聖書の言葉 使徒言行録 6章1節~7節 メッセージ 2024年11月17日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録6章1節~8節「教会の奉仕者を選ぶ」 1、 今朝、この礼拝にお集まりの方々の上に主イエス・キリストの恵みと祝福が豊かにありますように。主の御名によって祈ります、アーメン。 今朝のみ言葉の6節に「使徒たちは祈って彼らの上に手を置いた」とあります。使徒たち12人が、おそらく7人の奉仕者の一人一人に手を置いて祈ったのです。手を置いて祈るということは、主イエス様が子供に手を置いて祝福されたように、病の癒しを含めて特別な祈りをするときの行うことでもありますけれども、ここでは、神様がこの人を特別な任務に任命するという「按手礼」を意味しています。 先週の月曜日に、神戸の板宿教会で西部中会の定期会がありました。多くの議題がありましたが、その中で特にわたくしの心に残っていますのは、ジャン・スンギル兄弟の教師任職式でした。説教免許をもつ教師候補者として園田教会に住みこんで毎週説教の奉仕をする仕事、これは規定では「定住伝道者」と呼ぶのですが、その奉仕をしていたジャン兄弟は、この秋に教師試験に合格され、晴れて牧師となることになりました。今回の中会では、教師任職と園田教会牧師就職の二つの願書を可決し、そのあとに任職式を行いました。任職式では、まず本人が忠実に奉仕する誓約を行い、つづいて出席の議員全員が、新しく同僚となる教師を助け敬い共に協力する誓約をしたあとに按手礼を致しました。 中会議長が最初にジャンさんの頭に手を置きます。その後次々に40人近い牧師と長老がつながるようにして手を置いて、議長が祈るのです。本人はちょうど洗礼を受ける時のようにひざまずいていますし、周りには人がかたまっていて、議長をはじめ次々と人の手が頭に置かれているので床しか見ることが出来ません。そして按手礼の重さというものを心と体とで受け取るのです。 わたくしも中会議員の一人として教師任職の按手をしながら、自分が按手礼をうけた24年前の時のことを思い起こしました。多くの人の手の重さが、本当にこれから務める任務の重さのように感じられて身の引き締まる思いでした。 2 わたしたちの教会では、牧師の働きをする教師と長老と執事と言う三つの役員の職務を持っています。教師は、中会議長と議員が按手します。長老と執事は個々の教会で選ばれて、牧師と長老、つまり小会議員が按手します。今朝のみ言葉では12人の使徒たちが7人全員に手を置いて祈っています。 この12人の使徒たちが選ばれたいきさつは、使徒言行録の1章に記されています。まず、1章1節には、主イエス様が自らお選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与えたと書かれています。この時には手を置いて祈ったということは書かれていませんけれども、主イエス様が直々に12使徒をお選びになりました。十字架のときに、イスカリオテのユダが抜けたので、その後任選びのことが1章23節から26節に書かれています。主イエス様と共に生活し主の復活を経験したものの中からユストとマティアを立てて、祈ってくじを引いています。「この二人の中からどちらを選ばれたのかお示しください」、その結果、くじがマティアに当たったので使徒となったと書かれています。言ってみればこれもまた神様の直接任命です。 ところが今回の7人の奉仕者の選出は、12使徒の時とは全く違っていて、弟子たちによる選挙が行われています。 2節に「12人は弟子たち全員を呼び集め」とあります。「兄弟たち」と呼びかけていますので選挙に参加したのは男性だけであった可能性がありますが、おそらく数千人の弟子たちが呼び集められました。実際に集まったのは、全員ではなかったかも知れませんけれども、とにかく洗礼をうけた弟子たち全員を招集したのです。「あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判のよい人を7人選びなさい。」こう言っています。 その人たちに任せる仕事は、2節によれば「食事の世話」とあります。具体的には、このときに色々とトラブルが生じて12使徒の負担になっていた「やもめに対する日々の分配」のことでありました。「わたしたちが神の言葉をないがしろにして食事の世話をするのは好ましくない」とも言っています。「日々の分配」と訳されている言葉は、「毎日のディアコニア」という言葉です。「食事の世話」と訳されている方は、「食卓のディアコニア」です。つまり今ここで必要とされている役目は「日々の分配」、それも、やもめ、つまり未亡人のための食事の世話のことなのです。 今日、ディアコニアというギリシャ語は、教会が行う愛の働き一般という意味で使われています。執事的奉仕とも言い換えられています。被災地の支援をはじめ、この社会で困難な状況にある人達を助けることです。そもそもディアコニアは食事の奉仕に限られる訳ではありません。2000年に改訂された新しいギリシャ語辞典でディアコニアという言葉を引いてみますと最初に出る訳語はメディエ―ション、つまり中間的、補佐的な奉仕とあります。実は、世界的に権威のあるとされているバウワーの辞書ですが、以前の第二版では、ディアコニアの最初の意味はテーブルの奉仕となっていました。その後数十年をへて古代のギリシャ語の研究が進んで改訂されたのです。「メディエ―ション、つまり中間的、補佐的な奉仕」これが聖書がかかれたころの代表的な言葉の意味です。つまり7人の役割は、食卓の世話に限定されない広い意味の奉仕であって、使徒たちを補佐する役目であった可能性が高いのです。 事実、このあとステファノは使徒たちと変わらない目覚ましい伝道の働きをしていたようですし、8章ではフィリポがサマリアで伝道し、また、今戦場となっているガザへゆく道でエチオピアの宦官に福音を伝え洗礼を授けています。 主イエス様から直接任命された12使徒は特別な存在ですが、ここで選ばれたディアコニアのための奉仕者は、現代の教会奉仕者と共通するところがあります。教会員が選挙で選んだ人たちです。そしてその職務は、今日の長老や執事の働きを兼ね備えた役割であると思われます。教会員による選挙でえらばれた後で、神から任命されたことを示す按手礼が授けられました。選挙による選任が行われるようになったのは、ひとえに聖霊降臨、ペンテコステを教会が経験したことによるのだと思います。一人一人に聖霊があたえられましたので、教会は役員を選ぶことが出来たのです。 今日、それぞれの教会の教会員は長老、執事を選挙します。牧師もまた教会員の選挙によらなければ任職されることはありません。伝道所における委員も選挙によって選ばれます。それは聖霊の神が会議を導いて下さること、選挙を通して神ご自身が働いてくださることを期待しているのです。わたしたち熊本伝道所には一人の代理宣教教師、つまり牧師と4名の委員がおられますけれども、お一人お一人はただ人間的な手続きによってということでなく、聖霊によって導かれて立てられているのだと信じています。 3, この時教会で起きていた問題事は、ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人との間に日々の分配に関することです。それは、それぞれの仲間のやもめが軽んじられているのではないかという苦情でした。群れが小さかった時には、お互いにすぐに思っていることが言えたのですが、人数が増えてくるとコミュニケーションが難しくなるのです。つまりこの問題は弟子の数が増えてきたことと関係がありました。ペンテコステ、聖霊降臨のときには120人ほどの弟子たちが、いまでは3000人増え、5000人増え、今では1万を超える巨大な群れ、メガチャーチになっていたからです。 初代教会の初めのメンバーは、12使徒や女性の弟子たちをはじめとして全員が主イエス様に救われ導かれて主イエス様と一緒に旅をしてきた人です。皆がガリラヤやユダヤ地方、あるいはその近くの出身のユダヤ人でした。当時のユダヤ人が話していたのは正確にはアラム語というヘブライ語の親戚のような言葉です。小さかった群れに次々と新しいメンバーが加えられてゆきました。ギリシャ語を話すユダヤ人と言いますのは、古い昔から地中海各地に散らされて生活していたユダヤ人の子孫で、ローマ帝国が支配するギリシャ文化の中で育った人たちです。先祖はアラム語を話していたとして二世三世になるとアラム語があまり話せなくなるのです。各地のシナゴーグに集まって聖書を読むのですが、紀元前3世紀ごろから、旧約聖書全巻がギリシャ語に訳されるようになりまして、ますますヘブライ語に接することが少なくなります。その人たちは、毎年、祭りのたびごとにエルサレムに巡礼してきましたし、その中で遠い親戚や友人知人を頼ってユダヤに移り住む人もいます。特に夫を亡くし、また子供の世話にもなれない未亡人、やもめの中には故郷に帰還する人が多くいたようです。ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語、アラム語を話すユダヤ人は、割礼や豚を食べないといった食物規定、また安息日を重んじるという点では共通しています。そうであっても、やはり言葉や文化の壁があって地元の人達との間に溝が出来、そこからやもめへの食糧の分配がおろそかにされていると苦情が出ていたのです。 使徒たちが、7人の奉仕者を立てることを決めた理由は二つあります。第一は、今あげた問題の解決のためです。選ばれた7人の名前は皆ギリシャ名であることから、彼らは、ギリシャ語を話すユダヤ人と良く話し合って、ヘブライ語を話すユダヤ人である12使徒たちを助け、日々の分配がスムーズになされるよう努力したのだと思います。 二つ目の理由は、4節に示されています。「わたしたちは、祈りとみ言葉の奉仕に専念することにします。」 12使徒は、兄弟たちや教会のために祈り、また祈りの中で神との交わりを十分になし、さらにその上で神の言葉、イエス・キリストの福音の言葉を語ることに専念したいと言うのです。初代教会では当初は、捧げものは使徒たちの足元に、つまり使徒たちの管理のもとに置かれ、その使い道、分配のことも使徒たちが行っていました。12人いますから役割分担があったと思います。しかし皆が全体の状況を理解しながら必要な働きを共有しながら進めていたことでしょう。仕事は多くなり、本来の祈りとみ言葉の奉仕が滞る恐れがあったということです。 教会に人が集まり、人数が多くなるにつれて様々な問題が生じます。生まれたばかりの教会は、その解決のために、新たな制度を作り、組織を整えてこれを乗り切ろうとしました。組織や制度は人間がつくるものであって、そこでは人間のもつ問題、つまり弱さや罪の問題を完全になくすることは出来ません。不完全であり、信仰以外のこの世の論理によって動いてしまう危険も多くあります。そのようなものはない方がよいと言った考え方もあります。しかし、もしもそれがないならば、事態はもっと複雑になり、争いや分裂が生じる恐れさえあります。神様は完全ですけれども、人間は不完全です。不完全で罪の残りを持つ存在であるからこそ、制度や組織、そして規定、つまり法が必要なのです。 4, 選ばれた7人を選ぶにあたり、使徒たちが求めたことは、霊と知恵に満ちた評判の良い人であると言うことでした。ここでの霊に満ちた人とは、神の霊に満ちた人、聖霊に満ちている人です。聖霊が与える様々な賜物がそのことのしるしになるでしょう。何かの能力ということではなく信仰と知恵に満ちていることが大切でした。信仰が問われたのです。更に、「評判のよい人」、つまり皆から信頼されていることが条件でした。 どのような方法で選挙が行われたのかはわかりませんが、その場に居合わせた教会員の皆が、この選出に参与した、何らかの仕方でかかわったことは間違いありません。 選ばれた7人は使徒たちを補佐し、日々の分配のことだけでなく、教会全体の運営一般にもその力を発揮したのだと思います。それにより、使徒たちは、教会にとって根本的に大切な、祈りとみ言葉の奉仕に専念することが出来るようになりました。 その結果、何が起きたかといいますと7節にこう書かれています。 「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」 12使徒に加えて7人の奉仕者という新しい制度を作ったことにより、日々の分配がスムーズになり、また使徒たちの本来の務め、また教会の土台ともいえる、使徒たちの祈りの確保と御言葉の奉仕が確立したので、弟子の数が非常に増えた、教会がますます成長したと言っているのです。 5章の迫害を主導したのは、大祭司とその仲間のサドカイ派でした。ペトロと使徒たちは裁判の席でも熱心にみ言葉を語りました。しかし聞いていた議員たちは怒りをもって使徒たちに応えました。執り成しをしたのはファリサイ派の指導者、ラビ、ガマリエルでした。しかし、今そのサドカイ派の中からもイエス・キリストを救い主と信じる人が起こされたと言うのです。種として撒かれたみ言葉が、その後の教会の充実した働きの中で実を結んだのです。 「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」 わたしたち熊本教会の伝道もこのようになりたいと思います。祈りを致します。 祈り 神さま、初代教会が教会員の参加のもとで制度組織を整え、分裂の危機から守られたことを覚えます。教会が祈りとみ言葉の奉仕をいよいよ重んじるようになり、また、日々の分配といった日常的な問題も解決したことを改めて思います。今の時代においても教会の制度や組織が十分に働いて、教会が大切なことをしてゆくことが出来ますよう導いて下さい。主イエス様の御名によってお願いいたします。アーメン。
2024年11月17日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録6章1節~8節「教会の奉仕者を選ぶ」
1、
今朝、この礼拝にお集まりの方々の上に主イエス・キリストの恵みと祝福が豊かにありますように。主の御名によって祈ります、アーメン。
今朝のみ言葉の6節に「使徒たちは祈って彼らの上に手を置いた」とあります。使徒たち12人が、おそらく7人の奉仕者の一人一人に手を置いて祈ったのです。手を置いて祈るということは、主イエス様が子供に手を置いて祝福されたように、病の癒しを含めて特別な祈りをするときの行うことでもありますけれども、ここでは、神様がこの人を特別な任務に任命するという「按手礼」を意味しています。
先週の月曜日に、神戸の板宿教会で西部中会の定期会がありました。多くの議題がありましたが、その中で特にわたくしの心に残っていますのは、ジャン・スンギル兄弟の教師任職式でした。説教免許をもつ教師候補者として園田教会に住みこんで毎週説教の奉仕をする仕事、これは規定では「定住伝道者」と呼ぶのですが、その奉仕をしていたジャン兄弟は、この秋に教師試験に合格され、晴れて牧師となることになりました。今回の中会では、教師任職と園田教会牧師就職の二つの願書を可決し、そのあとに任職式を行いました。任職式では、まず本人が忠実に奉仕する誓約を行い、つづいて出席の議員全員が、新しく同僚となる教師を助け敬い共に協力する誓約をしたあとに按手礼を致しました。
中会議長が最初にジャンさんの頭に手を置きます。その後次々に40人近い牧師と長老がつながるようにして手を置いて、議長が祈るのです。本人はちょうど洗礼を受ける時のようにひざまずいていますし、周りには人がかたまっていて、議長をはじめ次々と人の手が頭に置かれているので床しか見ることが出来ません。そして按手礼の重さというものを心と体とで受け取るのです。
わたくしも中会議員の一人として教師任職の按手をしながら、自分が按手礼をうけた24年前の時のことを思い起こしました。多くの人の手の重さが、本当にこれから務める任務の重さのように感じられて身の引き締まる思いでした。
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わたしたちの教会では、牧師の働きをする教師と長老と執事と言う三つの役員の職務を持っています。教師は、中会議長と議員が按手します。長老と執事は個々の教会で選ばれて、牧師と長老、つまり小会議員が按手します。今朝のみ言葉では12人の使徒たちが7人全員に手を置いて祈っています。
この12人の使徒たちが選ばれたいきさつは、使徒言行録の1章に記されています。まず、1章1節には、主イエス様が自らお選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与えたと書かれています。この時には手を置いて祈ったということは書かれていませんけれども、主イエス様が直々に12使徒をお選びになりました。十字架のときに、イスカリオテのユダが抜けたので、その後任選びのことが1章23節から26節に書かれています。主イエス様と共に生活し主の復活を経験したものの中からユストとマティアを立てて、祈ってくじを引いています。「この二人の中からどちらを選ばれたのかお示しください」、その結果、くじがマティアに当たったので使徒となったと書かれています。言ってみればこれもまた神様の直接任命です。
ところが今回の7人の奉仕者の選出は、12使徒の時とは全く違っていて、弟子たちによる選挙が行われています。
2節に「12人は弟子たち全員を呼び集め」とあります。「兄弟たち」と呼びかけていますので選挙に参加したのは男性だけであった可能性がありますが、おそらく数千人の弟子たちが呼び集められました。実際に集まったのは、全員ではなかったかも知れませんけれども、とにかく洗礼をうけた弟子たち全員を招集したのです。「あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判のよい人を7人選びなさい。」こう言っています。
その人たちに任せる仕事は、2節によれば「食事の世話」とあります。具体的には、このときに色々とトラブルが生じて12使徒の負担になっていた「やもめに対する日々の分配」のことでありました。「わたしたちが神の言葉をないがしろにして食事の世話をするのは好ましくない」とも言っています。「日々の分配」と訳されている言葉は、「毎日のディアコニア」という言葉です。「食事の世話」と訳されている方は、「食卓のディアコニア」です。つまり今ここで必要とされている役目は「日々の分配」、それも、やもめ、つまり未亡人のための食事の世話のことなのです。
今日、ディアコニアというギリシャ語は、教会が行う愛の働き一般という意味で使われています。執事的奉仕とも言い換えられています。被災地の支援をはじめ、この社会で困難な状況にある人達を助けることです。そもそもディアコニアは食事の奉仕に限られる訳ではありません。2000年に改訂された新しいギリシャ語辞典でディアコニアという言葉を引いてみますと最初に出る訳語はメディエ―ション、つまり中間的、補佐的な奉仕とあります。実は、世界的に権威のあるとされているバウワーの辞書ですが、以前の第二版では、ディアコニアの最初の意味はテーブルの奉仕となっていました。その後数十年をへて古代のギリシャ語の研究が進んで改訂されたのです。「メディエ―ション、つまり中間的、補佐的な奉仕」これが聖書がかかれたころの代表的な言葉の意味です。つまり7人の役割は、食卓の世話に限定されない広い意味の奉仕であって、使徒たちを補佐する役目であった可能性が高いのです。
事実、このあとステファノは使徒たちと変わらない目覚ましい伝道の働きをしていたようですし、8章ではフィリポがサマリアで伝道し、また、今戦場となっているガザへゆく道でエチオピアの宦官に福音を伝え洗礼を授けています。
主イエス様から直接任命された12使徒は特別な存在ですが、ここで選ばれたディアコニアのための奉仕者は、現代の教会奉仕者と共通するところがあります。教会員が選挙で選んだ人たちです。そしてその職務は、今日の長老や執事の働きを兼ね備えた役割であると思われます。教会員による選挙でえらばれた後で、神から任命されたことを示す按手礼が授けられました。選挙による選任が行われるようになったのは、ひとえに聖霊降臨、ペンテコステを教会が経験したことによるのだと思います。一人一人に聖霊があたえられましたので、教会は役員を選ぶことが出来たのです。
今日、それぞれの教会の教会員は長老、執事を選挙します。牧師もまた教会員の選挙によらなければ任職されることはありません。伝道所における委員も選挙によって選ばれます。それは聖霊の神が会議を導いて下さること、選挙を通して神ご自身が働いてくださることを期待しているのです。わたしたち熊本伝道所には一人の代理宣教教師、つまり牧師と4名の委員がおられますけれども、お一人お一人はただ人間的な手続きによってということでなく、聖霊によって導かれて立てられているのだと信じています。
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この時教会で起きていた問題事は、ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人との間に日々の分配に関することです。それは、それぞれの仲間のやもめが軽んじられているのではないかという苦情でした。群れが小さかった時には、お互いにすぐに思っていることが言えたのですが、人数が増えてくるとコミュニケーションが難しくなるのです。つまりこの問題は弟子の数が増えてきたことと関係がありました。ペンテコステ、聖霊降臨のときには120人ほどの弟子たちが、いまでは3000人増え、5000人増え、今では1万を超える巨大な群れ、メガチャーチになっていたからです。
初代教会の初めのメンバーは、12使徒や女性の弟子たちをはじめとして全員が主イエス様に救われ導かれて主イエス様と一緒に旅をしてきた人です。皆がガリラヤやユダヤ地方、あるいはその近くの出身のユダヤ人でした。当時のユダヤ人が話していたのは正確にはアラム語というヘブライ語の親戚のような言葉です。小さかった群れに次々と新しいメンバーが加えられてゆきました。ギリシャ語を話すユダヤ人と言いますのは、古い昔から地中海各地に散らされて生活していたユダヤ人の子孫で、ローマ帝国が支配するギリシャ文化の中で育った人たちです。先祖はアラム語を話していたとして二世三世になるとアラム語があまり話せなくなるのです。各地のシナゴーグに集まって聖書を読むのですが、紀元前3世紀ごろから、旧約聖書全巻がギリシャ語に訳されるようになりまして、ますますヘブライ語に接することが少なくなります。その人たちは、毎年、祭りのたびごとにエルサレムに巡礼してきましたし、その中で遠い親戚や友人知人を頼ってユダヤに移り住む人もいます。特に夫を亡くし、また子供の世話にもなれない未亡人、やもめの中には故郷に帰還する人が多くいたようです。ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語、アラム語を話すユダヤ人は、割礼や豚を食べないといった食物規定、また安息日を重んじるという点では共通しています。そうであっても、やはり言葉や文化の壁があって地元の人達との間に溝が出来、そこからやもめへの食糧の分配がおろそかにされていると苦情が出ていたのです。
使徒たちが、7人の奉仕者を立てることを決めた理由は二つあります。第一は、今あげた問題の解決のためです。選ばれた7人の名前は皆ギリシャ名であることから、彼らは、ギリシャ語を話すユダヤ人と良く話し合って、ヘブライ語を話すユダヤ人である12使徒たちを助け、日々の分配がスムーズになされるよう努力したのだと思います。
二つ目の理由は、4節に示されています。「わたしたちは、祈りとみ言葉の奉仕に専念することにします。」
12使徒は、兄弟たちや教会のために祈り、また祈りの中で神との交わりを十分になし、さらにその上で神の言葉、イエス・キリストの福音の言葉を語ることに専念したいと言うのです。初代教会では当初は、捧げものは使徒たちの足元に、つまり使徒たちの管理のもとに置かれ、その使い道、分配のことも使徒たちが行っていました。12人いますから役割分担があったと思います。しかし皆が全体の状況を理解しながら必要な働きを共有しながら進めていたことでしょう。仕事は多くなり、本来の祈りとみ言葉の奉仕が滞る恐れがあったということです。
教会に人が集まり、人数が多くなるにつれて様々な問題が生じます。生まれたばかりの教会は、その解決のために、新たな制度を作り、組織を整えてこれを乗り切ろうとしました。組織や制度は人間がつくるものであって、そこでは人間のもつ問題、つまり弱さや罪の問題を完全になくすることは出来ません。不完全であり、信仰以外のこの世の論理によって動いてしまう危険も多くあります。そのようなものはない方がよいと言った考え方もあります。しかし、もしもそれがないならば、事態はもっと複雑になり、争いや分裂が生じる恐れさえあります。神様は完全ですけれども、人間は不完全です。不完全で罪の残りを持つ存在であるからこそ、制度や組織、そして規定、つまり法が必要なのです。
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選ばれた7人を選ぶにあたり、使徒たちが求めたことは、霊と知恵に満ちた評判の良い人であると言うことでした。ここでの霊に満ちた人とは、神の霊に満ちた人、聖霊に満ちている人です。聖霊が与える様々な賜物がそのことのしるしになるでしょう。何かの能力ということではなく信仰と知恵に満ちていることが大切でした。信仰が問われたのです。更に、「評判のよい人」、つまり皆から信頼されていることが条件でした。
どのような方法で選挙が行われたのかはわかりませんが、その場に居合わせた教会員の皆が、この選出に参与した、何らかの仕方でかかわったことは間違いありません。
選ばれた7人は使徒たちを補佐し、日々の分配のことだけでなく、教会全体の運営一般にもその力を発揮したのだと思います。それにより、使徒たちは、教会にとって根本的に大切な、祈りとみ言葉の奉仕に専念することが出来るようになりました。
その結果、何が起きたかといいますと7節にこう書かれています。
「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」
12使徒に加えて7人の奉仕者という新しい制度を作ったことにより、日々の分配がスムーズになり、また使徒たちの本来の務め、また教会の土台ともいえる、使徒たちの祈りの確保と御言葉の奉仕が確立したので、弟子の数が非常に増えた、教会がますます成長したと言っているのです。
5章の迫害を主導したのは、大祭司とその仲間のサドカイ派でした。ペトロと使徒たちは裁判の席でも熱心にみ言葉を語りました。しかし聞いていた議員たちは怒りをもって使徒たちに応えました。執り成しをしたのはファリサイ派の指導者、ラビ、ガマリエルでした。しかし、今そのサドカイ派の中からもイエス・キリストを救い主と信じる人が起こされたと言うのです。種として撒かれたみ言葉が、その後の教会の充実した働きの中で実を結んだのです。
「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」
わたしたち熊本教会の伝道もこのようになりたいと思います。祈りを致します。
祈り
神さま、初代教会が教会員の参加のもとで制度組織を整え、分裂の危機から守られたことを覚えます。教会が祈りとみ言葉の奉仕をいよいよ重んじるようになり、また、日々の分配といった日常的な問題も解決したことを改めて思います。今の時代においても教会の制度や組織が十分に働いて、教会が大切なことをしてゆくことが出来ますよう導いて下さい。主イエス様の御名によってお願いいたします。アーメン。