2021年10月03日「主のみことばを食する」

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主のみことばを食する

日付
説教
スパーリンク宣教師
聖書
ヨハネによる福音書 6章25節~59節

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湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イ
エスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見
たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」... イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」... 「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。...。
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」... 。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 6章25節~59節

原稿のアイコンメッセージ

<アウトライン>
聖書箇所:ヨハネによる福音書6章 25-59 節(新共同訳聖書、新約聖書 175 頁)
聖書箇所:申命記8章 1-3 節(新共同訳聖書、旧約聖書 294 頁)
聖書箇所:コリントの信徒への第一の手紙 11 章 22-26 節(新共同訳聖書、新約聖書 314 頁)
説教題: 主のことばを食する
参照:ハイデルベルク信仰問答問 Q. & A. 75-82 ウ小教理問答 Q. &A. 91、96、97
説教者:ローレンス•スパーリンク(キリスト改革派日本伝道会宣教師)
中心的主張点:自分が救われた主の民であることを確認することが聖餐式の目的である。
序説: 吸血鬼
きゅうけつき
のフランス人に注意せよ!(赤ぶどう酒が乙女たちの血なのでは!)
1、宣教師の生まれ育った ”Silk City” (製糸工場だらけの Paterson, NJ) と母教会では
イ、小学生を聖餐式に参加させてくれない!親の対策...
ロ、宗教改革の議論によって、聖餐式の意味と行い方の教育に慎重に努める。
ハ、結果的に言えば、諸教派の伝統がそれぞれある。でも、ミサはやはり過ちである。
二、何れにしても、ユーカリスト(感謝)を大切にしたい!(式文 p.108)
2、聖餐式の旧約聖書にある背景を学ぼう。
イ、罪の贖い、償いの捧げ物と 任意の感謝の捧げ物の意味を確認しよう。(レビ記 17 章)
ロ、エジプトで起こった最後の災害、「滅ぼす者の過越」の記念式。
ハ、食物のない荒野で「マナ」と言う主の不思議な備えによって育まれ支えられる。
二、年々の過越祭の行い方:決まった式次第で感謝の杯はどういう位置付けだったのか。
3、ヨハネによる福音書6章の流れを確認しよう。
イ、五つのパンと2匹の魚で 5000 人を食べさせる奇跡。
ロ、イエス様にもっとこんな類の奇跡を求める群衆を諭そうとする。
ハ、「私は命のパンである」(生きたパン、命を与えるパン)。
二、イエス様の肉を食べ、血を飲むとはどういうことなのか。
ホ、主の共同体と共に、主の再臨の日まで 救いの道を(主の贖いの死を)宣べ伝える。
4、聖餐式の相応しい執り行ない方はあるのか。
イ、年に何回行ったら良いか。
ロ、参加者(陪餐者)の条件はどうなのか。
ハ、礼典によって主の民を救いの確信に至らせ、感謝の信仰生活に励む熱心を期待する。
二、大事なのはイエス様に来ること、イエス様により頼むこと、聖礼典に喜んで参加すること。
決論: マナよりも優れた生きたパンであり、神の「肉となったことば」でいらっしゃる主イエス様の
恩恵から免れないように、信仰を言い表し、主の招待に応えよう

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