2026年03月08日「誰の権威によって?」
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誰の権威によって?
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- 説教
- 木村恭子 牧師
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マルコによる福音書 12章1節~12節
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聖書の言葉
マルコ11章27-33節
11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、
11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」
11:29 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
11:30 ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」
11:31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
11:32 しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
11:33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 12章1節~12節
メッセージ
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2026年3月8日 説教要約 マルコ11:27-33「誰の権威によって?」
1.イエス様の権威と人の権威
イエス様が神殿で大暴れし、宮清めをなさったこと。それだけでなく、毎日神殿で民を教えたこと。これらの行為に対して、当時のユダヤ教指導者である、祭司長、律法学者、長老たちがイエス様をとがめだてしました。
11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、
11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」とあります。ユダヤの国で最も権威ある自分たちとイエス様の権威、どちらが上かをはっきりさせるためです。
この質問に対するイエス様の応答が29節以下にありますが、イエス様は彼らの質問にはお答えになりません。そして、別の質問を彼らに投げかけたのです。
イエス様の質問は、ヨハネが授けた洗礼は、「天からのものだったのか、あるいは人からのものだったのか」という者でした。宗教指導者たちは、すぐに答えが出せませんでした。
31‐32節がその時の状況を正確に記しています。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
当時、大勢の人々がヨハネを神の預言者と信じ、彼の話をきいて悔い改め、ヨルダン川で洗礼を受けていました。宗教指導者たちも、そのことをよく知っていたし、彼らの中にもヨハネを神からの預言者と考える人がいたのです。ですから、彼らは統一見解が出せず、さらにはうかつな答えによって民を刺激して騒動に発展することも恐れ、結局「分からない」と曖昧な返答をしたのです。
やってきた宗教指導者たちは、今までイエス様が民衆を憐れみ、癒し、教えてこられた姿を見たり、伝え聞いたりしていました。中には、直接イエス様に論争を仕掛けた人がいたかもしれません。そういう中で、彼らはイエス様の持っている権威、御業の力をどう考えていたのでしょうか。少なくとも、天からの力が働いていることは感じていたと思われます。しかし、彼らは自分たちの力を保持することを考え、ここでは答えを留保し「分からない」と答えたのです。イエス様の問いにきちんと向き合わなかった、ということです。
答えをお聞きになったイエス様は、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」と言われて、この場面ではそれ以上何もお語りにならなかったのです。
2.イエス様の権威はどこから来るのか
では、イエス様は、地上でどのような権威を持っておられるのでしょうか?
福音書には、イエス様の力、イエス様の権威がよくわかる記事がたくさんあります。いくつかのことを思い出しましょう。イエス様は、「地上で罪を赦す権威がある」と主張されました。形式的な安息日律法厳守を批判し、安息日を定義する権威を主張されました。悪霊を追い出し、病を癒すことで、それができる権威、力を持っていることを示されました。自然を支配する権威を持っていることを示されました。また、宮清めでは、神殿、神の家を支配する権威を主張されています。
では、イエス様の持っておられるこれらの権威、力は一体どこからきているのでしょうか?
それは、イエス様が地上でのお働きを始められる直前に明らかにされています。マルコ福音書1章9-11節を確認してください。
ここでは、天からの声として、イエス様は神の霊の担い手であり、神の愛する御子であり、神の心に適う者と紹介されています。ということは、最初から神の「権威」、「権能」、「権限」、「支配」、「権利」をすべて与えられていたのです。イエス様は「神の権威」をもって、地上の活動を始められたのです。
ですから、「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」という、問いに対する答えは「神の御子としての権威」あるいは「神の権威が与えられている」ということになります。
3.イエス様の問いにどう向かい合うか。
ユダヤ教の指導者たちは、旧約聖書と律法を深く学んでいましたから、聖書の知識は十分ありました。
その彼らが、イエス様の教えやなさった御業にまっすぐ向き合っていたなら、イエス様がダビデの子、メシア・救い主であること。イエス様の権威が神からのものであることを理解できたはずです。
しかし彼らにはそれができませんでした。それは、彼らの心が固く閉ざされ、神から離れていたからです。
彼らは、イエス様の質問にきちんと向き合うことをせず、イエス様との対話をあいまいに打ち切ろうとしました。そんな彼ら対して、イエスさまも、
「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」とお答えになり、ここでの話を終えています。
ところで、私たちはどうでしょうか?
私たちはまことの神を知っており、信仰をもって生きています。
イエス様の十字架による罪の赦しを信じて、天国に向かう歩みを進んでいます。
しかし、そう言いつつも、日常に起こってくる様々な出来事の中で、自分を正当化し、神に言い訳をしてないでしょうか。自分の権利、自分の願いだけを主張し、神の言葉に、神からの問いに、神の求めに、目を背けてはいないでしょうか?
今日の箇所の、ユダヤ教指導者とイエス様の会話から、私たちも、もう一度、日々の生活の中での神への向かい方を問い直してみたいのです。
イエス様は復活から40日後、天にお帰りになる前に、弟子たちにこの言葉を残していかれました。最後に、その言葉を見たいと思います。
マタイ 28:18-20 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエス様は、地上におられたときも、そして天にお帰りになってからも、天と地の一切の権能を神から授かっておられます。そのイエス様が、今も、イエス様を信じ従う者に目を注ぎ、聖霊を遣わし、共にいてくださいます。すべての権威を持っておられる神が、私の人生と共におられることは、何と心強いことでしょう。
そしてイエス様が地上での最後の言葉として、弟子たちに命じているのは「洗礼と教えによって、すべての民を弟子にするように」、つまり福音宣教と教会を建てることです。
具体的には、いろんなことが考えられますが、最も基本的なことは、それぞれが置かれている生活の場で、イエス様にまっすぐ目を向け、喜びをもって、神と共に生きる歩みをすることです。それがこの世の人々への証しとなり、そういう歩みが、「すべての民を弟子にする」ことに繋がるのです。そういうふうに地上で励む私たちと共に、天と地の権威、権能を持っておられるイエス様は、共に歩んでくださっているのです。