聖書の言葉 ヨハネによる福音書 18章38節~19章16節 メッセージ 熊本伝道所朝礼拝説教2024年2月11日(日) ヨハネによる福音書18章38節b~9章16節「この人を見よ」 1 主イエス・キリストのめぐみと平和が豊かにありますように。主の御名によって祈ります。 わたしたちは先週から主イエス様がユダヤの国に遣わされているローマ総督ポンテオ・ピラトの裁判を受けられる、その場面の御言葉を聞いています。裁判の最終的な判決は今朝のみ言葉の最後の16節に記されています。「そこでピラトは十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」 ここに至るまでピラトは幾度も逡巡し、ユダヤ人たちに問いかけ、取引し、何とか主イエス様を助けようとしています。12節のこうある通りです。「ピラトはイエスを釈放しようと努めた。」わたしたちは、使徒信条を告白するときに必ずポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ」と繰り返すのですが、ピラトは実は主イエス様の味方だった、こう言えないことではありません。しかし、ピラトは最終的に十字架刑の判決をくだしたのです。 この裁判では、ピラトが幾度も幾度も総督官邸の中と外と行ったり来たり致します。丁寧に追ってみると、ピラトは、官邸の中から三度出てきて、四度入る、そういう動きをしています。ユダヤ人たち態度は一貫しています。「十字架につけよ」の1点張りです。その前で、ピラトは、ああでもないこうでないと、そのあいだをうろうろとしているという印象があります。ユダヤ人たちの最終的な切り札は、12節後半のユダヤ人たちの叫びでした。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない」。 彼らによれば自ら王と自称している主イエス様をそのままにすることは、皇帝への反逆者をそのままにすることだというのです。皇帝から任命されているピラトにとっては、そんなことを皇帝に通報されたら一大事でした。それはやはり、この世の権力の中を動き回る、この世の王の限界なのです。 今朝の説教題を「この人を見よ」といたしました。5節に「ピラトは『見よこの男だ』と言ったとあります。ここの文語訳は「ピラト言う。「見よ、この人なり」」。 「見よ、この男だ」元のギリシャ語は「イドゥー、ホ、アンスロポス」ですが、カトリック教会の公認訳であるラテン語聖書ウルガタでは「エッケ・ホモ」です。 皆さんがエッケ・ホモ「画像」と検索してくださるとたくさんの宗教画が出てくると思います。主イエス様が、鞭打ちの刑に処せられ、そして茨の冠と紫の衣を着せられて、人々の前に引き出されたときのイエス様のお姿です。イエス・キリストの姿を描くときに、磔刑像、つまり十字架の上にお掛りになっている姿と並んで、今朝の御言葉の場面である、ピラトによって人々の目の前に引き出されるお姿が代表的な題材となったのです。この言葉を語ったポンテオ・ピラトの思いを超えて、この言葉は私たちにとっても大切な言葉となりました。 「エッケ」は、見よ、ホモはホモサピエンス考える人という言葉がありますように人、人間という意味です。『この人を見よ』すなわち「イエスキリストを見よ」ということであります。私たちは主イエス・キリストをどのようなお方として見るのでしょうか。 2、 さて、前回までの聖書の言葉を少し振り返ってみたいと思います。当時のユダヤ教の神殿、エルサレム神殿をつかさどっていました神殿祭司長や律法学者、またユダヤ教の最高評議会、最高法院の議員たちは主イエス様を捕らえまして、先の大祭司アンアンスと現在の大祭司カイアファのもとに連れて行きます。臨時の律法評議会、サンヘドリンのサイン版を経て、早朝、夜明けのころにピラトのもと主イエス様を連れてきました。そして、今すぐ裁判をしてこの男を死刑にしてほしいと願ったのでした。 ピラトはすぐに主イエス様について取り調べに入ります。しかし、事柄は、どうやらユダヤ教の内部の宗教的な争いのようでありました。ポンテオ・ピラト自身の判断としては、この人が死刑に処せられるべき人物であるとはとても思えなかったのです。 それどころか、主イエス様と言葉を交わすうちに、この人は普通の人ではない、何か聖なる人ではないか、この人物とはかかわりたくないというある種の恐れのような思いが心に現れてきたのです。そこでユダヤ人たちの前に自分自身で出てゆきまして、こう言ったのです。 「私はあの男に何の罪も見出せない」、そこから今朝の御言葉が始まっております。そして、ピラトは考えたのです。ユダヤ教の大きな祭りである過ぎ越し祭の慣例として、ローマ総督は毎年、一人の罪人を釈放することにしていました。ピラトは言いました。私としては、この人、つまり主イエス様を釈放したい、どう思うか、このようにユダヤ人たちに問いかけたのでした。39節のピラトの言葉をお読みします。 「ところで過ぎ越し祭には誰か一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか」しかし、ユダヤ人たちはそれに答えてこういうのでした。 40節です。 「その男ではない。バラバを」 これはピラトにとっては予想外の答えであったと思います。彼は、ピラトの判断にユダヤ人たちも同意してくれるのではないかと考えていたのです。 バラバという人は、強盗であったと40節の終わりに書いてありますが、ほかの福音書によりますと、バラバは、暴動と殺人の罪でローマに捕らえられていた人だといわれています。政治犯の可能性もありますが、詳しくはわかりません。いずれにしても、人を殺した人であり、また強盗と呼ばれるような人であったのです。伝説では、ユダヤ人たちの間では、当時よく知られていた大物犯罪人であったようです。ユダヤ人たちは、このバラバを釈放してほしいと答えたのでした。ピラトは、ユダヤ教の指導者たちがそこまで主イエス様を憎み、断罪し、死刑に処すべきと考えている、しかも最も残酷な十字架刑による死刑を望んでいるとは思わなかったのです。 3 イエスではなくバラバをというユダヤ人たちの声を聞いたピラトはどうしたでしょうか。彼は、まだ主イエス様を何とかして死刑にはしたくないとまだ思い続けています。そこで、鞭打ちの刑ではどうかと考えました。ヨハネによる福音書には省略されていますが、ルカによる福音書の23章22節に次のようなピラトの言葉が記録されています。開きませんけれども、どうかお聞きください。 「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから鞭で懲らしめて釈放しよう」 そしてピラトは十字架につけよと叫ぶユダヤ人たちを尻目に、自分自身の判断で主イエス様を鞭で打つように命じます。 当時、40にひとつ足りない鞭打ち刑は、死刑に告ぐ刑罰でありました。また同時に、十字架刑に処せられる人が必ず受けなければならない刑罰でもありました。 以前にパッションというアメリカ映画があり、主イエス様の鞭打ちと十字架があまりにもリアルに、そのとおりの残酷さで描かれているとして話題になりました。動物の皮で作った鞭の先に動物の骨や貝殻を埋め込んだ、そういう特別の鞭を使って、人の背中に向けて力いっぱい打つ、その鞭を振り下ろすのですから、それだけで死んでしまう人が出るほどのむごい刑罰です。そうして、いわば半殺しの目に合わせてから十字架につけると、その日のうちに息絶えてしまう、死を早めるための鞭打ち刑でもありました。ピラトとしては、何とかして、これも残酷ですが、その鞭打ち刑だけで済ませたいと考えていたのでした。 マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書では、このあたりの経緯がヨハネによる福音書と違った形で描かれます。つまり、他の三つの福音書では、ピラトは鞭打ち刑の前に、十字架刑を決めたのであって、主イエス様に対する鞭打ちは、十字架刑に付随するものとして描かれます。けれども、今朝読み進めていますヨハネ福音書の解釈は、ピラトの最終的な判決は鞭打ち刑の後になされたという解釈です。鞭打ちをしてもユダヤ人たちが納得しなかったので、そのあとで、十字架刑にしなければことが収まらないと考えて、最後にそれを決めたということです。これは、ピラトの心の中のことを描こうとしているのであり、ヨハネによる福音書はヨハネなりの独特の解釈をしているということであります。 実は、このことと、主イエス様が十字架にお掛りになったとされる時刻の違いとは関わりがあります。マルコによる福音書では十字架に架けられた時刻は朝の9時であります。そして、マタイマルコルカの三福音書はそろって、主イエス様が十字架につけられている状態が続いてそのまま昼の12時になり、そのとき全地が暗くなり3時までそれが続いたとしるしています。そして、主イエス様は息を引き取られるのです。しかし、ヨハネによる福音書では十字架刑の始まりが昼の12時であり、息を引き取られた時間は記されてはいません。その日のうちに、つまり日没までにアリマタヤのヨセフという隠れ弟子が遺体を取り降ろして墓に葬ったと記されています。もちろん、当時は皆が腕時計をもっているわけではなく、太陽の位置や自分なりの判断で時刻を判定していますので、時刻を記してはいても、一時間や二時間は平気で違います。その上、ヨハネは鞭打ち刑の始まりは十字架の始まりではない、つまり、ピラトの十字架の判決は鞭打ちの後になされたと解釈します。これがヨハネによる福音書と他の福音書の十字架刑の時間の違いの理由となっているものと思われます。 4 茨の冠は、本来は王のしるしである冠が金銀宝石ではなく棘だらけの茨のツルで作られているというものです。棘は主イエス様の頭に食い込んで傷さえ負わせます。このようなものを主イエスにかぶせるということは、主イエス様について、この王は、王は王でも全くの偽物であるということを言っているのです。しかも、その時点では主イエス様は鞭打ちの刑を施されていますので、体は傷だらけ、息も絶え絶えという状態です。紫の服もこれは高貴な人が着る服ですが、おそらく着古したぼろぼろのものであったと思われます。 「見よ、この男だ」こんなみすぼらしい姿のものが、ユダヤ人の王を自称しているのだ、このようなものが国家を揺るがすようなものであるはずがない、よく見なさい、これがポンテオ・ピラトの言いたかったことであります。しかし、ユダヤ人たちには通じなかったのであります。しかし、このことによって、旧約聖書の預言者によって預言されたメシア、救い主についての預言が成就したのです。 旧約聖書のイザヤ書53章1節から3節にこう記されています。 「わたしたちの聞いたことを誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。」 これが、「この人を見よ」と人々の目にさらされた主イエス様の姿でありました。 主イエス様の代わりに命を助けられたのは、犯罪人のバラバという人でした。イザヤ書の預言に従うならば、この罪人、誰も反論できない罪びとの死刑囚バラバは、私たち自身の代表なのです。なぜなら、主イエス様がこの人の代わりに罰をお受けになったことによって、この人は罪を赦され釈放されたからです。 ただ今お読みしました、イザヤ書53章1節から3節の続き、4節から5節にはこう記されています。 「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのは、私たちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、うたれたから彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられた。彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」 この後、主イエス様は、十字架に架けられ、命を落とされます。聖なるお方、神の御子の命が、旧約聖書において命じられていた罪に赦しのための動物犠牲、聖なる子羊として、神に捧げられ、わたしたちの罪が赦されたのです。 これは本当に不思議なことです。ピラトの口を通してではありますが、神は、わたしたちに語りかけるのです。「この人を見よ」「エッケ・ホモ」 そこには、私たちのために神がお送りくださった聖なる救い主がおられます。神様の愛の最高の現れであるお方がおられます。わたしたちは、金銀宝石の冠ではなく茨の冠をかぶられた王を見るのです。ここには謙遜の限りを尽くし、貧しいもの、いやしい者の姿をとり、更には、そのような私たちの身代わりに死んでくださったお方が、おられます。 ヨハネによる福音書11章51節に、ユダヤ教の大祭司カイアファが語った言葉が、期せずして、聖霊によって語られた言葉として働いたことが記されていました。「一人の意人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうがあなたがたに好都合だと考えないのか」 今朝、わたしたちはローマ総督ポンテオ・ピラトによって発せられた言葉を、後のすべての人々、世の人々、そして、わたしたちに向けて語られた神の言葉として聞くことが出来るのではないでしょうか。「見よ、この人なり」「エッケ・ホモ」「この人を見よ」 今週の水曜日、14日は灰の水曜日です。燃えカスであり灰のごとき価値しかないわたしたちを愛し苦しみを受けて死に、そしてイースターに甦ってくださった主イエス様を覚える時です。わたしたちを永遠に愛して下さる恵みの神の罪の赦しの御業、永遠の命をくださる主イエス様のお姿、そして今天におられる主イエス様のお姿を、わたしたちは心の目でしっかりと見ようではありませんか。「この人を見よ」 祈ります。 天におられる御子イエス・キリスト夫父なる神、御名を崇めます。受難節のこの主の日にエッケ・ホモ、この人を見よ、という御言葉を聞くことができ、ありがとうございます。今、復活の主イエス様は、生きておられ、天の父なる神の右に確かにおられます。どうか、この週も、この月もわたしたちを守り導いていてください。主の名によって祈ります。アーメン。
熊本伝道所朝礼拝説教2024年2月11日(日)
ヨハネによる福音書18章38節b~9章16節「この人を見よ」
1
主イエス・キリストのめぐみと平和が豊かにありますように。主の御名によって祈ります。
わたしたちは先週から主イエス様がユダヤの国に遣わされているローマ総督ポンテオ・ピラトの裁判を受けられる、その場面の御言葉を聞いています。裁判の最終的な判決は今朝のみ言葉の最後の16節に記されています。「そこでピラトは十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」
ここに至るまでピラトは幾度も逡巡し、ユダヤ人たちに問いかけ、取引し、何とか主イエス様を助けようとしています。12節のこうある通りです。「ピラトはイエスを釈放しようと努めた。」わたしたちは、使徒信条を告白するときに必ずポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ」と繰り返すのですが、ピラトは実は主イエス様の味方だった、こう言えないことではありません。しかし、ピラトは最終的に十字架刑の判決をくだしたのです。
この裁判では、ピラトが幾度も幾度も総督官邸の中と外と行ったり来たり致します。丁寧に追ってみると、ピラトは、官邸の中から三度出てきて、四度入る、そういう動きをしています。ユダヤ人たち態度は一貫しています。「十字架につけよ」の1点張りです。その前で、ピラトは、ああでもないこうでないと、そのあいだをうろうろとしているという印象があります。ユダヤ人たちの最終的な切り札は、12節後半のユダヤ人たちの叫びでした。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない」。
彼らによれば自ら王と自称している主イエス様をそのままにすることは、皇帝への反逆者をそのままにすることだというのです。皇帝から任命されているピラトにとっては、そんなことを皇帝に通報されたら一大事でした。それはやはり、この世の権力の中を動き回る、この世の王の限界なのです。
今朝の説教題を「この人を見よ」といたしました。5節に「ピラトは『見よこの男だ』と言ったとあります。ここの文語訳は「ピラト言う。「見よ、この人なり」」。
「見よ、この男だ」元のギリシャ語は「イドゥー、ホ、アンスロポス」ですが、カトリック教会の公認訳であるラテン語聖書ウルガタでは「エッケ・ホモ」です。
皆さんがエッケ・ホモ「画像」と検索してくださるとたくさんの宗教画が出てくると思います。主イエス様が、鞭打ちの刑に処せられ、そして茨の冠と紫の衣を着せられて、人々の前に引き出されたときのイエス様のお姿です。イエス・キリストの姿を描くときに、磔刑像、つまり十字架の上にお掛りになっている姿と並んで、今朝の御言葉の場面である、ピラトによって人々の目の前に引き出されるお姿が代表的な題材となったのです。この言葉を語ったポンテオ・ピラトの思いを超えて、この言葉は私たちにとっても大切な言葉となりました。
「エッケ」は、見よ、ホモはホモサピエンス考える人という言葉がありますように人、人間という意味です。『この人を見よ』すなわち「イエスキリストを見よ」ということであります。私たちは主イエス・キリストをどのようなお方として見るのでしょうか。
2、
さて、前回までの聖書の言葉を少し振り返ってみたいと思います。当時のユダヤ教の神殿、エルサレム神殿をつかさどっていました神殿祭司長や律法学者、またユダヤ教の最高評議会、最高法院の議員たちは主イエス様を捕らえまして、先の大祭司アンアンスと現在の大祭司カイアファのもとに連れて行きます。臨時の律法評議会、サンヘドリンのサイン版を経て、早朝、夜明けのころにピラトのもと主イエス様を連れてきました。そして、今すぐ裁判をしてこの男を死刑にしてほしいと願ったのでした。
ピラトはすぐに主イエス様について取り調べに入ります。しかし、事柄は、どうやらユダヤ教の内部の宗教的な争いのようでありました。ポンテオ・ピラト自身の判断としては、この人が死刑に処せられるべき人物であるとはとても思えなかったのです。
それどころか、主イエス様と言葉を交わすうちに、この人は普通の人ではない、何か聖なる人ではないか、この人物とはかかわりたくないというある種の恐れのような思いが心に現れてきたのです。そこでユダヤ人たちの前に自分自身で出てゆきまして、こう言ったのです。
「私はあの男に何の罪も見出せない」、そこから今朝の御言葉が始まっております。そして、ピラトは考えたのです。ユダヤ教の大きな祭りである過ぎ越し祭の慣例として、ローマ総督は毎年、一人の罪人を釈放することにしていました。ピラトは言いました。私としては、この人、つまり主イエス様を釈放したい、どう思うか、このようにユダヤ人たちに問いかけたのでした。39節のピラトの言葉をお読みします。
「ところで過ぎ越し祭には誰か一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか」しかし、ユダヤ人たちはそれに答えてこういうのでした。
40節です。
「その男ではない。バラバを」
これはピラトにとっては予想外の答えであったと思います。彼は、ピラトの判断にユダヤ人たちも同意してくれるのではないかと考えていたのです。
バラバという人は、強盗であったと40節の終わりに書いてありますが、ほかの福音書によりますと、バラバは、暴動と殺人の罪でローマに捕らえられていた人だといわれています。政治犯の可能性もありますが、詳しくはわかりません。いずれにしても、人を殺した人であり、また強盗と呼ばれるような人であったのです。伝説では、ユダヤ人たちの間では、当時よく知られていた大物犯罪人であったようです。ユダヤ人たちは、このバラバを釈放してほしいと答えたのでした。ピラトは、ユダヤ教の指導者たちがそこまで主イエス様を憎み、断罪し、死刑に処すべきと考えている、しかも最も残酷な十字架刑による死刑を望んでいるとは思わなかったのです。
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イエスではなくバラバをというユダヤ人たちの声を聞いたピラトはどうしたでしょうか。彼は、まだ主イエス様を何とかして死刑にはしたくないとまだ思い続けています。そこで、鞭打ちの刑ではどうかと考えました。ヨハネによる福音書には省略されていますが、ルカによる福音書の23章22節に次のようなピラトの言葉が記録されています。開きませんけれども、どうかお聞きください。
「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから鞭で懲らしめて釈放しよう」
そしてピラトは十字架につけよと叫ぶユダヤ人たちを尻目に、自分自身の判断で主イエス様を鞭で打つように命じます。
当時、40にひとつ足りない鞭打ち刑は、死刑に告ぐ刑罰でありました。また同時に、十字架刑に処せられる人が必ず受けなければならない刑罰でもありました。
以前にパッションというアメリカ映画があり、主イエス様の鞭打ちと十字架があまりにもリアルに、そのとおりの残酷さで描かれているとして話題になりました。動物の皮で作った鞭の先に動物の骨や貝殻を埋め込んだ、そういう特別の鞭を使って、人の背中に向けて力いっぱい打つ、その鞭を振り下ろすのですから、それだけで死んでしまう人が出るほどのむごい刑罰です。そうして、いわば半殺しの目に合わせてから十字架につけると、その日のうちに息絶えてしまう、死を早めるための鞭打ち刑でもありました。ピラトとしては、何とかして、これも残酷ですが、その鞭打ち刑だけで済ませたいと考えていたのでした。
マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書では、このあたりの経緯がヨハネによる福音書と違った形で描かれます。つまり、他の三つの福音書では、ピラトは鞭打ち刑の前に、十字架刑を決めたのであって、主イエス様に対する鞭打ちは、十字架刑に付随するものとして描かれます。けれども、今朝読み進めていますヨハネ福音書の解釈は、ピラトの最終的な判決は鞭打ち刑の後になされたという解釈です。鞭打ちをしてもユダヤ人たちが納得しなかったので、そのあとで、十字架刑にしなければことが収まらないと考えて、最後にそれを決めたということです。これは、ピラトの心の中のことを描こうとしているのであり、ヨハネによる福音書はヨハネなりの独特の解釈をしているということであります。
実は、このことと、主イエス様が十字架にお掛りになったとされる時刻の違いとは関わりがあります。マルコによる福音書では十字架に架けられた時刻は朝の9時であります。そして、マタイマルコルカの三福音書はそろって、主イエス様が十字架につけられている状態が続いてそのまま昼の12時になり、そのとき全地が暗くなり3時までそれが続いたとしるしています。そして、主イエス様は息を引き取られるのです。しかし、ヨハネによる福音書では十字架刑の始まりが昼の12時であり、息を引き取られた時間は記されてはいません。その日のうちに、つまり日没までにアリマタヤのヨセフという隠れ弟子が遺体を取り降ろして墓に葬ったと記されています。もちろん、当時は皆が腕時計をもっているわけではなく、太陽の位置や自分なりの判断で時刻を判定していますので、時刻を記してはいても、一時間や二時間は平気で違います。その上、ヨハネは鞭打ち刑の始まりは十字架の始まりではない、つまり、ピラトの十字架の判決は鞭打ちの後になされたと解釈します。これがヨハネによる福音書と他の福音書の十字架刑の時間の違いの理由となっているものと思われます。
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茨の冠は、本来は王のしるしである冠が金銀宝石ではなく棘だらけの茨のツルで作られているというものです。棘は主イエス様の頭に食い込んで傷さえ負わせます。このようなものを主イエスにかぶせるということは、主イエス様について、この王は、王は王でも全くの偽物であるということを言っているのです。しかも、その時点では主イエス様は鞭打ちの刑を施されていますので、体は傷だらけ、息も絶え絶えという状態です。紫の服もこれは高貴な人が着る服ですが、おそらく着古したぼろぼろのものであったと思われます。
「見よ、この男だ」こんなみすぼらしい姿のものが、ユダヤ人の王を自称しているのだ、このようなものが国家を揺るがすようなものであるはずがない、よく見なさい、これがポンテオ・ピラトの言いたかったことであります。しかし、ユダヤ人たちには通じなかったのであります。しかし、このことによって、旧約聖書の預言者によって預言されたメシア、救い主についての預言が成就したのです。
旧約聖書のイザヤ書53章1節から3節にこう記されています。
「わたしたちの聞いたことを誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。」
これが、「この人を見よ」と人々の目にさらされた主イエス様の姿でありました。
主イエス様の代わりに命を助けられたのは、犯罪人のバラバという人でした。イザヤ書の預言に従うならば、この罪人、誰も反論できない罪びとの死刑囚バラバは、私たち自身の代表なのです。なぜなら、主イエス様がこの人の代わりに罰をお受けになったことによって、この人は罪を赦され釈放されたからです。
ただ今お読みしました、イザヤ書53章1節から3節の続き、4節から5節にはこう記されています。
「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのは、私たちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、うたれたから彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられた。彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
この後、主イエス様は、十字架に架けられ、命を落とされます。聖なるお方、神の御子の命が、旧約聖書において命じられていた罪に赦しのための動物犠牲、聖なる子羊として、神に捧げられ、わたしたちの罪が赦されたのです。
これは本当に不思議なことです。ピラトの口を通してではありますが、神は、わたしたちに語りかけるのです。「この人を見よ」「エッケ・ホモ」
そこには、私たちのために神がお送りくださった聖なる救い主がおられます。神様の愛の最高の現れであるお方がおられます。わたしたちは、金銀宝石の冠ではなく茨の冠をかぶられた王を見るのです。ここには謙遜の限りを尽くし、貧しいもの、いやしい者の姿をとり、更には、そのような私たちの身代わりに死んでくださったお方が、おられます。
ヨハネによる福音書11章51節に、ユダヤ教の大祭司カイアファが語った言葉が、期せずして、聖霊によって語られた言葉として働いたことが記されていました。「一人の意人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうがあなたがたに好都合だと考えないのか」
今朝、わたしたちはローマ総督ポンテオ・ピラトによって発せられた言葉を、後のすべての人々、世の人々、そして、わたしたちに向けて語られた神の言葉として聞くことが出来るのではないでしょうか。「見よ、この人なり」「エッケ・ホモ」「この人を見よ」
今週の水曜日、14日は灰の水曜日です。燃えカスであり灰のごとき価値しかないわたしたちを愛し苦しみを受けて死に、そしてイースターに甦ってくださった主イエス様を覚える時です。わたしたちを永遠に愛して下さる恵みの神の罪の赦しの御業、永遠の命をくださる主イエス様のお姿、そして今天におられる主イエス様のお姿を、わたしたちは心の目でしっかりと見ようではありませんか。「この人を見よ」
祈ります。
天におられる御子イエス・キリスト夫父なる神、御名を崇めます。受難節のこの主の日にエッケ・ホモ、この人を見よ、という御言葉を聞くことができ、ありがとうございます。今、復活の主イエス様は、生きておられ、天の父なる神の右に確かにおられます。どうか、この週も、この月もわたしたちを守り導いていてください。主の名によって祈ります。アーメン。