迫害が転じて
- 日付
- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書 使徒言行録 8章1節~4節
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 8章1節~4節
<説教要約>使徒言行録8章1-4節「迫害が転じて」
8:1 aサウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
サウロについて何の説明もないまま、ここで突然サウロの名が登場します。しかし、多くの方はこのサウロが後のパウロであること、彼が復活のキリストに出会い回心して伝道者になったことなど、ご存知ですよね。
前の7章60節から続けて8章1節の前半を読みますと、使徒言行録の著者ルカの意図がよくわかります。。ルカは、ステファノの執成しの祈り「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」に、神が応えられたのだと言いたいのです。
しかし、ステファノの処刑が契機となって、ユダヤ教によるキリスト教弾圧、大迫害が起こりました。使徒たち以外はみんなユダヤ、サマリア地方へ散って行ったと記していますが、これはルカの誇張した表現だと思われます。このあとエルサレム教会に使徒以外誰もいなくなったわけではありません。
2節を見ますと「しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。」ともありますから。
使徒たちがエルサレムに残ったのは、教会指導者としての責任上ということもありますが、この迫害が主に、ギリシャ語を話すキリスト者に向かっていた、ということもあったようです。
それにしても、教会員たちは、ステファノの処刑以後、ユダヤ教指導者たちに目をつけられたわけで、彼らもエルサレムに残っているのは危険です。まして、処刑された人を葬るとなれば、自分の身にも危険が及ぶはずです。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。 とありますように、ステファノの死を悼み、そして彼の遺体を丁寧に葬ったのです。
また、教会の人々にとっては、ステファノの死がただ悲しいというだけではなかったと思うのです。
といいますのも、ステファノは、大変に優れた人物だったからです。使徒言行録6章3節、5節、8節などの記述や、7章のステファノの説教からも、彼が信仰的にも霊的にも、また旧約聖書知識においても優れた人物であったことが分かります。ですから、使徒たちをはじめエルサレム教会の人々は、彼の今後の働き、活躍を大いに期待していたはずです。それが、こういう形で命が失われてしまったのですから、悲しみと共に大きな失望があったはずです。彼が役員として、説教者として、大きな働きを担っただろうに、と考えた人は多かったはず。人々の心には「なぜ、どうして、神はステファノの命をお守りにならなかったのか!!」という思いが生じたのではないでしょうか。しかし、彼の死が契機となって、パウロが登場するわけですから、その背後には神のご計画があったのでしょう。
私たちの人生にも、「なぜ、どうして」と問いたくなるような時があります。
ですが、今日の箇所から、人の命は神の御手の中にあること。そして私たちに、その時には納得、理解できない神のご計画、神の業があることを覚えたいと思うのです。
3節は、先ほど名前が登場したサウロについての記述です。「サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」とあります。実際彼はこの時、ユダヤ教徒としての自覚と使命に燃えて、命がけでキリスト教徒を迫害していたのです。
何箇所か聖書を引用します。
①使徒22:3-4 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」
②ガラテヤ1:14「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」
③使徒26:9-11「実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」
いっぽうで、エルサレムから逃れていった人々については 4節「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」と記されています。
彼らは、自分たちの意志ではなく、迫害から逃れるためにエルサレムから逃げていった、散らされたのです。ですから、行った先で隠れるようにして、身を潜めていたとしても不思議ではありません。しかし、彼らは福音を告げ知らせたのです。これは、使徒言行録1章8節のイエスの言葉の成就、実現です。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)
彼らの行く先々には、福音を証しする生活の上に、聖霊の助けがあったはずです。
今日の箇所は、エルサレム教会に大迫害が起こり、教会に加えられた多くの人々が追われるようにして各地に散らされていったという話しでした。
私は、エルサレムから逃げていった多くの人たちの心の内がいったいどんなだったのかと思うのです。
彼らは、真の神を信じ、神に従って、神の恵みの中で平和に生きることを願ったはずです。しかし、反対に、キリストを信じる信仰のゆえに住みなれた地を追われてしまったのです。彼らはエルサレムで、平和で安定した生活は手に入らなかったのです。
では、彼らは信仰を持ったことを後悔したでしょうか? 自分たちの身の上が不幸だと思ったでしょうか?
私は、そうではなかったと思うのです。なぜなら、彼らは逃げていった先々で「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」のですから。彼らは自分がキリストを信じたこと、キリスト者になったことを後悔していなかったことが分かります。
彼らは、福音を証しできることを喜び、彼らを通して信仰に加えられる人が起こされることを感謝し、住み着いた先でキリストの教会を形成していったのではないでしょうか。
実際、キリスト教の歴史を振り返ると、福音はそんなふうにして広がっていったことが分かります。
キリスト教信仰をもっても、地上で安定、安住が与えられないことの方が多いかもしれません。
しかし、キリスト者にとっては、目に見える地上での生活がすべてではありません。
先ほどのサウロは、復活のキリストに出会って回心してから、実に多くの困難に出会いました。しかし彼はこんな風に語ります。
⑤フィリピ3:5-11 「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」
彼が求めてたのは、生きている時も死んだ後もキリストと共に生きる命。最終的には約束されている復活の命です。パウロは復活の希望を持ちつつ、地上では、キリストに与えられた使命を果たすことに全力を注いだのです。
今朝、私たちも、このパウロの思いを共有したいと思います。
今キリストと共に生きている幸い。 死の時も死んだのちも、キリストに結ばれていることの恵み。 さらにはキリストと共に復活する命の希望があること。
キリストと共にある命の恵みの中で、今自分が置かれている場で、自分に与えられている役割、使命を忠実に果たしていきたいと、そのように願います。