2026年06月14日「恐れず、慌てず、守られて最後まで」

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恐れず、慌てず、守られて最後まで

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
マルコによる福音書 13章3節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

マルコによる福音書13章3-13節
13:3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。
13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
13:5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
13:7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
13:8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
13:9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
13:10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
13:11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
13:12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 13章3節~13節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> マルコ13:3-13 「恐れず、慌てず、守られて最後まで」

エルサレム神殿の荘厳さに感動している弟子に、イエス様は「神殿崩壊の予告」をなさいました。神殿崩壊はユダヤ人にとって、天地が崩れ去るほどの大きな出来事でした。
この話を聞いて、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレがイエス様に質問しました。「それはいつ起こるのか、どんな徴があるのか」と。

私たちも、それが「いつ起こるのか」は知りたいですよね。知ればそれ相応の準備もできるかもしれない、と思うからです。でも、神殿崩壊、ひいては天地が滅び去る終末の日がわかったとして、いったい何の準備をすればいいのでしょうか?
イエスさまは「いつ」に関しては、ここでは何もお答えになっていませんが、もう少し話が進んだ32節で触れています。今日は32節の言葉だけ、確認しておきましょう。
①マルコ13:32「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」

このときイエス様は「どんな徴があるのか」について、少しだけお答えになっていますので、イエス様が語られたことを確認していきます。
まず、イエス様の名を語る偽者に気を付けるようにと言われます。
真剣に、キリストの再臨を待ち望んでいるクリスチャンにとって、救い主、メシアを名乗って『わたしがそれだ』という言葉ほど惑わされやすい言葉はありません。
統一教会の集会で、文鮮明が、「私(文鮮明)と妻の韓鶴子女史は、人類の真の父母であり、救世主・再臨主であり、メシアであると宣布します。」と言ったという記録が残っているようですが、このように、イエス様の言葉が現実となっています。
しかしメシアの再臨に関しては、10節の言葉をよく覚えておきましょう。
13:10「しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。」福音宣教の進展があって、その後に世界が崩れ去り、メシアが再臨し、新天新地、つまり神の国が完成する、というふうに、順番があることをイエス様は教えておられます。
また、終末に向かうとき、「戦争の騒ぎや地震のうわさ」が起こる、とイエス様は言われます。
まさに今あちこちで戦争の騒ぎが起こっていますし、地震の周期など踏まえた科学的根拠に基づいた警告や、富士山の噴火にも備えが必、という警告もあります。もちろんある程度の備えは必要ですが、だからと言って、どこかへ逃げるわけにもいきません。
イエス様は、「慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」と言われます。

長い目で歴史を振り返ってみれば、イエス様の時代から今に至るまで、「世界大戦」と言われる大きな戦争が2度もあり、それ以外の戦争も起こったし、大きな地震や幾多の火山の噴火もありました。ですが、それでもまだ、世界の営みは続いています。ですから今の世界状況を見て慌てる必要はありません。しかし、同時に今、世界が終末に向かって進んでいるという認識は必要です。

イエス様は、終末の徴についての警告をお話になった後、9節から11節で、別の視点から大切なことを語っておられます。終末と教会の使命、働きである、「福音宣教」との関係です。
終末の徴があり、終末に向かっていくときが、福音宣教の機会であり、証の機会であると教えるのです。

しかし、福音宣教の働きには困難が伴うので、伝道者たちが大きな迫害を覚悟すべきことも教えています。11節をご覧ください。
13:11「 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」
「何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない」は、協会共同訳聖書では「何を言おうかと心配してはならない」となっています。その時「話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」と。
福音宣教の場で迫害はあるけれど、そこに必ず聖霊の助けがあり、語るべきことを聖霊が教えてくださるのであれば、なんと心強いでしょうか。聖霊の助けがあることを忘れてはなりません。

しかし、終末に向かうとき、やはり混乱があります。
13:12 「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。」家族同士殺し合う情景など想像したくありませんが、通常の人間関係が壊れるほどの極限状態が起こることへの警告です。
苦しみや苦難の故の極限状態もあるでしょう。しかし、語られた福音に対して信じる者と信じない者の間の溝が深まるということも起こります。
並行記事のマタイ24:12には「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」とあります。
福音が伝えられることで、「多くの人の愛が冷える」とは、福音の性質と矛盾しているように感じます。
しかし、人間的な愛は冷えるのです。
一方で、コリントの信徒への手紙13:13にはこんな言葉が記されています。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
ここでは、「愛はいつまでも残る」と教えられています。
罪ある人間の愛は冷えるけれど、キリストにあるまことの愛はいつまでも残る。
ですから、マルコ13章13節後半の言葉が重要です。

13:13b「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」「耐え忍ぶ」と訳されている言葉は、「踏みとどまる、我慢する」という意味もあります。
ここでイエス様は、「苦難はあるが、それでも、耐え忍びなさい、踏みとどまりなさい」と教えます。
信仰とは、今だけのことでなく、終末の祝福、神の国の祝福を望み見て、神と共に最後まで生き抜くことです。

病の苦しみの中でも、地震や戦乱に巻き込まれたとしても、その先に神の国の豊かな祝福があることを望み見て、今を耐え忍び、神を仰ぎ見て信仰に踏みとどまること。
慌てず、怖れず、神を信頼して、神の支配の中に留まり続けることです。

世界中、どこにいても、神の目の届かない場所はありません。
また、私たちの目には見えなくても、信仰者には聖霊の働き、助けがあります。
ですから、先々のことを心配して慌てふためくのではなく、あるいは悲観するのではなく、
「恐れず、慌てず、守られて最後まで」というのがここでのイエス様のメッセーです。

ヘブライ人への手紙10:39-11:1を読んで祈ります。
「しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

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