2021年11月07日「主の晩餐と過越の食卓」
問い合わせ
主の晩餐と過越の食卓
- 日付
- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書
出エジプト記 12章21節~28節
音声ファイル
礼拝説教を録音した音声ファイルを公開しています。
聖書の言葉
モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。 あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
出エジプト記 12章21節~28節
メッセージ
関連する説教を探す
要約 出エジプト記12章21-28節 「主の晩餐と過越の食卓」
本日の説教題は「主の晩餐と過越の食卓」です。
週報裏面に、式文の文章を記しておきましたが、
その最初の二行「主イエスは、渡される前の夜、弟子たちと最後の食事をされました。主の晩餐は、出エジプト記12章に記されている主の過越に起源があります。」とあります。
それが出エジプト記12章の記述です。
ですが、なぜイスラエルの民がエジプトにいて、そこから脱出することになったのでしょうか?
この辺のことは、創世記の37章~50章あたりのヨセフ物語に詳しく記されています。
全部読みたいところですが、それは各自で読んでいただくことにして、ここでは短く振り返っておきます。
話はアブラハムにまでさかのぼります。アブラハムは神に見いだされ、選ばれて、神から祝福の約束を受けました。その祝福の約束がアブラハム。~イサク~ヤコブへと引き継がれました。
ヤコブには12人の息子と1人の娘が与えられました。しかしヤコブは12人の息子の中で、特に11番目のヨセフだけをかわいがったため、兄たちに妬まれ、反感を買い、エジプトへ売られてしまったのです。
人間の罪やねたみ、悪事があるわけですが、それでも神のご計画は進んでいきます。神は、人の罪や過ちさえもご自身の御業にお用いになるのです。
ヨセフは売られた先のエジプトで、神に守られ、高い地位を得ました。それはファラオに次ぐ地位でした。
そんな折に、地域一帯が大飢饉となり、ヤコブ一家には食べ物が無くなって、エジプトへ食料を買いに行くことになりました。
このときに、先にエジプトで地位を得ていたヨセフが役に立ったのです。
兄たちはかつての悪事を悔い改め、ヨセフに謝罪し、ヨセフも兄たちを赦しました。
創世記45章4-8節の記述は感動的です。
その後、ヤコブ一家はヨセフを頼ってエジプトへ降り、そこで生きながらえたのです。一家はエジプトに定住し、子孫を増し加えました。
この話が出エジプト記に続きます。
エジプトで、ヤコブ一家は子孫を増やし続けました。そして彼らがエジプトへ降ってから400年もの時が過ぎた頃の話が出エジプト記です。
エジプトへ降ったヤコブ一家が数を増し、「イスラエルの民、イスラエル民族」と言われるまでになりました。これは、神がアブラハムに与えた約束、「あなたの子孫を空の星、海辺の砂粒のように増し加える」という約束の実現です。
しかし、ファラオは、イスラエルの民の数と力を恐れ、彼らを奴隷として過酷な労働をさせました。またそれだけでなく、男の子が生まれたらその場で殺すように、と助産婦に命じたのです。
エジプトで大いなる苦しみの叫びをあげたイスラエルの民の声を、神はお聞きになりました。
そして、モーセとアロンという指導者を与えて、彼らをエジプトからカナンの地へと連れ戻そうとなさいました。それが有名な出エジプトです。
モーセとアロンがファラオのもとへと遣わされ、何度もファラオと交渉を行いました。しかし、ファラオは素直に応じません。そのたびに神はエジプトに災いを与えました。それが、10の災いです。
血の災い、カエルの災い、ぶよの災い、アブの災い、疫病の災い、腫物の災い、雹(ひょう)の災い、イナゴの災い、暗闇の災い と次々に神は御業をなさいましたが、ファラオはそのたびに心を翻して、イスラエルの民を去らせませんでした。労働力として、彼らを必要としていたのでしょう。
そして、最後に神は、「エジプトの国中の初子(ういご)を打つ」という最終手段をお用いになったのです。
この災いのとき神は、エジプトの民とイスラエルの民を区別するために、小羊を屠り「その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る」よう命じました。
また、「その夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる」ことを命じました。これがいわゆる過越の食卓です。
こうして神は小羊の血が入口に塗られた家を通り過ぎ、しるしのないエジプトの国のすべての初子を撃たれました。ここまでされてファラオはやっと、イスラエルの民がエジプトから出ていくことを許したのです。
そして、この特別な神の守りをイスラエルの民が覚え続けるため、過越の食事、毎年過越祭を行うよう定められたのです。
過越祭は、神がイスラエルの民を大いなる苦しみから救い出されたこと。神がアブラハムに与えられた祝福の約束、子孫を増やし、土地を与えるという約束を、実現されたことの感謝です。
この、過越の出来事を覚える食事の席で、イエスはご自身の十字架について弟子たちにお語りになりました。それが、いわゆる最後の晩餐、主の晩餐、といわれる、過越の食事です。福音書の記述をぜひ読んでください。(マルコ14:22-26など)
イエスは過越の祭りに合わせてエルサレムへ上り、そこで弟子たちと過越の食事をしました。そして、その直後に逮捕され、十字架につけられたのです。
ですが、これは偶然時が重なった、ということではありません。明らかに、イエスご自身が、過越で屠られる羊となり、その血と肉によって、人々を神の恵みの中へと導かれる、ということを意味しているのです。
わたしたちはイスラエル民族ではありませんから、出エジプトが私たちに直接関係するわけではありません。
ですが、出エジプトは、エジプトの奴隷状態から神がご自身の民を導き出された出来事です。
そして、キリストの十字架は、わたしたちを罪の奴隷状態から解放し、神の恵みの中へと導き入れてくださるという出来事。わたしの罪を過越してくださり、約束の地である神の国へ導き入れてくださる、という出来事です。
わたしたちは、罪の奴隷であり、自分の力で奴隷解放はできません。
しかし、神は、イエス・キリストの十字架、イエス・キリストの血によってそれをしてくださいました。このことを信じ受け入れることで、わたしたちはイエス・キリストに結ばれて、罪ゆるされ、罪の奴隷からの解放がなされるのです。
聖餐式は、そのことを覚える礼典です。
わたしたちが過去に犯した罪、もしかしたら、今犯し続ている罪、今後犯すかもしれない罪も含めて、キリストが十字架上ですべてを贖ってくださったのです。
ですから、今朝私たちは安心して、新しい週の歩みに向かうことができます。
「安心していきなさい」と、神は今、わたしたち一人一人に語っておられます。