2026年02月22日「それは極めて良かった」
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それは極めて良かった
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- 木村恭子 牧師
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創世記 1章26節~2章3節
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聖書の言葉
創
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
2:1 天地万物は完成された。
2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
創世記 1章26節~2章3節
メッセージ
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2026年2月22日 <説教要約> 創世記1:26-2:4 「それは極めて良かった」
聖書に記されている天地創造の記事は、科学的な説明ではなく、神学的なメッセージの記述です。
創世記1章の特徴は、混沌から秩序へ向かう明確な構造が描かれています。
世界は混乱や偶然の産物でもなく、創造主なる神が、意志と目的をもって作り上げたものだという信仰的確信を伝えています。
現代の不確実性の中で、「神が創造した世界には根源的な意味がある」というメッセージです。
1-2節 空も陸地もなく、動物も人間ものいない、何もない世界に、霊なる神だけが存在していました。それが「初め」です。神は何もないところでいったい何をしていたのでしょうか。心配になります。でもそれは大きなお世話、被造物である人間が心配することではありません。
詩編90編2節には「 山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。」と記されています。
3節以下には、混沌から秩序へ向かう明確な構造(光→空→海と陸→植物→天体→動物→人間)が描かれています。神が天と地をつくり、自然の秩序を定め、そこに植物と動物を創造されたことが記されていますが、ここに特徴的な言葉、何度も出てくる言葉が二つあります。
「神は言われた」と「神はこれを見て良しとされた」です。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 1:4 神は光を見て、良しとされた。
1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。・・・」
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。・・・」 ここからは植物の創造です。
1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
14節からは自然の秩序の創造です。
1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
「神は言われた」という言葉で創造が進んでいきます。
「神の言葉」は力があり、生きて働くというということ。また、創造は神の意志、神の摂理の御業である、という主張です。神は天地を創造し、それを自ら治め、支配しているのです。
この世界に起こるすべてのことは、偶然ではなくて、背後に神の意志があるという主張でもあります。
24-25節では生き物の創造が記されています。25節も「神はこれを見て、良しとされた。」という言葉で結ばれています。
ここからが、今日の聖書箇所です。神は、天地万物を創造し、自然界の秩序を整え、人間が困らないように準備したうえで人間を創造なさいました。
26-27節 ようやく人間の創造です。人間を「ご自身のかたちに、ご自身に似せて造ろう」と言われました。しかし、これは外見、姿かたちのことではありません。神は、霊的な存在ですから。それは、中身の問題です。
2章7節を見ると、神は人をお造りになったときに、「命の息」を人に吹き込まれたことが記されています。「息」は「霊」とも訳せる言葉です。神は人の体、肉体は土の塵から造りましたが、その体に神の息、神の霊を入れたのです。これが、神に似たものとして造られたということ。
人に神の霊が与えられたことで、人は霊的な存在である神を理解することができるようになり、神との生きた交わりができるようになったのです。
その人間に、神は地上の生き物を支配する役割、仕事を与えました。これを文化命令と言います。
創 1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
この前半は先ほどお話しした通りですが、問題は後半「男と女に創造された。」です。
神は霊的な存在ですから、男でも女でもありません。イエス・キリストが男性として地上に来られたから、神は男だ、と考えるのは誤りです。
またこの箇所から、神は人間を「男と女」に造られたのだから、人は必ずどちらかに当てはまるし、そうであるべき、という結論を導くことも誤りです。聖書が書かれた時代の人々の理解は、人間は男か女のどちらかだったので、このような記述になっています。
しかしここから二つのことが読み取れると思います。一つは「男も女も神のかたち」だから、男尊女卑は誤りだということ。もう一つは人間の多様性です。
近年、人間は単純に「男と女」に区別できないことがわかってきました。LGBTQの問題です。そういう人も含めて、すべての人に「神のかたち」があり、すべての人が神の創造の豊かさの一部なのだ、ということがここで示されていると考えることができます。
29-30節では、人間とそれ以外の生き物のために、食物として植物をお与えにったと記されています。
創造の時点では、人が動物を食べたり、動物が他の動物を食べたりすることはなかったようです。
しかし人が罪を犯したため、人と動物、動物と動物が互いに殺し合わなければ食物を得ることが出来なくなった、というのが聖書の主張です。創世記9:3で改めて肉食の許可が与えられています。
1:31 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」ここが創造物語のクライマックスです。
「極めて良かった」は、全体としての調和と完成を示す言葉で、ヘブライ語では「非常に良い」「圧倒的に良い」という強調表現です。神の創造には欠陥はありませんでした。自然・人間・動物・世界の秩序が調和しており、神と被造物の関係も平和そのもの。こうして、神の創造が完成しました。
悪や破れは創造の本来の姿ではなく、人間の心に罪が入った堕落後に起こったこと。人は神のかたち、神のよき性質が与えられ、神との交わりをもって生きることのできる存在として造られていました。
それが「極めて良かった」という言葉で表さわされています。
そして、この「極めて良かった」という言葉の中には、性の多様性や人間の多様な個性も含まれているということも、覚えたいと思います。
この後人間が神に背を向け、心に罪が入ります。そして、罪の赦しと回復に向けた神からの働きかけが、救済の歴史、救いの歴史です。
ですから、聖書は「極めて良かった」という状態への回復、神と人との関係の回復の物語なのです。