2025年03月02日「執事の選出」

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執事の選出

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 6章1節~7節

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聖句のアイコン聖書の言葉

そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。
それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。
わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、
使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 6章1節~7節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> 使徒言行録6章1-7節「執事の選出」 
たった今、2名の執事の任職、就職式をいたしまして、川越教会に新たに執事が2名加えられました。
このことを、心から感謝いたします。そこで、今日の説教は使徒言行録6章。
エルサレム教会で、初めて執事にあたる役員が選ばれた箇所から、わたしたちも神様のメッセージを受け取めたいと思います。
6:1a そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。
最初に目を引くのは「弟子の数が増えてきた」という言葉。これは教会にとってとてもうれしいことです。
しかし、そこで問題が生じたのです。背景にはエルサレム教会ならではの特別な状況がありました。
教会の中に、ギリシャ語を話すユダヤ人と、ヘブライ語を話すユダヤ人がいた、ということです。もともと、主イエスの弟子であった12使徒はヘブライ語(正確にはアラム語)を話すユダヤ人です。しかし、ユダヤ民族は、旧約の時代から、広く海外に離散していましたから、母国語であるヘブライ語が分らず、当時の公用語であるギリシャ語で話すユダヤ人も多くいました。もちろん、ヘブライ語が全く分からないということではなかったかもしれません。しかし、日常使っている言語が違うということは、細かい点での意思疎通が難しくなります。そういう中で、
6:1bそれは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
やもめ(夫を亡くした婦人)への配慮ということで、ある不平等な状況が問題になったのです。
先週もお話ししましたが、当時ユダヤ社会では、女性が一人で暮らしを立てるということが困難でした。
それでユダヤ教会はやもめへの配慮を行っていたので、キリスト教会でもその配慮は続けられました。それが「日々の分配」です。
ところが、その分配のことで、ギリシヤ語を話すユダヤ人が軽んじられていた、あるいはそのように感じる人が出たのです。「軽んじる」と訳されている言葉は、「見落とす」とか「後回しにする」という意味もあります。これが故意に行われていたのか、あるいは言葉がわからないために意思疎通がうまくいかなくて、そういう状況になったのか分かりません。でも、せっかくの愛の働きが、そんな風になっては残念です。

ですが、問題が起こること、あるいは問題が表面化することは必ずしも悪いことではありません。
教会だから、お互い愛し合い、赦し合って我慢すべき、問題は表面化しないように抑えるべき、という考えでは、本当の意味で愛の交わりは成立しません。
今日の箇所のように、問題が表面化したことで適切な対策が講じられ、結果として、教会が祝福されるということが起こるのです。
教会にはいろんな人がいるので、置かれている状況、考え方、感じ方もいろいろです。みんな違うのです。ですから問題が起こるのはある意味当然です。教会内に何も問題がないという方が不思議なくらいです。
ですが、そこで大切なのは、相手の立場になって考えてみること、愛をもって対処することです。 一部の人が我慢したり、水面下で不満が増長するのを放置しておくのではなく、受け止めて改善することで関係が前進することになります。

エルサレム教会では問題が表面化し、使徒たちに伝えらると、すぐに対策を講じました。
最初に使徒たちが感じたことは、この問題に対処するには、自分たちだけでは力が及ばない、ということでした。使徒たちの働きの第一は、神の言葉を語ること、つまり、今の教会で言うなら教師や牧師が担う働きです。そこに、人数が増えた教会員への配慮、特に食卓の配慮が加わるとしたら、第一の働きがおろそかになってしまうと彼らは判断したのです。
それで、その対策として、分配の働きを担ってくれる、適切な人材を選ぶことを提案しました。
6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。
先ず、ここから教えられるのは、適材適所、賜物に応じた働き、ということです。もしかしたら、使徒たちには食卓の配慮という賜物がなかったのかもしれません。

教会の奉仕は、賜物と、働きの量、両方を考えることも必要です。いくら有能で何でもできる人でも、一人の人に過重な働きが集中したら、その人は大変だし、それでは教会全体の益にはなりません。
教会の働きは「与えられた賜物に応じて」ということと、「皆で担っていく」ということ、両方が重要です。教会員全員がキリストの体として、それぞれの役割を担うことで、教会は成長します。
こうして、教会員の中から、新たな働きのために7人が選ばれたのです。
選び方については記されていませんが、とにかく教会員の意志によって7人が選ばれ、そこに聖霊の働きがありました。
使徒たちは、「7人を前に立たせ、祈って彼らの上に手を置いた。」とあります。
先ほどの任職・就職式でも同じように行いました。
「按手」と言いますが、これは、教会の正式な役員として選んだということの印であり、同時に働きの上に神の助けを願い求める祈りでもあります。
神は、人に働きを与えるとき、必ず賜物も与えてくださいます。働きを全うするために神の助けがあることを期待すべきです。
そしてさらに、エルサレム教会には祝福がありました。
6:7こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
でも、御言葉を語る人でなく、執事を選んだことで、教会に加えられる人が増えていったのはどうしてでしょうか。
おそらく、選ばれた7人は、食事の分配をしながら、弱い立場の人、見落とされそうな人に寄り添ったのだと思います。そのようにして、教会の中で愛の働きがきめ細かく行われ、結果、キリストを中心とした愛の交わり豊かな教会へと成長していったのです。

イエス様もこのように教えておられます。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13:34-35)

ここから、執事の働きに大切なのは、実働以上に愛をもって神と教会に、隣人に仕えることだということがわかります。
もちろん、牧師も、長老も、また教会員も同じように、愛によって仕え合うことが求められていますが、愛の業の中心に執事職があるということをここから覚えたいと思います。

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