2026年05月31日「最初の福音 Good News」
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最初の福音 Good News
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- 木村恭子 牧師
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創世記 3章15節~19節
聖書の言葉
創世記3章15-19節
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
創世記 3章15節~19節
メッセージ
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説教要約 創世記3:15-19 「最初の福音~Good Nesw」
今朝は「救済史説教」の3回目です。
人は蛇の巧みな言葉、創世記3:5「 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」に騙されました。
「善悪を知る」とは、「善悪を決定する権威を持つ」ということであり、「善悪の判断基準を神から奪い取る」ことを意味していたのです。
以前は神に見られること、評価されることを畏れませんでした。しかし実を食べた後には、自分が神に判断され、評価される存在であるという意識が芽生え、神の目を恐れました。
神の顔を避け、神から隠れなければならなくなった二人。これが、罪を自覚したときの人間の姿です。
しかし神は、ご自身の創造された人をお見捨てになりませんでした。神の方からアダムに声をおかけになったのです。創世記3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
最初の福音の言葉が記されているのは15節ですが、その少し前、11-13節を見ると、神の追及に対してアダムと女は罪のなすり合いをしています。アダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と言い、女は「蛇がだましたので、食べてしまいました」と。
なんともなさけない姿でありますが、現代でもよく見られる罪のなすり合いと責任転嫁です。
神の目に、二人の姿はどのように映ったのでしょうか?
直後に神が語られた言葉、3章15節が、「最初の福音~Good News」です。
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
この短い言葉に、救いの歴史が預言されています。
「女の子孫」とは、イエス・キリストのこと。「お前」と呼ばれているのは「蛇」ですが、「蛇はサタンが化けた姿」です。
ここで大切なことは3つ。
・神は、両者の間に「敵意」を置かれたこと。
・キリストがかかとを砕かれるのは、十字架の苦しみを指している。
・キリストの十字架によって、蛇は頭を砕かれ、とどめを刺される。
アダムと女が罪を犯し、神から離れた直後に、神は、人とサタンが融和せず、イエス・キリストを通して、人を罪から救う計画を告げたのです。
ですから、創世記3章15節は、「最初の福音 Good News」、神の救いの言葉なのです。
ですが、一つの疑問が残ります。なぜ神は、罪を犯した人間をリセットしなかったのでしょうか。
アダムと女が罪を犯した時点で、人類を完全に消滅させ、最初からやり直さなかったのでしょうか。
実は、このことを考えると、聖書の神がどのようなお方なのかが良くわかります。
結論から言うと、聖書の神は人を「ロボットのように完全に服従する存在」ではなく、「愛し、信頼し合う関係を結ぶ存在」としてお造りになったのです。
理由は3つです。
(1) 「自由意志」を尊重
神は人間を、プログラム通りに動く機械のような存在としてお造りになったのではありません。
神に創造された人間には、自由意志が与えられており、自分で判断して、神を愛することも、神に背くこともできたのです。
人間が失敗した瞬間に「はい、失敗したからリセットね。最初から造り直します」としたなら、人間に自由意志を与えた意味がなくなります。神は人間が失敗するリスクを背負っていても、神と向き合うことができる存在として、尊重したのです。
(2) 神の「愛と憐れみ(慈しみ)」の性質
もう一つ、大きな理由は、神の御性質に関する理由です。聖書の神は、「正義の神」であると同時に「愛の神」でもあります。
神は、罪を犯したアダムと女に対して、すぐにリセットやり直し、ということをしていません。
それどころか、神の目を避け隠れた二人に、神が声を掛けました。裸であることを恥じた二人のために、神は、皮の衣を作って着せたのです。(創世記 3章21節)
これは、罪を犯してなお、彼らを放り出さずに守ろうとする神の「愛と憐れみ」の最初の現れです。
(3) 「リセット」ではなく「回復(救済)」の計画
神の解決策は、バグの起きたプログラムを消去(リセット)することではなく、手間と時間をかけて傷ついた関係を「修復(リカバリー)」することでした。
聖書全体を通して描かれているのは、「人間を新しく作り直す物語」ではなく、「罪によって壊れてしまった人間と神との関係を、もう一度元通りにする」という長い救いの歴史です。
その道筋が、先ほど見た3章15節。「最初の福音 Good News」に示されているのです。
聖書には、神と人との関係修復の道筋、計画が、イエス・キリストによる救いであると、最初から示されています。そしてこの道筋が聖書の中心テーマ、救済史です。
この長い救いの歴史を、この後も少しずつたどりたいと思います。
決して、一筋縄ではいかない、強情なイスラエルの歴史をたどりながら、私たちも、自分自身の強情さや罪を見つめなおしたいと思います。
それでも、一貫して示されているのが、神が人類に注がれた忍耐と、一方的な愛です。
そして今、同じ神の愛が、私たち一人ひとりにも注がれていることを覚えましょう。
Ⅰヨハネ4:9-10
4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
さらにもう一つ、心に留めておきたいことがあります。
それは、神に愛された私たちは、隣人を愛する者とされているということです。
Ⅰヨハネ4:16-21
4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
4:21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
今なお人類は、そして私たちは、神に逆らい、罪を犯し、背く者です。しかし、神はそのような私たちに愛を示して、キリストの十字架による救いの道をお示しになりました。さらに今、私たちには聖霊の助けもあります。ですから、神を愛し、隣人を愛し、共に生きる道を選び取って、歩んでいきましょう。