2024年06月16日「イエスが天に上げられたのちに」

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聖書の言葉

使徒言行録 1章1節~2節

メッセージ

2024年6月16日 熊本伝道所 朝拝説教

使徒言行録1章1節~2節「イエスが天に上げられたのちに」

        

1、

 今朝から使徒言行録のみ言葉をご一緒に学びます。先ほどお読みしましたみ言葉の中に「イエスが、天に上げられた日までのすべてを先に記した」と言う言葉があります。同じ著者によって使徒言行録の前に書かれた書物のことを指しています。今朝の説教題は「イエスが天に上げられた後に」といたしました。主イエス様の昇天、天に昇られた後のことを記したものが使徒言行録であるということです。

はじめに、この使徒言行録を読んで行くことの大切な益、あるいは目的について考えてみます。なぜ使徒言行録を読むことにしたのか、その理由は単純でありまして、ヨハネによる福音書をご一緒に読み終えて、その次にありましたのが使徒言行録であったからです。ああそんなことかと思われたかもしれません。そして、二つ目のことは、今の日本の教会の状況は、まさしく使徒言行録の時代と重ねっているとわたくしは常々思っているということです。

今日の日本において、わたしたちはどのように信仰生活を送り、教会を建て上げ、福音を伝えてゆくのか、そのことを使徒言行録は教えています。もちろん、2000年前と現代では、歴史的な距離といいますか、隔たりがとても大きいので、同じように伝道すればよいということはできません。着ているものや食べているものの違いから始まって、使徒たちは電気もない、パソコンもないテレビもない、交通手段も違う時代に生きていました。それに日本と言う国には独特の歴史と文化がありますから、状況がそれらに輪をかけて違っているということは確かです。しかし、そんな違いをわきまえながら、異教的な環境の中でキリスト者が生きてゆく、教会が伝道してゆくという意味では、使徒言行録はわたしたちに勇気と力を与える御言葉であろうと思うのです。

 近代になって日本にキリスト教の信仰が伝えられたのは、主としてアメリカやヨーロッパの宣教師たちによりました。それ以前に景教と言う名のキリスト教信仰がシルクロードを東回りで伝わってきたとか、戦国時代にはキリシタン宣教師の布教活動もありましたけれども、現代のプロテスタント教会と言うことになれば、そのように言ってよいと思います。

これは戦国時代のバテレンたちも同じだったと思いますが、宣教師たちはすでにキリスト教会がその国のメインの宗教になっているという、国自体がキリスト教国になっている国からやってきました。福音伝道や教会の伝統そのものがその国の文化伝統の基盤となっている中での教会の活動は、やはり日本のようなところとは全く違うのです。一例をあげますと。明治以降の宣教師たちは、今もそうですが、盛んにリバイバルということを言いました。しかし、リバイバルと言うのは再び盛んになるという意味ですから、そもそもキリスト教会の土台のない日本ではそういうことは起こりえないのです。今は、リバイバルと言う言葉は、元の意味を離れて、単に教会が盛んになる、伝道が急速に進展すると言った意味に使われていますが、もともとは、キリスト教国で信仰が衰退してゆく中で再度復興するという意味の言葉です。あるいは、リフォームドという言葉も、再改革と言う意味ですので、日本の教会のことだけを取るとあまり意味がない。これは、先ほどのリバイバルと同じで、世界規模で物事を考える時には大切な意味を持つことになります。

 使徒言行録が書かれたのがいつごろかと言いますと、主イエス様が十字架にかかられ、お蘇りになり、天に帰って行かれたときから、それほど経っていない時期であろうと考えられています。おそらく50年もたっていないころ、紀元1世紀末までであろうと言われています。その間に、教会は既存の宗教や文化と戦いながら、あるいはそれらを有効に用いて伝道を進めてきました。それは使徒言行録を読みますと良くわかることです。使徒たちがおかれていたのは、未開の地ではありません。彼らはユダヤ教徒であるユダヤ人の中で、あるいはギリシャ・ローマの高度に発展した文化の中で伝道して行きました。その地域の政治や社会の制度は堅固なものであり、非キリスト教の発達した宗教もありました。そんな中で福音を伝えてゆく、それは日本と言う国の教会がしていることに似ているのではないかと思います。

 さて新共同訳では使徒言行録と言う名が付けられています。口語訳聖書では使徒行伝でした。新改訳聖書では「使徒の働き」です。どれも伝統的なギリシャ語の書名の翻訳です。しかし、この書物が使徒、つまり12使徒の働きを網羅して語っているということはありません。どの注解者も言っていることですが、古くから、この聖書の書物は「使徒言行録」「使徒行伝」と言う名で読まれているけれども、使徒たち皆の物語とは言えない、実際には12使徒のリーダーであるシモン・ペトロと後から使徒に加えられた異邦人の使徒パウロの二人の伝道の記録と言ってよいのです。全部で28章ある使徒言行録ですが、前半の主人公はペトロです。9章でサウロの回心、がありまして、サウロと言いますのはパウロのユダヤ名ですが、13章からは完全に主人公が入れ替わります。15章のエルサレム使徒会議でパウロの働きが全教会的に位置づけられ、それを含めて使徒言行録の後半は、パウロの伝道物語が続いてゆきます。そして最後の28章、パウロのローマ滞在で筆がおかれます。

ほかの使徒のことは、その名のリストが1章13節14節に出てくる以外には、ペトロとパウロの働きに関連した形で所々に顔を出す程度です。けれども、使徒言行録の本当の主人公は12使徒でもペトロでもパウロでもありません。使徒言行録の全体が主張していることは、ペトロもパウロも、最終的には神によって用いられた器である、本当の主人公は神ご自身であることです。これははっきりしています。

 使徒言行録は神の働きの書です。とりわけ、聖霊降臨、ペンテコステの出来事から物語が始まっていることからもわかりますように、聖霊の働きの書です。使徒言行録、使徒行伝というよりも、聖霊言行録、聖霊行伝であるというべき書物なのであります。

そのような思いを込めまして、わたしたちはこの熊本の地で、異教の地、異文化の地で福音を伝え、教会を建設していった使徒たちの働きを学びます。神様の救いの御業を学びます。日本と言う異教の地、伝道地で働いている日本の教会が学ばなければならないことをきちんと読み取り、同時に彼らの姿から励ましや慰めをいただきたい、あるときにはわたしたち自身の悔い改めを求められながら読み進めてゆきたいと願います。

2、

 さて先週は、ヨハネによる福音書の最後のところ、あとがきのところを読みました。今朝、お読みしたのは、使徒言行録の前書きです。あとがきの後で前書きをよむ、何か変な感じですね。この1節2節は、献呈の辞と呼ばれています。現代の書物のあとがきにはたいてい、本が出来るまでに、あの方、この方の助けがあった、感謝するという感謝の言葉に加えまして、この本を誰それにささげますという献呈の辞があります。たいていは苦労を共にしてくれた家族、妻や夫にささげる、あるいは恩師にささげると言う場合が多いと思います。

 古代のユダヤ、ギリシャ、あるいはローマにおきましても、たいていの書物には誰それにささげるという献呈の辞が本の最初にあったそうです。使徒言行録は、この文化的伝統に倣っています。これだけを見ても、使徒言行録はそれよりも前にある、ルカによる福音書以外の三つの福音書とは違っています。

 1節の初めに出てまいりますのは、「テオフィロ様」という言葉です。「テオフィロ様、わたしは先に第一巻を著して」と続きます。実は、同じような献呈の辞は、ルカによる福音書の冒頭にありました。今日、一か所だけほかのページを開いていただきますが、新約聖書の99頁をお開き下さい。ルカによる福音書の1章3節をお読みします。

「そこで尊敬するテオフィロ様、わたしもすべてのことをはじめから詳しく調べていますので。順序正しく書いてあなたに献呈するのが良いと思いました」「おうけになった教えが確実なものであることを良くわかっていただきたいのであります」

 ルカによる福音書はテオフィロという人、おそらく当時の社会的な地位が高い人物に献呈された福音書であることがわかります。使徒言行録の著者は、同じテオフィロと言う人に、そのルカによる福音書の続編、第二巻としてこの書物を書いているようなのです。

 このテオフィロという人がどんな人だったのかは、良くわかっていません。名前は明らかにローマの名前です。「尊敬するテオフィロ様」と呼ばれているのですが、この言葉は、ローマでは「閣下」と言う肩書の言葉でもあります。そこでこの人は、ローマ帝国の高官ではないかと思われます。そして彼は、異邦人であったけれども、主イエス・キリストの福音をすでに聴いていて、求道を始めていた人だと考えられます。

かつて、文語訳聖書や口語訳聖書は、献呈の辞の宛て先は、ルカによる福音書の方を「テオフィロ閣下」と訳し、使徒言行録の方を「テオフィロよ」と訳していました。つまりルカ福音書が書かれてから使徒言行録がかかれるまでの間に、ルカとテオフィロの関係が変化したと解釈します。その間に、テオフィロは主イエス様を信じ洗礼を受けた、そしてルカとテオフィロは兄弟姉妹の関係になった。特に伝道者ルカは、テオフィロの先生であるので、第二巻では「テオフィロよ」と呼び捨てのかたち、敬称なしで、呼ぶようになったという麗しい物語を伴っていました。けれども、現在の訳は、そのようには訳していません。しかし、尊敬する○○様に比べますと、○○様だけになった使徒言行録の方の呼び名のほうが、親しさが増していることは確かです。新改訳2017年版もフランシスコ会訳もこの新共同訳と同じように訳しています。すでに第一巻の献呈の辞で「閣下」「尊敬する何々様」と敬称付きで呼んだので、この第二巻ではもはや繰り返すことなく、単に「テオフィロ様」と書いたのかもしれません。テオフィロが、二つの書物のその間に洗礼を受けて、信仰上の師弟関係が生まれたというのは少し読み込みすぎ、考えすぎのように思われます。

 この献呈の辞から使徒言行録を書いたのは、どうやらルカによる福音書を書いた人と同じ人、つまりルカであるらしいということがわかりました。ルカと言う人は、パウロの手紙の中の3か所に名前が出ています。聖書に名前が出ている人です。まず、コロサイの信徒への手紙4章です。パウロが、幾人かの同労の伝道者や奉仕者の名前をあげて最後のあいさつ文を書いているところですが、こう書かれています。4章13節です。お聞きください。「愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています」

 つまり、ルカと言う人は、医者であり、当時獄中に捕らえられていたパウロの仲間であり、コロサイ書を書いた同じ街、同じ教会にいる人物であり、パウロと親しい関係にあった人であるということです。またテモテへの手紙2、4章21節、フィレモンへの手紙24節にもルカはパウロの同労者として紹介されています。そしてさらに面白いことですが、この使徒言行録の著者は、使徒言行録自体の中に自分自身を登場させています。16章10節から17節をはじめとして、27章までに四か所、主語が「わたしたち」になっている珍しい個所があるからです。パウロの旅の同行者を他の手紙などから類推すると、このときに、ルカがパウロに同行している可能性が高いのです。

3、

 ルカによる福音書にも、他の福音書と同じように、著者は明記されていません。ルカによる福音書の著者がルカであるというのは、伝説によるものです。しかし使徒言行録の著者がルカであるということならば、現在ルカによる福音書と呼ばれている三つ目の福音書、第三福音書の著者もルカであるということになります。

使徒後教父と呼ばれる古代の教父たちの文献に三つ目の福音書はルカによると伝えているものがあります。紀元130年生まれ、紀元200年ごろに亡くなったエイレナイオスという古代教会の司教の書いた本にそう書かれています。それ以前の文献は見つかっていません。聖書の著者は書かれた年代場所についての聖書自体の証言を内的証拠と言います。聖書以外の文献による証拠を外的証拠と言いますが、ルカによる福音書と使徒言行録を書いた人は、パウロがコロサイ所で愛する医者ルカと呼んでいる人物、ルカであることは、内的証拠と外的証拠が揃っている、かなり確かなことと考えられます。

 さて、1節の続きです。「わたしは先に第一巻を著した」とあります。ここは直訳すると「わたしは先に一つの巻物を作った」という言葉です。

当時は今のような紙があったわけではありません。パピルスと言うナイル川の岸辺に生えている葦のような植物の皮を剥いで乾かし、たたいて繊維にしたものを並べて張り合わせ、それに文字を書いてゆきました。一枚のパピルスは大学ノートくらいの大きさだそうです。このパピルスを20枚つなぎ合わせて巻物にしました。今の本のようにページを重ねて綴じた冊子は、3世紀、4世紀あたりまでは一般的ではなく、多くの書物、文書は巻物だったそうです。今牧師たちが使っている使徒言行録のギリシャ語の原文は、大学ノートの四分の一の大きさで88頁あります。実は、ルカによる福音書のほうも同じくらいの長さで、ギリシャ語本では91頁です。これが規格品のパピルス巻物一巻分に当たるというわけです。著者ルカは初めから上下二巻本にしようという考えがあったのではなく、ルカによる福音書を書いていって、パピルスの巻物一巻きが終わったので、これを上巻にして、続いて下巻を書いたと考えることが出来ます。今の聖書の並びだと、ルカによる福音書と使徒言行録の間にヨハネによる福音書が入っています。しかし本来は、ルカによる福音書と使徒言行録を合わせて一つの本になるわけです。

3、

さて、1節では、ルカは使徒言行録に先立って、何を書いたと言っているでしょうか。「イエスが行い、また教え始めてから、一部省略しますが、天に上げられた日までのすべてのこと」について書き記したと言っています。省略したところには、「お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え」、それから天に上げられたと書かれています。

実は、原文では1節から5節までが一続きの文です。2節と3節の間に大きな区切り目があります。日本語ですとマルがあってこれを句点といい、点があり、これを読点、合わせて句読点と言います。ギリシャ語では、右下に打つピリオドと右上に打つピリオド、それにクエッションマークにあたるセミコロンなどで文が区切られますが、原文の校訂本では2節3節の間にはピリオドを置いていますが、まだ一文が終わっていないという不思議な区切り方です。翻訳によっては、5節までを一つの文として訳しているものもあります。

3節から5節は、2節で言った「すべてのこと」の中身を言い直しいるわけです。著者自身によるルカによる福音書の要約、まとめです。これは次回に説教いたします。

「イエスが教えた、行った」とは言わないで、「イエスが、教えはじめ、行い始めた」と言っていることに注目しなければならないと思います。つまり、イエス様の教えと行いは、もっと大きなこと、大規模なことの始めであったということです。イエスは神様の教えと業を始めたのですが、その神の救いのみ業はまだ完結していない、完全に終わっていないというのです。

しかし、主イエス様は天に帰って行かれました。もはや直接地上で教えたり、御業を行ったりすることはできません。そのイエス様の救いの御業を引きついで、実行されるのが聖霊の神様です。

テオフィロという名前は、そのギリシャ語を分解すると、神の愛する人、神の友という言葉です。実は、これが実在する人の名前ではないのではないかという主張があります。当時は、キリスト教は迫害されていたので、ローマの高官の実名は伏せられていて、いわば匿名としてこの名が使われたというのです。

しかし、もっとわたしたちとかかわりのある説があります。使徒言行録は、神の愛する人、神が愛する人、神の友である人の全員に向けて書かれたのではないかと言う説です。これから先のすべての求道の人へ、神を信じる人にこのことはぜひ伝えたいと願いながら書かれたというのです。この献呈の辞の真相を確定することはできませんが、ルカは、単位テオフィロと言う一人の人のためだけに使徒言行録を書いたのではないことは確かです。わたしたちに向けて書かれたと言っても良いと思います。神様の救いの業を成し遂げる聖霊様の働きは今も続けられています。わたしたちは、聖霊の神様の器として働くのです。聖霊の神様に導かれて信仰の生活を続けるのです。使徒言行録、いや聖霊言行録を、そのための力をいただくみ言葉として読み進めてまいりましょう。祈りを致します。

天の父なる神、主イエス・キリストの父なる神、尊い御名を崇めます。この礼拝から新しく使徒言行録のみ言葉を共に学ぶことが出来ますことを感謝いたします。この日本の地、熊本の地で、わたしたちは使徒ペトロやパウロの伝道の足跡をたどります。どうか、わたしたちに力と勇気を与えてくださって、この地での福音説教がいっそう力強く進められるよう導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。