2025年10月05日「逆らわない者は味方」

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9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」
9:39 イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
9:40 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。
9:41 はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 9章38節~41節

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2025年10月5日 説教要約 マルコ9:38-41 「逆らわない者は味方?」

皆様は、12弟子のひとりである「ヨハネ」について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
多くの方は「ヨハネ福音書を書いた人」。そしてそこから連想するヨハネ像は、物静かで、落ち着いて、物事の表面ではなく、そこに込められた神のメッセージまで深く考える人、そんなイメージではないでしょうか?
ところが、福音書に登場するヨハネは、そのイメージとは違います。
まず、福音書にヨハネの名が登場するのは、マルコ3章17節。イエス様が12人を使徒として任命した際、イエス様がヤコブとヨハネに付けた名は「雷の子ら」です。たぶんこれは、二人の性格から来たニックネームだと思われます。つまり、この兄弟、ここで問題になっているのはヨハネですが、ヨハネは若い頃、「雷」のような性急で激しい性格。人の過ちや罪に対しても黙っていられない、そんな人だったと思われます。
更にもう一か所。マルコ10章35-37節を見るとヤコブとヨハネ兄弟は上昇志向と言いますか、人を押しのけても上の地位に就きたいという当時の性格が現れています。ヨハネは若い頃、そんな性格の弟子だったのです。しかし、イエス様に従って歩む中で、訓練され、変えられていき、そして教会の柱、中心人物として成長していったのでしょう。
そういうわけで、今日の箇所は、「雷の子」といわれた若き日のヨハネの話です。
「雷の子」と言われたヨハネが、自分の正義感に基づいてイエス様に訴えるように言いました。
9:38b「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

ところがイエス様のお答えは、ヨハネの意に反したものでした。
9:39-40イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」
イエス様は、その人の行為をやめさせてはいけない、とヨハネの行動を止められました。その理由として「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方」だと言われたのです。ヨハネは、イエス様のお言葉を聞いて納得できたでしょうか? 多分、このときは納得できなかったと思います。
「そんな甘い考えでいいのか。こんな行為を許していたら、!!」と思ったことでしょう。
しかし、この出来事には大切な教えが含まれていますので、詳しく見ていきましょう。

まず、ヨハネがイエス様に訴えた中心は、その人が「イエス様の名前で悪霊を追い出しているから」というより、「わたしたちに従わないから」です。ヨハネはその人が「イエス様に従わない」とは言わず、「わたしたちに従わない」と言っていることに注目しましょう。つまり、ここでヨハネが引っ掛かったのは、この人が弟子団の権威をないがしろにしている点だったということです。

しかし、ヨハネが見落とした大切なことがあります。それは、この人は「イエス様の名前で、悪霊を追い出せた」という事実です。「イエス様の名前」は、イエス様ご自身であり、イエス様の業そのものです。
イエス様を信じていない人がイエス様の名を使ったからと言って、悪霊を追い出すことができるでしょうか? 使徒言行録13章11節以下に、イエス様の名を使って悪霊を追い出そうとしたユダヤ人祈祷師の話が記されています。パウロがイエスの名によって悪霊を追い出すのを見て、まねをして悪霊に命じた祈祷師の話しです。彼らは「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と悪霊に命じました。ところが、ことの結末はこうです。
使徒19:15-16 悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」 そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。
つまり、イエス様を信じていない人がイエス様のお名前を使っても悪霊を追い出すことはできないのです。
ですから今日の箇所、ヨハネは認めなかったけれど、この人にはイエス様に対する信仰があり、その人を通してイエス様の力が働いた、あるいは聖霊の働きがあって、悪霊を追い出すことができているのです。
もちろん、この人の信仰は、十分な信仰ではなかったかもしれません。しかし、神はその人をご自身の器として用いておられるのは事実ですから、それを人がとやかく言ってはなりません。
そこには、確かに神の力が働いており、この人もまた、神の国の働き人、として受け入れるべきなのです。

最後の41節「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」は、38-40節とのつながりがわかりにくいと思います。
で、この話はルカ福音書にも記されていますが、ルカ福音書には41節に当たる部分はありません。
ですから、38-40節と関係づけないで、41節だけで独立して考えたいと思います。
また、この41節は、マタイ福音書10章でもう少し丁寧に扱われているので、そちらを引用しておきます。
マタイ10:40-42 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
ここは、教会内の人間関係にも応用できる教えです。
教会の中でも、性格や意見の違う人、そりの合う人合わない人、仲良しと苦手な人、いろんな人間関係がありますよね。
でも、「あなたがた」つまり、一人のキリスト者、主にある兄弟姉妹を受け入れるのは、キリストを受け入れること、そしてキリストを遣わされた神を受け入れることと同じなのです。そういう中で私も受け入れられるのです。わたしたちも心したいと思います。

今日の箇所では、若い頃のヨハネが「雷の子」と呼ばれ、よく言えば情熱家、悪く言うなら自分の考え、自分の正義で人を裁く、そういう人物だったことを知りました。でも、これってわたしたちにもありがちなことだと思うのです。
自分の正義がキリストの正義とは限らない。自分の考えや価値観が必ずしも神の御心であるとは限らないのです。
ですから、互いに悔い改めて赦し合い、働きを補い合いながら歩むことを大切にしたいのです。そういう歩みの中で、一人一人の信仰に成長が与えられ、教会が整えられていくということを覚えたいと思います。

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