2022年02月13日「あなたと家族を救う言葉」

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あなたと家族を救う言葉

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 11章1節~18節

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さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。
ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、
「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。
その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。
そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、
わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』
すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。
こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。
そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。
すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。
彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。
あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』
わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。
そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。
こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 11章1節~18節

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<説教要約>使徒言行録11章1-18 「あなたと家族を救う言葉」

今朝は使徒言行録11章に入ります。
ですが、話は10章の初めから続いている「カイサリアのコルネリウス」の話で、今日の所で終わります。
今日の箇所は、ペトロが、異邦人であるコルネリウスのもとに遣わされて、彼らが割礼を受けないまま神に受け入れられた体験をエルサレム教会で報告し、神から示されたこと、つまり神の意志をエルサレム教会で共有する、という内容です。
聖書の流れに沿って、初めから見ていきましょう。

11:1 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。
とあります。ここで異邦人たちが受け入れた神の言葉とは、当然イエス・キリストの福音のこと。つまり十字架と復活、罪の赦しのことです。ですが、直接異邦人の救いに対する反応は記されていません。
以前、フィリポの伝道によって、サマリアの人々がイエスキリストの福音を受け入れた、という出来事がありましたが、その時には、エルサレムの使徒たちはすぐに彼らの所へ行って、彼らに洗礼を授ける、ということをいたしました。
エルサレム教会は、サマリア人の救いを歓迎したのです。
ところが今回の場合はそうではありませんでした。
11:2 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
とあります。
今回の事では、エルサレム教会の使徒を始め、エルサレム教会のキリスト者たちは、ペトロが割礼のない異邦人の所に行って、食事の交わりに加わったことを非難したのです。
「非難した」と訳されている言葉は、「ためらう」とか「差別する」という意味もある言葉です。
つまり、エルサレム教会は、異邦人たちの救いを歓迎しなかったばかりか、彼らに洗礼を授け、食事の交わりを共にしたペトロの行為を非難したのです。
何故でしょうか?
コルネリウスは、唯一まことの神を信じ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈る生活をしていましたが、彼は割礼を受けていませんでした。
エルサレム教会は、無割礼の異邦人を、自分たちの律法理解に照らして差別し、彼らを受け入れることをためらったのです。

それで、11章4節。
11:4 そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。とあります。
使徒言行録の著者であるルカは、10章1節から48節に記したことを、もう一度整理して順序正しくここに記したのです。それが、5節から15節です。
ここは、もうすでに見てきたことなので、14節だけコメントしておきます。
11:14 あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。という天使の言葉についてです。
この箇所、新改訳聖書では、「その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます』と言ったというのです。」です。
単に「あなたの家族」ではなく、「あなたの家にいるすべての人」です。
それで、コルネリウスは自分だけでなく、家族も、そして親類や親しい友人までも呼び集め、ペトロの話を聞こうと待ち構えていたのです。
また、「救ってくれます」ではなく、「救う言葉を話してくれます」と記されていることに注目しましょう。
救いに入れられるためには、キリストの言葉が語られ、それを受け取ることが必要です。み言葉と共に、聖霊が働かれるからです。この時にも、ペトロがみ言葉を語り始めると聖霊が降ったのです。
キリスト教信仰、キリストの救いは、神の言葉を聞くことから始まります。
私たちも家族や親族、愛する者たちの救いを願い、祈り続けていますが、そのためには、何とかしてその方々に神の言葉を聞いてもらう工夫、努力が必要ということです。

17節は、エルサレム教会の使徒たちとユダヤの兄弟姉妹に対しての、ペトロの主張です。
11:17 「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
もっとはっきり言うならば、「神の業をわたしが止めるなど、できるわけがありません。」だと思います。
これは「神がなさることを、人が妨げることはできないし、妨げてはならない!!」ということです。
そして、最後18節。
11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。とあります。
今回のことでは、ペトロが異邦人と食卓を共にしたことが律法違反だと批判され、責められたのです。
この時点では、異邦人の悔い改めなど、彼らには全く考えられないことでしたから。

しかし、ペトロの順序正しい説明のおかげで、エルサレム教会の人々は、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださった、ことを理解することができました。
「悔い改め」とは、神に立ち帰ること。自分中心の歩みではなく、あるいは人の目を気にして生きるのではなく、神の前に正しく生きること。
神は、ユダヤ人にも、異邦人にも、イエス・キリストを信じる信仰を通して、永遠の命の祝福を与えてくださる、ということを理解したのです。
この神の意志、大きな恵みをみなが理解したことで、エルサレム教会の人々は、非難や批判から解放されて、一つ思いとなって神を賛美しました。
こうして教会内で、異邦人伝道への理解と一致が図られ、異邦人伝道へ進むための準備が整えられたのです。

最後にもう少しだけ。「言葉を聞く」ということを考えたいと思います。
(1)神の言葉を聞くこと
キリストを信じるには、神の言葉を聞くことが必要、とお話ししました。
しかし、それは信仰に入る時だけではありません。
信仰に入った後も、豊かなクリスチャンライフを歩み続けるために、神の言葉を聞き続けることが大切です。
ボンヘッファーという人がこんなふうに記しています。
「神の言葉を聞くということは、神の言葉が深くわれわれのうちに宿るようにするということである。」
「神の言葉の目的は、われわれの心の中で神の言葉自体が躍動するようになることである。」
神の言葉が心に宿るには、さらに、神の言葉が心の中で躍動するには、どんな風に神の言葉を聞けばいいのでしょうか? 
私の信仰の大先輩は、毎週、礼拝説教を、「今日、神が私に落としてくださる落穂は何だろうか? 私が拾うべき落穂は何だろうか?」と考えながら聞くそうです。
皆様も、毎回の礼拝で神が自分に語っておられることばを受け止める努力を続けていただきたいと思います。
(2)人の言葉を聞くこと
今日の箇所では、ペトロの順序正しい説明を聞くことで、エルサレム教会の人々は神の意志を理解し、教会の一致が強められました。
ですから、み言葉の説教だけでなく、教会での話し合い、教会会議においては、人の話を注意深く聞くことも重要です。
私がはじめて執事に選ばれた時、牧師から教えられた言葉を今も大切にしています。
「教会会議は、自分の意見だけを主張する場ではありません。他の人の意見を聞いて自分の意見を修正し、最終的に神の意志を理解する場です」
しかしこれは、私たちの日常生活でも大切なことだと思います。神は、私たちの周りの人々を通して、私たちに、いろんなことを教え、示してくださるからです。

11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。 

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