聖書の言葉 ルカによる福音書 19章38節~42節 メッセージ 2024年3月24日(日)熊本伝道所朝拝説教 ヨハネによる福音書19章38~42節「主イエス、葬られる」 1、 お集まりのおひとりお一人の上に、主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように。 2月14日の「灰の水曜日」と呼ばれる受難節の最初の日から6週間目を迎えました。今週は、受難週です。主イエス様が地上における最後の一週間を過ごされた日々を特別に覚える期間なのです。 福音書によって日付のはっきりしない出来事があって、厳密に決めることは出来ませんけれども、教会は長い歴史の中で、受難週のそれぞれの日に覚えるべきことを割り振って来ました。週の初め日曜日に、主イエス様はロバの子に乗って都エルサレムに入城されます。ちょうど、今日がその日に当たりますけれども、人々が棕櫚の葉を手に手に主イエス様を歓迎したので棕櫚の日曜日と呼びます。翌月曜日にはエルサレム神殿に入られて宮清めと呼ばれる激しい働きをなさいました。そして、ファリサイ派との論争や多くの癒しの奇跡を行うという忙しい火曜日を過ごされ、水曜日にはベタニアのシモンの家で大変高価なナルドの香油を頭から注がれました。そして木曜日は最後の晩餐の日でした。この日、主イエス様は弟子たちと過ぎ越しの食事をされた後に弟子たちの足を一人一人洗ってくださいました。「あなたがたもこのように互いに愛し合い、仕え合いなさい」という主イエス様ご自身の行いによるメッセージです。このことはヨハネによる福音書だけが記録していることです。 わたしたち改革派の教会でこれを行っているところはほとんどないと思いますが、今週の木曜日は洗足木曜日と呼ばれていて、多くの教会では牧師が集まって来た信徒一人一人の足を実際に洗って、その心を思い起こすそうです。そして金曜日に主イエス様は、十字架にお架かりになられました。 ちょうど2年前にわたくしがこの熊本教会に赴任してから、ヨハネによる福音書のみ言葉を1章1節から続けて読み進めて来ました。先月2月の最後の日曜日に主イエス様が十字架にお架かりになって息を引き取られる場面であります19章37節まで解き明かしを行いました。しかし3月31日のイースターが近いということで、先週までは、余波による福音書を離れて、マタイによる福音書とルカによる福音書から、主イエス様の十字架のみ言葉を聴き続けてきたのです。 今朝は、一カ月ぶりにヨハネによる福音書に戻りまして、19章の最後のみ言葉を学んでおります。「墓に葬られる」と言う小見出しが付けられています。文字通り、主イエス様の葬り、葬儀の様子が記されているのです。そして、次週のイースター礼拝では、第20章の主イエス様の復活のみ言葉を聴くこととなります。 三週間続けて、主イエス様が十字架の上で死なれるという決定的な場面のみ言葉を聴いてきました。十字架の上で、主イエス様は七つの言葉を語られたことも語らせていただきました。 聖書は、主イエス様の死なれた有様について、それは、罪人であって神様の前に決して胸を張って立つことが出来ないわたしたちの代わりに神様から捨てられた死、呪いの死であったことを記しています。 ヨハネによる福音書が記録しています主イエス様の十字架上の最後のみ言葉は「成し遂げられた」であります。それに先だって「渇く」とも言われました。主イエス様は、十字架によって私たちを救ってくださった、わたしたちはそのことを知っているのです。なぜならば、この主イエス様の絶望、嘆き、霊と肉とにおける渇きこそ、わたしたちが本来、味わわなければならないはずの絶望でした。十字架に現わされた神様の裁きこそ、わたしたちが本来、受けるべき罪の報酬、死の刑罰であったのです。わたしたちが、罪を許され、「生きるために」、ここが大切です、「生きるために」主イエス・キリストが死んでくださったのです。 ヨハネによる福音書をもうすぐ最後まで読み終えるわたしたちは、この主イエス様の十字架の恵みを知っているのであります。ですからわたしたちは、主イエス様の命において生きる、喜んで生きる、解き放たれて生きることが出来る、それをはっきりと心に刻み込んでいるのです。 2 今朝の御言葉は、主イエス様の葬り、分かりやすく言えば葬儀、葬式です。当時、十字架にかかって死んだものは、葬儀を許されませんでした。そのまま十字架の上で朽ち果てるように放置されるか、あるいは、丸でモノか何かのように共同墓地の穴の中に兵士達の手によって事務的に放り込まれるだけでした。しかし、神様はすべてを取り計らってくださり、主イエス様のなきがらを葬ることを許してくださいました。 私は、牧師を23年間務める中で多くの葬儀を司式しました。教会員やその家族、私自身が洗礼を授けた方もおられました。葬儀は、実際に教会堂や葬儀式場の中で行われるいわゆる葬儀式だけではなく、その前後のすべての段取りを含んでいます。死が近いことを医師から知らされた家族の知らせを受けてお見舞いに伺うこと、そして実際に死を看取るところから、すでに葬りの備えが始まっています。残された遺体を棺に納める、その棺を式場に運ぶ、さらに、火葬場へ移し、火葬する、骨上げから納骨にいたるすべてが大切な葬りの儀式です。 そこで中心的な役割を果たすのは、やはり家族です。妻や夫、兄弟、また子供たちが、親しかった人たちが一部始終を見守ります。神様によって信仰の家族とされた教会の兄弟姉妹がたも、それに加わります。家族だけが同行しているような場面でも、そこに牧師がともにいるならば、そのとき牧師は、教会員の代表でもあります。いずれにしても、生前の生活をともにした者たちが、悲しみをも共にし、愛の心を表し、これまで与えられた神様の恵みを覚えながら、その人を大切に葬ります。 主イエス様の場合には、12弟子がどうしたかが問題になります。しかしお弟子たちは、主イエス様の葬儀に加わることはありませんでした。主イエス様が捕らえられ十字架に掛けられるときから、もうすでに、どこかへ逃げてしまっていたのです。隠れていたのです。それならば、だれが主イエス様を葬ったか、アリマタヤのヨセフと言う人です。アリマタヤという町はエルサレムの北西35キロにあります。ヨセフは、この町の出身であり、しかも金持ちであり、他の福音書によれば、サンへドリン、ユダヤの最高評議会の議員でした。同じくユダヤの議員であったニコデモという人も、一緒に来ました。彼らは、ゴルゴダの丘までやってきて、主イエス様の体を十字架から降ろしました。そして用意していた新しい亜麻布で包み、香料を塗り、墓地へ運び、丁重に葬りました。その墓は、ヨセフ自身のためのものでありました。 ヨセフは、主イエス様の弟子であったと57節にあります。ニコデモという人も、かつて夜の闇に紛れてひそかに主イエス様の教えを受けました。隠れ弟子といってよいでしょう。本来の弟子が隠れてしまったときに、隠れ弟子であったはずの人が姿を現したのです。 アリマタヤのヨセフは、サンヘドリン、ユダヤの国会と政府を一つにしたような立法評議会のメンバーでしたから、ローマ総督ピラトとは顔なじみであったことでしょう。ヨセフから主イエス様の葬りをしたいという願いを受けたとき、ピラトは驚いたに違いありません。なぜ、あなたがこの犯罪人であり、ユダヤ教指導者たちの敵であるとされた主イエス様の遺体を引き取って葬るのか。おそらく、アリマタヤのヨセフは、実は自分はこの人の隠れた弟子であったと刻曰はくしたのではないでしょうか。 葬儀に、思いがけない人が現れるということがしばしばあります。生前、仲の悪かった人がやってくる、共産党議員の葬儀に自民党の人が現れたりするのです。それが礼儀だと思っているからです。けれども、アリマタヤのヨセフとニコデモは、ただ儀礼として出席した人ではありません。マルコによる福音書には「勇気を出して」と書かれています。勇気を出して、総督ピラトに願い出て、葬儀を取り仕切ったのです。 ヨセフもニコデモも、主イエス様が神の国の福音を宣べ伝えているときには、表立ってそれに加わることはありませんでした。隠れていました。ひそかな弟子でした。今朝のみ言葉の33節にはっきりと書かれていいますが、イエスの弟子でありながらユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた人たちなのです。 弟子であるということは、本来、自分の立場をはっきりさせていることです。単に知識欲を満足させるために、あれも学ぼう、これも学ぼうと言って、お勉強をしているのとは違います。自分は、このお方を信じる、この方に望みを賭けると決めているのです。けれども、彼らには恐れがありました。地位があり、財産があるということは、現状維持の方向にその人をいやおうなく仕向けます。「金持ちが天の国に入ることはらくだが針の穴を通るより難しい」、マタイによる福音書19章の主イエス様のお言葉です。これを聞いて、金持ちこそ神の恵みを受けている人のはずであり、真っ先に天国に入ると思っていた弟子たちは驚き、それではだれが救われるのかと尋ねますと、主イエス様はお答えになりました。それは「人間に出来ることではないが、神は何でも出来る」 ヨセフもニコデモも、これまでずっと地位に縛られ、人を畏れていて自由ではありませんでした。もし、本当の意味で自分が主イエス様の弟子になったら、どうなるのか。ユダヤ人たちによって地位や名誉や財産を失うのではないかと恐れていました。神様の力、恵みとの全体が見えていなかったのだと思います。はっきり言えば、信仰が弱かったのです。厳しい言い方かもしれませんが、その心が、地位や名誉や財産や世間体にとらわれてしまっていた。しかし、神様はここ一番というときに、彼らを用いてくださいました。主イエス様の復活という神様のご計画実現のために大切なこと、いつも一緒にいた12弟子が出来ない神の働きを、そのような隠れ弟子たちが勇気を持って果たしたのです。 私たちも、今、日本の地、熊本の地で主イエス様の福音を宣べ伝えています。教会にはいろいろな人が集まっています。だれもが公然と、また熱心に主の働きが出来るとは限りません。家族に遠慮して、めったに教会に来られない人だっているかもしれません。けれども、わたしたちは信じるのです。表立った奉仕の余り出来ない人もいるかもしれません。けれども神様は、どんな人でも教会にとって必要な人として用いてくださっている、ということを信じなければなりません。今は分からなくとも、すべての人が主の働き人としてふさわしいときに用いられるのです。主の教会を立て上げてゆくというときに、わたしたちはそのことを大切なこととして覚えたいと思うのです。神様は、人間的にみるならばとても無理だと思われるようなことをしてくださるお方です。弱いと見える人が強い人へと変えられてゆきます。主によって大きく用いられるときが来るのです。私どもはそのことを祈り続けます。従って、わたしたちは、人の目で、外に見えていることだけで兄弟姉妹を裁いたり軽んじたりしては決してならない、このことを覚えるのです。 3、 ユダヤの総督ピラトのもとに、金曜日の早朝と夕方、そして土曜日、サンへドリン、ユダヤの最高評議会の名誉ある議員が来ました。まず金曜日の朝早くには、イエスを十字架に付けて欲しいと、そしてその日の夕方にはイエスの葬儀をしたいとそれぞれ訪ねてきました。 実はマタイによる福音書には、次の日、すなわちユダヤ教の安息日である土曜日になりますが、同じサンヘドリン、ユダヤの最高評議会の議員達の中のあるものたちが、同じように総督ピラトのもとにやってきてこう言ったと記されています。 「閣下、人を惑わすあのものがまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを私たちは思い出しました。」 彼らの願いは、弟子たちが主イエス様のなきがらを盗み出さないように番兵を墓に配置して欲しいというものでした。そうでないと、弟子達が遺体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれない、そうなると人々は、もっとひどく惑わされることになるというのです。 これに対して総督ピラトは、そのずるがしこい性質を発揮して、ローマの兵隊を配置することを拒否しました。イエスという男にはかかわりたくなかったのです。面倒なことが起こるのを警戒したのでしょう。あなた達には番兵がいるはずだと答え、神殿を警備するユダヤの警備隊を配置するように言いました。 ユダヤの兵士たちは、徹夜の警備を慕入たはずですが、それにも関わらず主イエス様はおよみがえりになられました。 復活の主イエス様に最初に会ったのは、マグダラのマリアをはじめとする女性たちでした。しかしその前に、女性たちに主の天使が現れ事の次第を告げました。番兵達もまたその天使達を見ました。彼らは驚き、恐ろしくなり死人のようになりました。番兵達が復活の主イエス様自身を見たのかどうかははっきりしません。しかし、天使が現れたこと、墓をふさいでいた大きな石が天使によってどけられたこと、墓が空になったことは、番兵達の目の前で起きたことです。もし番兵達が、お弟子達の遺体盗み出しを許してしまったのならば、厳しいバツを受けるはずですが、彼らは結局、それを免れています。その代わりに、お弟子達が寝ている間に遺体を盗んだことの偽証人にさせられ、多額の賄賂まで受けとりました。 これらのことは、主イエス様の復活が真実であるときにだけ、起こることであるといってよいのであります。 4、 主イエス・キリストは、十字架の上で死なれました。そして天の父なる神様が、御心のうちに取りはからって下さった恵みの中で葬られました。 わたしたちは主イエス様を神の御子、神ご自身と信じます。その神様が死んだり、葬式をされたりというようなことは、この世界の常識ではありえないことです。 しかし、主イエス様に関しては、そのようなことが起こったのです。主イエス様は、私たちと同じ姿で、そのご生涯を歩まれ、この地上で、もっとも低い場所である十字架の上に置かれ、そして私たちと同様に葬られました。このことは、神様がどこまでも私たちを愛し、すべてのことにおいて私たちと一緒にいてくださるお方であることを、決して忘れられない仕方で現しています。もっとも低いところまで降りてきてくださった主イエス様は、この後、復活し、天に上げられるという最高の栄光を受けられます。 お弟子達は逃げ去りました。主イエス様の葬りは、隠れ弟子と婦人達によってなされました。大きな石が墓の入り口に置かれ、神殿警備兵が番兵として墓の入り口に貼り付けられました。しかし、だれも主イエス様の復活を妨げることは出来ませんでした。世のたくらみ、妨害がどれほど入念、巧妙であっても、神様のご計画を妨げることは出来ないのです。 教会は、今日に至るまで、人間の卑怯さ、この世の知恵によって取り囲まれています。私たちの内側の、心の中のよこしまな思いや、弱さもまた、教会の行く道を脅かします。不安を呼び起こします。しかし、わたしたちは安心してよいのです。決して負けることはありません。主イエス様は勝利しておられるからです。わたしたちは今朝の御言葉の中ではすっかり隠れてしまっているお弟子達にない恵みを与えられています。主イエス様が、すでに復活し天に昇り、今生きておられるからです。このお方に心を向け、望みを抱いて歩んでゆきましょう。祈りをいたします。 祈り 天の父なる神様、それは本当に小さな葬儀、葬りの様子でした。主イエス様は、二人の隠れ弟子によって墓に葬られました。本来の弟子たちは逃げ出していたのです。人間的には予想もできない仕方で神様はお働き下さり、主イエス様は、墓からよみがえり、日曜日の朝に弟子たちに姿を現わしてくださいました。来週は、主イエス様の復活の日、イースターです。次週のイースターの礼拝、墓前礼拝、納骨式、そしてその後のピクニック、すべてを導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
2024年3月24日(日)熊本伝道所朝拝説教
ヨハネによる福音書19章38~42節「主イエス、葬られる」
1、
お集まりのおひとりお一人の上に、主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように。
2月14日の「灰の水曜日」と呼ばれる受難節の最初の日から6週間目を迎えました。今週は、受難週です。主イエス様が地上における最後の一週間を過ごされた日々を特別に覚える期間なのです。
福音書によって日付のはっきりしない出来事があって、厳密に決めることは出来ませんけれども、教会は長い歴史の中で、受難週のそれぞれの日に覚えるべきことを割り振って来ました。週の初め日曜日に、主イエス様はロバの子に乗って都エルサレムに入城されます。ちょうど、今日がその日に当たりますけれども、人々が棕櫚の葉を手に手に主イエス様を歓迎したので棕櫚の日曜日と呼びます。翌月曜日にはエルサレム神殿に入られて宮清めと呼ばれる激しい働きをなさいました。そして、ファリサイ派との論争や多くの癒しの奇跡を行うという忙しい火曜日を過ごされ、水曜日にはベタニアのシモンの家で大変高価なナルドの香油を頭から注がれました。そして木曜日は最後の晩餐の日でした。この日、主イエス様は弟子たちと過ぎ越しの食事をされた後に弟子たちの足を一人一人洗ってくださいました。「あなたがたもこのように互いに愛し合い、仕え合いなさい」という主イエス様ご自身の行いによるメッセージです。このことはヨハネによる福音書だけが記録していることです。
わたしたち改革派の教会でこれを行っているところはほとんどないと思いますが、今週の木曜日は洗足木曜日と呼ばれていて、多くの教会では牧師が集まって来た信徒一人一人の足を実際に洗って、その心を思い起こすそうです。そして金曜日に主イエス様は、十字架にお架かりになられました。
ちょうど2年前にわたくしがこの熊本教会に赴任してから、ヨハネによる福音書のみ言葉を1章1節から続けて読み進めて来ました。先月2月の最後の日曜日に主イエス様が十字架にお架かりになって息を引き取られる場面であります19章37節まで解き明かしを行いました。しかし3月31日のイースターが近いということで、先週までは、余波による福音書を離れて、マタイによる福音書とルカによる福音書から、主イエス様の十字架のみ言葉を聴き続けてきたのです。
今朝は、一カ月ぶりにヨハネによる福音書に戻りまして、19章の最後のみ言葉を学んでおります。「墓に葬られる」と言う小見出しが付けられています。文字通り、主イエス様の葬り、葬儀の様子が記されているのです。そして、次週のイースター礼拝では、第20章の主イエス様の復活のみ言葉を聴くこととなります。
三週間続けて、主イエス様が十字架の上で死なれるという決定的な場面のみ言葉を聴いてきました。十字架の上で、主イエス様は七つの言葉を語られたことも語らせていただきました。
聖書は、主イエス様の死なれた有様について、それは、罪人であって神様の前に決して胸を張って立つことが出来ないわたしたちの代わりに神様から捨てられた死、呪いの死であったことを記しています。
ヨハネによる福音書が記録しています主イエス様の十字架上の最後のみ言葉は「成し遂げられた」であります。それに先だって「渇く」とも言われました。主イエス様は、十字架によって私たちを救ってくださった、わたしたちはそのことを知っているのです。なぜならば、この主イエス様の絶望、嘆き、霊と肉とにおける渇きこそ、わたしたちが本来、味わわなければならないはずの絶望でした。十字架に現わされた神様の裁きこそ、わたしたちが本来、受けるべき罪の報酬、死の刑罰であったのです。わたしたちが、罪を許され、「生きるために」、ここが大切です、「生きるために」主イエス・キリストが死んでくださったのです。
ヨハネによる福音書をもうすぐ最後まで読み終えるわたしたちは、この主イエス様の十字架の恵みを知っているのであります。ですからわたしたちは、主イエス様の命において生きる、喜んで生きる、解き放たれて生きることが出来る、それをはっきりと心に刻み込んでいるのです。
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今朝の御言葉は、主イエス様の葬り、分かりやすく言えば葬儀、葬式です。当時、十字架にかかって死んだものは、葬儀を許されませんでした。そのまま十字架の上で朽ち果てるように放置されるか、あるいは、丸でモノか何かのように共同墓地の穴の中に兵士達の手によって事務的に放り込まれるだけでした。しかし、神様はすべてを取り計らってくださり、主イエス様のなきがらを葬ることを許してくださいました。
私は、牧師を23年間務める中で多くの葬儀を司式しました。教会員やその家族、私自身が洗礼を授けた方もおられました。葬儀は、実際に教会堂や葬儀式場の中で行われるいわゆる葬儀式だけではなく、その前後のすべての段取りを含んでいます。死が近いことを医師から知らされた家族の知らせを受けてお見舞いに伺うこと、そして実際に死を看取るところから、すでに葬りの備えが始まっています。残された遺体を棺に納める、その棺を式場に運ぶ、さらに、火葬場へ移し、火葬する、骨上げから納骨にいたるすべてが大切な葬りの儀式です。
そこで中心的な役割を果たすのは、やはり家族です。妻や夫、兄弟、また子供たちが、親しかった人たちが一部始終を見守ります。神様によって信仰の家族とされた教会の兄弟姉妹がたも、それに加わります。家族だけが同行しているような場面でも、そこに牧師がともにいるならば、そのとき牧師は、教会員の代表でもあります。いずれにしても、生前の生活をともにした者たちが、悲しみをも共にし、愛の心を表し、これまで与えられた神様の恵みを覚えながら、その人を大切に葬ります。
主イエス様の場合には、12弟子がどうしたかが問題になります。しかしお弟子たちは、主イエス様の葬儀に加わることはありませんでした。主イエス様が捕らえられ十字架に掛けられるときから、もうすでに、どこかへ逃げてしまっていたのです。隠れていたのです。それならば、だれが主イエス様を葬ったか、アリマタヤのヨセフと言う人です。アリマタヤという町はエルサレムの北西35キロにあります。ヨセフは、この町の出身であり、しかも金持ちであり、他の福音書によれば、サンへドリン、ユダヤの最高評議会の議員でした。同じくユダヤの議員であったニコデモという人も、一緒に来ました。彼らは、ゴルゴダの丘までやってきて、主イエス様の体を十字架から降ろしました。そして用意していた新しい亜麻布で包み、香料を塗り、墓地へ運び、丁重に葬りました。その墓は、ヨセフ自身のためのものでありました。
ヨセフは、主イエス様の弟子であったと57節にあります。ニコデモという人も、かつて夜の闇に紛れてひそかに主イエス様の教えを受けました。隠れ弟子といってよいでしょう。本来の弟子が隠れてしまったときに、隠れ弟子であったはずの人が姿を現したのです。
アリマタヤのヨセフは、サンヘドリン、ユダヤの国会と政府を一つにしたような立法評議会のメンバーでしたから、ローマ総督ピラトとは顔なじみであったことでしょう。ヨセフから主イエス様の葬りをしたいという願いを受けたとき、ピラトは驚いたに違いありません。なぜ、あなたがこの犯罪人であり、ユダヤ教指導者たちの敵であるとされた主イエス様の遺体を引き取って葬るのか。おそらく、アリマタヤのヨセフは、実は自分はこの人の隠れた弟子であったと刻曰はくしたのではないでしょうか。
葬儀に、思いがけない人が現れるということがしばしばあります。生前、仲の悪かった人がやってくる、共産党議員の葬儀に自民党の人が現れたりするのです。それが礼儀だと思っているからです。けれども、アリマタヤのヨセフとニコデモは、ただ儀礼として出席した人ではありません。マルコによる福音書には「勇気を出して」と書かれています。勇気を出して、総督ピラトに願い出て、葬儀を取り仕切ったのです。
ヨセフもニコデモも、主イエス様が神の国の福音を宣べ伝えているときには、表立ってそれに加わることはありませんでした。隠れていました。ひそかな弟子でした。今朝のみ言葉の33節にはっきりと書かれていいますが、イエスの弟子でありながらユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた人たちなのです。
弟子であるということは、本来、自分の立場をはっきりさせていることです。単に知識欲を満足させるために、あれも学ぼう、これも学ぼうと言って、お勉強をしているのとは違います。自分は、このお方を信じる、この方に望みを賭けると決めているのです。けれども、彼らには恐れがありました。地位があり、財産があるということは、現状維持の方向にその人をいやおうなく仕向けます。「金持ちが天の国に入ることはらくだが針の穴を通るより難しい」、マタイによる福音書19章の主イエス様のお言葉です。これを聞いて、金持ちこそ神の恵みを受けている人のはずであり、真っ先に天国に入ると思っていた弟子たちは驚き、それではだれが救われるのかと尋ねますと、主イエス様はお答えになりました。それは「人間に出来ることではないが、神は何でも出来る」
ヨセフもニコデモも、これまでずっと地位に縛られ、人を畏れていて自由ではありませんでした。もし、本当の意味で自分が主イエス様の弟子になったら、どうなるのか。ユダヤ人たちによって地位や名誉や財産を失うのではないかと恐れていました。神様の力、恵みとの全体が見えていなかったのだと思います。はっきり言えば、信仰が弱かったのです。厳しい言い方かもしれませんが、その心が、地位や名誉や財産や世間体にとらわれてしまっていた。しかし、神様はここ一番というときに、彼らを用いてくださいました。主イエス様の復活という神様のご計画実現のために大切なこと、いつも一緒にいた12弟子が出来ない神の働きを、そのような隠れ弟子たちが勇気を持って果たしたのです。
私たちも、今、日本の地、熊本の地で主イエス様の福音を宣べ伝えています。教会にはいろいろな人が集まっています。だれもが公然と、また熱心に主の働きが出来るとは限りません。家族に遠慮して、めったに教会に来られない人だっているかもしれません。けれども、わたしたちは信じるのです。表立った奉仕の余り出来ない人もいるかもしれません。けれども神様は、どんな人でも教会にとって必要な人として用いてくださっている、ということを信じなければなりません。今は分からなくとも、すべての人が主の働き人としてふさわしいときに用いられるのです。主の教会を立て上げてゆくというときに、わたしたちはそのことを大切なこととして覚えたいと思うのです。神様は、人間的にみるならばとても無理だと思われるようなことをしてくださるお方です。弱いと見える人が強い人へと変えられてゆきます。主によって大きく用いられるときが来るのです。私どもはそのことを祈り続けます。従って、わたしたちは、人の目で、外に見えていることだけで兄弟姉妹を裁いたり軽んじたりしては決してならない、このことを覚えるのです。
3、
ユダヤの総督ピラトのもとに、金曜日の早朝と夕方、そして土曜日、サンへドリン、ユダヤの最高評議会の名誉ある議員が来ました。まず金曜日の朝早くには、イエスを十字架に付けて欲しいと、そしてその日の夕方にはイエスの葬儀をしたいとそれぞれ訪ねてきました。
実はマタイによる福音書には、次の日、すなわちユダヤ教の安息日である土曜日になりますが、同じサンヘドリン、ユダヤの最高評議会の議員達の中のあるものたちが、同じように総督ピラトのもとにやってきてこう言ったと記されています。
「閣下、人を惑わすあのものがまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを私たちは思い出しました。」
彼らの願いは、弟子たちが主イエス様のなきがらを盗み出さないように番兵を墓に配置して欲しいというものでした。そうでないと、弟子達が遺体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれない、そうなると人々は、もっとひどく惑わされることになるというのです。
これに対して総督ピラトは、そのずるがしこい性質を発揮して、ローマの兵隊を配置することを拒否しました。イエスという男にはかかわりたくなかったのです。面倒なことが起こるのを警戒したのでしょう。あなた達には番兵がいるはずだと答え、神殿を警備するユダヤの警備隊を配置するように言いました。
ユダヤの兵士たちは、徹夜の警備を慕入たはずですが、それにも関わらず主イエス様はおよみがえりになられました。
復活の主イエス様に最初に会ったのは、マグダラのマリアをはじめとする女性たちでした。しかしその前に、女性たちに主の天使が現れ事の次第を告げました。番兵達もまたその天使達を見ました。彼らは驚き、恐ろしくなり死人のようになりました。番兵達が復活の主イエス様自身を見たのかどうかははっきりしません。しかし、天使が現れたこと、墓をふさいでいた大きな石が天使によってどけられたこと、墓が空になったことは、番兵達の目の前で起きたことです。もし番兵達が、お弟子達の遺体盗み出しを許してしまったのならば、厳しいバツを受けるはずですが、彼らは結局、それを免れています。その代わりに、お弟子達が寝ている間に遺体を盗んだことの偽証人にさせられ、多額の賄賂まで受けとりました。
これらのことは、主イエス様の復活が真実であるときにだけ、起こることであるといってよいのであります。
4、
主イエス・キリストは、十字架の上で死なれました。そして天の父なる神様が、御心のうちに取りはからって下さった恵みの中で葬られました。
わたしたちは主イエス様を神の御子、神ご自身と信じます。その神様が死んだり、葬式をされたりというようなことは、この世界の常識ではありえないことです。
しかし、主イエス様に関しては、そのようなことが起こったのです。主イエス様は、私たちと同じ姿で、そのご生涯を歩まれ、この地上で、もっとも低い場所である十字架の上に置かれ、そして私たちと同様に葬られました。このことは、神様がどこまでも私たちを愛し、すべてのことにおいて私たちと一緒にいてくださるお方であることを、決して忘れられない仕方で現しています。もっとも低いところまで降りてきてくださった主イエス様は、この後、復活し、天に上げられるという最高の栄光を受けられます。
お弟子達は逃げ去りました。主イエス様の葬りは、隠れ弟子と婦人達によってなされました。大きな石が墓の入り口に置かれ、神殿警備兵が番兵として墓の入り口に貼り付けられました。しかし、だれも主イエス様の復活を妨げることは出来ませんでした。世のたくらみ、妨害がどれほど入念、巧妙であっても、神様のご計画を妨げることは出来ないのです。
教会は、今日に至るまで、人間の卑怯さ、この世の知恵によって取り囲まれています。私たちの内側の、心の中のよこしまな思いや、弱さもまた、教会の行く道を脅かします。不安を呼び起こします。しかし、わたしたちは安心してよいのです。決して負けることはありません。主イエス様は勝利しておられるからです。わたしたちは今朝の御言葉の中ではすっかり隠れてしまっているお弟子達にない恵みを与えられています。主イエス様が、すでに復活し天に昇り、今生きておられるからです。このお方に心を向け、望みを抱いて歩んでゆきましょう。祈りをいたします。
祈り
天の父なる神様、それは本当に小さな葬儀、葬りの様子でした。主イエス様は、二人の隠れ弟子によって墓に葬られました。本来の弟子たちは逃げ出していたのです。人間的には予想もできない仕方で神様はお働き下さり、主イエス様は、墓からよみがえり、日曜日の朝に弟子たちに姿を現わしてくださいました。来週は、主イエス様の復活の日、イースターです。次週のイースターの礼拝、墓前礼拝、納骨式、そしてその後のピクニック、すべてを導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。