2021年07月25日「所属先が大切」
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所属先が大切
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- 木村恭子 牧師
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使徒言行録 8章14節~25節
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聖書の言葉
エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 8章14節~25節
メッセージ
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<説教要約>使徒言行録8章14-25節「所属先が大切」
今日は使徒言行録8章14-25節。説教題は「所属先が大切」としました。
私たちにはそれぞれ所属先があります。ちょうどオリンピックが開催されているので、国籍を例にして考えてみましょう。ここにおられる皆様は大体の方が日本国籍だと思います。日本国籍とは、所属する国が日本だということです。オリンピックでは、所属する国の代表として競技に参加します。海外に行くときには、国籍を証明するためのパスポートが必要です。しかし、今朝は、国籍以上に重要な所属先がある、という話です。
先週は、エルサレム教会の執事であるフィリポが、迫害から逃れてサマリアへ行き、彼の伝道によって多くのサマリア人がキリストを主と信じ、多くのサマリヤ人が洗礼を受けた、という話しでした。
8:12フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。
ユダヤ教徒は、サマリア人を軽蔑し、まったく彼らと交際をしていませんでした。しかし、先週はイエスが、サマリアの女性に声をかけ、そしてサマリアの人々がイエスを信じた、というヨハネ福音書4章の記述を見ました。
またイエスは、ご自身が天にお帰りになる直前に、これからの伝道のフィールドが、国境を越えた全世界であると教えておられました。使徒言行録1章8節です。
使徒1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
このように、イエスは、キリストの福音を、全世界に伝えるべきこと、その証人として彼らが用いられることをあらかじめ伝えていました。
ですから、今フィリポの伝道によって、サマリア人が神の言葉を受け入れたという知らせを受け、使徒たちは躊躇するどころか、喜んでペトロとヨハネを派遣したのです。これは、エルサレム教会からの正式な派遣でした。
しかし、15節後半から17節は、ちょっと不思議なことが記されています。
サマリヤ人たちは、フィリポによって洗礼を受けたのに、聖霊は与えられていなかったというのです。そして、エルサレム教会の正式な使徒であるペトロとヨハネが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けたとあります。洗礼を受けることと、聖霊が与えられることは別の事なのでしょうか。
実は、使徒言行録には、洗礼と聖霊を受けることが別々に起こるというケースがいくつか記されていますが、これはキリスト教初期の特殊なケースと考えられます。
このケースで、フィリポはサマリア人に福音を伝え、彼らはキリストに結ばれる洗礼を受けました。サマリア人たちは、イエスをモーセのような預言者と信じたのです。
一方で、洗礼は教会に加えられるという意味もあります。地上の神の国である教会のメンバーとして、教会に加えられることが、神の国に所属するということなのです。地上でキリスト者は教会に所属し、教会の会員となって、信仰の歩みを進めていきます。母なる教会の中で天国までの歩みが配慮されるのです。
フィリポはエルサレム教会の使徒ではありませんでしたから、彼らを教会に加えるという件いまではありませんでした。それで、サマリア人たちのために使徒が正式に教会から派遣され、使徒たちがサマリア人たちの上に手を置くことで、彼らに聖霊が与えられ、正式に教会に加えられたのです。
これは、マタイ16章18-19節を見ると分かります。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
ここで、「あなた」と言われているのは、べトロ個人ではなく使徒団の代表としてのペトロの事。そして天の国のカギは、この使徒壇の上に立てられた教会に委ねられたのです。洗礼を受け、教会に加えられて初めて、正式なキリスト者、クリスチャンが誕生するのです。キリストを信じることと、教会に所属すること。これは一つの事であり、教会から離れた信仰の歩みは通常は成立しません。また、洗礼を受けて教会員となり、教会に所属することで、その人は神の国に所属することにもなるのです。
この後、18節から24節では、福音を信じてフィリポから洗礼を受けた魔術師シモンが、ペトロとヨハネにとんでもないお願いをした話です。
シモンは使徒たちの力を見て、この神からの特別な力をお金で買おうとしたのです。これはとんでもないことで、ペトロから厳しい叱責を受けました。
ですが、このように神の特別な守りや恵みをお金で手に入れようとする考え方は今も普通にあるますよね。例えば、商売繁盛、交通安全、安産、合格祈願などなどのため、人はお札やお守りを買い求めます。これは、魔術師シモンの考え方に通じるものです。
一方で、私たちも礼拝献金や月定献金などを献げますが、この時にも注意が必要です。献金は、神の恵みへの感謝のしるしです。感謝の思いから、あるいは神の働きのために献げるものですから、金額が多ければ恵みがおおいとか、少ないと恵みが減るなどと考えてはなりません。心から、喜んでささげる者を神は喜んで祝福してくださいます。こういう個所から、私たちも自らの献金の精神を吟味することが大切です。
今日の聖書箇所から特に二つのことを覚えたいと思います。
一つは「所属先」のことです。一か所聖書を開きます。フィリピの信徒への手紙3章20節。できれば18節から21節までを呼んでください。
3:20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
「わたしたちの本国は天にあります」これは、新共同訳聖書の翻訳ですが、口語訳聖書、新改訳聖書、教会協同訳聖書では、『わたしたちの国籍は天にあります』という翻訳になっています。
つまり、キリストを信じて教会に加えられている人の国籍、所属先は天、神の国だというのです。
これは、地上のどんな所属先よりも重要です。そして、国籍を天に持つために必要なことはたった一つだけ。イエス・キリストを救い主、私の主と信じて教会に加えられることです。
もう一か所聖書を開きます。ガラテヤの信徒への手紙3章28節です。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
国籍を天に持つ者たちは、キリスト・イエスにおいて一つだ、という教えです。
人種の違いも、貧富の差、性別、障害の有無などは全く問題ではない。全ての人がキリスト・イエスに結ばれて一つであり、等しく神の国に所属する神の民だ、ということ。
今朝私たちは、このことの意味と、このことの恵みをしっかり覚えたいと思います。