2021年11月14日「信仰心のあつい隊長」

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信仰心のあつい隊長

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 10章1節~8節

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さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。
ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」
天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 10章1節~8節

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< 使徒言行録の構造 > 朝の礼拝で使徒言行録を続けて学んでいます。今日から10章に入りますが、ここで、使徒言行録の構造について記しておきます。大きく4つに分かれます。使徒言行録はキリストの福音が世界へと広がる様子を学ぶための重要なテキストです。今回は12章までを細かく記します。

Ⅰ.初代教会(エルサレム教会)の成立と発展 1章~7章
1.初代教会の成立1章~2章
  (1)イエスの昇天と、使徒の補充 1章
  (2)ペンテコステ(聖霊降臨) 2章
 2.ユダヤ教指導者たちとの対決 3章~4:22
 3.エルサレム教会の様子 4:23~5:16
  (1)祈りの教会 4:23~31
  (2)生活の共有 4:32~37
  (3)アナニアとサフィラ事件 5:1~11
  (4)使徒によるいやし 5:12~16
 4.使徒たちへの迫害とガマリエルの忠告 5:17~42
 5.ギリシャ語を話すユダヤ人 6章~7章
  (1)執事の選出 6:1~7
  (2)ステファノの説教と殉教 6:8~7:60
Ⅱ.エルサレム教会の伝道 8章~12章
 1.フィリポの伝道 8:1~40
(1)サマリア伝道 8:1~25
  (2)エチオピアの高官への伝道 8:26~40
 2.サウロの回心 9:1~31
 3.ペトロの伝道 9:32~11:18
  (1)リダで アイネアのいやし 9:32~35
  (2)ヤッファで タビタのいやし 9:36~43
  (3)カイサリアのコルネリウスへの伝道 10:1~11:18
 4.アンティオキア教会 11:19~30
 5.エルサレム教会の変化 12章
  (1)使徒ヤコブの殉教と投獄されたペトロの救出 12:1~19
  (2)ヘロデ王の死と福音の広がり 12:20~25
Ⅲ.パウロの伝道旅行 13章~20章
Ⅳ.エルサレム、カイサリア、ローマでのパウロの証し 21章~28章

<説教要約> 使徒言行録10章1-8節  「信仰心のあつい隊長」

はじめに「使徒言行録の構造」について記しました。
それで、今日は10章1~8節です。この話は、「使徒言行録の構造」で見ますと、
Ⅱ.「エルサレム教会の伝道」の、3.「ペトロの伝道」の、(3)「カイサリアのコルネリウスへの伝道 」という所です。
そして、この記事は使徒言行録の中で一番長い話です。10章1節から11章18節まで続いています。これほど長く扱われているのは、この話が重要だからです。この話がこれから先の教会の伝道において、また神学的にも、大きな意味を持つ出来事だということを意識して、学んでいきたいと思います。

10章は、先ず、コルネリウスという人物の紹介から始まります。
コルネリウスはこの時カイサリアにいました。カイサリアは地中海沿いにある港町、パレスチナの政治的中心地でした。紀元6世紀以来、ローマ総督の駐在地でもありました。
また、コルネリウスは「イタリア隊」の百人隊長だと紹介されています。イタリア隊というのですから、当然ローマの軍隊です。イタリアで招集されてカイサリアに駐屯していたローマの歩兵隊です。当時、カイサリアには約600の兵力を持つ部隊が駐屯していて、100人ごとにそれを束ねる隊長がいました。コルネリウスは、この100人の兵の隊長だったのです。

コルネリウスは「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」と記されています。コルネリウスと家族は、割礼を受けて改宗するまではいっていないけれども、唯一の神を信じ、神に祈り、神に従う生活をしている人々でした。

2節の最後に「絶えず神に祈っていた」とあります。これは、ユダヤ教の教えに従って、1日3度の祈りをしていた、ということです。
コルネリウスが午後3時の祈りをささげていたときに、神の天使が彼に呼びかけたのです。
祈りの最中の出来事ですから、コルネリウスは、これが神の使いだとすぐに分かったのでしょう。
突然のことで、恐ろしくなったけれども、彼は前向きに「主よ、何でしょうか」と答えました。
主の天使は、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。」と言います。
自分は神の恵みの外側にいる異邦人であるのに、神の使いが現れて、自分の名前を呼び、さらに「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。」のですから、天使の言葉を聞いてコルネリウスの心は、驚きととともに、喜びにあふれたと思います。

天使は続けて語りました。
10:5 今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。
10:6 その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。
このとき、天使が語ったのはこれだけだったのでしょうか?少なくとも、ここに詳しいことは記されていません。しかし、コルネリウスは、天使の言葉に従って、すぐに行動を起こしました。
10:7 天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、
10:8 すべてのことを話してヤッファに送った。
今日の話は、ここまでなのですが、ここからいくつかのことを考えてみましょう。

コルネリウスは天使にペトロを招くように言われ、理由をしつこく尋ねることなくその言葉に従いました。それも、すぐに。
神のなさること、神の業、私たちの人生に起こってくることは、ときに私たちには理解できないことがあります。というよりは、何故だろうか、どうしてそうなんだろうか、ということの方が多いのかもしれません。しかし、神は天地を治めておられ、起こってくる全てのことは、神の御手の中にあるのです。
これは昔も今も同じです。
そうであるならば、その時点で私たちが納得理解できない事柄であっても、前向きに受け止め従うことが必要です。自分が納得できることだけに従うのであれば、それは自分の思い、自分の意思に従う歩みと同じです。その時々で、事柄の意味が理解できるよう祈ることは必要ですが、その時にわからなくてもあとになって理解できる、ということもあることを覚えたいと思います。
ヘブライ人への手紙にこのように記されています。
②ヘブライ10:39-11:1
10:39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。
11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

もう一つのことは、この話の重要性です。この出来事は、コルネリウスと家族、親族がキリスト教信仰を持った、というだけの話ではないのです。
異邦人伝道が神の御業であり、御心であること。異邦人にも、キリストの福音が語られ、聖霊が降ること。
ユダヤ教に改宗しなくても、イエス・キリストを信じることで、救いが与えられること。
もはやユダヤ人だけが選ばれた神の民、選民ではなく、イエスを信じる者には誰でも、罪の赦しが与えられ、神の民に加えられる、ということを神はここで教えておられるのです。
旧約聖書には、神に選ばれたイスラエル。選民イスラエル、が中心的に記されています。
神の民イスラエルと、異教の民という構図です。
しかし、イエスの到来によって、その隔ての壁はなくなり、神の祝福が、イエス・キリストを通してすべての民に及ぶようになりました。
ですから、この一連の話は、ユダヤ人である使徒たちに、あるいはエルサレムの教会に、そのことを理解させるための出来事なのです。

このように、神の救いの御業は歴史の中で、形を変えながら前進してきました。
そして、今も、神の救いの御業は完成に向かって進んでいます。神の国の完成に向かって。
ですから、私たちの信仰の歩みも、常に御言葉に教えられ、聖霊の働きに目を注ぎながら、進んで行くことが大切です。み言葉と共に働かれる聖霊の御業を信仰の目で捉え、確認しながら歩むことがわたしたちにも求められています。

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