2024年12月08日「召し出されたモーセ」

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聖書の言葉

使徒言行録 7章16節~36節

メッセージ

2024年12月8日(日)熊本伝道所礼拝説教

REV.SHOICHI NEZU

使徒言行録7章17~36節「召し出されたモーセ」

1、

御子イエス・キリストの恵みと平和とが豊かにありますように。アーメン。アドベント第二主日を迎えています。この期間、改めて神の御子が世に遣わされたことを覚え、喜び、感謝したいと思います。

さて先週から使徒言行録7章のみ言葉を続いて聞いております。6章7節にこう記されていました。「こうして神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレム中で非常に増えて行き、祭司もこの信仰に入った」

キリスト教会が成長を続け、ユダヤ教の役職者である祭司たちも大勢この信仰に入る、つまり、都エルサレムのユダヤ教を脅かすほどにまでなりました。祭司長や律法学者たちは慌てふためいたのであります。

彼らは、当時目覚ましい働きをしていた奉仕者ステファノを捕らえて裁判にかけています。その罪状は、神殿とモーセの律法をないがしろにするよう人々に勧めているというものです。ユダヤ教の当局者にとって、神殿で行う儀式とモーセ律法を守ることは、まさしく彼らの信仰の中心であったので、それをないがしろにすることは死刑に価する宗教的犯罪でした。

7章1節から53節は、その裁判の席でステファノが語った長い弁明であり、また説教であります。この説教は、当時のユダヤ教当局が大切にしていた神殿とモーセの律法の由来について改めて語っています。上で、大切なのは神殿そのものではなく、神殿で礼拝されている神ご自身であること、また、モーセの律法そのものではなく、イスラエルをエジプトの奴隷の家からモーセを用いて解放し、荒れ野で命の言葉を授けてくださったお方、神御自身だと主張します。最後にイエス・キリストと言うお方こそが、神の人であり真の預言者であり救い主であると語るものです。

ステファノの説教は、旧約聖書の初めの五つの書である創世記から申命記までを要約していると言っても良いと思います。旧約聖書をあまり読んだことがないと言う方もおられるかも知れません。このステファノの説教は、旧約聖書の中の神殿とモーセ律法の本質をぎゅっと圧縮して語ったものです。旧約聖書を読む手引きとすることもできると思います。

この長い説教は、八つの段落に分けることが出来ます。先週は、その第一段落と第二段落で、アブラハムとヤコブ、そしてヨセフの物語でした。今朝のみ言葉は、第三段落と第四段落、モーセの物語の第一部を語っています。前回16節までで旧約聖書の最初の書である創世記の大切な点を語り終えたことになります。

創世記12章から17章は、神様がアブラハムに与えてくださった約束に焦点を当てていました。改革派神学では、これをアブラハム契約と呼びます。神様はアブラハムを選び、その子孫をご自分の民としてくださるのです。そして祝福を受けたその民が、世界の祝福の基になると約束なさいました。その約束が成し遂げられていく一つの過程として、ヨセフの苦難と祝福を語りました。

ステファノは、最終的に主イエス様について語りたいのですけれども、ここではヨセフの苦難と祝福を語りました。それによって実は主イエス様を語ったということが出来ます。ヨセフの受けた苦難が、神の民の祝福の基になった、そのことを語るのです。それによって、主イエス様の十字架の苦難が、信じるものたちにとって祝福の基になったというのです。

今朝のみ言葉は、ステファノの説教の第三段落です。旧約聖書の創世記の次の書であります出エジプト記へと進みます。出エジプト記の中心人物は、モーセという人です。ユダヤ人ならだれでも知っているモーセについて語ります。ステファノは、このモーセの生涯もまた主イエス・キリストの救いの御業を指し示すものとして語っています。モーセの物語は、43節まで続きますが、今朝は36節までのみ言葉に聞きます。

2、

エジプトで総理大臣になり、エジプト王ファラオから頼りにされていたヨセフのゆえに、イスラエルの人びとは、しばらくエジプトで良い処遇を受けて暮らしていました。しかし、世代が変わるにつれて次第にエジプトで厄介者扱いされてゆくようになります。ステファノの説教もそこから始まります。

出エジプト記冒頭の1章6節7節にはこう書かれています。「ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人びとも皆、死んだが、イスラエルの人びとは子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。」

こうなりますと、エジプト人たちはイスラエルを警戒するようになり、両者の間に緊張が生じるようになります。続く出エジプト記1章8節からはこのあたりのいきさつを、次のように語ります。

「そのころヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。イスラエルと言う民は、今や我々にとってあまりにも数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。ひとたび戦争が起これば、敵側について我々と戦いこの国を取るかも知れない。」

ステファノは、「ヨセフのことを知らない別の王」という言葉をそのまま引用し、この王がわたしたちの同胞、つまりユダヤ人を欺き、また虐待しはじめた、そのときにモーセが生まれたと語ります。

イスラエルの人びとの虐待のありさまは、出エジプト記2章11節から21節までに書かれています。第一に、イスラエルの民を過酷な重労働、街の建設とレンガつくり、農作業に着かせます。更に、男の子が生まれれば殺し、女の子だけを生かすようにと助産婦に命じて、イスラエルの弱体化を図ります。

モーセの誕生が記されているのは出エジプト記2章です。ステファノは、このときのモーセの姿かたちがとても美しかったことを強調しています。両親は、赤子を三か月隠しておきましたが、もう隠し通せないと決心し、乳飲み子をパピルスというナイル川に生える葦のような植物の茎で造った籠にいれて、ナイル川の岸の葦の茂みに置くのです。すぐに沈むことがないように、アスファルトを塗って防水しを施しました。

モーセの姉はミリアムといいます。彼女が、籠を遠くから見守っていますと、エジプト王ファラオの王女が川にやってきて、その籠を見つけます。そして籠の中で泣いているモーセを見出したのです。王女が、これはやがて殺されてしまうヘブライ人の男の子だと、不憫に思い思案しておりますと、すかさず、モーセの姉のミリアムがたまたま通りかかったようなふりをして、近づきました。そしてこう申し出たのです。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んでまいりましょうか」困っていた王女は渡りに船と思い答えました。「そうしておくれ」

こうして、モーセは、実の母である女性によってしばらく育てられ、かつファラオの王女の養子としての身分を得ることとなったのです。そうしてある年齢になると王女の養子として宮廷に入り、エジプトの一流の教育を受けました。このことが、このあと、イスラエルの民を救うためにエジプト王のファラオと渡り合う力を得る基礎になりました。

モーセは、このようにファラオの宮廷の一員として育てられますが、しかし、乳離れするまでのある一定期間は、エジプト人ではなくヘブライ人の家庭で育てられました。この期間は、短ければ一年くらいです。けれども、聖書によればモーセ自身は、自分はヘブライ人、イスラエル民族であるという自覚を持っていたのですから、ひょっとするともっと長い期間であったかも知れません。また、乳母役のモーセの母は、ある期間、ファラオの宮廷の中の王女の屋敷に出入りしていた可能性もあります。

3,

ステファノは、40歳のモーセが、虐待されているイスラエル人を助けたときに、イスラエル人から理解されなかったエピソードをあえて語ります。このことを通してステファノは、実は主イエス様のことを語っているのではないかと思います。つまり主イエス様の救いの業が、同族のユダヤ人たちに理解されなかったことを重ねているのです。また主イエス様が神の独り子の身分でありながら、人として生まれ,暮らしたことも、モーセの人生と重なることであります。

エジプトで「お尋ねもの」になったモーセはミデアンで40年間、牧畜をして暮らしました。その間にミデアン人の祭司の娘と結婚して家庭を得ます。神様は、モーセをイスラエルをエジプトから救い出すリーダーとして最終的に召しだします。けれども、しかし、その前に40年間の逃亡生活を体験させます。ファラオの宮廷の一員として何不自由なく育ったモーセはこの試練を通して、人生と世界を学び、また自らの召しを確かにしたのです。わたしたちもまた本来は望んでいなかった境遇へと導かれることがあります。しかし、そこにはまた神様の深い御心があるのです。

出エジプト記3章は、そのモーセの召命物語です。ステファノは、ユダヤ人なら誰でも知っている有名なこの物語をあえて語ります。羊の群れを追って荒れ野の奥、シナイ半島のホレブ山にまで来たモーセは、消えずに燃え続ける芝の中から語る天使の声を聞きました。それは神の声でした。神は、まず「モーセよ、モーセよ」と語りかけます。そして「履物を脱げ、あなたの立っているところは聖なる土地である」そしてモーセに言いました。「さあ、今、あなたをエジプトに遣わそう」

モーセは、同胞から拒まれ、理解されなかった指導者、解放者でしたが、様々な苦難を経て、ようやくイスラエルの救いの指導者として立つことになります。そして立派にその使命を果たしました。今朝のみ言葉は36節までですが、その次の37節に、ステファノの決定的な言葉が記されています。「このモーセがイスラエルの子らにこう言いました。「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」

これは、申命記18章15章以下に二度繰り返し語られるみ言葉を引用して語っているものです。もちろんこれは、旧約聖書において主イエス様を指し示すメシア預言にほかなりません。これはステファノが初めて語ったことではありません。すでに使徒言行録3章22節で、使徒ペトロが美しの門のかたわらの神殿説教で語ったことです。ペトロはユダヤ人たちにこう言いました。「だから自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ちかえりなさい。こうして主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなた方のために前もって定めておられたメシアであるイエスを遣わしてくださるのです。モーセは言いました『あなたがたの神である主は、あなた方の同胞の中からわたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることは何でも聞き従え、この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし去られる』」

すんわち、モーセは主イエス様の先駆けであり、またひな型であるとステファノははっきりと語るのです。

4

ステファノの長い説教の大体半分くらいまでのところを今朝はご一緒に聞きました。モーセは、エジプトで苦しんでいたイスラエルを救う指導者・解放者でした。モーセと言う名前は、モーセの両親がつけたものではありません。ファラオの王女がつけたものです。出エジプト記2章10節には、彼女は、自分がナイル川の岸に浮かんでいた葦の籠、その中にいたモーセを引き上げたので、モーセと名づけたと書かれています。新共同訳聖書は、水の中からわたしが引き上げたという言葉の後にカッコをおいて(マーシャー)と説明しています。水から引き揚げることは、この時のモーセにとっては、死から救い出されることを意味します。ファラオの王女の手によってではありましたが、死から救い出されたものであるモーセは、やがて、イスラエルをエジプトの奴隷の家、死の家から救い出すための神様の器となりました。救われたものが救うものとなったのです。

神さまは、その独り子である主イエス・キリストをクリスマスに世にお遣わしになりました。主イエス様は、十字架に死なれ、三日後に復活なさいました。死に打ち勝たれました。そしてわたしたちは、この主イエス様によって、罪を赦され、贖われ、救われました。それゆえ今度は、わたしたちが、世の人々を救う働きをするものとなります。罪に縛られた人生をそのまま歩むなら、その終着点は、最終的には滅びにほかなりません。けれども、罪を知って悔い改め、主イエス様により頼む人生は、新しい命に生きる人生に変わります。滅びから恵みに、新しい命に導かれ、救いをいただいたわたしたちだからこそ、この命の道、命に至る道を広く伝えてゆきたいと願います。

天の父なる神さま、アドベント第二週の礼拝を感謝します。主イエス様は、旧約聖書のイスラエルの歴史を通して語られる神様の救いの業の最終地点、約束の実現であるお方であることを覚えて感謝します。モーセによってイスラエルがエジプトから救われたように、わたしたちもまた、主イエス様によって罪と滅びから救い出されることを信じて感謝いたします。どうかクリスマスを世の多くの人々がエス様と教会に関心を持つきっかけとしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。