2026年02月08日「主がお入り用なのです」

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主がお入り用なのです

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
マルコによる福音書 11章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

マルコ
11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
11:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
11:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
11:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
11:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
11:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。
11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 11章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

2026年2月8日 <説教要約> マルコ11:1-12「主がお入り用なのです」

イエス様と弟子一行は、エルサレム近郊までやってきました。そしてエルサレムの東側にある小高い山、海抜800メートルほどのオリーブ山のふもとで小休止。そこでイエス様は二人の弟子をお使いに出しました。
「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」(11:2-3)
二人は言われた通り村に入ると、すぐに子ロバがつながれているのを見つけました。
イエス様に言われた通り、黙って子ロバをほどき始めると、「その子ろばをほどいてどうするのか」ととがめられました。
表通りの戸口につながれているロバを、見知らぬ二人組が勝手に連れて行ったなら、とがめられて当然です。
それでもイエス様に言われた通り「主がお入り用なのです。すぐにここにお返しになります」と答えると、すんなり貸してくれたのです。

エルサレム入城でよく問題になるのは、なぜ子ろばを使われたのかということですが、それには意味があります。

①旧約預言の成就としての「子ろば」
創世記49章に、族長ヤコブが自分の死の直前に、12人の息子を祝福するという形で、イスラエル12部族の将来を預言する言葉が記されています。そこに「ろばの子」が登場します。
49:10-11a「 王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。彼はろばをぶどうの木に/雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。」
「王笏」とあります、笏とは、王が権威と力を示すために手にしていた短い棒で、王の象徴です。ですから、「王笏はユダから離れず」は、ユダ族から王が出るという預言です。その人物が「シロ」と言われています。
彼はロバをブドウの木につなぐのです。それも、「雌ろばの子」とあります。旧約聖書をよく知るユダヤ人たちに、この預言を思い起こさせるための「子ろば」です。しかも、イエス様はユダ族の家系ですから、イエス様が子ロバに乗った入城は、人々にこの預言を思い出させ、イエス様がイスラエルの王という風につながります。
②低いものとして
並行記事であるマタイ21章4-5節「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
マタイ福音書はゼカリヤ書を引用して、王が「子ろばに乗って」来ることを明らかにしており、イエス様のエルサレム入城が旧約預言の成就だと語ります。しかも、イエス様が馬よりも、ろばよりも小さい子ロバに乗って入城されたことで、身を低くして歩まれたイエス様の献身を強調しています。
「柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って」と。
神の御子が私たち人間よりも身を低くして地上を歩まれることを記す預言であり、これがイエス様によって成就されたこと、そしてこれが永遠からの神の御計画であると主張するのです。
③だれも乗ったことのない子ろば
だれも乗ったことのない子ロバが用いられた、ということにも意味があります。
神の働きのために、まだ他の仕事に使われたことのない子ロバが用いられた。聖別された子ろばが用いられたのです。「聖別」とは、神の目的のために特別に取り分けて用いる、ということです。
もう一度まとめると、
1.エルサレム入城、そしてイエス様の十字架は、偶然の出来事ではなく、旧約聖書に預言された預言の成就で、神の御計画の中での出来事だ、ということ。
2.子ろばに乗った入城が象徴しているのは、神が身を低くされたということ
ウ小教理「問27キリストの謙卑」として告白されています。
問27キリストの謙卑は、どの点にありましたか。
答 キリストの謙卑は、かれが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架の呪いの死をしのばれたこと、そして葬られたこと、しばらくの間死の力の下に留まられたことにありました。
3.この出来事は、神の御業であり、イエス様は神の御子。そのために聖別された動物が用いられた、ということ。
外見から見ればちっぽけな子ろばですが、ちっぽけな子ろばこそが、「主がお入り用」だったのです。

そして、いよいよイエス様の入城です。イエス様に従ってガリラヤからやってきた弟子たち、途中でイエス様に従った人々、その様子を見ようと出迎えたエルサレムの人たち。
ある人は自分の服を道に敷き、ある人は野原から枝を切って来て道に敷き、そして大声で叫びました。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
「ホサナ」とは、「今、救ってください」という意味。人々は、イエス様の入城を旧約預言と結びつけ、イエス様が約束のメシヤ、救い主。地上のダビデ王国を再建なさる方信じ、「今、救ってください」と叫び、歓喜したのです。
しかし、イエス様は、その中を無言で進まれました。都に入ると、ますます大きくなる歓迎の人々の歓声、しかしそれに応えることもなく、神殿に直行なさいました。
神殿は、神の目が注がれる場所、そして人々が神を礼拝する場所です。
イエス様は、神殿に行って、そこでの人々の様子をご覧になり、彼らの霊的実態をご自身の目で確認なさいました。そしてこれが、15節以下の話につながっていきます。

立派な馬でもなく、大人のロバでもなく、子どものロバに、イエスさまは「主がご入用なのです」と声をおかけになります。
自分は小さな者、大それたことなどできない者、あるいは人からそう思われていると自分を過小評価している人、そういう人に、神は目を留め、お用いになります。
この朝、神は、小さな者である、わたしたち一人ひとりに目を注ぎ、あなたが必要です!と言っておられることを覚えたいのです。

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