2025年02月02日「エチオピア高官の回心」

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聖書の言葉

使徒言行録 8章26節~40節

メッセージ

2025年2月2日(日)熊本伝道所礼拝説教

使徒言行録8章26節~40節「エチオピア高官の回心」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

使徒言行録2章の聖霊降臨、ペンテコステの出来事をわたくしが説教で語りましたのは、昨年の7月でした。その箇所の前のところですが、天へ帰って行かれる復活の主イエス様が弟子たちに残してくださった言葉をもう一度、ここでお語りしたいと思います。

「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てまで、わたしの証人となる」。

そして、10日後のペンテコステの祭りの日に弟子たちの上に約束の聖霊が降りました。そのとき、聖霊に満たされた使徒たちは、世界各国の言葉でイエス・キリストの福音を語りだしたのです。それは教会が世界中に福音を告げ知らせるという教会の使命のしるしでした。

さて7章のステファノの殉教を境にして、エルサレムでの伝道はほぼ終わり、伝道の舞台はサマリヤへと移ります。世界伝道の入り口は、ユダヤの隣国のサマリヤでありました。今朝のみ言葉は、そのサマリヤ伝道の立役者のフィリポが、エチオピア人の高官に福音を伝えるという物語です。

26節をお読みします。「さて主の天使はフィリポに、ここを立って南に向かい、エルサレムからガザに降る道を行け」と言った。

伝道者フィリポに主の天使が語りかけました。「ここを立って」とあります。「ここを立って」とは、まずは「サマリヤを立って」と言う意味になります。エルサレムからガザに降る道は、サマリヤからみると一旦エルサレムまで南下して、さらに南南西の方角へと続く道です。もしもフィリポが、ペトロとヨハネと一緒にエルサレムに帰っていたとすれば、そこからガザに行く街道をゆくと言うことになります。

「そこは寂しい道である」とわざわざ注釈がつけられています。しかしフィリポは「すぐに出かけた」と書いてあります。主が命じておられるのですから、寂しいところであり、そこで何が起こるのか知らされないとしても、フィリポは、喜んで、主のご計画を期待して出かけたことでしょう。

その寂しい道を馬車で走っていたのは、エチオピアの女王カンダケの高官、しかも宦官でありました。彼は女王の全財産を管理する地位の高い人でした。すなわちその馬車は、高級で丁寧な造りのもので、今でいえばベンツかレクサスのような車にあたるものと想像できます。外側は皮張りで、内装には刺繍があしらわれた美しい布が使われていたかもしれません。エチオピアは、当時のヘブライ語のクシュのギリシャ語訳です。現代のエチオピア国とは違って、当時の世界地図では、エジプトの南部一帯にあった国だということです。今でいえば、スーダンと言う国のあるところがその中心でした。旧約聖書の列王記上10章に、ソロモン王の知恵を求めてエルサレムにシェバの女王が来訪し歓待を受けたという記事があります。このシェバ、あるいはシバは、現在のエチオピアであると言われています。女王は、その後、ソロモンの子を宿し、その子孫が現在おエチオピアに渡って、エチオピアの王朝を造ったという伝説がエチオピアにはあるそうです。エジプトの南に広がる地域とイスラエル、ユダのかかわりは歴史的に古いものがあります。そこにはユダヤ人も多く住み、また当時のエチオピア、クシュでは、ユダヤ人以外の人びとも割礼を受け、一部ではあったにせよユダヤ教が信じられていたとされます。この女王カンダケの高官が、エルサレムに巡礼に来て、そこでイザヤ書の巻物を購入し、国に帰る途中、その巻物を読みながら旅をしたということは十分あり得ることです。

そして、彼は宦官であったと書かれています。宦官とは、女王に仕える側近や、王が男性であってもいわゆる大奥のようなところで働く男性が、男性のシンボルを切除してその役目についたことを言います。

わたしたちは、読書をするときには声を出さないで、黙読するのが普通です。しかし、昔の人たちはそうではなく、音読するのが普通でした。エチオピア人の高官は、馬車の中に座り、ギリシャ語で書かれた聖書を大きな声で読んでいたのです。

そこに、見知らぬ、ユダヤ人が駆け寄ってきました。窓などはありませんから、顔と顔を合わせるようにして、「読んでいることがお分かりになりますか」、こう尋ねたことでしょう。あるいは、まず馬車を停止させて、自己紹介をしてから会話を始めたかもしれません。

この寂しい荒れ野の道、この時刻に、二人が出会い、そして馬車の中の人が聖書を読んでいたということ、そしてこのエチオピア人が主イエス様を信じて洗礼を受けたことはまさしく神様の導きであります。

2,

わたくしは、2000年の7月に神学校を卒業して、京都府にあります男山教会に遣わされました。今年は2025年、ですので早いもので、足かけ25年、牧師・伝道者として働いてきました。その間、幼児洗礼を別にして、たぶん20人以上、或いはもっと多くの方に洗礼を授けたと思います。けれども、今思いますことは、一人の人が洗礼を受けるのは本当に神様のお働きであるということです。それぞれの人が主イエス様を信じる決心をして洗礼を受けるに至るまでには、一人ひとりの違った物語、大切な物語があるのです。そしてそのどれもが、神様が導いてくださる恵みの物語なのであります。

今朝は、26節から40節という比較的長い聖書個所をとっています。繰り返し読んで、こころに留まることが一つあります。ここで伝道をしておりますのは、この8章の直前の7章で殉教の死を遂げたステファノに次ぐ、ギリシャ語を話すユダヤ人の7人の奉仕者のナンバーツーの奉仕者フィリポです。けれども、その伝道の主導権、リーダーシップは神様の側が取っておられます。

まず26節に主の天使がフィリポに現れます。そして、ここを立ってエルサレムからガザに降る道に行けと命じます。フィリポは多分、そのときサマリヤにいて、たくさんの人びとが主イエス様を信じて洗礼を受けるという恵みの奇跡のただ中におりました。しかし神様は、突然、あなたはそこを離れ、知らない土地、それも寂しい荒れ野の道に行けと命じられます。フィリポの思いや計画ではなく、神様がフィリポを新しい働きに召しだすのです。そしてフィリポは、そこで一人のエチオピア人と出会うのです。まさに奇跡的な出会いと言うほかはないと思います。あと何十分か、何分か、遅いか早いかであるなら、フィリポは誰にも会うことはなかったはずです。そして29節では、その時、霊、聖霊が「あの馬車と一緒に行け」と指令を出しています。あの馬車に乗っている、フィリポがこれまで会ったことも話したこともない人が、神様が備えておられる人だったのです。そしてフィリポは馬車に乗り込みます。30節から38節まで、フィリポと馬車に乗っていたエチオピア人の高官とのやり取りがあります。その高官は、最後に受洗を希望し、フィリポは洗礼を授けます。その高官にとって、旅の途中で主イエス様を信じて洗礼を受けることが出来たのは大きな喜びでした。39節の後半には、こう書かれています。「宦官は、もはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた」。もはやフィリポの姿を見なかったと書かれています。主の霊、聖霊が今洗礼を授けたばかりの伝道者フィリポを連れ去ってしまいます。

宦官の心の中心に残るのは救い主、主イエス様であって洗礼を授けてくれたフィリポではありません。伝道者は、主の働きを働きますが、その働きが終わるなら去って行くのです。

神様が備えておられる時と場所、そのすべてが組み合わさって、一人の人がイエス様を信じて救いを受けました。それはただ神様のお働きであること、そのことが重要なことのです。

3、

 エチオピア人の宦官は、当時の世界言語であるギリシャ語を理解し、彼が読んでいたイザヤ書の巻物も70人訳と呼ばれるギリシャ語訳旧約聖書であったことは間違いありません。なぜなら、32節と33節に、彼が朗読していた個所として示されているのは、イザヤ書53章の7節と8節ですが、それはわたしたちが手にしているヘブライ語旧約聖書の文言とは少し違っており、今にまで伝わっている70人訳ギリシャ語旧約聖書とピッタリ一致しているからです。

 イザヤ書の53章は、イザヤ書における最大のキリスト預言です。主のしもべと呼ばれる、一人の人が、苦しみを受け、命を捨て、多くの人の身代わりとなること、それによって、わたしたちの病は癒され、執り成しをしていただき、神のものとなると預言されているからです。引用されている53章7節と8節は、70人訳がヘブライ語聖書と違っているまれな個所ですが、53章の全体を含めて、他のほとんどの個所では違いはありません。

 フィリポから、読んでいることがお分かりになりますかと、窓の外から問われた宦官は、こう答えました。「手引きしてくれる人がなければどうしてわかりましょう」。この言葉は、「だから手引きをしてください」という意味でもあります。宦官は、フィリポを馬車に招き入れ、一緒に座りながら旅をすることになりました。

 当時は、まだ新約聖書が書かれていない時代です。わたしたちは、新約聖書の光のもとで旧約聖書を読みます。そのことによって旧約聖書からも主イエス様のことを知ることが出来ますが、もしも、旧約聖書しか読むことが出来ないなら、救い主の到来を告げるその本来の意味を知ることはむつかしいことでしょう。

 フィリポは、主イエス様と共に暮らした直弟子ではありませんけれども、使徒たちから福音を伝えられました。それを信じ、受け入れ、さらには、使徒を助けて働く7人の一人に選ばれた人です。そしてサマリヤに散らされて行き、そこで聖霊の恵みによって癒しの業を行いながらイエス・キリストと神の国の福音を伝えた伝道者です。

 宦官は質問します。「どうか教えてください。預言者は誰についてこういっているのでしょうか。自分についてですか。誰かほかの人についてですか」

 宦官は、イザヤ書を読みながら、神のみこころにかなわない背信のイスラエルへの裁きの言葉を心に留め、そして、これを救う神の恵み、回復の言葉を心に響かせていたことでしょう。イザヤ書の中の53章を中心とした主のしもべ、苦難のしもべのみ言葉を読んでいた時に、伝道者フィリポが遣わされたのです。

 フィリポは、聖書のこの個所から始めて、聖書のいろいろな個所を解き明かしてイエス・キリストの福音を告げ知らせたのです。一体、何時間くらい、そのような対話がつづいたことでしょう。ついに宦官は、心の目を開かれ、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる決心をしました。

 宦官は、男性のシンボルを失っていますから割礼を受けることはできません。そして、割礼を受けていない人は、エルサレム神殿に入っても、異邦人の庭までしか入ることはできません。さらに、申命記23章2節には、睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されているものは主の会衆に加わることはできないと記されていますので、割礼がないけれども、信仰があるからといってユダヤ教徒として認められる可能性はないのです。しかし、イエス・キリストの教会ではそのようなことはありません。誰でも、どんな人でも、主イエス様を信じ、それを公に言い表すなら、そしてそのしるしである洗礼を受けるならば、神の家族となることが出来ます。

 さて二人を乗せた馬車は進み、水のあるところに来ました。井戸のあるところ、あるいは泉や川のあるオアシスについたと思われます。宦官はフィリポに言いました。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そう言ってから、御者に命じて、馬車を止めさせたのです。そして二人は、車を降り、水の中に入り、フィリポが洗礼を授けました。

4,

洗礼にはいくつかの形式があります。もっとも大掛かりなのは、浸礼、浸す礼といいまして、たとえ一瞬でもよいのですが、足の先から頭の先まで、完全に水の中に体全体が入るという仕方で、受ける洗礼です。反対にもっとも簡単と言いますか、儀式化された方式は、滴礼、滴らす礼、点滴の滴と言う字を書きますが、牧師が指を水に浸し、そこから滴る水滴を頭にかけるものです。その中間には、灌礼と言うものがあります。灌漑の灌、灌(そそ)ぐという語を使いますが、水差しやバケツのようなものに水を入れて、それを頭からじゃあっとかけるものです。このときの宦官の洗礼はそのような形であった可能性があります。

わたしたち改革派教会の規定は、洗礼の仕方についてはあまり厳密に規定していません。ただ、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授ける、と宣言することだけが明確に規定されています。どのような方式でも有効ですが、たいていは、滴礼方式で洗礼式を行います。カトリックやルター派、聖公会などの伝統教派では滴礼、バプテスト派やメソジスト派、多くの福音派、あるいはカリスマ派と呼ばれる教会では、浸礼方式に決めているところが多いようです。ギリシャ正教、ロシア正教の場合は、幼児洗礼では赤ちゃんを三度水に水没させる、成人洗礼では、水とオリーブ油を入れた大きなたらいに三回立ったり座ったりしながら頭から水をかけられるそうです。

 今朝のみ言葉の中で37節が飛んでいることにお気づきでしょうか。昔のキングジェームス聖書には37節がありましたが、最近の聖書では、省かれています。それは写本の研究が進んで、この37節がない写本の方が古くて、質が高いことが分かってきたからです。それで、37節は、少し遅れて付け加えられたものと判断されました。口語訳聖書ではカッコに入って入れられていました。つまり、おそらく原典にはなかったけれども、教会の中で伝えられてきた価値のあるみ言葉と判断されたものです。そこにはこう書かれております。

「これに対して、フィリポは、あなたが心から信じるなら受けて差し支えありません。」と言った。すると彼は「わたしはイエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。

 イエス・キリストを神の子と信じる信仰がここで告白されています。使徒信条の第二項目の初めには、我はその独り子と信じる、つまりイエス・キリストは、天地の造り主である父なる神の独り子であることを信じるとあります。わたしたちの教会の洗礼誓約も基本的には、同じです。使徒信条で言い表されている信仰を信じるか、否か、そして罪の赦しと永遠の命を受ける恵みを信じるか否か、それを受け入れること、そのことを公の場で責任をもって言い表すことが出来るなら、だれでも洗礼を受けることが出来ます。

 フィリポは、洗礼が終わるや否や、聖霊によって、アゾトという地中海沿いの町に連れ去られます。宦官を導いたフィリポは宦官の前から姿を消します。しかし、このエチオピア人は喜びに溢れていたことでしょう。主イエス・キリストが共にいてくださることを聖霊によって確信しているからです。

一方フィリポは、アゾトまで連れて行かれ、そこからカイザリアまで伝道しながら旅を続けました。使徒言行録21章には、おそらくそれから20年は経過しているころですが、フィリポの名が登場します。カイザリアにはフィリポの家があり、フィリポは、使徒パウロをその家に泊めてことが記されています。そのとき彼には4人の娘がいたと記されます。フィリポは、もともとカイザリアの人であったのかもしれません。

時々たいていは有名な牧師ですが、わたしはだれだれ先生によって洗礼を授けられましたとちょっと誇らし気に語る方がおられます。しかし基本的なことですが、誰によって導かれたのか、また洗礼を授けられたかということは、大きな問題ではありません。むしろ、それは忘れられて良いことだと思います。神ご自身が、人を救いに導くお方であり、わたしたちは神様によって救われたからです。伝道には確かに人が用いられます。しかし、伝道の主体、導き手は生きておられる神ご自身なのです。

 神様は、聖霊において、今も生きて働いていてくださいます。今朝のみ言葉では、神はただ一人の人の魂が救われるために、伝道者フィリポを遠く寂しい道へと遣わしました。そしてその伝道の全てを導いてくださいました。ただ独りの人が救われるために!

この熊本伝道所でも、これまでに多くの方がイエス様を信じ洗礼を受けました。すべては神様の恵みの出来事です。そしてこれから先も「ここに水があります。洗礼を受けるのに何か妨げがあるでしょうか」と洗礼を志願する方が、起こされてゆくことと確信しています。祈りを捧げます。

天の父なる神、主イエス・キリストの父なる神、御名を讃美します。洗礼を受けることは、十字架の上で死なれ、三日目に甦られた主イエス様と聖霊によって結ばれることを表します。そして実際に、父と子と聖霊の名による洗礼は、わたしたちにとってもはや取り消されない救いのしるしになります。さらに、聖霊の神のお働きによってその神の恵みの力を実際に与えるものです。このことを信じ感謝いたします。信仰の証しとして洗礼を受ける方が、与えられますようお願いいたします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。