聖書の言葉 ヨハネによる福音書 3章22節~30節 メッセージ 2022年7月24日(日)熊本伝道所朝拝説教 ヨハネによる福音書3章22節~30節「神に仕える宣教者」 1、 父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」。私たちが今読み進めていますヨハネによる福音書は、書き始めてからすぐの第1章6節と8節で、洗礼者ヨハネについてこう語っていました。そして2章のカナの婚礼の直前のところまで、1章の全体を使って洗礼者ヨハネがどういう人であり、また彼が何を証ししたのか、そしてこの人と主イエス様との出会いを記していたのであります。 そして2章では主イエス様のカナの婚礼の奇跡の物語、また3章では夜の訪問者ニコデモのことが記されました。今朝の御言葉は、もう一度、洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネのところに帰って来まして、改めておさらいをするように洗礼者ヨハネの言葉、彼の証しの言葉を記録しています。 バプテスマのヨハネ、洗礼者ヨハネとはいかなる人物でしょうか。この人は、光そのものではなく、光そのものであるお方、まことの光である主イエス様をあらかじめ証しをするために遣わされた人だと記されていました。いわば救い主を預言する人であり、主イエス様の先ぶれであります。新約聖書に先立って記された旧約聖書の預言者たちも同じように救い主の到来を預言していたのですけれども、もちろん旧訳時代のことですから彼らが主イエス様にお会いすることは叶わなかったのです。それに対して、この洗礼者ヨハネは、主イエス様とほとんど同じ時期に現れて、自分自身の目で、救い主と会い、メシアを実際に見ることが出来た稀有な預言者であります。 さて、カナの婚礼とニコデモの話を挟みまして、今朝のみ言葉において再び洗礼者ヨハネが登場しました。しかしヨハネによる福音書は、このあと洗礼者ヨハネについてもう語ることはありません。洗礼者ヨハネのことは、今回と来週の36節までのところで最後となります。 今朝の御言葉の中で私たちの心に最も残るものは、30節の御言葉ではあります。洗礼者ヨハネは、イエス・キリストのことを証しして、こう言うのです。 「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」「衰えねばならない」と言われています、その言葉通り、洗礼者ヨハネのことは、この福音書ではもう語られることがないのであります。 2 「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」という、この御言葉を聞いて、わたしは一枚の絵を思いだします。16世紀初頭のドイツルネッサンス時代に描かれた、磔刑画、主イエス様が十字架に掛けられたお姿を描く絵画の一つですが、大変有名なものです。現在は、フランス、アルザス地方の町コルマールのウンターリンデン美術館に保管されています。 アルザス地方は、古来、独自の文化圏をもつ地域で、フランス領ですけれども、人々はアルザス語というドイツ系の言葉を話すそうです。こう言っても、わたくしは、アルザスに行ったこともありませんし、その絵を実際に見たことはないのです。けれども、ある説教集の表紙カバーに採用されていたことで、その絵を知りました。そして決して忘れることの出来ない強烈な印象を受けました。 それは、もともとはマティアス・グリューネバルトと言う人がアルザスのイーゼンハイム村にある聖アントニウス修道院のために書いたものです。この絵はイーゼンハイム祭壇画と呼ばれる一群の作品の中にあります。美術館に展示されているその第一パネルの絵が、キリストの磔刑図と呼ばれている、その絵です。 主イエス様の十字架を描いた宗教画は沢山ありますけれども、このグリューネバルトのイエス様ほど真に迫ったものはないと思います。それは本当にリアルであります。十字架刑によって殺されるということは、ああ、こういうことだったのかと見る人に恐れを与えるほどのものです。けれども、しかしそれは単なる恐れではなく、聖なるものに触れるような、不思議に高貴な印象を与えるのです。 先ほどお一人お一人にその絵のコピーをお配りしました。中央に十字架に架けられた主イエス様が描かれています。十字架刑のむごたらしさが、そのまま表現されています。左側には、マグダラのマリアと主イエス様の母、マリア、その母を支える使徒ヨハネの姿があります。そして左側に洗礼者ヨハネが描かれています。 彼はらくだの革の毛ごろもを腰に巻いています。その色はオレンジがかった赤であります。そして、ひたすら主イエス様の方を指差しています。そのまっすぐにのばされた指のさきにあるのが、先ほど触れましたように、体中、鞭打ちの傷が残り、生気を失い、本当に死なれたということが露わにされている十字架上の主イエス様です。まるで、ヨハネが、十字架を指差しながら、この十字架のイエス・キリストの福音を隠さずにそのまま伝えなければならない決心している、そんなことを思います。そのヨハネ指のあたりに、ラテン語で、先ほどの御言葉が書かれているのです。「あの方は、栄え、わたしは衰えねばならない」 「あの方は、栄え、わたしは衰えねばならない」。 ある説教者は、昔も今も、このヨハネの言葉ほどキリスト教会の伝道者が聞くべき言葉として、ふさわしいものはないと言っております。伝道者は、しばしば、主の栄光のためではく、自分の成功のために、自分の評判のために伝道するからだというのです。このことは伝道者だけでなく、信徒や役員、あるいは教会委員でさえも陥ることであります。 苦しい伝道の生活の末に教会に人が沢山集まるようになり、世にいう大教会が立ちました。その時に、しばしば、これは○○先生の建てた教会だ、そこには何何長老や有名な大学教授の何々先生もいたと言われます。洗礼者ヨハネの言葉とは反対に、主イエス様の名よりも人間の名前が高められ、主イエス様のほうは、その手段のようになっているということがあるのです。 そうであってはならないのだと思います。人間の名誉ではなく、主イエス様の栄光、主イエス様の恵みが現わされなければならないと思います。 3、 洗礼者ヨハネは、自分はキリスト、救い主ではない、救い主イエスキリストの道備えをするものである、イエス・キリストを指差すものであると明確に自分を規定していました。 ある大教会の牧師が、こういうことを書いています。その方は大きな教会の牧師さんですけれども、自分の人生にとって最盛期、自分が一番神様から栄光を与えられたときはというのは、大教会の牧師となっている今の時ではないというのです。それは、別の教会で働いていた初期のころに十人二十の礼拝を一所懸命守り、ひたすら主イエス様の恵みにすがって真剣に祈っていたころだと言うのです。ちょうど今のわたしたち熊本教会と同じです。自分たちの貧しさ、小ささを知りながらひたすら主イエス様の恵みに心を寄せているのです。彼は言いました。あの時ほど、主イエス様が近くに感じられた時はない、そして今は、残念ながらそうではないと言うのです。わたくしは、そのことを聞いて、教会が小さくて、伝道に苦戦している、苦しんでいる、その時ほど主イエス様の恵みを肌で感じることが出来る時はなかったと言うのは本当の事だろうと思いました。苦しい時ほど、わたしたちは本気で祈るからです。本気で神様の恵みを求めるからです。 洗礼者ヨハネは、来るべき方、救い主をのべ伝えて、洗礼運動を始めました。主イエス様もまた、伝道者として立つときまで、この洗礼者ヨハネが率いる一群の中の一人でありました。やがて、ときが来て、主イエス様もまた、悔い改めの福音を伝えるようになります。 主イエス様の弟子として召された人々の中に幾人も洗礼者ヨハネの弟子であったものがおります。主イエス様の弟子たちもまた、人々に悔い改めの洗礼を授けていました。このことから主イエス様とその弟子たち、洗礼者ヨハネとその弟子たちが、ある限られたときに競合関係にあったということを知ることが出来ます。 ヨハネはサリムの近くのアイノンにいたと書かれています。聖書の巻末地図の6番の地図を見ていただきますと、縦に長く伸びているヨルダン川が真ん中にあります。このヨルダン川の西側、ガリラヤ湖と死海との間の少しガリラヤ湖よりのあたりに、サリムとアイノンと言う二つの町が載っています。そこは沢山の泉があり、洗礼を授けるのに都合が良かったのです。一方で、主イエス様たちは、その下流のユダヤにいるのですけれども、ヨハネの弟子たちに、その主イエス様のもとには沢山の人が集まって洗礼を受けているということが伝わってきたのです。 このことの発端は、ユダヤ人たちとヨハネの弟子たちの間の清めについての論争であったと書かれています。どんな論争かは明らかではないのですが、このことを巡って、ヨハネの弟子たちが洗礼者ヨハネと真剣に話し合う機会ができまして、その場で、主イエス様たちのことが話題になったのでしょう。「みんながあの人のところへ行っています」、このまままでわたしたちは運動を続けて行くことが出来なくなるかも知れません。ヨハネの弟子たちは、自分たちの教団の事を心配したのです。 ヨハネは答えます。「天から与えられなければ、人は何も受けることが出来ない」「わたしは『自分はメシアではない』といい、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』といった。」 これこそ天の父なる神によって与えられたことであって、それ以外のことは言うことが出来ないと言うのです。「そのことはあなた方もよく知っていることです」こう言いました。 ヨハネは、自分と主イエス様、そして救いに与る人々を結婚式の花婿と花嫁に例えています。主イエス様は花婿であり、そこに来る人々は花嫁なのだと言うのです。ユダヤの習慣では、花婿には介添え人がいまして、その人は花婿の親しい友人が当てられました。結婚式の当日、介添え人は、花婿のために花嫁を迎えに行きます。花嫁の姿を見た花婿が喜ぶ声を聞いて、介添人であるわたしもまた喜ぶと言いました。 大いに喜ぶと訳されている言葉は、喜びを喜ぶという言葉です。あなたがたは、ただ自分たちの教団のことを考えて、主イエス様のところへ人々が集まっていることが面白くないというが、わたしは、心配もしていないし悩みもしない。むしろ大いに喜び、喜びで満たされていると言ったのです。本当の光であるお方、救い主の道を備えるために遣わされた者が、本当の光が世に来て、その方のところに、多くの人が集まっているのを見て喜ぶのは当然だと言うのです。 「あの方は栄える」と訳されている言葉は、野菜や木や穀物の種が芽を出して、成長することを示す言葉です。東北の気仙沼の方言で訳されたケセン語訳聖書というものがあります。その翻訳では、この「栄える」と言う言葉はこう訳されています。「あのお方は、大きく、大きく花と咲き」。これを出された山浦さんという方はよくギリシャ語を読んでいると思いました。イエス・キリストの教会が成長し、花を咲かせ、実を結んでゆくのを見てヨハネはうれしいと言うのです。そしてヨハネ自身は、衰えて行くというのです。これは単なる予想ではありません。また何か運命だから諦めなさいと言うのでもありません。 ここでは「栄えねばならない、衰えねばならない」と言われています。この「ねばならない」という言葉は、ギリシャ語ではデイという言葉です。聖書では、この言葉は、神様の御心によってと言う意味があります。聖書の中で、何々しなければならない、デイという語が使われているときは、神から与えられた役割や働きを示しています。ヨハネの使命は、主イエス様を証しすることであり、主イエス様を「この人を見よ」と指差すことです。自分たちがこの方とは別に力を持ったり成長したりすることは「神様の御心」ではないと言うのです。 4、 今朝の御言葉の24節に「ヨハネはまだ投獄されていなかった」と記されています。ヨハネによる福音書には、この後のヨハネのことは、すでに知られていることとして省かれていますけれど、このことは他の福音書に記されています。 ヨハネのもとには沢山の人が集まり、その名声はヘロデ王のところまで響きました。特にマルコによる福音書が詳しく記します。王であったヘロデはヨハネを招いて、教えを受けるほどでありました。そしてヘロデ王が、王の権勢に物を言わせて、不倫をしただけでなく、その相手が、自分の兄弟の妻であると言うことで、洗礼者ヨハネは、ヘロデ王に対して律法に反する道徳上の問題があると直接、忠告までしています。 不倫相手であった王妃ヘロディアは、これを恨んで、娘の舞の褒美にヨハネの命を求めました。舞いに喜んだ王ヘロデが、何でも褒美を求めよと言ったからでありました。王妃ヘロディアはヨハネの首が欲しいと言ったのであります。その時、ヘロデは、王妃の要求によってヨハネを逮捕して獄につないでいたのです。ヨハネは、その場に連れて来られ、そして首をはねられました。 従って、洗礼者ヨハネは、主イエス様がこの後、捕らえられ、十字架につけられたところを見てはおりません。そのとき、すでにヨハネ自身が殺されていたからです。 グリューネバルトの磔刑画では、ヨハネは、十字架上のキリストを指差しています。歴史上の時間の流れからいえば、これは実際にはあり得ないことです。しかし、ヨハネによる福音書が、主イエス様ご自身の言葉として、十字架にこそ神の栄光があることを記していますので、グリューネバルトは、「あの方は栄えねばならない」と言う言葉の背後に、この十字架の栄光を見ていたのであろうと思います。 主イエス様は、十字架で確かに命を落とされました。しかし、この恐ろしい死を乗り越え、死に打ち勝ち、およみがえりになられました。そして今は、天におられて、地上の教会を導いていてくださいます。わたしたちは、主イエス様の花嫁です。花嫁は、花婿を見て喜び、花婿もまた花嫁のことを喜びます。 教会に与えられた神様からの使命は、何でしょうか。第一に主イエスと共にいて主イエスの教えを行うことです。それは救いを受けたものの感謝の応答です。そして、洗礼者ヨハネのように、自分たちの栄誉や名声を求めることなく、主イエス様を指し示し、宣べ伝えることです。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」このヨハネの言葉を忘れてはならないと思います。祈ります。 天の父なる神様、わたしたち熊本教会は小さく弱い群れでありますけれども、この群れに主イエス様が共にいてくださることを感謝いたします。あなたの恵みがなければ、わたしたちの教会はこの地に存続することが出来ませんでした。しかし、あなたはわたしたちを愛して下さり、44年間にわたって福音宣教の歴史を刻むことを許してくださいました。あなたの恵みによって、いよいよ私たちが福音宣教の実を結んで、あなたのご栄光を現わし、あなたをほめたたえることができるようにしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。 グリューネバルト イーゼンハイム祭壇画 磔刑像
2022年7月24日(日)熊本伝道所朝拝説教
ヨハネによる福音書3章22節~30節「神に仕える宣教者」
1、
父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」。私たちが今読み進めていますヨハネによる福音書は、書き始めてからすぐの第1章6節と8節で、洗礼者ヨハネについてこう語っていました。そして2章のカナの婚礼の直前のところまで、1章の全体を使って洗礼者ヨハネがどういう人であり、また彼が何を証ししたのか、そしてこの人と主イエス様との出会いを記していたのであります。
そして2章では主イエス様のカナの婚礼の奇跡の物語、また3章では夜の訪問者ニコデモのことが記されました。今朝の御言葉は、もう一度、洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネのところに帰って来まして、改めておさらいをするように洗礼者ヨハネの言葉、彼の証しの言葉を記録しています。
バプテスマのヨハネ、洗礼者ヨハネとはいかなる人物でしょうか。この人は、光そのものではなく、光そのものであるお方、まことの光である主イエス様をあらかじめ証しをするために遣わされた人だと記されていました。いわば救い主を預言する人であり、主イエス様の先ぶれであります。新約聖書に先立って記された旧約聖書の預言者たちも同じように救い主の到来を預言していたのですけれども、もちろん旧訳時代のことですから彼らが主イエス様にお会いすることは叶わなかったのです。それに対して、この洗礼者ヨハネは、主イエス様とほとんど同じ時期に現れて、自分自身の目で、救い主と会い、メシアを実際に見ることが出来た稀有な預言者であります。
さて、カナの婚礼とニコデモの話を挟みまして、今朝のみ言葉において再び洗礼者ヨハネが登場しました。しかしヨハネによる福音書は、このあと洗礼者ヨハネについてもう語ることはありません。洗礼者ヨハネのことは、今回と来週の36節までのところで最後となります。
今朝の御言葉の中で私たちの心に最も残るものは、30節の御言葉ではあります。洗礼者ヨハネは、イエス・キリストのことを証しして、こう言うのです。
「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」「衰えねばならない」と言われています、その言葉通り、洗礼者ヨハネのことは、この福音書ではもう語られることがないのであります。
2
「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」という、この御言葉を聞いて、わたしは一枚の絵を思いだします。16世紀初頭のドイツルネッサンス時代に描かれた、磔刑画、主イエス様が十字架に掛けられたお姿を描く絵画の一つですが、大変有名なものです。現在は、フランス、アルザス地方の町コルマールのウンターリンデン美術館に保管されています。
アルザス地方は、古来、独自の文化圏をもつ地域で、フランス領ですけれども、人々はアルザス語というドイツ系の言葉を話すそうです。こう言っても、わたくしは、アルザスに行ったこともありませんし、その絵を実際に見たことはないのです。けれども、ある説教集の表紙カバーに採用されていたことで、その絵を知りました。そして決して忘れることの出来ない強烈な印象を受けました。
それは、もともとはマティアス・グリューネバルトと言う人がアルザスのイーゼンハイム村にある聖アントニウス修道院のために書いたものです。この絵はイーゼンハイム祭壇画と呼ばれる一群の作品の中にあります。美術館に展示されているその第一パネルの絵が、キリストの磔刑図と呼ばれている、その絵です。
主イエス様の十字架を描いた宗教画は沢山ありますけれども、このグリューネバルトのイエス様ほど真に迫ったものはないと思います。それは本当にリアルであります。十字架刑によって殺されるということは、ああ、こういうことだったのかと見る人に恐れを与えるほどのものです。けれども、しかしそれは単なる恐れではなく、聖なるものに触れるような、不思議に高貴な印象を与えるのです。
先ほどお一人お一人にその絵のコピーをお配りしました。中央に十字架に架けられた主イエス様が描かれています。十字架刑のむごたらしさが、そのまま表現されています。左側には、マグダラのマリアと主イエス様の母、マリア、その母を支える使徒ヨハネの姿があります。そして左側に洗礼者ヨハネが描かれています。
彼はらくだの革の毛ごろもを腰に巻いています。その色はオレンジがかった赤であります。そして、ひたすら主イエス様の方を指差しています。そのまっすぐにのばされた指のさきにあるのが、先ほど触れましたように、体中、鞭打ちの傷が残り、生気を失い、本当に死なれたということが露わにされている十字架上の主イエス様です。まるで、ヨハネが、十字架を指差しながら、この十字架のイエス・キリストの福音を隠さずにそのまま伝えなければならない決心している、そんなことを思います。そのヨハネ指のあたりに、ラテン語で、先ほどの御言葉が書かれているのです。「あの方は、栄え、わたしは衰えねばならない」
「あの方は、栄え、わたしは衰えねばならない」。
ある説教者は、昔も今も、このヨハネの言葉ほどキリスト教会の伝道者が聞くべき言葉として、ふさわしいものはないと言っております。伝道者は、しばしば、主の栄光のためではく、自分の成功のために、自分の評判のために伝道するからだというのです。このことは伝道者だけでなく、信徒や役員、あるいは教会委員でさえも陥ることであります。
苦しい伝道の生活の末に教会に人が沢山集まるようになり、世にいう大教会が立ちました。その時に、しばしば、これは○○先生の建てた教会だ、そこには何何長老や有名な大学教授の何々先生もいたと言われます。洗礼者ヨハネの言葉とは反対に、主イエス様の名よりも人間の名前が高められ、主イエス様のほうは、その手段のようになっているということがあるのです。
そうであってはならないのだと思います。人間の名誉ではなく、主イエス様の栄光、主イエス様の恵みが現わされなければならないと思います。
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洗礼者ヨハネは、自分はキリスト、救い主ではない、救い主イエスキリストの道備えをするものである、イエス・キリストを指差すものであると明確に自分を規定していました。
ある大教会の牧師が、こういうことを書いています。その方は大きな教会の牧師さんですけれども、自分の人生にとって最盛期、自分が一番神様から栄光を与えられたときはというのは、大教会の牧師となっている今の時ではないというのです。それは、別の教会で働いていた初期のころに十人二十の礼拝を一所懸命守り、ひたすら主イエス様の恵みにすがって真剣に祈っていたころだと言うのです。ちょうど今のわたしたち熊本教会と同じです。自分たちの貧しさ、小ささを知りながらひたすら主イエス様の恵みに心を寄せているのです。彼は言いました。あの時ほど、主イエス様が近くに感じられた時はない、そして今は、残念ながらそうではないと言うのです。わたくしは、そのことを聞いて、教会が小さくて、伝道に苦戦している、苦しんでいる、その時ほど主イエス様の恵みを肌で感じることが出来る時はなかったと言うのは本当の事だろうと思いました。苦しい時ほど、わたしたちは本気で祈るからです。本気で神様の恵みを求めるからです。
洗礼者ヨハネは、来るべき方、救い主をのべ伝えて、洗礼運動を始めました。主イエス様もまた、伝道者として立つときまで、この洗礼者ヨハネが率いる一群の中の一人でありました。やがて、ときが来て、主イエス様もまた、悔い改めの福音を伝えるようになります。
主イエス様の弟子として召された人々の中に幾人も洗礼者ヨハネの弟子であったものがおります。主イエス様の弟子たちもまた、人々に悔い改めの洗礼を授けていました。このことから主イエス様とその弟子たち、洗礼者ヨハネとその弟子たちが、ある限られたときに競合関係にあったということを知ることが出来ます。
ヨハネはサリムの近くのアイノンにいたと書かれています。聖書の巻末地図の6番の地図を見ていただきますと、縦に長く伸びているヨルダン川が真ん中にあります。このヨルダン川の西側、ガリラヤ湖と死海との間の少しガリラヤ湖よりのあたりに、サリムとアイノンと言う二つの町が載っています。そこは沢山の泉があり、洗礼を授けるのに都合が良かったのです。一方で、主イエス様たちは、その下流のユダヤにいるのですけれども、ヨハネの弟子たちに、その主イエス様のもとには沢山の人が集まって洗礼を受けているということが伝わってきたのです。
このことの発端は、ユダヤ人たちとヨハネの弟子たちの間の清めについての論争であったと書かれています。どんな論争かは明らかではないのですが、このことを巡って、ヨハネの弟子たちが洗礼者ヨハネと真剣に話し合う機会ができまして、その場で、主イエス様たちのことが話題になったのでしょう。「みんながあの人のところへ行っています」、このまままでわたしたちは運動を続けて行くことが出来なくなるかも知れません。ヨハネの弟子たちは、自分たちの教団の事を心配したのです。
ヨハネは答えます。「天から与えられなければ、人は何も受けることが出来ない」「わたしは『自分はメシアではない』といい、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』といった。」
これこそ天の父なる神によって与えられたことであって、それ以外のことは言うことが出来ないと言うのです。「そのことはあなた方もよく知っていることです」こう言いました。
ヨハネは、自分と主イエス様、そして救いに与る人々を結婚式の花婿と花嫁に例えています。主イエス様は花婿であり、そこに来る人々は花嫁なのだと言うのです。ユダヤの習慣では、花婿には介添え人がいまして、その人は花婿の親しい友人が当てられました。結婚式の当日、介添え人は、花婿のために花嫁を迎えに行きます。花嫁の姿を見た花婿が喜ぶ声を聞いて、介添人であるわたしもまた喜ぶと言いました。
大いに喜ぶと訳されている言葉は、喜びを喜ぶという言葉です。あなたがたは、ただ自分たちの教団のことを考えて、主イエス様のところへ人々が集まっていることが面白くないというが、わたしは、心配もしていないし悩みもしない。むしろ大いに喜び、喜びで満たされていると言ったのです。本当の光であるお方、救い主の道を備えるために遣わされた者が、本当の光が世に来て、その方のところに、多くの人が集まっているのを見て喜ぶのは当然だと言うのです。
「あの方は栄える」と訳されている言葉は、野菜や木や穀物の種が芽を出して、成長することを示す言葉です。東北の気仙沼の方言で訳されたケセン語訳聖書というものがあります。その翻訳では、この「栄える」と言う言葉はこう訳されています。「あのお方は、大きく、大きく花と咲き」。これを出された山浦さんという方はよくギリシャ語を読んでいると思いました。イエス・キリストの教会が成長し、花を咲かせ、実を結んでゆくのを見てヨハネはうれしいと言うのです。そしてヨハネ自身は、衰えて行くというのです。これは単なる予想ではありません。また何か運命だから諦めなさいと言うのでもありません。
ここでは「栄えねばならない、衰えねばならない」と言われています。この「ねばならない」という言葉は、ギリシャ語ではデイという言葉です。聖書では、この言葉は、神様の御心によってと言う意味があります。聖書の中で、何々しなければならない、デイという語が使われているときは、神から与えられた役割や働きを示しています。ヨハネの使命は、主イエス様を証しすることであり、主イエス様を「この人を見よ」と指差すことです。自分たちがこの方とは別に力を持ったり成長したりすることは「神様の御心」ではないと言うのです。
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今朝の御言葉の24節に「ヨハネはまだ投獄されていなかった」と記されています。ヨハネによる福音書には、この後のヨハネのことは、すでに知られていることとして省かれていますけれど、このことは他の福音書に記されています。
ヨハネのもとには沢山の人が集まり、その名声はヘロデ王のところまで響きました。特にマルコによる福音書が詳しく記します。王であったヘロデはヨハネを招いて、教えを受けるほどでありました。そしてヘロデ王が、王の権勢に物を言わせて、不倫をしただけでなく、その相手が、自分の兄弟の妻であると言うことで、洗礼者ヨハネは、ヘロデ王に対して律法に反する道徳上の問題があると直接、忠告までしています。
不倫相手であった王妃ヘロディアは、これを恨んで、娘の舞の褒美にヨハネの命を求めました。舞いに喜んだ王ヘロデが、何でも褒美を求めよと言ったからでありました。王妃ヘロディアはヨハネの首が欲しいと言ったのであります。その時、ヘロデは、王妃の要求によってヨハネを逮捕して獄につないでいたのです。ヨハネは、その場に連れて来られ、そして首をはねられました。
従って、洗礼者ヨハネは、主イエス様がこの後、捕らえられ、十字架につけられたところを見てはおりません。そのとき、すでにヨハネ自身が殺されていたからです。
グリューネバルトの磔刑画では、ヨハネは、十字架上のキリストを指差しています。歴史上の時間の流れからいえば、これは実際にはあり得ないことです。しかし、ヨハネによる福音書が、主イエス様ご自身の言葉として、十字架にこそ神の栄光があることを記していますので、グリューネバルトは、「あの方は栄えねばならない」と言う言葉の背後に、この十字架の栄光を見ていたのであろうと思います。
主イエス様は、十字架で確かに命を落とされました。しかし、この恐ろしい死を乗り越え、死に打ち勝ち、およみがえりになられました。そして今は、天におられて、地上の教会を導いていてくださいます。わたしたちは、主イエス様の花嫁です。花嫁は、花婿を見て喜び、花婿もまた花嫁のことを喜びます。
教会に与えられた神様からの使命は、何でしょうか。第一に主イエスと共にいて主イエスの教えを行うことです。それは救いを受けたものの感謝の応答です。そして、洗礼者ヨハネのように、自分たちの栄誉や名声を求めることなく、主イエス様を指し示し、宣べ伝えることです。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」このヨハネの言葉を忘れてはならないと思います。祈ります。
天の父なる神様、わたしたち熊本教会は小さく弱い群れでありますけれども、この群れに主イエス様が共にいてくださることを感謝いたします。あなたの恵みがなければ、わたしたちの教会はこの地に存続することが出来ませんでした。しかし、あなたはわたしたちを愛して下さり、44年間にわたって福音宣教の歴史を刻むことを許してくださいました。あなたの恵みによって、いよいよ私たちが福音宣教の実を結んで、あなたのご栄光を現わし、あなたをほめたたえることができるようにしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
グリューネバルト
イーゼンハイム祭壇画 磔刑像