2025年04月27日「個人の祈りと公同の祈り」

問い合わせ

日本キリスト改革派 川越教会のホームページへ戻る

音声ファイルのアイコン音声ファイル

礼拝説教を録音した音声ファイルを公開しています。

聖句のアイコン聖書の言葉

4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
フィリピの信徒への手紙 4章4節~7節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> フィリピ4:4-7 「個人の祈りと公同の祈り」

今年は、第4主日の礼拝説教で「祈り」について学んでいます。今回は「祈り」についての二回目。「個人の祈りと公同の祈り」と題しての話しです。

まず、祈りの呼びかけに注目して、新約聖書の祈りを見ていきます。
まず、地上でのイエス様の祈りを「ゲッセマネの祈り」で確認しましょう。
マルコ14:36「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
イエス様はここで「アッパ、父よ」と呼びかけて祈り始めています。「アッパ」は、「お父ちゃん」、「私の父さん」というような呼びかけです。三位一体の父と子という親密な関係だからこそ、神に対してこういう呼びかけができるのです。しかし、イエス。キリストの十字架と復活、執りなしを通して、やがて信仰者たちも同じように、父なる神に親しく呼びかけて祈ることができるようになりました。

次に、初代教会の祈りを見ましょう。当初弟子たちはユダヤ教伝統を引き継いで、主なる神へ祈りをささげていました。イエス様が昇天された後、ペトロとヨハネが神殿でキリストの福音を語っていて逮捕されるという事件が起こりました。その後釈放された二人が仲間と共に祈った祈りを見ましょう。
使徒言行録4:24b「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。
ここでは「主よ」と祈り始めています。彼らが意図していたのは「主なる神」で、ユダヤ教の伝統を引き継いだ祈りの呼びかけともいえます。
今、わたしたちが祈るときにも、「神」に呼びかけて祈ります。
例えば、「神よ」「主なる神よ」。あるいはいろんな形容詞をつけて「全能の神よ」「恵み深い神よ」「愛と憐みに富んでおられる神よ」「天地万物を造り治めておられる神よ」などなど。
この場合は、三位一体の第一位格である父とその御業、お働きを意識しての祈り、と言えるでしょう。

イエス様の昇天後、キリスト教会では「主イエス」に向けた祈りも祈られるようになりました。
Ⅰコリント16:22-24「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように。」
「マラナ・タ、主よ来てください」はキリストの再臨を念頭に置いた祈りで、明らかにイエス様への祈りです。
ステファノが殉教するとき祈った祈りは、まさに天におられるイエスに向けた祈りです。
使徒言行録7:59「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。」
他にも、パウロが自分の病を取り去って欲しいと願う祈りも、前後関係を読むと、キリストへの祈りと考えられます。Ⅱコリント12:7b-10です。後でお読みください。
このように、新約のキリスト者たちは、直接イエス・キリストに向けても祈っています。
特に、主イエスは私たちの罪からの救い主、そして今神の右の座で、神と私たちの間を執りなしていてくださる方ですから、そのことを覚えるとき、わたしたちも「イエス・キリストよ」とか「イエス様」と呼びかけて祈ることがあります。イエス様ご自身、地上においてこのように教えておられます。
ヨハネ14:13-14「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

さらに、私たちの一番で私たちを助けてくださる「聖霊なる神」の存在もあります。聖霊のお働きを意識して祈る場合、「聖霊なる神よ」とか、「聖霊様」と祈ることもあります。もっとも、改革派教会ではこういう祈りは少ないみたいですが。聖書の中では直接「聖霊」に呼びかけて祈る例は見当たらないのですが、ローマの信徒の手紙にこのように記されています。
ローマ8:26「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

ここまで、祈りの呼びかけを見てきました。それぞれの呼びかけは、その祈りがどういう場面、どういう意図での祈りなのか、ということで変わることが多いと思います。いろんな場面でいろんな方の祈りを聞きながら、自分の祈りを工夫してみてください。

ただし、父・子・聖霊なる神は三位一体の一人なる神ですから、どの位格に向けて祈ったとしても神に届くので、心配する必要はない、とも言えます。

今日は祈りについて、もう一つの面を考えます。祈りには個人の祈り(密室の祈り)と公同の祈り(共同体の祈り)という区別があります。個人の祈りは、神と私の関係だけで祈る祈り。 公同の祈りは、神と私たちの関係で祈る祈りです。自分一人で、あるいは家族で祈る祈りは個人の祈りで、自分のこと、家族のことなど、プライベートな内容も自由に祈ることができます。一方で、公同の祈り、共同体の祈りは、礼拝の中で、あるいは教会の様々な集会の場で祈る祈りです。特に礼拝の中での祈りは、公同の祈りであり共同体の祈りです。ですから、ともに礼拝している方々、祈りに心を合わせている皆が「アーメン」と言える祈りであることが大切です。

今朝は「公同の祈り、共同体の祈り」の中でも、特に礼拝で祈られる「教会の祈り」(牧会祈祷)と「献金の祈り」を扱っておきます。
「教会の祈り」(牧会祈祷)では、世界や日本のこと、キリスト教会全体や私たちの教派、近隣教会のこと、川越教会の課題、会員や求道の友のことなどを祈ります。内容は、「感謝、執成し、願い」です。 
川越教会では式次第の「教会の祈り」のところに、その週の祈祷課題を記していて、司式者はそれらに基づいて、教会の祈りを祈ります。ただし、礼拝の中で全部祈れないことも多いので、皆様も日々の祈りの中でこれらの課題を祈っていただきたいと思います。

本日触れておきたいもう一つの祈りは「献金」の祈りです。「献金の祈り」も礼拝の中での祈りですから、個人の祈りではなく、公同の祈り、共同体の祈りです。ですから、できるだけ個人色を排して、礼拝に参加している皆が素直に「アーメン」「その通りです」と同意できる内容を祈ることが必要です。

初めにお読みしたフィリピの信徒への手紙4章6-7節を確認しましょう。
フィリピ4:6-7「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

「感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」です。
まず神への感謝、自分や周りの人たちが置かれている状況や信仰の歩みについての感謝が先です。
「献金の祈り」は、「献金感謝の祈り」ですから、中心は「神への感謝」です。感謝すべきことはいろいろあります。一週間の歩みが支えられたこと。その中には、健康や経済生活なども含まれます。
礼拝に出席できたこと。さらに献金をささげることができた感謝。
そして感謝の後に願いや執成しを祈ります。
多くの場合、献金の祈りでは、この順序が逆になっていることが多いと感じます。あるいは、いろいろお祈りして結局献金感謝の祈りが忘れられてしまうことも・・・。ぜひ「献金感謝の祈り」だということを意識して祈ってください。またマイクを口元に近づけて、会衆に聞こえるように祈りましょう。
みんなが「アーメン」「その通りです」と言えるように祈ることを心がけましょう。

「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

関連する説教を探す関連する説教を探す