聖書の言葉 使徒言行録 9章31節~35節 メッセージ 2025年3月9日(日)熊本伝道所礼拝説教 使徒言行録9章31節~35節「ペトロ、アイネアを癒す」 主題;イエスが癒す 1、序 御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。 先ほど、ご一緒にお聞きしました使徒言行録9章中ほどのみ言葉の最後の節、9章35節にこのように記されています。「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った」。 リダと言う町は、ユダヤ地方とサマリヤ地方の境目にある町です。また、シャロンはサマリヤ地方の西の端、地中海に面した海沿いの平野の町です。基本的に乾燥地帯であるパレスチナでは珍しく水があり、肥沃な土地に恵まれているところで、シャロン平野とも呼ばれる一帯にあります。旧約聖書雅歌「乙女の歌」と呼ばれる個所がいくつもありますが、2章1節には「わたしはシャロンのばら、野のユリ」と記され、美と純潔の象徴の花がシャロンに咲いていると歌われています。 31節にありますように、当時、エルサレムの初代教会はユダヤ、サマリヤ、ガリラヤといったパレスチナ一体に伝道を拡大していて、基礎が固まって発展を続けていました。ここで使徒ペトロも巡回して伝道していたのです。32節に、「ペトロは方々を巡り歩いた」と書かれていますが、単に旅をしたというのではなく、福音を宣べ伝えてまわったという意味であります。 その伝道者たちの御言葉を聞きながらも、もう一つイエス・キリストへの信仰の決断に至らなかったリダとシャロンの人々が、イエス・キリストによって8年間寝たきりであったアイネアがいやされたのを見て、主に立ち帰った、イエス・キリストに立ち帰ったというのです。 立ち帰ると訳されている言葉は、向きを変えるとか、悔い改めるとも訳せる言葉です。罪によって、あるいは生活の馴れの中で、神様から離れてしまっている、そこから向きを変えて帰ってくるのです。 わたしたちの中に、同じように今一つ信仰の決断に至らなかったり、あるいは教会には毎週来ていても、いつの間にか主イエス様を信じる信仰が霞んでいってしまったりしているという方がおられるかも知れないと思います。そうであるなら、わたしたちもまた、今朝、主に立ち帰る、イエス・キリストに立ち帰らなければならないと思います。 ルカによる福音書の第15章に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる主イエス様が語られた物語があります。ある人が、裕福な父親から財産を生前に譲り受けまして家出をするかのように遠くの町に行きます。これまで出来なかったことをしようとします。彼は、街で遊興の限りを尽くし遊びまわったので、とうとう財産がなくなり、周りの人も逃げて行きました。とうとう行き詰まった時に、彼は「そうだ父の家に帰ろう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください」と願い出ようと決心して父の家に帰って行くのです。ところが父親は、息子のことをいつ心配していて、この日も外に出て息子が帰ってくるのを待っていましたので息子の姿を見ると走り寄って抱きしめたのです。神さまは、いつも私たちが神のもとに立ち帰る、主イエス様のところに来るよう願っておられます。 2, さて、人々の立ち帰り、悔い改めがどのようにして生じたのかを見てゆきたいと思います。 使徒ペトロは、12弟子の中で最も主イエス様の近くで学び訓練を受けた一番弟子でありました。しかし主イエス様が十字架に架けられる裁判の時、大祭司の屋敷の中庭で、私はあの人を知らない、仲間ではないと三度主イエス様を否定したのです。復活の主イエス様は、このペトロに、三度、あなたはわたしを愛するかと問いかけて下さり、そして、わたしの羊を飼いなさいと、もう一度召しを与えられました。ペトロは初代教会の指導者となりました。主の恵みの中で麗しく整えられた初代教会は、その一番の指導者であるペトロを各地に派遣して伝道し、また互いの絆をいっそう深めようとします。ペトロは、町々を巡回して福音を伝えます。 エルサレムから西の方へ向かうと、港町ヤッファ、その手前にリダと言う町があります。リダはエジプトに降って行く街道とも交差する交通の要所です。そこにも主の群れがあってペトロはその群れを訪ねます。今朝の個所では、ペトロはそのリダの町で8年間も中風で寝たきりになっていたアイネアと言う人をいやしたのです。 主イエス様は、これから福音を伝え、主の教会を建て上げて行く12人の弟子たち、使徒たちに、世の罪と悪に立ち向かう特別の権威と権能を与えてくださいました。それは、主イエス様から託されているものであって、彼ら自身が思うままに用いることが出来るものではありません。 カルヴァンと言う宗教改革の指導者は、この個所で、神様はペトロに、「彼が思うがままに、また、すべての人をいやす力を与えたのではなく、ただ主イエスご自身が癒そうとなさる人をいやす力を与えたのだ」と言っています。 ペトロはアイネアを見てこう言いました。「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる」 あなたを特別に主イエス様が癒してくださる、こう言ったのです。そして、起きなさいと命じました。そしてこう続けました。「自分で床を整えなさい」 元の言葉は布団を敷く、ベッドを広げる、ベッドを造る、という言葉です。ベッドメイキングです。普通に考えれば、彼が癒されて体が動くようになった時に、まずすることは、布団をたたむことでしょう。そして夜になればまた布団を敷く、あるいはベッドを整えるでしょう。そういう風にして、自分で自分の身の周りのことが出来る生活に戻るということだと考えられます。 アイネアは、このペトロの言葉を聞いて、直ちに起き上がり床を片付けました。直ちにそうしました。不思議なことに力が与えられて、そうすることが出来たということです。人間にはできない神の奇跡として、主イエス様によって、今このことが起きました。だからこそ、人々は、これを見て、主に立ちかえったのです。 「シャロンに住む人は皆」とあります。これはリダを含む地中海に面したシャロンの平野、その周りに住む人が、みな、このことを聞いた、あるいは見たので、彼らの中から、あそこでもここでもいたるところで主イエス様を信じる人が起こされたことを表しています。そして、そこから海沿いの港町ヤッファでの女弟子タビタ、別名ドルカスの生き返りという奇跡もまた起こされてゆくのです。 3 大阪市東淀川区に淀川キリスト教病院という病院があります。米国南長老ミッションという名の宣教団体が経営しています。以前に園田教会の牧師でありました國安光生が、今はチャプレンとして奉仕をされています。米国南長老ミッションは、わたしたちの改革派教会が最も古くから協力関係を結んでいる外国のミッションです。今は北長老教会と合併して米国長老教会となっていますけれども、宣教団体名は昔のままです。この病院は、「全人医療」と言うスローガンを掲げています。病院は医療を用いて人の体を癒します。しかし淀川キリスト教病院は、イエス・キリストの愛によって、体だけではなく、その心も魂も癒そうとするのです。 使徒ペトロが発したことば、「イエス・キリストがあなたを癒される、起き上がりなさい」です。この言葉によって、アイネアは癒され起き上がりました。このことも、ただ単に肉体が癒されたということではないのです。その心も魂もイエス・キリストご自身によって癒されたことを表しています。 わたしたちは、思いのままに人々の病を癒すことはできません。けれども、わたしたちは、神様なら、主イエス様なら、それをすることがおできなると信じて、病の癒しを主に祈ります。そして主の御心であるなら、それは必ず癒されるのです。また、肉体の癒しがすぐになされない時でも、主イエス様の赦しと愛を信じるならば、わたしたちには恵みと平安が与えられるのです。治療を受け、病気が癒されたとしてもわたしたちの肉体は永遠に健康であるということはありえません。元気な人も、やがて老人になり、老いによって肉体は衰えてゆきます。しかし、主イエス様の下さる罪の赦しと平安、永遠の命は滅びることはない命、永遠の命です。 シャロンの人びとは、アイネアの癒しを見て、主イエス・キリストを信じました。言い換えればただ一人のひと、アイネアの救いと癒しが、もっと多くの人々に信仰を与えることになりました。 主イエス様の癒し、奇跡、しるしは、人々が主イエス様を信じるためになされます。アイネアの癒しもまた、そのように用いられています。アイネアの病の癒しは最終目的ではなく、主イエス様を信じるようになることが最終目的であったのです。人々は、主イエスが神であること、病をも癒すことが出来るお方であると信じました。アイネアもペトロは、主イエス様によって用いられた恵みの運び手、恵みの器であったのです。 4、 今朝のみ言葉の初めにあります、9章31節をもう一度お読みします。 「こうして教会はユダヤ、サマリヤ、ガリラヤの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」 エルサレムの初代教会が、ユダヤ地方、サマリヤ地方、またガリラヤへと広がって行く伝道の進展、更には、遠く異邦人の住む地中海ギリシャ世界へとそれが拡大する、その基礎となる教会の様子が記されています。 「こうして」と書かれているのは、ペンテコステの聖霊降臨のときからはじまった初代教会の歩みのすべてによってということです。ここではとりわけ、その直前にある6章からの7人の奉仕者の選出と7章のステファノの殉教、そして9章のサウロの回心が教会に大きな影響を与えたことが示されています。ステファノの殉教からギリシャ語を話すユダヤ人への迫害が始まりました。迫害を逃れ、散らされていった弟子たちはサマリヤで伝道しました。そのため、福音は、ユダヤ、サマリヤ、そしてガリラヤの全土に広まることになりました。 ガリラヤ地方は、もともと主イエス様と多くの使徒たちの故郷です。その伝道の様子は新約聖書の4つの福音書に明らかです。また、サマリヤは、主イエス様ご自身がシカルの井戸の傍らで一人の女性と語り合った場所です。その後、サマリヤには、エルサレムから散らされていった弟子たちの一人のフィリピが遣わされてイエス・キリストを宣べ伝えました。サマリやの魔術師シモンの回心は、サマリヤ伝道の進展をはっきりと示すものです。 そして、8章では、このころエルサレムにおける教会迫害の最も過激な活動家であったサウロが登場します。彼は、ダマスコ途上で直接主イエス様によって召しだされて回心しました。彼は、教会の迫害者からイエス・キリストを宣べ伝えるものに変えられました。回心したサウロがエルサレムに帰って来たとき、怒り狂ったエルサレムのユダヤ人たちは、サウロ殺害を図りました。しかし、サウロは追手を逃れ、カイザリアの港から故郷のタルソスに脱出することが出来ました。 「平和を保ち」と書かれているのは、そのようにして動乱の中にいた教会が落ち着きを得た、平安を得たことを表します。 教会は外から平和を脅かされるとき苦しみます。一方で教会の中からも苦しみを引き起こすものは現れてきます。外からの問題が解決するとともに、その内部においても一致と平和とが保たれなければなりません。 9章31節には、続いて「主を畏れること」と「聖霊の慰めを受けること」が示されています。両者は、深い関係があります。「聖霊の慰め」と訳されている言葉は、聖霊の励まし、あるいは聖霊の勧めとも訳すことが出来ます。慰めと訳されている、もとの言葉の意味は「傍らに呼ぶ」という意味です。 聖霊の働きの第一のことは、聖霊が一人一人の心に働きかけることです。わたしたちが神様の恵みと力を知り、その義と愛とを悟り、主なる神を畏れるようになることです。聖霊の神が、主への畏れ、言い換えれば、恵みとしてわたしたちに敬虔と謙遜とをくださるのです。そして第二に、それと並行しますが、ほかの兄弟姉妹や説教者の口を通して聖霊が慰めと励ましの言葉を語らせることも含んでいます。聖霊は、人を通してわたしたちに働いてくださるのです。 「主を畏れる」ということは、教会員一人一人の在り方が、人ではなく神様に向かって心を向けていること、神様に喜ばれるためには何をすべきかを常に意識していることです。絶えず人間の目を気にするということではないのです。その心が神の御前にあるということを示します。一方で、聖霊の慰めを受けることは、今度は神様の側から与えられる神の恵みの出来事です。上からと下からの流れが交わり交流する、神と人のコミュニケーションが満ちあふれている、そういう初代教会の麗しい姿が描かれているのです。 私たちが捧げる主の日の礼拝は、上からの動きと下からの動きが交錯する神と人との交わりの場です。そして礼拝は、動きが単に行ったり来たりと言うことではなく、神様の御臨在、そこに生きておられる神がおられるという、神と人の一体化が起こるまで、神様が導いてくださるのです。 「基礎が固まって発展し」と訳されている部分は、翻訳によって表現が色々と別れています。元の言葉を直訳すると「全体に平和を得て、建て上げられた」です。新改訳聖書では、「全地にわたり築き上げられて平安を得た」と訳します。 「建て上げられる」「築き上げられる」と書かれていることに大切意味があります。コリンの信徒への手紙1,3章では、「教会は神の神殿である」と書かれています。エフェソの信徒への手紙4章では、「教会はあらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結びあわされて造り上げられてゆく」、そのようなキリストの体であると書かれています。 教会が「築き上げられる」「建て上げられるものだ」と言われていることは、大切なことです。それは教会の内容、中身のことです。単に、たくさんの人が集まっているというだけではなく、そこに組織として、あるいは互いの協力、組み合わせによる「構造」が出来ているということです。それは人数が多い少ないということとは別のことです。数によらず、互いの一致や協力、強度や安定性を表します。信じた人々、集まっている人々が一つの建物のように互いにしっかりと組み合わされて神様の教会を造っていることが大切なのです。伝道とすることの大切さと共に、教会は建て上げられるものであるということを学びたいと思います。 最後に、「こうして信者の数が増えていった」と書かれています。ここでは「信者の数」と言う言葉が補足されているのですが、元も言葉は、単に「増えていった」という言葉です。これをエルサレム教会に属する枝教会の数、群れの数が増えていったと理解することも可能です。おそらく両方の意味があることでしょう。 アイネアの奇跡によって、伝道は進展に教会はさらに信じる人を増し加えられました。多くの人々が主に立ち返ったのです。教会は、どの群れにおいても平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受けていました。そして信者の数が増し加えられるだけでなく、教会が一つの構造物のようにしっかりと建て上げられてゆきました。 その根底にあるのは、わたしたち熊本教会も同じだと思いますが、まず一人一人が主に立ち帰るということです。曖昧模糊になってしまった信仰から、あるいはまた神様が望んでおられないことから、立ち帰るのです。そしてそのすべては聖霊の神様が恵みとして与えてくださるものです。主の恵みを祈り求めたいと思います。お祈りを致します。 神さま、教会が平和を保ち、基礎が固まり、いよいよ発展していきますよう、どうか導いてください、主に立ち帰る人を一人一人とまし加えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。
2025年3月9日(日)熊本伝道所礼拝説教
使徒言行録9章31節~35節「ペトロ、アイネアを癒す」
主題;イエスが癒す
1、序
御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。
先ほど、ご一緒にお聞きしました使徒言行録9章中ほどのみ言葉の最後の節、9章35節にこのように記されています。「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った」。
リダと言う町は、ユダヤ地方とサマリヤ地方の境目にある町です。また、シャロンはサマリヤ地方の西の端、地中海に面した海沿いの平野の町です。基本的に乾燥地帯であるパレスチナでは珍しく水があり、肥沃な土地に恵まれているところで、シャロン平野とも呼ばれる一帯にあります。旧約聖書雅歌「乙女の歌」と呼ばれる個所がいくつもありますが、2章1節には「わたしはシャロンのばら、野のユリ」と記され、美と純潔の象徴の花がシャロンに咲いていると歌われています。
31節にありますように、当時、エルサレムの初代教会はユダヤ、サマリヤ、ガリラヤといったパレスチナ一体に伝道を拡大していて、基礎が固まって発展を続けていました。ここで使徒ペトロも巡回して伝道していたのです。32節に、「ペトロは方々を巡り歩いた」と書かれていますが、単に旅をしたというのではなく、福音を宣べ伝えてまわったという意味であります。
その伝道者たちの御言葉を聞きながらも、もう一つイエス・キリストへの信仰の決断に至らなかったリダとシャロンの人々が、イエス・キリストによって8年間寝たきりであったアイネアがいやされたのを見て、主に立ち帰った、イエス・キリストに立ち帰ったというのです。
立ち帰ると訳されている言葉は、向きを変えるとか、悔い改めるとも訳せる言葉です。罪によって、あるいは生活の馴れの中で、神様から離れてしまっている、そこから向きを変えて帰ってくるのです。
わたしたちの中に、同じように今一つ信仰の決断に至らなかったり、あるいは教会には毎週来ていても、いつの間にか主イエス様を信じる信仰が霞んでいってしまったりしているという方がおられるかも知れないと思います。そうであるなら、わたしたちもまた、今朝、主に立ち帰る、イエス・キリストに立ち帰らなければならないと思います。
ルカによる福音書の第15章に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる主イエス様が語られた物語があります。ある人が、裕福な父親から財産を生前に譲り受けまして家出をするかのように遠くの町に行きます。これまで出来なかったことをしようとします。彼は、街で遊興の限りを尽くし遊びまわったので、とうとう財産がなくなり、周りの人も逃げて行きました。とうとう行き詰まった時に、彼は「そうだ父の家に帰ろう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください」と願い出ようと決心して父の家に帰って行くのです。ところが父親は、息子のことをいつ心配していて、この日も外に出て息子が帰ってくるのを待っていましたので息子の姿を見ると走り寄って抱きしめたのです。神さまは、いつも私たちが神のもとに立ち帰る、主イエス様のところに来るよう願っておられます。
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さて、人々の立ち帰り、悔い改めがどのようにして生じたのかを見てゆきたいと思います。
使徒ペトロは、12弟子の中で最も主イエス様の近くで学び訓練を受けた一番弟子でありました。しかし主イエス様が十字架に架けられる裁判の時、大祭司の屋敷の中庭で、私はあの人を知らない、仲間ではないと三度主イエス様を否定したのです。復活の主イエス様は、このペトロに、三度、あなたはわたしを愛するかと問いかけて下さり、そして、わたしの羊を飼いなさいと、もう一度召しを与えられました。ペトロは初代教会の指導者となりました。主の恵みの中で麗しく整えられた初代教会は、その一番の指導者であるペトロを各地に派遣して伝道し、また互いの絆をいっそう深めようとします。ペトロは、町々を巡回して福音を伝えます。
エルサレムから西の方へ向かうと、港町ヤッファ、その手前にリダと言う町があります。リダはエジプトに降って行く街道とも交差する交通の要所です。そこにも主の群れがあってペトロはその群れを訪ねます。今朝の個所では、ペトロはそのリダの町で8年間も中風で寝たきりになっていたアイネアと言う人をいやしたのです。
主イエス様は、これから福音を伝え、主の教会を建て上げて行く12人の弟子たち、使徒たちに、世の罪と悪に立ち向かう特別の権威と権能を与えてくださいました。それは、主イエス様から託されているものであって、彼ら自身が思うままに用いることが出来るものではありません。
カルヴァンと言う宗教改革の指導者は、この個所で、神様はペトロに、「彼が思うがままに、また、すべての人をいやす力を与えたのではなく、ただ主イエスご自身が癒そうとなさる人をいやす力を与えたのだ」と言っています。
ペトロはアイネアを見てこう言いました。「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる」
あなたを特別に主イエス様が癒してくださる、こう言ったのです。そして、起きなさいと命じました。そしてこう続けました。「自分で床を整えなさい」
元の言葉は布団を敷く、ベッドを広げる、ベッドを造る、という言葉です。ベッドメイキングです。普通に考えれば、彼が癒されて体が動くようになった時に、まずすることは、布団をたたむことでしょう。そして夜になればまた布団を敷く、あるいはベッドを整えるでしょう。そういう風にして、自分で自分の身の周りのことが出来る生活に戻るということだと考えられます。
アイネアは、このペトロの言葉を聞いて、直ちに起き上がり床を片付けました。直ちにそうしました。不思議なことに力が与えられて、そうすることが出来たということです。人間にはできない神の奇跡として、主イエス様によって、今このことが起きました。だからこそ、人々は、これを見て、主に立ちかえったのです。
「シャロンに住む人は皆」とあります。これはリダを含む地中海に面したシャロンの平野、その周りに住む人が、みな、このことを聞いた、あるいは見たので、彼らの中から、あそこでもここでもいたるところで主イエス様を信じる人が起こされたことを表しています。そして、そこから海沿いの港町ヤッファでの女弟子タビタ、別名ドルカスの生き返りという奇跡もまた起こされてゆくのです。
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大阪市東淀川区に淀川キリスト教病院という病院があります。米国南長老ミッションという名の宣教団体が経営しています。以前に園田教会の牧師でありました國安光生が、今はチャプレンとして奉仕をされています。米国南長老ミッションは、わたしたちの改革派教会が最も古くから協力関係を結んでいる外国のミッションです。今は北長老教会と合併して米国長老教会となっていますけれども、宣教団体名は昔のままです。この病院は、「全人医療」と言うスローガンを掲げています。病院は医療を用いて人の体を癒します。しかし淀川キリスト教病院は、イエス・キリストの愛によって、体だけではなく、その心も魂も癒そうとするのです。
使徒ペトロが発したことば、「イエス・キリストがあなたを癒される、起き上がりなさい」です。この言葉によって、アイネアは癒され起き上がりました。このことも、ただ単に肉体が癒されたということではないのです。その心も魂もイエス・キリストご自身によって癒されたことを表しています。
わたしたちは、思いのままに人々の病を癒すことはできません。けれども、わたしたちは、神様なら、主イエス様なら、それをすることがおできなると信じて、病の癒しを主に祈ります。そして主の御心であるなら、それは必ず癒されるのです。また、肉体の癒しがすぐになされない時でも、主イエス様の赦しと愛を信じるならば、わたしたちには恵みと平安が与えられるのです。治療を受け、病気が癒されたとしてもわたしたちの肉体は永遠に健康であるということはありえません。元気な人も、やがて老人になり、老いによって肉体は衰えてゆきます。しかし、主イエス様の下さる罪の赦しと平安、永遠の命は滅びることはない命、永遠の命です。
シャロンの人びとは、アイネアの癒しを見て、主イエス・キリストを信じました。言い換えればただ一人のひと、アイネアの救いと癒しが、もっと多くの人々に信仰を与えることになりました。
主イエス様の癒し、奇跡、しるしは、人々が主イエス様を信じるためになされます。アイネアの癒しもまた、そのように用いられています。アイネアの病の癒しは最終目的ではなく、主イエス様を信じるようになることが最終目的であったのです。人々は、主イエスが神であること、病をも癒すことが出来るお方であると信じました。アイネアもペトロは、主イエス様によって用いられた恵みの運び手、恵みの器であったのです。
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今朝のみ言葉の初めにあります、9章31節をもう一度お読みします。
「こうして教会はユダヤ、サマリヤ、ガリラヤの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」
エルサレムの初代教会が、ユダヤ地方、サマリヤ地方、またガリラヤへと広がって行く伝道の進展、更には、遠く異邦人の住む地中海ギリシャ世界へとそれが拡大する、その基礎となる教会の様子が記されています。
「こうして」と書かれているのは、ペンテコステの聖霊降臨のときからはじまった初代教会の歩みのすべてによってということです。ここではとりわけ、その直前にある6章からの7人の奉仕者の選出と7章のステファノの殉教、そして9章のサウロの回心が教会に大きな影響を与えたことが示されています。ステファノの殉教からギリシャ語を話すユダヤ人への迫害が始まりました。迫害を逃れ、散らされていった弟子たちはサマリヤで伝道しました。そのため、福音は、ユダヤ、サマリヤ、そしてガリラヤの全土に広まることになりました。
ガリラヤ地方は、もともと主イエス様と多くの使徒たちの故郷です。その伝道の様子は新約聖書の4つの福音書に明らかです。また、サマリヤは、主イエス様ご自身がシカルの井戸の傍らで一人の女性と語り合った場所です。その後、サマリヤには、エルサレムから散らされていった弟子たちの一人のフィリピが遣わされてイエス・キリストを宣べ伝えました。サマリやの魔術師シモンの回心は、サマリヤ伝道の進展をはっきりと示すものです。
そして、8章では、このころエルサレムにおける教会迫害の最も過激な活動家であったサウロが登場します。彼は、ダマスコ途上で直接主イエス様によって召しだされて回心しました。彼は、教会の迫害者からイエス・キリストを宣べ伝えるものに変えられました。回心したサウロがエルサレムに帰って来たとき、怒り狂ったエルサレムのユダヤ人たちは、サウロ殺害を図りました。しかし、サウロは追手を逃れ、カイザリアの港から故郷のタルソスに脱出することが出来ました。
「平和を保ち」と書かれているのは、そのようにして動乱の中にいた教会が落ち着きを得た、平安を得たことを表します。
教会は外から平和を脅かされるとき苦しみます。一方で教会の中からも苦しみを引き起こすものは現れてきます。外からの問題が解決するとともに、その内部においても一致と平和とが保たれなければなりません。
9章31節には、続いて「主を畏れること」と「聖霊の慰めを受けること」が示されています。両者は、深い関係があります。「聖霊の慰め」と訳されている言葉は、聖霊の励まし、あるいは聖霊の勧めとも訳すことが出来ます。慰めと訳されている、もとの言葉の意味は「傍らに呼ぶ」という意味です。
聖霊の働きの第一のことは、聖霊が一人一人の心に働きかけることです。わたしたちが神様の恵みと力を知り、その義と愛とを悟り、主なる神を畏れるようになることです。聖霊の神が、主への畏れ、言い換えれば、恵みとしてわたしたちに敬虔と謙遜とをくださるのです。そして第二に、それと並行しますが、ほかの兄弟姉妹や説教者の口を通して聖霊が慰めと励ましの言葉を語らせることも含んでいます。聖霊は、人を通してわたしたちに働いてくださるのです。
「主を畏れる」ということは、教会員一人一人の在り方が、人ではなく神様に向かって心を向けていること、神様に喜ばれるためには何をすべきかを常に意識していることです。絶えず人間の目を気にするということではないのです。その心が神の御前にあるということを示します。一方で、聖霊の慰めを受けることは、今度は神様の側から与えられる神の恵みの出来事です。上からと下からの流れが交わり交流する、神と人のコミュニケーションが満ちあふれている、そういう初代教会の麗しい姿が描かれているのです。
私たちが捧げる主の日の礼拝は、上からの動きと下からの動きが交錯する神と人との交わりの場です。そして礼拝は、動きが単に行ったり来たりと言うことではなく、神様の御臨在、そこに生きておられる神がおられるという、神と人の一体化が起こるまで、神様が導いてくださるのです。
「基礎が固まって発展し」と訳されている部分は、翻訳によって表現が色々と別れています。元の言葉を直訳すると「全体に平和を得て、建て上げられた」です。新改訳聖書では、「全地にわたり築き上げられて平安を得た」と訳します。
「建て上げられる」「築き上げられる」と書かれていることに大切意味があります。コリンの信徒への手紙1,3章では、「教会は神の神殿である」と書かれています。エフェソの信徒への手紙4章では、「教会はあらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結びあわされて造り上げられてゆく」、そのようなキリストの体であると書かれています。
教会が「築き上げられる」「建て上げられるものだ」と言われていることは、大切なことです。それは教会の内容、中身のことです。単に、たくさんの人が集まっているというだけではなく、そこに組織として、あるいは互いの協力、組み合わせによる「構造」が出来ているということです。それは人数が多い少ないということとは別のことです。数によらず、互いの一致や協力、強度や安定性を表します。信じた人々、集まっている人々が一つの建物のように互いにしっかりと組み合わされて神様の教会を造っていることが大切なのです。伝道とすることの大切さと共に、教会は建て上げられるものであるということを学びたいと思います。
最後に、「こうして信者の数が増えていった」と書かれています。ここでは「信者の数」と言う言葉が補足されているのですが、元も言葉は、単に「増えていった」という言葉です。これをエルサレム教会に属する枝教会の数、群れの数が増えていったと理解することも可能です。おそらく両方の意味があることでしょう。
アイネアの奇跡によって、伝道は進展に教会はさらに信じる人を増し加えられました。多くの人々が主に立ち返ったのです。教会は、どの群れにおいても平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受けていました。そして信者の数が増し加えられるだけでなく、教会が一つの構造物のようにしっかりと建て上げられてゆきました。
その根底にあるのは、わたしたち熊本教会も同じだと思いますが、まず一人一人が主に立ち帰るということです。曖昧模糊になってしまった信仰から、あるいはまた神様が望んでおられないことから、立ち帰るのです。そしてそのすべては聖霊の神様が恵みとして与えてくださるものです。主の恵みを祈り求めたいと思います。お祈りを致します。
神さま、教会が平和を保ち、基礎が固まり、いよいよ発展していきますよう、どうか導いてください、主に立ち帰る人を一人一人とまし加えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。