2022年05月08日「荒れ野で叫ぶ声」

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聖書の言葉

ヨハネによる福音書 1章19節~28節

メッセージ

ヨハネによる福音書1章19節~28節「荒れ野で叫ぶ声」

1、

 今朝ここにお集まりの皆さまの上に、父なる神と御子イエス・キリストの恵みと平和が豊かにありますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

 皆様と一緒にヨハネによる福音書を読み始めて、今朝はその四回目であります。1節から18節までの序文、オペラで言うならば序曲が終わって、いよいよ、本文、本編に入って行きます。最初に登場してきますのは、洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネであります。

 キリストの教会には歴史があります。またそれぞれの教会も歴史を持っています。わたくしが熊本教会で働きを始めるということが確実になりました時にしましたことは、まずは手元にありました熊本教会の年報を読むことでした。

熊本教会は、1978年1月1日に正式に開設されました。この年は元日が日曜日でした。楠一丁目の宮﨑先生の住まい、牧師館で記念すべき第一回目の主日礼拝が捧げられました。44年前でと5カ月前です。けれども、年報の教会の沿革によれば、この日から遡ること約3年前の、1974年の12月から「長丘教会熊本集会」と言う名前で、清水町(shimizutyo)の常盤謙二(tokiwakenzi)長老宅で日曜日午後の礼拝がスタートしています。これは熊本教会の歴史がスタートする前の準備期間、いわば「前史」に当たります。今朝、お聞きしています洗礼者ヨハネの洗礼運動は、主イエス様が公に伝道を始める前の準備段階、言い換えるとキリスト教会の「前史」に当たるものではないでしょうか。

19節から28節には、エルサレムから遣わされてきた調査団と洗礼者ヨハネの間の、合わせて五つの問いと答えが記されています。遣わされた人々が問い、ヨハネが答えるのです。最初の問いは、こうです。「あなたはどなたですか」。ヨハネは、「わたしはメシアではない」と答えます。このあとに二つの問いがあって、四つ目にもう一度「あなたは一体誰なのですか」と最初と同じ問いが重ねられます。ヨハネはこう答えました。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」。

福音書記者が「預言者イザヤの言葉を用いて」と解説していますように、これは旧約聖書イザヤ書の預言の言葉です。先ほどお読みしたイザヤ書40章3節をお読みします。

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」

また洗礼者ヨハネについての、もう一つの関連聖句はマラキ書3章1節です。旧約聖書最後の預言者マラキもこう語りました。マラキが聞いた神の言葉です。

「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる」

洗礼者ヨハネは、自分は救い主、キリストではなく、救い主キリストである方に先だって来たもの、主のために道を備えるものだと答えたのです。

熊本教会が大会の開拓伝道として正式に開始される前に、3年間の準備の時がありました。常葉長老の自宅で初めて礼拝をささげたとき、出席者は長丘の岩崎洋二教師と常葉長老ご一家だけだったかも知れませんけれども、やがて熊本の地で開拓伝道を始めると言う見通しを持っていたものと思います。それから48年たっていますけれども、わたしたちは、その最初の心意気を忘れないようにしたいと思うのです。

2、

19節に「さて、ヨハネの証しはこうである」と記されています。19節の後半には、エルサレムのユダヤ人たちが調査団をヨハネのところに遣わしたと書かれています。「証し」とは、「裁判の証言」という意味もあります。エルサレムから来た調査団に対するヨハネの証言をこれから記録しておきますということであります。

洗礼者ヨハネは、宗教改革者のマルチン・ルターに似ているという方がいます。マルチン・ルターは、中世のカトリック教会に異議申し立てをして、今日のプロテスタント教会の礎になった人です。洗礼者ヨハネは、「荒れ野で叫ぶ声」であり、主イエス様がおいでになるための道を通す働きをしましたが、一方では、当時のエルサレム神殿を中心としたユダヤ教に対して体を張って異議申し立てをした人でもありました。この人はヨルダン川の荒れ野で説教し、そして洗礼を授けるという新しい信仰の運動を始めた人です。

ルターは、教会の扉に95箇条の提題というものを掲げましたが、洗礼者ヨハネはそういうことはしませんでした。彼は、ヨルダン川の荒れ野に住み、人々に説教をし始めたのです。

 ヨハネによる福音書は、洗礼者ヨハネが人々に何を訴え語ったのかを詳しく記していません。しかし幸いなことに洗礼者ヨハネの教えは他の福音書に記されています。

マタイとマルコ福音書は、ヨハネはラクダの毛ごろもを身にまとい、腰には革の帯を締め、いなごと野蜜を食べて生活したと語っています。独立独歩の自給伝道者であります。その姿は、旧約聖書に出て来る預言者の再来であります。ルカによる福音書によれば、洗礼者ヨハネが授けた洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれています。

当時のユダヤ教では生まれながらのユダヤ人たちは割礼を受けて全員ユダヤ教の会員になっています。生まれながらの神の民であるので、洗礼を受ける必要はありません。しかし、ユダヤ人でない人がユダヤ教徒になるときには、割礼と共に洗礼を受けなければならなかったそうです。割礼を受けるときに、これまでの異邦人の罪と汚れを洗い流すしるしとして洗礼を受けたのです。洗礼者ヨハネは、異邦人だけではなく、あなたがたユダヤ人こそ洗礼を受けるべきであると、荒れ野で叫び始めました。

 「斧はすでに木の根元におかれている、神さまの裁きの日は近い」、「だから、みな悔い改めて洗礼を受けよ」と悔い改めて神の慈しみに生きるように勧めました。こう続けます。「下着を二枚、持っているものは一枚ももたないものに分けてやりなさい」「食べ物を持っているものも同じようにしなさい」「徴税人は規定上のものをとりたててはならない」「兵隊たちは、だれからも金をゆすり取ってはならない」

 裏を返せば、当時の宗教指導者たちは、こんなことを決して言わなかったということです。祭司もレビ人もファリサイ派もそれなりに真面目にやっていたかも知れませんけれども、いわば、与えられた教えや行事を日々こなして、それで自分たちの生活を守っていたにすぎなかった。変な言い方かも知れませんが、この世的な宗教家、宗教によって自分を養う人、それも人々よりも良い生活する人々になってしまっていました。

しかし、洗礼者ヨハネは、敢えて荒れ野で叫びました。荒れ野とは、居心地の良い街中とは違う寂しい場所、厳しい場所です。しかし、わたしたちはそこで神様に出会うのです。神様にしか頼ることができない自分を見出すのです。ヨハネは、真実の生きた信仰を目指しました。そしてまことの神に立ち返れ、今こそ悔い改めの時であると真剣に説教したのです。

マタイによる福音書3章にはこう書かれています。

「5 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、6 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。・・ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来た」

ヨハネの説教は人々の心に届きました。そして洗礼運動は、人々の強い支持を得ました。彼はいわば当時の社会で一世を風靡した風雲児となったのです。

洗礼者ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派と呼ばれるユダヤ教の宗教指導者たちが洗礼を受けにやってくると、こう言ったそうです。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。」

宗教改革者マルチン・ルターが、人々の共感と支持を得て、彼に従う人々が次第に増えてきたとき、当時のカトリック教会は慌てたようであります。彼を、このままにしてはおけないと思いました。そして彼を呼んで問い詰めました。あげくには異端審判の裁判にかけました。

当時のエルサレムにあるユダヤ教総本山も洗礼者ヨハネを放っておくことが出来なくなりました。しかし、まだこのヨハネと言う人が誰なのか良く分からない。そこで正式の調査団を派遣したのです。ここでは、まだ異端審判の裁判そのものが始まったわけではありません。けれども、すでに、その前提となる予備的な尋問が始まったと言わなければなりません。

3、

19節の後半から23節には、四つの問いと答えがあります。19節「あなたは、どなたですか」これが最初の問いです。「どなたですか」という翻訳は、裁判の入り口の尋問の言葉としては、あまりに丁寧過ぎる言い方なので、ここは「お前は誰だ」というように訳すべきだと言う意見もあります。しかし、ここではユダヤ教当局者も洗礼者ヨハネと言う人が何者なのか、よく分かっていないので、こういう風に丁寧な言葉を語ったとして考えてよいでしょう。

調査団が送られてきたのは、洗礼者ヨハネが人々の人気を得て、自分たちの足元が脅かされかねないと総本山の側が感じたからです。しかし、一方で、ユダヤ教の側にも一つ真剣な問いがありました。それは旧約聖書の預言としての救い主、メシアの到来のことです。ユダヤ教の中でも良心的な人は救い主を待ち望んでいたからです。そしてひょっとすると、ヨハネについてこの人がそうなのかと言う期待も高まっていたのです。「あなたは誰か」と言う問いには、あなたはメシアなのか旧約聖書が預言している救い主なのかと言う問いも含まれていたのです。

ヨハネは、こう答えました。20節をお読みします。

「20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。」

ここでは、ヨハネは、隠さずに真実を言った、告白したと言うのです。わたしは、あなたがたが「もしかしたら」と思っているような人、つまりメシアではないと言うのです。新しい信仰を唱える人は、しばしば自分自身をメシア、救い主を自称します。わたしに従うなら救われる、こう教えたがるのです。洗礼者ヨハネは、この世的な目で見えている限りにおいて、大成功した宗教家です。あなたはメシアですかと問われて、それはあなた方が決めることだとか、神だけが知っているなどという思わせぶりな答えをすることも出来たでしょう。しかし、彼は証言しました、わたしは「救い主」ではない。

現代の教会や牧師もまた、自分を救い主としてはならない存在です。このヨハネのように語らなければなりません。教会、あるいは牧師や役員は、自らを救い主とするかのように、私を信じなさいと言ってはならないのです。教会は、主イエス様を信じなさいと語り続けます。

それではヨハネは誰なのでしょうか。第二、第三の質問は、エルサレムのユダヤ教総本山がもしするとこうなのかも知れないと考えていたことを反映しています。

「あなたはエリヤですか」、これはマラキ書3章23節、旧約聖書全体の最後の部分に、こう書かれていました。「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」

預言者エリヤは、旧約聖書列王記17章から19章に記録されている預言者です。また列王記下2章には、エリヤは天から現れた火の戦車に乗って死ぬことなく天に挙げられたと書かれていて、彼が特別の預言者だったことが示されています。救い主の到来に先立ってエリヤの再来があるとマラキは預言していたのです。しかし、ヨハネは「違う」と答えました。

三つ目の問いはこうです。「あなたは、あの預言者なのですか」。わたしたちは、「あの預言者」と聞いても誰の事かわかりませんけれども、当時のユダヤ教、ユダヤ人たちが信じていたのは、イスラエルの偉大な指導者モーセのことでした。それは旧約聖書申命記18章15節にこう書かれているからです。モーセは、神から示されてこう語りました。「あなたの神、主はあなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたは彼に聴き従わなければならない」。当時のユダヤ教では、これはメシア預言と考えられていました。あなたは「モーセの再来」、「モーセのような特別な預言者」なのかと問うたのです。彼は答えます。「そうではない」。次々と予想していた答を拒否された調査団は、業を煮やしてもう一度訪ねます。「それでは一体、誰なのです」ヨハネは答えました。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」

3、指し示す指

24節からは、五つ目の問いと答えとが記されています。

「あなたはなぜ洗礼を授けるのか」

 この質問に対する答えが、26節、27節ですが、はっきり言いまして、これは問いに対する答えにはなっていません。自分が洗礼を授けることが出来る、その権威の所在についも何も語っていません。「わたしは水で洗礼を授ける」そしてこう続けます。「あなた方の中には、あなた方の知らない方がおられる。その人はわたしのあとから来られる方である」、そして最後にこう結論付けます。「わたしはその方の履物のひもを解く資格もない」

 ヨハネは、自分とあとから来る救い主、イエス・キリストとの関係を語ります。履物と訳されているギリシャ語はサンダルと言う言葉です。当時は長い革のひもで、このサンダルを足に固定します。パレスチナの埃だらけの道を歩いて来たサンダルは泥だらけに汚れています。ひもは、自分で結んだりほどいたりしますけれども、高い地位があって僕を従えている人は、その僕にそれをさせました。つまり当時は、主人のサンダルのひもを解いたり結んだりする仕事は、奴隷の役割とされていたのです。

また当時のユダヤ教のレビ、先生には弟子が沢山いる人も多かったと言います。弟子は、先生の身の周りの世話をしたそうですが、サンダルのひもを解いたり結んだりする仕事はしなかったのです。これは当時の奴隷、召使いがしたということです。洗礼者ヨハネは、わたしのあとから来る方に対して、わたしはその方の弟子でもない。弟子にさえなれない、召使いの地位にあるものだ、いやそんな値打ちもないものだと証言しているのです。

このあとの33節と34節にこう書かれています。

「33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。1:34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

主イエスさまは、神の子である。この方こそ神の子である、神であるとヨハネは確信していました。だからこそ、弟子でもない、僕でもない、つまり神と人の関係だとここで言いたかったのです。

洗礼者ヨハネは自分のことを「声」であると言いました。洗礼者ヨハネは「指」でもありました。それは、このあとの1章36節に基づいています。ヨハネは、主イエス様を見つめてこういうのです。「見よ、神の子羊だ」

見よ、と叫んで、救い主を指し示す指、これは洗礼者ヨハネの本質だと言うのです。洗礼者ヨハネは、居心地の良い場所で自分たちだけの平安、安楽を楽しむような信仰生活を送りませんでした。ヨルダン川のほとりの荒れ野に住んで、ひたすら救い主に仕え、また救い主を宣べ伝える声、また救い主を指し示す指となりました。やがて、ここからキリスト教会の歴史が始まります。

47年前に、熊本に転居してきた一人の長老の家庭集会は、3年間続けられました。その間に、大会は熊本での開拓伝道を正式に決議したのです。その最初の集会に集った人々の姿は、まさしく荒れ野で叫ぶ声、主イエス・キリストを指し示す指の姿であったと思います。わたしたちも、同じように主イエス様を証しする声になりたいと思います。また主イエス様を指し示す、その指の一本になりたいと思います。そうなることが出来る、そのように確信いたします。祈りを致します。

神さま、主イエス様の尊い救い、十字架と復活の恵みを感謝します。開拓伝道の地であるこの日本の国にわたしたち熊本教会は立てられています。どうかあなたを証しする荒れ野の声、あなたを指し示すヨハネの指として、わたしたちを用いてください。主の名によって祈ります。アーメン。