2022年01月30日「イエス・キリストの名による洗礼」

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イエス・キリストの名による洗礼

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 10章44節~48節

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ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。 そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 10章44節~48節

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<説教要約>使徒言行録10章44-48 「イエス・キリストの名による洗礼」

今朝は使徒言行録10章44~48節。短い箇所ですが大切なところです。
少し、前のところから見ていきます。
ペトロは、カイサリアのコルネリウスの家に集まっていた人々に、イエス・キリストの福音を語り始めました。
先ず、地上でのイエスの働きについて、さらに、イエスの十字架と復活について語っていきます。
「神が」イエス・キリストを送った。「神が」イエス・キリストに油を注いだ。イエスが多くの人を癒したのは「神が一緒だったから」。
そして、人々はこのイエスを木にかけて殺したが、神が、イエスを三日目に復活させた、と。
唯一、全能の神を信じているコルネリウスに、神が派遣した方としてイエス・キリストを紹介し、最後に43節で、旧約預言者の言葉を引用します。
10:43 預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」と。
割礼を受けているユダヤ人であろうと、割礼のない異邦人であろうと、割礼の有無には関係なく、
「イエスを信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」。
このことは、語っているペトロ自身、この時に神から示された重要な教えでした。

そして、ここからが今日の話です。44節。
10:44 ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
ペトロが話している途中で、彼の言葉を聞いている人々、「一同の上に」聖霊が降ったのです。ですが、「聖霊が降った」とどうしてわかったのでしょうか? 聖霊は神の霊、あるいはキリストの霊で、「霊」ですから、人間の目で見ることはできないはずです。
ちょっと細かい話になりますが、45節。
「聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。」とあります。しかし「見て」という言葉は原文のギリシャ語にはありません。ここを原文通りに翻訳しているのは、新改訳聖書です。
2017年版の新改訳聖書は「割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。」と訳しています。「注がれるのを見て驚いた」ではなく、「注がれたことに驚いた」と。
では、どうして聖霊が降ったことが分かったのでしょうか?その理由が46節の前半
10:46 a異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。とあります。
そこにいた異邦人たちが、異言を語り出し、神を賛美し始めたので、彼らに聖霊が降ったことが分かったというのです。
ここで「異言」と訳されている言葉は「舌」というギリシャ語で、この言葉が「言葉」と訳されたり、「異言」と訳されることもあります。使徒言行録の2章4節にでは「ほかの国の言葉で話しだした」と訳されています。しかし、今日のところは「ほかの国の言葉で話し出した」ということではないでしょう。
異邦人たちは何かしゃべっているけれど、聞いている人にはその意味がわからない。あるいは、しゃべっている本人にもわからない。そういうなにか不思議な言葉を話し出した、という状況です。

「異言」について、私たちはあまりなじみがないのですが、パウロがコリントの信徒への手紙Ⅰ、12~14章あたりでかなり詳しく記しています。ここではいくつかのことだけ触れておきますが、関心のある方はコリントの信徒への手紙Ⅰの12~14章を読んでみてください。
パウロは「霊的な賜物」について語る中で、
一コリ 12:10 「ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。」と語って、「異言」が霊的な賜物であると言います。
また、パウロ自身
一コリ 14:18 「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。」と語り、パウロにも「異言の賜物」があると言います。つまり「異言」は、その時々で、何か目的があって人に与えられる賜物と考えることができます。
少なくとも使徒言行録の今日の箇所では、異邦人たちが異言を話しだし、また神を賛美したことで、確かに彼らに聖霊が降った、ということを神は示されたのです。

3.10:46b-48 洗礼を授ける
10:46b そこでペトロは、
10:47 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
10:48a そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。

異邦人たちが聖霊を受けたことを知ったペトロは、彼らもイエス・キリストの名によって洗礼を受けるように、と命じました。この後洗礼式が行われた記事は記されていませんが、多分行われたのでしょう。
そしてさらに、
10:48bそれから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。
とあり、彼らが今後、キリストを信じて生きるために必要な教えを受けるため、ペトロに滞在を延長するよう頼んだのです。

今回の話しでは、コルネリウスとペトロ、それぞれのところに神の使いが遣わされ、そして無割礼の異邦人のもとへ、キリストの福音が伝えられました。そして、彼らがキリストの福音を聞いている途中で聖霊が降りました。
こうして、神が異邦人もユダヤ人と同じように、受け入れるということがはっきりと示されたのです。
ペトロは異邦人たちに「イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように」と勧めています。これは、キリストの救いに割礼は無用だということが意識された言葉です。

このように、神は、ご自身のご計画の中で、定めておられる時に、神のもとへ、キリストを主と信じ信仰へと、導き入れてくださるのです。
これは、今も変わることがありません。わたしたちひとりひとりに対しても、同じように、時を定め、手段を選び、救いへと導き入れてくださいます。

今、ある方の受洗準備会をしています。日本キリスト改革派教会では、洗礼や加入の時に6項目の誓約しますが、その誓約についての学びです。
ここに成人洗礼について記しておきますので、既に洗礼を受けている方も一緒に確認して欲しいと思います。
<洗礼に際しての注意事項>
一、小会あるいは宣教教師は、志願者に対し、信仰と生活についてあらかじめ試問すること。
二、成人洗礼式は、牧師または宣教教師が執行する。
三、成人洗礼式は、通常、公的礼拝において執行される。
四、成人洗礼式の要素は、聖書、教え、誓約、祈祷、宣言である。

<洗礼の誓約6項目>
「あなたは、次の信仰を告白し、誓約をしなければなりません。これにより、あなたは神と教会との厳かな契約の中に入れられます。」
1.あなたは、天地の造り主、唯一の生ける真の神のみを信じますか。
2.あなたは、自分が神のみ前に罪びとであり、神の怒りに値し、神の憐れみによらなければ、望みのないことを認めますか。
3.あなたは、主イエス・キリストを神のみ子、また罪人の救い主と信じ、救いのために、福音において提供されているキリストのみを受け入れ、彼にのみより頼みますか。
4.あなたは今、聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストのしもべとしてふさわしく生きることを、決心し約束しますか。
5.あなたは、最善を尽くして、教会の礼拝を守り、その活動に奉仕し、教会を維持することを、約束しますか。
6.あなたは、日本キリスト改革派教会の政治と戒規とに服し、その純潔と平和とのために努めることを、約束しますか。

既に洗礼を受け、この誓約をしておられる方は、自分が洗礼を受けた時のことを思い出し、さらに自分の信仰の歩みを振り返って、この誓約とどう向き合ってきたか考える機会として欲しいと思います。
胸を張って、「わたしはこの通りに生きてきました!」と言える方は少ないでしょう。しかし神は、そういうわたしたちを、ご自身の民として扱い、地上の神の国である教会の中で慈しみ、養い続けてくださっています。神の忍耐と、神の憐れみを覚える時、感謝しかありません。
ダビデは地上生涯の中でいろんな苦難に会いましたし、また大きな罪も犯しました。しかし、神は変わることなく彼を愛と憐みの中で養い続けられました。
そんなダビデがこう告白しています。

詩編27:4 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。

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