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2023年10月22日「タレントの値段」

聖句のアイコン聖書の言葉

14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。」19「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』22次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」 日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 25章14節~30節

原稿のアイコンメッセージ

今日は、世の終わりの話です。
世の終わりとはどのようなものであるのかをたとえたお話です。
まず、家の主人が旅行に出かけるという設定です。
これは、イエスが天に昇っていくということです。
この後、イエスが弟子たちの見ている前で天に昇って行く場面が出てきますが、その場面のことをこのお話のようにたとえたわけです。
ただ、家の主人は一人でこっそり出かけるのではありません。
出かける前に、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けていきます。
そして、19節ですが、「かなり日がたってから」帰ってくるということになります。

実際、もうすでに、かなり日がたっているわけですね。
イエス様が出かけてから、2,000年近い時が経っています。
世の終わりにイエスは帰ってくると約束しているのですが、それはいつになるでしょうか。

ただ、大事なのは、それがいつになるにしても、私たちにはしなければいけないことがあるというのが今日の話です。
イエス様が帰ってくるまでに、私たちには、しなければいけないことがあるというのです。
14節を見ると、イエス様は私たちに、ご自分の財産を預けてくださったということですね。
5タラントン、2タラントン、1タラントンという金額が記されています。
このタラントンというのはお金の単位なんですが、ものすごく大きなお金なんですね。
今の日本円に直して、一体いくらぐらいになると思いますでしょうか。

1タラントンでも6,000万円です。
5タラントンだったら3億円です。
それだけの額の財産を、実はイエス様が私たちに預けてくださっているのです。
ピンとこない話かもしれません。
そして、それ以上に、気になることがあります。
金額が人によって違うんですね。
人によって金額が違うのは、15節を見ると、「それぞれの力に応じて」お金を預けたからということですね。
確かに、人間の持っている力は皆同じではありません。
イエス様は、イエス様の目で私たちを見て、私たちそれぞれの力に応じて、財産を委ねたのです。
つまり、イエス様は、あなたの力に応じて、私のお金で、仕事をしなさいと言っているのです。

このタラントンというお金の単位から、英語のタレントという言葉が生まれました。
もともとはお金の単位なんですが、それが、英語の「タレント」、つまり、「才能」という意味の言葉になった。
その人の才能によって、預かるお金に大きい小さいがあるからです。

しかし、この時に預かったお金というのは何をたとえているのでしょうか。
お金を預かったのは主人が旅行に出かける時です。
その時になって初めて、預かった。
ということは、それまでには誰も持っていなかったものということになります。
ですから、このお金というのは、才能そのものではありません。
才能というのなら、私たちは皆、生まれた時から何かの才能、何かの能力は持っているわけです。
それに、27節を見ると、このお金は、銀行に預けることもできるということですね。
つまり、他の人に任せることもできるものです。
しかし、私たちの才能は、他の誰かに預けることはできないわけです。
けれども、その後のところを見ても、主人は、人からお金を取り上げて、他の人に与えたりしている。
そういうことだってできるもの、それがこのたとえ話でのお金だ、ということですね。

もともと、主人は「それぞれの力に応じて」それを与えました。
その、「それぞれの力」というのが才能ということになります。
その上で、才能に応じて、才能を使って、与えたものがもっと大きくなるようにということで、与えたものがあるわけです。
そして、これは、元々は主人の財産だったということですね。
そうなると、これは、聖霊のことであると考えて良さそうです。
イエス様は、地上におられた時から、聖霊を与えるということを約束しておられました。
そして、天に昇った後には、弟子たちに聖霊を送ってくださったということが、使徒言行録に書かれています。
また、私たちも、洗礼を受ける時には聖霊が与えられます。
そして、私たち皆が知っている通り、聖霊の働きは人によって違うわけです。
人によっては何億円とも思えるくらいの大きな働きをすることもあります。
しかし、人によっては、聖霊というのは自分には良く分からないと言う人もいます。
また、聖書に書かれていることですが、どんな人でも、場合によっては、自分で聖霊の働きを邪魔してしまうということもありますね。
聖霊の働きは人によって違ってくるわけです。

私たちは、聖霊の力をいただいて、イエス様の働きをしていきます。
今日の話で言うと、お金を持っているだけで何もしないということではありません。
お金で商売をするのです。
お金を使って働くのです。
そうすると、お金が増えるという話です。
聖霊の力がますます大きく現れるのです。
大きな実りを与えられるのです。
その実りということも、お金としてたとえられています。
お金は、聖霊の力のことであり、そこに、聖霊に導かれた私たちの働きもあって、大きな実りがある、ということの全部をたとえているわけです。

それにしても、すごい話ですね。
私たちは、3億円を預かっているかもしれないのです。
そして、3億円を6億円に増やすことだってできるのです。
自分一人ではできなかったような、ものすごい価値ある働きができると言われているのです。

では、私たちは何の働きをするのでしょうか。
イエス様が天に昇っていく前に、弟子たちに与えた言葉がありました。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」。
聖霊の力をいただいて、私たちは伝道します。
伝道して、洗礼を授けます。
洗礼を受けた人は聖霊をいただきます。
聖霊の働きが増えていくのです。
そのために私たちは伝道します。
聖霊を与えられると弟子たちは力を受けて、救いの知らせを世界中にのべ伝えていくという約束が弟子たちに与えられていましたが、それが実現するのです。

それだけでなく、最後の夜に、イエス様が弟子たちに与えた掟がありました。
イエス様が与えた唯一の掟です。
「互いに愛し合いなさい」。
これも、イエスが私たちに与えた、私たちがするべきことですね。
イエスはこのことを言う前に、弟子たちの足を洗いました。
それは、イエスにとって、弟子たちを愛することだったと書かれています。
足を洗うということは、相手の罪を自分がきれいにするということです。
この世では、相手に罪があると、その罪を指摘します。
時には非難し、謝罪を求めます。
しかし、イエス様の弟子は、相手の罪を、何も言わずに、自分が身を低くして、頼まれたわけでもないのに、きれいにするのです。
それによって、世の人は、私たちがイエス様の弟子であると知るようになるとイエスは言いました。
つまり、それが証しになるのです。
互いに愛し合うことが伝道になるのです。
だからそこにも聖霊の実りが与えられるのです。

ただ、イエスが喜んでくださるのは、私たちが大きな働きをしたからではありません。
今日の話で、主人は何と言ってしもべたちをほめたでしょうか。
「忠実な良い僕だ。よくやった」。
イエス様は、私たちが3億円儲けたからほめるのではありません。
忠実だったからです。
しもべに求められるのは忠実であることです。
イエス様のしもべとして、忠実だったから、ほめられるのです。
主人の言葉によると、3億円のことが、「少しのもの」だと言われています。
私たちにとってはそうではありませんが、イエス様にとってはそうでしょう。
だから、金額の多い少ないの問題ではありません。
私たちが忠実であるかどうかを、イエス様は見ておられるのです。

だから、お金を土の中に埋めておいた人は、主人に怒られます。
お金を土の中に埋めたということは、聖霊を働けなくしてしまったということになります。
この人はどうしてそんなことをしたのでしょうか。
主人が怖かったのです。
この人は主人に言っています。
「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていました」。
つまり、失敗してお金を無くしてしまうことが怖かったのです。
この時代には、土の中に隠すというのは、何かを保管するのに、一番安全な方法でした。
この人は、お金を減らしてしまって、主人に怒られるのが怖かったからそうしたのです。
それに対して、イエス様も、私は怖いよということを認めるようなことを言っています。
そして、実際、怖いのです。
この人は暗闇に追い出されました。

しかし、今日の話から、イエス様は、この人が言ったように恐ろしい方だと言えるでしょうか。
「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる」と聞くと、とんでもない人だと思います。
しかし、本当にそうでしょうか。
5タラントン預かった人は、5タラントン儲けて、10タラントンにしましたが、それを取り上げられましたか。
そうではないのです。
28節を見ると、10タラントン持っている人は、持っているままです。
取り上げられていないし、取り上げるようなことも主人は言っていません。
主人が怖いのは、忠実でない人に対してだけだということです。
ですから、私たちが忠実なら、恐れることはありません。
何より、今日の話を良く読むなら、お金を無くしてしまうかもしれないということは気にしなくていいのです。
5タラントン預かった人は、5タラントン儲けました。
2タラントン預かった人は、2タラントン儲けました。
何のためにイエス様は、2人も例を出して話をしたのでしょうか。
聖霊の働きを求めるなら、失敗しないということを伝えたいのです。
私たちが自分の知恵で、自分の力で働くのなら、失敗することもあります。
しかし、聖霊の力を求めるなら、最後には必ず実りが約束されているのです。

私たちは、聖霊の力を求めて、働いていきます。
そして、今、この世にいる内に、私たちが神の働きをしていくのは、私たち自身にとって、とても大事なことです。
帰ってきた主人は、忠実なしもべたちに言いました。
「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」。
主人が帰ってくる時というのは、この世の終わりに神の国が完成する時ですが、その時、主人はしもべに、「これからあなたに多くのものを管理させよう」と言うのです。
私たちが神の国に入ってからも、神の働きはあるということです。
いや、もっと多くの働きを私たちは任されることになるということなのです。
今から、神の務めに忠実でありたいと思います。
そして、忠実なしもべとして神の国に入り、そこで、もっと大きな働きをさせていただきたいと思います。
3億円でも小さいとイエス様は言いました。
だとしたら、私たちの将来の働きはどれくらいでしょうか。
30億でしょうか、300億でしょうか。
イエス様は、想像もできないほど大きな豊かな実りへと、私たちを招いてくださっているのです。
今日の御言葉を心にとめて、聖霊の御力を本気で求めていきましょう。
自分の力を退けて、聖霊に求めるなら、失敗することはありません。

そして、私たちはそれを信じることができます。
使徒言行録では、聖霊を与えられると弟子たちは力を受けて、救いの知らせを世界中にのべ伝えていくという約束が弟子たちに与えられていました。
その約束が実現して、今、世界中に教会が建っているのです。
ここにも、教会が建っているのです。
私たちは皆、聖霊の働きの中にあります。
そして、その働きを、今、この目で見ているのです。
聖霊の働きというのは良く分からないという方もおられるかもしれません。
しかし、キリストの教会がここに建っているということ自体が、聖霊の働きなのです。
私たちも聖霊の御力によって、イエス様が成功を約束してくださっている働きに、取り組んでいきましょう。
成功は約束されています。
私たちは、その証である、この教会で、礼拝しているのです。

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