2026年06月07日「神殿崩壊の予告」

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マルコ福音書13章1-2節
13:1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
13:2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 13章1節~3節

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今週、6月10日に、スペイン・バルセロナの「サグラダ・ファミリア」で行われる「イエスの塔の完成記念式典(お披露目式と落成式)が話題になっていますが、ご存じでしょうか?
サグラダ・ファミリアはスペイン・バルセロナにある現在建築中のカトリック教会です。
1882年に着工され、アントニ・ガウディが設計を引き継いで以来、140年以上にわたって建設が続けられてきました。2026年はガウディ没後100年にあたり、中央の「イエスの塔」の完成を祝う式典が6月10日に行われる予定だそうです。カトリック教会なので、私たちの信仰理解との違いはありますが、この教会堂建築の背景にある信仰的な情熱を考えると、彼らの熱心には頭が下がる思いがあります。今週6月10日にはガウディ―の没後100年の追悼や、ローマ教皇による特別なミサもあるとのこと。関心をもってご覧ください。それでも、すべてが完成するのは2035年ころだそうですが。

ところで、今日の説教題は「神殿崩壊の予告」です。
サグラダ・ファミリアほどではありませんが、1世紀当時のエルサレム神殿も、たいそう立派だったようです。エルサレム神殿は、ヘロデ大王が国家の威信をかけてリフォームしたのもで、神殿の境内は東京ドーム約3つ分の広さ。
当時の地中海世界では「最大級の超巨大建造物」。純白の大理石で作られ、正面の壁や入り口には純金の板が張り付けられて、朝日に照らされると目を開けていられないほどの光を放ったと言われています。
ヨハネ福音書2:20には、「この神殿は建てるのに46年もかかった」と書かれています。
ですから、この神殿を見た弟子のひとりがイエス様に「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」と感動したのもうなずけます。

しかし、弟子の言葉を聞いてイエス様は言われました。
「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」と。
ちょっとわかりにくい表現ですが。
協会共同訳聖書は 「この大きな建物に見とれているのか。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」と訳しています。
簡単に言えば、「こんなに立派な神殿でも、崩れ落ちる日が来る」とイエス様は言われたのです。

このイエス様の「神殿崩壊の予告」には、二つの意味が含まれています。
(1)地上の被造物、人の手で造られたものは、いつか失われる、終わりが来る
どれほど立派な神殿でも、人の手で造られた物には必ず終わりがある。
「初めがあれば終わりもある」ということですね。
ここから、さらに、人の栄華、繁栄、人の命にも終わりがある、ということが読み取れると思います。
(2)エルサレム神殿は必要なくなる
もう一つ、この言葉は実際に、エルサレム神殿の崩壊予告です。
ここには神殿礼拝中心のユダヤ教の時代から、キリスト教への移行が教えられています。
エルサレム神殿は、人々が罪の赦しを受けるために、神の前に動物の犠牲をささげ、神を礼拝する場所です。
しかし、救い主、メシア・キリストがおいでになったことで、それが一変しました。罪の赦しのための動物犠牲は必要なくなったのです。
ですから、イエス様が十字架で死なれた時、エルサレム神殿の垂れ幕が上から下まで二つに裂けました。
イエス様の十字架が、神殿での動物犠牲にとってかわったのです。
さらに、エルサレム神殿でなくても、世界中どこででも、イエス・キリストを通して神を礼拝することができるようになる。
エルサレム神殿の崩壊は、誰でも、どこにいても、イエス・キリストを通して神を礼拝することができる、という大切なことを示しており、ここでのイエス様の言葉の裏にある大切なメッセージです。

ちょっと話題がそれますが、神殿崩壊後のユダヤ民族についてお話ししておきたいと思います。
エルサレム神殿は、イエス様の予言通り、紀元70年、ローマ軍によって破壊されました。
神殿の崩壊は、ユダヤ人にとって「世界が崩れ去った」と言えるような衝撃でした。
しかし、神殿崩壊後もローマとの戦いが続き、135年頃にはローマ軍がユダヤを鎮圧してエルサレムを占領。
ユダヤ人はエルサレムへの居住が禁止となり、世界各地へと離散したのです。
神に選ばれた民、選民として誇っていたユダヤ民族は、離散の民、ディアスポラとなりました。
離散のユダヤ人はこの後も自分の国を持つことができず、世界に散らされ、様々な災いにあいました。
ナチスによるユダヤ人虐殺、ホロコーストは、ユダヤ人にとって大きな痛みであり、ユダヤ人以外の私たちも、決して繰り返してはいけない負の歴史です。
そして今、ユダヤ民族は、パレスチナにイスラエル国を建国し、軍事力を拡充し、力によって国土を拡張しています。ですからパレスチナの地では紛争が絶えません。
ですが、パレスチナだけでなく、この先、世界が、地球が、どうなっていくのか、先が見えない状況です。
この後、マルコ福音書13章は終末について記していますので、来週以降一緒に学んでいきましょう。

それで、今日の箇所から覚えたいことをまとめます。
当時のユダヤ人にとって、神殿は何よりも大切な場所。完成間近の「サグラダ・ファミリア」も、素晴らしい建造物です。しかし、どれほど立派な建造物、教会ができたとしても、いつか崩れ去ります。
重要なのは、見える物、形ではなく、心の中の問題。神との関係、神とのつながりです。
同様に、私たちは、目に見える物、形ある物を頼りたくなります。老後の蓄え、財産、不動産、頼りになる家族、健康な体があれば安心、心安らかでいられます。しかし、目に見える物はいつか消えてなくなる、過ぎ去るのです。
では、何を頼りに生きればいいのでしょうか? 安心していられるのでしょうか。
二か所、聖書を見たいと思います。

今朝、招きの言葉として読んだイザヤ書40:6-8
イザヤ40:6-8
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
マルコ13:31「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

「神の言葉」は、私の心に語りかけ、私の内に宿ります。
「神の言葉」は、生きて働らいて、私の心を変える力があります。
「神の言葉」は、私の足下を照らし、行くべき道を教えてくれます。
「神の言葉」は、その時々の確かな支えとなり、私を新しい希望へと導いてくれます。
ですから、目に見える物に望みをおくのではなく、生きて働く神の言葉を頼りに、人生の歩みを整えましょう。

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