聖書の言葉 使徒言行録 3章1節~10節 メッセージ 2024年8月4日(日)熊本伝道所朝拝説教 使徒言行録3章1節~10節「イエスの力によって歩き出す」 1、 今朝、この主の日の礼拝に集められましたお一人お一人の上に、主イエス・キリストの祝福がありますように。 さきほど使徒言行録3章のみ言葉を聞きました。使徒ペトロとヨハネとが生まれながらに足の不自由な人、立つことも、歩くこともできなかった人を鮮やかにいやす、そのような御言葉であります。このみ言葉は、第2章、ペンテコステで聖霊を受けたキリストの教会が教会の外の人に対して最初に行った特別な神の憐れみの御業でありました。 宗教改革の指導者であり、また改革されたキリスト教会、プロテスタント教会の土台を作りました神学者のひとりに、ジャン・カルヴァンと言う人がおります。宗教改革は、マルチン・ルターが口火を切り、ジャン・カルヴァンが総まとめをしたともいわれています。そのカルヴァンが使徒言行録の注解を書いていまして、その中で今朝の個所について、こういっております。かいつまんで申し上げます。「ペンテコステによって生まれたばかりの教会の最初の愛の御業が、このような仕方で、つまり神殿の境内で毎日物乞いをしていました、生まれながらに足の不自由な人に対してなされた、そのことには理由がある。」 その理由とは、何か。それは、「この人が置かれている境遇の悲惨さが誰の目にも明らかだったからだ」というのであります。わたしたちは2000年前のユダヤの国で、大きな身体的ハンディーを負っている人がどれほどの苦難の中にいたのかということを想像して見なければならないと思います。生まれながらに足の不自由な人、その名前は記されていませんが、「その年齢は40歳を過ぎていた」とこの後の4章22節に書かれています。今日のような社会的な福祉制度は皆無であります。働くことはできず、自力では外に出ることもできない。何よりも、状況がよくなるという希望がないのです。彼の希望は唯一、神殿、神の宮にありました。神様に望みをおいて祈る心で神殿に向かうわけではありません。神を信じるどころか、むしろ神様を恨んでいたかも知れないのです。神にさえも絶望する中で、しかし、神の宮と言われる神殿で物乞いをするほかはありませんでした。彼は、毎日施しを乞うために「神殿の境内に置かれていた」と書かれています。置かれていたという表現は、人間ではなく、まるで物のようであります。おそらく彼の家族か周囲の人が、多くの人が集まる時間、しかも祈りの時間という、人々の心が神様の憐みに向かうときに、彼の生活のために、彼がそこで物乞いが出来るようにと考えて行っていたことでありましょう。 しかし、彼は、この日、使徒ペトロとヨハネによってとてつもなく大きな神様の恵みをいただきました。それは生まればかりの教会の最初の御業が彼の上になされたことです。彼は完全に癒されました。希望が与えられ、何よりも神を賛美するものへと変えられました。 普段、彼が願っていたのは、日々の暮らしのこと、施しがたくさん集まるようにということだったでしょう。しかし、与えられた主イエス様の恵みは彼自身の願いを遥かに超えたことでした。神様の恵みは、わたしたちの願いに先立ち、それを超えて与えられることがわかります。 実は、このことを通して、もっと大きな祝福が教会に与えらました。イエス・キリストの神、イエス・キリストの名は、どんな苦難をも完全に解決することが出来る、そのことが神殿に来ている人々に示されたということです。主イエス様の愛と力は、とてつもなく大きなものであることが明らかにされました。この出来事のすべてに、神様の特別なご計画があったのです。 2、 この奇跡は、午後3時の祈りの時間になされたとあります。エルサレムに住む敬虔深いユダヤ人たちは、毎日時間を決めて神殿に参り、祈りを捧げていました。朝の6時から夕方6時までの12時間を四つに分けて、それぞれの時間の始まりを祈りの時間としていたと言われています。今日でもイスラム教徒の中で信仰篤い人たちは、特定の時間になるとメッカの方角に向かって膝間づいて祈りを捧げます。当時のユダヤ人たちは、それぞれの生活の場から神殿に上ってきて、祈りを捧げました。午後3時の祈りの時間には、とりわけ多くの人が集まったと言われています。 実は、この奇跡物語は3章10節で終わってはいません。この後、ペトロが奇跡を目の当たりにして驚き怪しむ人たちに向かって、ソロモンの廊というところで伝道説教をします。その間ずっと癒された人が生き証人として側に立っているのです。この説教を聞いて信じた人は男だけで5000人に達したと書かれています。この奇跡が、教会の更なる拡大、成長のきっかけになったのです。ところが、これを見た神殿当局者たちは二人をとらえて牢に入れてしまいます。自分たちが十字架につけて殺したイエス・キリストが復活した、力ある業を行ったと彼らが宣べ伝えたからです。翌日、彼らの裁判が始まります。しかしペトロは聖霊に満たされて、裁判の議場で再びイエス・キリストを宣べ伝えるのです。最初の奇跡は、大きな伝道のきっかけになりましたが、同時に迫害の始めともなったのでした。長い一日でしたけれども、この日は、生まれたばかりの教会にとって記念すべき一日となりました。 説教題を「イエスの力で歩き出す」としました。ほとんど絶望的な思いに満たされて毎日を送っていた人が、主イエス・キリストの名によって、言い換えますと、主イエス・キリストの力によって立ちあがり歩き出した、その姿がこの個所に鮮やかに記されているからです。それはまた、主イエス様に期待して人生を歩むわたしたち自身の姿と重なるものではないでしょうか。 鮮やかな記し、奇跡の行われた場所は「美しい門」の傍らでありました。この新共同訳では、「美しい門」と訳されていますが、口語訳や新改訳、またフランシスコ会訳では「美しの門」と訳しています。この門が人々から呼ばれていた名前であります。この門がどこにあったのかは今では正確にはわかりません。けれども、その名前から見まして、神殿の周囲のいくつかの門の中でとりわけ大きく豪華に装飾が施されていた門であったことは確かであります。改革派教会の名説教者として名高かった榊原康夫先生は、いわばエルサレム神殿の大鳥居であると言っています。面白い表現だと思います。 生まれながらに足の不自由な人は、毎日、この大鳥居のわきに座して施しを乞うていました。ペトロとヨハネもまた午後三時の祈りのために神殿に入ってきました。そのとき、声をかけられました。「施しを乞うた」とあります。「旦那様方、どうかお恵みを」こんな言葉であったかも知れません。いつも通っている「美しの門」、これまでもペトロとヨハネはこの人を見ていたことでしょう。しかしこの日、門の前の乞食の人は二人に声をかけました。そして二人は立ち止ったのです。カルヴァンは、このとき、神の霊が働いて、ペトロとヨハネの足を止めさせたのだと言っています。ペトロはヨハネと共に、足の不自由な人をじっと見つめて、「わたしたちを見なさい」と呼びかけました。 ここでは「見る」と言う言葉が繰り返し出てきます。足の不自由な人がまず、ペトロとヨハネを見ます。それは、施しをしてくれそうな人だと見て、気づいて、そんな思いでいつもと同じように見ています。ところが、ペトロとヨハネが、彼をじっと見つめ、そして「わたしたちを見なさい」というので、彼の方も、今までとは違った思いで、彼らを見つめました。ここにはまなざしのキャッチボールがあります。 多くの人は、自分のすぐそばに悲しむ人、苦しむ人がいても、気が付きません。たとえ気が付いても、すぐに通りすぎます。むしろ、かかわりを持つことを避けようとします。見て見ぬふりです。わたしの心の中にも、人を助けたいと思う心と一緒に、無関心でいた方が良いと自分自身に呼びかける、そのようなもう一人の人間が住んでいます。しかし、ペトロとヨハネは、その人に「わたしたちを見なさい」と言い、積極的にかかわろうとしています。 ペトロは、見つめ返してきたその足の不自由な物乞いに、まずこう言いました。「わたしたちには金や銀はないが持っているものをあげよう」 金や銀はないというのは、自分たちは施しをしないということです。足の不自由な男が求めるのは施しであり、金貨や銀貨なのです。しかし、ペトロは、「わたしたちにはそれはない」というのです。そして「わたしたちの持っているものを上げよう」と言いました。この人は、物心がついて最初の内は、自分の体の癒しを神様に願い求めたことでしょう。しかし、その願いは実現せず、絶望の日々を過ごします。そのうちに彼の心は日々の暮らしのことで精一杯になりました。癒されたい、治りたい、神様を信じたいという望みはもはやどこかに消えています。しかし、この人にとって真に必要なものは、金や銀ではなく体の癒しであり、神への信仰であり、絶望ではなく希望だったのです。 3, 今朝のみ言葉の中で、ペトロは二つの言葉を語っています。4節の「私たちを見なさい」という言葉と、6節の「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という二つの言葉です。それが、絶望の中に生きていたこの人を救った二つの言葉です。わたしには、一つ目の「わたしたちを見なさい」という言葉に、見逃してはならない意味があるように思えます。 教会は、世を救い人々を救う福音の言葉を語ります。そのときには「わたしたちを見なさい」とは言わないのだと思います。そうではなくて「救い主である神の御子を見てください」「主イエス様に目を向けてください」と言うのだと思います。それは正しいことであり間違ってはいません。 けれども、ペトロは「わたしたちを見なさい」と言いました。それは、ペンテコステの聖霊を注がれ福音宣教の力を与えられている、そういう雄々しく立派なわたしたちの姿を見なさいと言うことでしょうか。いや、そうではないのです。ガリラヤの漁師であったこのようなものが、救い主に出会って変えられた姿を見てくださいと言っているのです。主イエス様の十字架のときに主イエス様を否定し、あるいは逃げ出し、弱さをあらわにしたものが、復活の主イエス様によって赦され、力づけられ、聖霊を注がれたこの姿を見て欲しいと言っているのです。 わたしたちの伝道もまた、こんなに立派に生きているわたしたちを見てほしいということではないと思うのです。そうではなく、弱く汚れたものが、このように神様の恵みによって支えられている、それによって歩んでいる、主イエスの力によって立ち上がり歩いている、そういう、わたしたちを見てくださいという伝道なのです。それ証しの本来のあり方であります。 そして、ペトロは言いました。「イエス・キリストの名によって立ちあがり歩きなさい」。これは。ペトロの言葉ですけれども、同時に力ある神の言葉です。このとき、み言葉と共に働く聖霊が彼の心に働きました。彼は、ペトロの言葉をそのまま受け入れたのです。そして彼がその言葉通りに立ち上がろうとするまさにそのとき、ペトロは右手を差し出して、彼を立ち上がらせています。 福音の伝道者は、神の言葉を宣べ伝えるだけでなく、自ら手を使い、足を使って、主が助けようとする人々を助けます。神の御心を人の業として実践します。そして、それが神様の御業となるのです。 4, ペトロがわざわざ「ナザレの人」と言う言葉を付け加えているのはなぜでしょうか。主イエス様は、地上におられるときに、反対する人々から、いわば軽蔑の言葉として「ナザレ人」つまり、「あのナザレの人、田舎の人」と呼ばれていました。ペトロは、そのナザレ人であるイエス・キリストが、実は、力あるお方、生ける神の子なのだと力を込めたのです。「イエス・キリストの名によって」と言いました。名は、その人自身のことです。「イエス・キリストによって立ち上がり歩きなさい」とは言わずに、そこに名と言う言葉を入れています。そこにはイエス・キリストというお方の権威、力によってという意味が込められています。 7節の後半から9節までをお読みします。「するとたちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入っていった」 この使徒言行録の著者は、ルカによる福音書を記した人、パウロの同労者であり、医師でもあったルカであります。多くの注解者は、この部分は当時の医学的な言葉が使われている、医師ならではの書きぶりであると言っています。わたしが注目するのは、この翻訳では「躍る」という字が、踊りを踊るという、そういう漢字ではなく、活躍するという躍の字が使われていることです。もとの言葉は、飛び跳ねる、跳躍するという意味の言葉です。ただ立ち上がったというのではなく、この男の人は、まるでスプリングがはじけるように飛び跳ねて立ち上がったのです。最初は、ペトロとヨハネが右手を取って起こすのですが、それを遥かに超えて実に力強く、素早く彼は立ち上り、歩き始め、そして跳ね回って、喜びを表現しています。 わたくしは、25才の時に初めて教会にゆき、26才で洗礼を受けました。教会に行きはじめて、神様がおられることを知らされ、そして主イエス様がわたしの罪の赦しの恵みをくださることを信じました。そのときに、いつとは言えなのですが、間違いなく心の中にある変化が起きました。暗い洞窟に明かりがぱっとついたのです。ああそうなんだ、神様はあおられる、自分が安心して生きてゆく道が示された、そんな喜びが生まれたのです。飛び上がったり躍りまわったりはしませんでした。しかし、もっと静かな形ですが、わたしは間違いなく立ち上がって歩き始めたのです。 カルヴァンが指摘しましたように、この鮮やかな奇跡を、神様は午後3時の祈りの時の神殿大鳥居のところで、つまりおびただしい人々の見ている中で行ってくださいました。そこには神様のご計画があり、このことを通してもっと多くの人々がキリストの福音を信じるようになったのです。このあとのソロモンの廊の説教において、ペトロは、人々に主イエス・キリストの名がこの人を強くした。この方こそ救い主であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神が栄光を与えた方であると証しをしました。16節を見ますと「あなた方が見ているこの人をイエスの名が強くした」と言っていますから、ペトロは、癒されて大喜びしているその人のすぐ横で語っています。 日本と言う国は、キリスト教以外の信仰、異教的な信仰が強い国です。そこで聖書の神を伝えて行く時に、もしかしたら、ではあなた方の信じている神様を見せてほしい、そうしたら信じようと言われるかもしれません。しかし、この地上世界に2000年以上の歴史を持って、イエス・キリストの教会が存在している事、そこに救いの喜びを味わった信仰者が集っていること、それこそが神様のご存在と恵みを証しします。そして、そこで神さまを賛美する声が響き、御言葉が語られ、祈りの声が満ちている、そのこと自体が世に対する大きな証ではないでしょうか。喜んで神様を礼拝いたしましょう。 祈ります。 神さま、主イエス・キリストの名こそわたしたちの力の源であることを改めて知らされて感謝いたします。救われたわたしたちもまた「わたしたちを見なさい」と、神様の恵みを証しすることが出来ますようにどうか導いてください。主イエス様の御名によって祈ります。
2024年8月4日(日)熊本伝道所朝拝説教
使徒言行録3章1節~10節「イエスの力によって歩き出す」
1、
今朝、この主の日の礼拝に集められましたお一人お一人の上に、主イエス・キリストの祝福がありますように。
さきほど使徒言行録3章のみ言葉を聞きました。使徒ペトロとヨハネとが生まれながらに足の不自由な人、立つことも、歩くこともできなかった人を鮮やかにいやす、そのような御言葉であります。このみ言葉は、第2章、ペンテコステで聖霊を受けたキリストの教会が教会の外の人に対して最初に行った特別な神の憐れみの御業でありました。
宗教改革の指導者であり、また改革されたキリスト教会、プロテスタント教会の土台を作りました神学者のひとりに、ジャン・カルヴァンと言う人がおります。宗教改革は、マルチン・ルターが口火を切り、ジャン・カルヴァンが総まとめをしたともいわれています。そのカルヴァンが使徒言行録の注解を書いていまして、その中で今朝の個所について、こういっております。かいつまんで申し上げます。「ペンテコステによって生まれたばかりの教会の最初の愛の御業が、このような仕方で、つまり神殿の境内で毎日物乞いをしていました、生まれながらに足の不自由な人に対してなされた、そのことには理由がある。」
その理由とは、何か。それは、「この人が置かれている境遇の悲惨さが誰の目にも明らかだったからだ」というのであります。わたしたちは2000年前のユダヤの国で、大きな身体的ハンディーを負っている人がどれほどの苦難の中にいたのかということを想像して見なければならないと思います。生まれながらに足の不自由な人、その名前は記されていませんが、「その年齢は40歳を過ぎていた」とこの後の4章22節に書かれています。今日のような社会的な福祉制度は皆無であります。働くことはできず、自力では外に出ることもできない。何よりも、状況がよくなるという希望がないのです。彼の希望は唯一、神殿、神の宮にありました。神様に望みをおいて祈る心で神殿に向かうわけではありません。神を信じるどころか、むしろ神様を恨んでいたかも知れないのです。神にさえも絶望する中で、しかし、神の宮と言われる神殿で物乞いをするほかはありませんでした。彼は、毎日施しを乞うために「神殿の境内に置かれていた」と書かれています。置かれていたという表現は、人間ではなく、まるで物のようであります。おそらく彼の家族か周囲の人が、多くの人が集まる時間、しかも祈りの時間という、人々の心が神様の憐みに向かうときに、彼の生活のために、彼がそこで物乞いが出来るようにと考えて行っていたことでありましょう。
しかし、彼は、この日、使徒ペトロとヨハネによってとてつもなく大きな神様の恵みをいただきました。それは生まればかりの教会の最初の御業が彼の上になされたことです。彼は完全に癒されました。希望が与えられ、何よりも神を賛美するものへと変えられました。
普段、彼が願っていたのは、日々の暮らしのこと、施しがたくさん集まるようにということだったでしょう。しかし、与えられた主イエス様の恵みは彼自身の願いを遥かに超えたことでした。神様の恵みは、わたしたちの願いに先立ち、それを超えて与えられることがわかります。
実は、このことを通して、もっと大きな祝福が教会に与えらました。イエス・キリストの神、イエス・キリストの名は、どんな苦難をも完全に解決することが出来る、そのことが神殿に来ている人々に示されたということです。主イエス様の愛と力は、とてつもなく大きなものであることが明らかにされました。この出来事のすべてに、神様の特別なご計画があったのです。
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この奇跡は、午後3時の祈りの時間になされたとあります。エルサレムに住む敬虔深いユダヤ人たちは、毎日時間を決めて神殿に参り、祈りを捧げていました。朝の6時から夕方6時までの12時間を四つに分けて、それぞれの時間の始まりを祈りの時間としていたと言われています。今日でもイスラム教徒の中で信仰篤い人たちは、特定の時間になるとメッカの方角に向かって膝間づいて祈りを捧げます。当時のユダヤ人たちは、それぞれの生活の場から神殿に上ってきて、祈りを捧げました。午後3時の祈りの時間には、とりわけ多くの人が集まったと言われています。
実は、この奇跡物語は3章10節で終わってはいません。この後、ペトロが奇跡を目の当たりにして驚き怪しむ人たちに向かって、ソロモンの廊というところで伝道説教をします。その間ずっと癒された人が生き証人として側に立っているのです。この説教を聞いて信じた人は男だけで5000人に達したと書かれています。この奇跡が、教会の更なる拡大、成長のきっかけになったのです。ところが、これを見た神殿当局者たちは二人をとらえて牢に入れてしまいます。自分たちが十字架につけて殺したイエス・キリストが復活した、力ある業を行ったと彼らが宣べ伝えたからです。翌日、彼らの裁判が始まります。しかしペトロは聖霊に満たされて、裁判の議場で再びイエス・キリストを宣べ伝えるのです。最初の奇跡は、大きな伝道のきっかけになりましたが、同時に迫害の始めともなったのでした。長い一日でしたけれども、この日は、生まれたばかりの教会にとって記念すべき一日となりました。
説教題を「イエスの力で歩き出す」としました。ほとんど絶望的な思いに満たされて毎日を送っていた人が、主イエス・キリストの名によって、言い換えますと、主イエス・キリストの力によって立ちあがり歩き出した、その姿がこの個所に鮮やかに記されているからです。それはまた、主イエス様に期待して人生を歩むわたしたち自身の姿と重なるものではないでしょうか。
鮮やかな記し、奇跡の行われた場所は「美しい門」の傍らでありました。この新共同訳では、「美しい門」と訳されていますが、口語訳や新改訳、またフランシスコ会訳では「美しの門」と訳しています。この門が人々から呼ばれていた名前であります。この門がどこにあったのかは今では正確にはわかりません。けれども、その名前から見まして、神殿の周囲のいくつかの門の中でとりわけ大きく豪華に装飾が施されていた門であったことは確かであります。改革派教会の名説教者として名高かった榊原康夫先生は、いわばエルサレム神殿の大鳥居であると言っています。面白い表現だと思います。
生まれながらに足の不自由な人は、毎日、この大鳥居のわきに座して施しを乞うていました。ペトロとヨハネもまた午後三時の祈りのために神殿に入ってきました。そのとき、声をかけられました。「施しを乞うた」とあります。「旦那様方、どうかお恵みを」こんな言葉であったかも知れません。いつも通っている「美しの門」、これまでもペトロとヨハネはこの人を見ていたことでしょう。しかしこの日、門の前の乞食の人は二人に声をかけました。そして二人は立ち止ったのです。カルヴァンは、このとき、神の霊が働いて、ペトロとヨハネの足を止めさせたのだと言っています。ペトロはヨハネと共に、足の不自由な人をじっと見つめて、「わたしたちを見なさい」と呼びかけました。
ここでは「見る」と言う言葉が繰り返し出てきます。足の不自由な人がまず、ペトロとヨハネを見ます。それは、施しをしてくれそうな人だと見て、気づいて、そんな思いでいつもと同じように見ています。ところが、ペトロとヨハネが、彼をじっと見つめ、そして「わたしたちを見なさい」というので、彼の方も、今までとは違った思いで、彼らを見つめました。ここにはまなざしのキャッチボールがあります。
多くの人は、自分のすぐそばに悲しむ人、苦しむ人がいても、気が付きません。たとえ気が付いても、すぐに通りすぎます。むしろ、かかわりを持つことを避けようとします。見て見ぬふりです。わたしの心の中にも、人を助けたいと思う心と一緒に、無関心でいた方が良いと自分自身に呼びかける、そのようなもう一人の人間が住んでいます。しかし、ペトロとヨハネは、その人に「わたしたちを見なさい」と言い、積極的にかかわろうとしています。
ペトロは、見つめ返してきたその足の不自由な物乞いに、まずこう言いました。「わたしたちには金や銀はないが持っているものをあげよう」
金や銀はないというのは、自分たちは施しをしないということです。足の不自由な男が求めるのは施しであり、金貨や銀貨なのです。しかし、ペトロは、「わたしたちにはそれはない」というのです。そして「わたしたちの持っているものを上げよう」と言いました。この人は、物心がついて最初の内は、自分の体の癒しを神様に願い求めたことでしょう。しかし、その願いは実現せず、絶望の日々を過ごします。そのうちに彼の心は日々の暮らしのことで精一杯になりました。癒されたい、治りたい、神様を信じたいという望みはもはやどこかに消えています。しかし、この人にとって真に必要なものは、金や銀ではなく体の癒しであり、神への信仰であり、絶望ではなく希望だったのです。
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今朝のみ言葉の中で、ペトロは二つの言葉を語っています。4節の「私たちを見なさい」という言葉と、6節の「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という二つの言葉です。それが、絶望の中に生きていたこの人を救った二つの言葉です。わたしには、一つ目の「わたしたちを見なさい」という言葉に、見逃してはならない意味があるように思えます。
教会は、世を救い人々を救う福音の言葉を語ります。そのときには「わたしたちを見なさい」とは言わないのだと思います。そうではなくて「救い主である神の御子を見てください」「主イエス様に目を向けてください」と言うのだと思います。それは正しいことであり間違ってはいません。
けれども、ペトロは「わたしたちを見なさい」と言いました。それは、ペンテコステの聖霊を注がれ福音宣教の力を与えられている、そういう雄々しく立派なわたしたちの姿を見なさいと言うことでしょうか。いや、そうではないのです。ガリラヤの漁師であったこのようなものが、救い主に出会って変えられた姿を見てくださいと言っているのです。主イエス様の十字架のときに主イエス様を否定し、あるいは逃げ出し、弱さをあらわにしたものが、復活の主イエス様によって赦され、力づけられ、聖霊を注がれたこの姿を見て欲しいと言っているのです。
わたしたちの伝道もまた、こんなに立派に生きているわたしたちを見てほしいということではないと思うのです。そうではなく、弱く汚れたものが、このように神様の恵みによって支えられている、それによって歩んでいる、主イエスの力によって立ち上がり歩いている、そういう、わたしたちを見てくださいという伝道なのです。それ証しの本来のあり方であります。
そして、ペトロは言いました。「イエス・キリストの名によって立ちあがり歩きなさい」。これは。ペトロの言葉ですけれども、同時に力ある神の言葉です。このとき、み言葉と共に働く聖霊が彼の心に働きました。彼は、ペトロの言葉をそのまま受け入れたのです。そして彼がその言葉通りに立ち上がろうとするまさにそのとき、ペトロは右手を差し出して、彼を立ち上がらせています。
福音の伝道者は、神の言葉を宣べ伝えるだけでなく、自ら手を使い、足を使って、主が助けようとする人々を助けます。神の御心を人の業として実践します。そして、それが神様の御業となるのです。
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ペトロがわざわざ「ナザレの人」と言う言葉を付け加えているのはなぜでしょうか。主イエス様は、地上におられるときに、反対する人々から、いわば軽蔑の言葉として「ナザレ人」つまり、「あのナザレの人、田舎の人」と呼ばれていました。ペトロは、そのナザレ人であるイエス・キリストが、実は、力あるお方、生ける神の子なのだと力を込めたのです。「イエス・キリストの名によって」と言いました。名は、その人自身のことです。「イエス・キリストによって立ち上がり歩きなさい」とは言わずに、そこに名と言う言葉を入れています。そこにはイエス・キリストというお方の権威、力によってという意味が込められています。
7節の後半から9節までをお読みします。「するとたちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入っていった」
この使徒言行録の著者は、ルカによる福音書を記した人、パウロの同労者であり、医師でもあったルカであります。多くの注解者は、この部分は当時の医学的な言葉が使われている、医師ならではの書きぶりであると言っています。わたしが注目するのは、この翻訳では「躍る」という字が、踊りを踊るという、そういう漢字ではなく、活躍するという躍の字が使われていることです。もとの言葉は、飛び跳ねる、跳躍するという意味の言葉です。ただ立ち上がったというのではなく、この男の人は、まるでスプリングがはじけるように飛び跳ねて立ち上がったのです。最初は、ペトロとヨハネが右手を取って起こすのですが、それを遥かに超えて実に力強く、素早く彼は立ち上り、歩き始め、そして跳ね回って、喜びを表現しています。
わたくしは、25才の時に初めて教会にゆき、26才で洗礼を受けました。教会に行きはじめて、神様がおられることを知らされ、そして主イエス様がわたしの罪の赦しの恵みをくださることを信じました。そのときに、いつとは言えなのですが、間違いなく心の中にある変化が起きました。暗い洞窟に明かりがぱっとついたのです。ああそうなんだ、神様はあおられる、自分が安心して生きてゆく道が示された、そんな喜びが生まれたのです。飛び上がったり躍りまわったりはしませんでした。しかし、もっと静かな形ですが、わたしは間違いなく立ち上がって歩き始めたのです。
カルヴァンが指摘しましたように、この鮮やかな奇跡を、神様は午後3時の祈りの時の神殿大鳥居のところで、つまりおびただしい人々の見ている中で行ってくださいました。そこには神様のご計画があり、このことを通してもっと多くの人々がキリストの福音を信じるようになったのです。このあとのソロモンの廊の説教において、ペトロは、人々に主イエス・キリストの名がこの人を強くした。この方こそ救い主であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神が栄光を与えた方であると証しをしました。16節を見ますと「あなた方が見ているこの人をイエスの名が強くした」と言っていますから、ペトロは、癒されて大喜びしているその人のすぐ横で語っています。
日本と言う国は、キリスト教以外の信仰、異教的な信仰が強い国です。そこで聖書の神を伝えて行く時に、もしかしたら、ではあなた方の信じている神様を見せてほしい、そうしたら信じようと言われるかもしれません。しかし、この地上世界に2000年以上の歴史を持って、イエス・キリストの教会が存在している事、そこに救いの喜びを味わった信仰者が集っていること、それこそが神様のご存在と恵みを証しします。そして、そこで神さまを賛美する声が響き、御言葉が語られ、祈りの声が満ちている、そのこと自体が世に対する大きな証ではないでしょうか。喜んで神様を礼拝いたしましょう。
祈ります。
神さま、主イエス・キリストの名こそわたしたちの力の源であることを改めて知らされて感謝いたします。救われたわたしたちもまた「わたしたちを見なさい」と、神様の恵みを証しすることが出来ますようにどうか導いてください。主イエス様の御名によって祈ります。