2024年11月10日「神から出たものなら」

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聖書の言葉

使徒言行録 5章33節~42節

メッセージ

2024年11月10日(日)熊本伝道所朝拝説教

使徒言行録5章33節~42節「神から出たものなら」

1、

 主イエス・キリストの恵みと祝福がお集まりの方々一同の上に豊かにありますように。主の御名によって祈ります、アーメン。

 先ほど、使徒言行録5章33節から42節のみ言葉をご一緒に聞きました。初代教会の目覚ましい発展に危機感を抱いた当時のユダヤ教の指導者たちが使徒たち全員を捕らえて裁判にかける場面です。

これは先週すでに聞いた個所ですが、大祭司が尋問し、ペトロやほかの使徒たちが答えます。「あなたがたは、なぜ以前の裁判の判決に従わずに、あの名によって、つまりイエス・キリストの名によって、人々を教えているのか」。その答は、裁判員であるユダヤの律法評議会、サンヘドリンの議員たちを激怒させるものでした。使徒たちは最初にこう言ったのです。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」。

そしてさらに、こう告げました。イエス・キリストの復活は事実であり、自分たちはその証人である、また、復活した主イエス様は天に上げられており、ご自分を十字架につけたあなたがたの罪を赦す救い主です。こう大胆に語ったのでした。しかし 今朝のみ言葉の5章33節にこう書かれています。「これを聞いた議員たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」

 このあとガマリエルと言うファリサイ派の教師の執り成しがあって、最終的な判決は死刑ではなく鞭打ち刑となりました。死刑こそ免れましたが、これは前回の青の美し門の事件の判決、つまり警告付きの無罪放免よりも厳しいものです。また、あの名、つまりイエス・キリストについて語ってはならないという伝道禁止命令は継続されています。

 使徒たちは、「人間に従うよりも神に従わなくてはならない」と心を決めていましたので、鞭打ち刑を受けてもその後も少しもひるまずに伝道を続けてゆくのです。最後の42節にこう記されています。「使徒たちは、・・毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエス、つまりメシア、神から任命された救い主キリスト・イエスについて福音を告げ知らせていた。」これが、初代教会の伝道なんですね。何があってもくじけないのです。

 この次の6章からのみ言葉を見てみますと、三度目の迫害と裁判のことが記されます。目覚ましい働きをしているステファノという弟子が逮捕されます。裁判における彼の長い説教がユダヤ人たちをますます怒らせ、彼はついに石打の刑によって殺害されます。殉教です。またエルサレムの教会は大迫害を受け、その結果、12使徒以外の弟子たちの多くは、ユダヤとサマリアの全土に散らされてゆくのです。

 この7章のステファノの殉教で使徒言行録の第一区分が終わります。第二区分は、8章から12章で、散らされていったことによって教会の働きはユダヤ全土、そしてサマリアの伝道へと拡大します。最後の第三区分は、13章以降の最後の区分ですが、いよいよパウロが登場し、パウロを中心としたヨーロッパ全土、地の果てにまで至る伝道が記されています。

 使徒言行録は、主イエス様が天に帰ってゆく、昇天から始まりました。その時、主イエス様は使徒たちにこう告げていました。「あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」

聖霊降臨によって力を頂いた使徒たちは、迫害にも屈することなく、むしろ迫害を伝道の糧とするように働きを続けてゆくのです。

2,

 今朝のみ言葉の最初の場面は、エルサレムの大祭司の屋敷の近くにあった最高法院の建物であります。サンヘドリン、ユダヤの最高評議会で裁判が行われます。美しの門の奇跡をきっかけに起きた最初の迫害に続く二回目の裁判です。最初の迫害は、生まれながらに足の不自由な男をペトロとヨハネが癒したことから始まりました。獄に入れられたのはペトロとヨハネの二人でした。今回は、使徒たち全員が捕らえられ投獄されました。生まれたばかりのキリスト教会をここで根絶やしにしてしまおうとするものでした。

 前回、ペトロとヨハネの二人は、以後、主イエスの名による宣教をしてはならないと脅されてから釈放されました。しかし今回は、その脅しに反して使徒たちが依然として伝道し続けたことから端を発しています。もう許すことはできないということで、大祭司、その中も後サドカイ派を中心として全面的な迫害がなされました。

ところが、ここで牢獄につながれた使徒たちですが、夜中に主の天使が現れて彼らを助け出しました。天使が告げ知らせた主の御言葉は、迫害にめげずに、エルサレム神殿で福音を伝えるようt負いうものです。「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」。彼らは喜んでそれに応じます。仲間のところに戻るのでもなく、再び神殿で人々に命の言葉、救い主イエス様の福音を伝えます。その姿を見た人が、神殿守衛長に知らせ、彼らは再び最高法院に引き戻されたのです。

 前回学びました29節から32節の使徒たちの弁明は、反論というよりも、説教と言うべきものです。「主イエス様は救い主である、決して死んではいない、復活された、いま天におられて、その名によってわたしたちをお救い下さる」、このような信仰への勧めの言葉、説教そのものといってよいのです。

 彼らが語った言葉は、彼らがエルサレム神殿のソロモンの回廊で、繰り返し語っていたものと同じであると思います。4章では5000人ほどが、主イエス様を信じる信仰を与えられ、洗礼を受けたと記されています。また5章14節では多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていったと記されています。しかし、今回この説教を聞いたのは、サンヘドリン、エルサレム最高法院の面々です。33節をご覧ください「これを聞いたものたちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」

「激しく怒り」と訳されている言葉は、新約聖書では二回しか使われていない珍しい言葉です。もう一か所は、この個所と同じ使徒言行録の7章54節で、ステファノの長い説教を聞いたやはり最高法院の面々の反応です。「人々はこれを聞いて激しく怒り」、新改訳聖書では、今朝の個所を、「怒り狂い」、7章のところは「はらわたが煮えくり返る思いで」と訳しています。最高法院のメンバーがどれほど怒ったのかがわかります。

 同じ説教、御言葉を聞いても、方やエルサレム神殿に来ているユダヤの人たちは、喜んでこれを聞き主イエス様を信じました。それに対して、最高法院の権力者たちには、福音はまったく届いていません。それどころか怒り狂う、やはり、どれ程値打ちのある福音の言葉でも、聞くものの心の状態や、聞いている時と所によっては受け入れらないのです。聞く人の心の状態が大切でありますし、なによりも神様の恵みと導きがなければ福音は受け入れらないということがわかります。

 怒り狂う裁判員たちでしたが、そこに一人冷静に考える人が現れます。その人の名はガマリエルで、律法の教師、ファリサイ派の人です。ガマリエルは、その中でも民衆全体から尊敬されている教師であると34節に説明されています。ヘブライ語で律法の教師はラビと呼ばれますが、ガマリエルは、その中でも優れた教師で、ラバーン、長老ラビとでも言いますか、特別な称号を得ていた人です。実は、このガマリエルこそ、この後に登場するパウロの先生でありました。

 ガマリエルは、被告人である使徒たちを外に出し、議場を説得します。彼の意見はこうです。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい」。つまり、よく考えてしなさいと言うことですし、ここでは議場全体が怒り狂って死刑だと言っているのですから、それはやめなさいと制止していると考えられます。

 そして、そして最近のユダヤの歴史的人物を二名上げます。二人とも、ローマ帝国が行ったユダヤ人への差別的な圧政に対抗して、反乱を起こした人物です。独りはテウダと言う人で、一種の偽預言者だと言われましたが、400人の男たちを率いてローマの軍隊に立ち向かいました。その次の例としては、住民登録のとき反乱を起こしたガリラヤのユダを上げます。このうち、ガリラヤのユダについては、ヨセフスと言う人が著しましたユダヤ古代史という歴史書に記録されている人です。テウダと言う人もユダヤ古代史に名が出ますが、ユダヤ古代史では紀元40年代に反乱を起こした人物とされています。この人は、モーセに倣って、ローマ人からイスラエルを解放する戦いをしたと言われます。

 この時の、使徒の裁判の年代は、主イエス様の十字架と復活が起こり、かつ、まだパウロが登場する前と思われていますから紀元30年代ではないかと思われます。宗教改革者のカルバンはこの裁判自体を紀元40年代と推測して、このテウダはヨセフスの古代史が証言するテウダと同一人物の可能性を指摘します。けれども、現代では、パウロの年代記の考古学的な研究が進み、パウロの回心は紀元35年あたりとされていますので、このテウダという人は、ヨセフスの古代史の記録とは別のテウダではないかと思われます。

もっとも使徒言行録の著者ルカにとっては、このガマリエルの演説自体が、また聞きの伝聞、あるいは伝えられてきた文献資料によるものですから、その過程でテウダの名がここに入って来たのではないかと考える人もいます。その可能性もないと言えません。聖書のみ言葉の真理性というものは、そのような年代や人名などよりも、主イエス様を証しすること、それによって人々を救うためのものです。ガマリエルが主張したかったのは、首謀者、あるいは騒ぎを起こした事件のリーダーが殺された後、結局、その運動が消滅してしまうのであれば、それは神ご自身から出たことだとは言えないというものです。

 ガマリエルが見るところ、このキリストの運動は、弟子たちの主人、リーダーのイエス・キリストが処刑されたのにも関わらず、消滅することなく続いている、それどころか益々人々を引きつけている。さらに、癒しが起こされ、信じた人々は民衆全体から尊敬されるのはなぜだろう、こう考えていたに違いないのです。

もし、彼らのしていることが、本当に神から出る教え、神から出る計画や行動であるならば、事実そうである可能性があるのではないか、そうだとすれば、我々は神に逆らうものとなってしまう、こう言っているのです。

ガマリエルは結論を言います。38節です。「そこで今申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい」

一同は、ガマリエルに従い、彼らを釈放することにしました。しかし、前回の判決の際の約束、つまり今後も行うなら次は赦さないということがありましたので、彼らを鞭打って釈放したのです。

当時のむち打ち刑は、それ自体残酷なものでした。むち打ちは決して40回以上であってはならないと決められていました。40回を超えると死んでしまう人が出るからです。パウロは、コリントの信徒へ手紙2の11章24節で、わたしは40に一つ足りない鞭を受けた、それも五回も経験したと書いています。パウロが受けたのは39回の鞭打ちは、法規上許される最高の鞭打ち刑です。この時使徒たちが受けた鞭の回数は書かれていませんが、人々の目の前で公開で背中を打たれるのです。それは肉体的にも苦しいことであり、また精神的にも屈辱的なことです。

けれども、使徒たちは、このことを喜んだと書かれています。なぜならそれは、主イエス様ご自身が十字架に架けられる前に同じようにお受けになったものだからです。主イエス様に従うこと、主イエス様の道を歩むことは、栄なことなのです。また主イエス様ご自身が、こう言っています。マタイによる福音書5章11節12節です。「わたしのためにののしられ、迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい、大いに喜びなさい、天には大きな報いがある」

彼らは鞭打ち刑を受けましたが、神様の守り、聖霊の助けがありました。ですから命は守られ、霊も肉も元気いっぱいでした。41節の後半からお読みします。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどのものとされたことを喜び、最高法院から出てゆき、毎日神殿の境内や家々で耐えず教え、メシア・イエスについての福音を告げ知らせていた」

イエス・キリストの福音は、この時から今日に至るまで宣べ伝えられています。それは、ガマリエルが法廷で語った通りのことです。指導者であるイエス・キリストは処刑されましたが、その後、跡かたもなくなってしまうどころか、歴史の中で、ますます勢いを増し、今や世界中に広まっています。

主イエス・キリストの福音は、人間から出たものでは決してありません。神から出たものです。人を罪からお救い下さる神様のご計画によるものです。ガマリエルの預言に従ってこういうのではありません。主イエス・キリストの救いの御業と教えが神の御計画によるものであることは、旧約聖書の預言であり、また新約聖書がそのことを高らかに証ししています。

教会は今も生きて働いています。神から出た福音、主イエス様の恵みと御業は確かに私たちを救い、力を与えます。祈りを致します。

祈り

天におられる主イエス・キリスト、また父なる神様、御名を讃美します。あたは使徒たちにみ使いを遣わし、励まし助けてくださいました。教会は今に至るまでイエス・キリストの命の言葉、福音の言葉を宣べ伝えています。わたしたち熊本教会にも、その恵みの力が働いkていることを覚えて感謝します。どうか変わることなく、世の終わりまで、福音を伝えさせてください。主の名によって祈ります。アーメン。