神様は、キリスト教会の伝道の歴史に大きな転換点を起こされるとき、用意周到に、両方の当事者それぞれにお働きになったのです。

 ペトロは祈るために屋上に上がったとあります。昼の12時ごろです。食事の用意ができるまで、ペトロは屋上で祈るように導かれました。ユダヤ人の祈りの時間は一日三回、朝と、午後と、夜とされていて、昼の12時は、祈りの時間とは定められていなかったようですがペトロは祈りへと導かれました。ペトロは空腹を覚えていました。このとき、ペトロは我を忘れたようになり、神さまから幻を与えられました。我を忘れたと訳されているギリシャ語はエクスタシーと言う言葉です。新改訳は、夢心地になった、フランシスコ会訳では脱魂状態、魂が脱すると訳します。現実ではないことに出会った、神様が用意された幻の世界に入ってしまったのです。ペトロのもとに、天から大きな布のような入れ物がおりてきました。それは舟の帆のようなもの、あるいは敷布のようなものでありましょう。その中に、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入り混じって入っているのが見えました。ペトロが、見ていると、神様がペトロに語られたのです。

「ペトロよ、屠って食べなさい」これは、これらの動物を犠牲として捧げよというのではありません。そうではなく、あなたが今空腹なのだから、それらを純然たる食べ物としなさい、今それを殺し、加工し調理して食べなさいと言うのです。

 ペトロは、律法の専門家ではありませんが、一目見て、豚のような動物や蛇など、律法で禁じられているものが混じっていることがわかりました。あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていたとある通りです。本来なら、それらをより分け、清いものだけを選んで食べるなら良いのです。しかし、神様はこれらを区別せず、分け隔てなく食べよと命じたのです。

ペトロは言いました。「主よ、とんでもないことです。」ペトロは「わたしはけがれたものはこれまで食べてことがないし、今も食べられません」と抗議しました。そもそも、神様が決めておられたことではありませんか、わたしはできませんと返事をしたのです。

ところが、また声が聞こえたのです。

「神が清めたものを清くないなどと、あなたは言ってはならない」

もうそれらは、汚れてはいない、わたしが清くしたというのです。つまり、神ご自身が、わたしはこれまでの規定を変える、もう穢れたものとかそうでないものとか区別する必要はないと言われたのです。

しかし、ペトロは納得していません。いや神様、それはできません。とう一度拒否したのです。そうすると再び、神が清めてものをあなたは清くないなどと言ってはならない」こう告げられる、結局三度それが繰り返され、そののちに、その大きな敷布は、天に引き上げられて行きました。

神様が三度、それを繰り返されたことは、確かに間違いない、確実なことであるということのしるしです。

大きな布は天に引き上げられてゆきました。ペトロは我に返りました。そして今神様が体験させてくださった幻は、何を意味し、何を命じていたのかと思案に暮れていました。

ペトロをはじめ使徒たちは、これまで全く異邦人に伝道していなかったわけではありません。すでに選ばれた7人の奉仕者の一人フィリポが、エチオピアの宦官に伝道し、その人が洗礼を受けていたことを聞いていたはずです。エチオピアという土地は、かつてソロモン王の時代にシバの女王が、ユダヤ教を伝えたとされますし、純然たる異邦人とはいえません。

また、ステファノの殉教の後、エルサレムで迫害があり、弟子たちは各地に散らされて言って伝道しますが、その対象は各地のユダヤ教の会堂、シナゴーグに集うユダヤ人たちでありました。そのユダヤ人の中でも、特に主イエス様に心を開いたのは、地中海各地のギリシャ語を話すユダヤ人であったと書かれています。

百人隊長コルネリウスは、ローマ人とされていますが、神を畏れる人であり、旧約聖書を読み、カイザリアのシナゴーグに集っているユダヤ人たちと交わりを持ち、また施し、献金や慈善の業に価値を見出していた人でした。

4、

ペトロが、家の屋上にいて思案に暮れている、ちょうどそのとき、コルネリウスがカイザリアから遣わした人々が、ペトロが滞在する家に到着しました。そして家の門のところで、尋ねました。「ペトロと呼ばれるシモンと言う方が、ここに泊っておられますか?」

この時、ペトロは家の屋上にいましたから、下の様子は分かりません。19節に、霊が、つまり笠間の霊、聖霊がペトロの心に語りかけたと書かれています。神様の御声が天から聞こえたというではなく、心に直接、言葉が聞こえたのでしょう。御霊は言いました。「三人のものがあなたを捜しに来ている。立って下へ行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあのものたちをよこしたのだ」

ペトロは、すぐに下へ降りて行き、その人々に語りかけました。「あなた方が捜しておられるのは、このわたしです。」

カイザリアからヤッファまでは約50キロあります。ここからですと、大津市までくらいの距離です。

この前日には、コルネリウスが午後3時の祈りのときに、天使のお告げを受け、ヤッファにいるペトロと言う人を招きなさいと命じられました。彼らは、次の日の夜明け前に出発したのか、あるいは、夜に出発して夜通し歩いてきたか、いずれかでしょう。コルネリウスが天使の声を聞いた日の翌日の正午に彼らはペトロを探し当てたのです。ペトロからすれば、御霊が自分に告げた通り、三人の人が、ペトロを捜して訪ねてきたのです。

ペトロは尋ねました。「どうしてここに来られたのですか?」私を訪ねてこられたのは何のためですか、用件は何ですかと問いかけました。

使いの人たちは、二人はコルネリウスの家のしもべであり、一人は、護衛として同行したコルネリススの信頼する兵士です。一目見て、異邦人であると分かったことでしょう。そして、ペトロには、この人たちがやってきたことと、たった今見た幻とは深い関係があると心の中で思いめぐらしたことでしょう。「神が清めたものを清くないなどとあなたは言ってはいけない」

そしてこの三人が訪ねてくることも、間違いなく、御霊によって告げられていましたから、それが神様の御心であることは明らかなことです。

使いの者は、まず自己紹介をしたと思います。わたしたちはコルネリウスの家のものです。22節では省かれていますが、まずこう言ったことでしょう。ではコルネリウスとはいかなる人物であるのか、そのことを語ります。

22節の前半です。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判が良い人です。」

次に、ペトロが問うたこと、つまり来訪の目的を手短に話します。22節の後半です。「あなたを家に招いて話をきくようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」

ですから、どうぞ主人であるコルネリウスのもとに来てください。私どもがお連れしますと続けてことでしょう。

ペトロは、その日は、彼らを泊らせ、翌日、共に出発いたしました。ヤッファの教会の兄弟たちも一緒に行ったと23節に記されています。いよいよ、異邦人伝道が本格的に始まろうとしています。

エルサレム神殿には隔ての壁と呼ばれる壁がありました。異邦人の庭とその先の聖所とを隔てている壁です。ここから先は異邦人は入ってはならない、ユダヤ人だけがはいれるという壁です。わたしたちは、当時のユダヤ人と異邦人を隔てている壁がどれほど堅固で打ち破ることが困難なものであることをこの、ペトロとコルネリウスの双方に与えられた神様の導きの丁寧さから知ることが出来ると思います。わたしたちの世界には、このような隔ての壁が無数にあるように見えます。

今から30年近く前ですけれども、家族にわたしは献身して神学校に行きたいと伝えました時に、当時中学生であった娘が反対して言いました。「伝道してもそんなにうまくゆかない。」

日本伝道は難しい、中学生の娘にもそんな思いを抱かせるほど、この日本の地で福音を伝え、思い通りの成果を出すことは難しい、それは確かです。また、日本人といっても、あの人なら福音が届くかも知れないと思う人もいれば、反対に、あの人はとても無理だと初めから考えてしまうこともあります。しかし、ペトロは悟ったのです。「神は人を分け隔てなさらない」

イエス・キリストの福音には壁はありません。たとえ人間の目に壁があるように見えても、神様は、必ずその壁を突き崩し、打ち破ってくださいます。イエス・キリストの福音は、壁を越えて進んで行くのです。神に感謝いたします。

祈ります。

 神さま、あなたは主イエス様を通して、あなたの愛がどれほど深く、また人を分け隔てしないものであるかを悟らせえてください。あなたの恵みにより頼んで、福音を伝え続けて行くことpが出来ますよう導いて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。